第八部 三章 -虹の光を曲げて広げる霧-

 契約者の儀式の中で私達にできる事は何も無い。列の整理にせよ、途中に挟む休憩でも優秀な大人達とそのインヴィタドが経験を踏まえてこなしてしまうからだ。

 「出る幕ないね」

 勿論その間に何もしていないわけじゃない。彼らの姿を見て、契約者を補佐する召喚士とは何か勉強はさせてもらっている、同じ様にやるにもきっと、急に振られたら戸惑うと思うけど。

 「でも、近くでじっと見ていられる」

 チコも同じだった。カンポ地方のフェルトにまで同行していた時はあまり儀式の様子に関心を持っていなかったけど今は熱心にウーゴさんの動きを中心に観察している。状況が変われば、人も変わるのだとよく分かった。

 「お前は夜遅くまで何をガリガリしてたんだ?」

 「聞こえてたんだ」

 結構時間掛かったし、何度かくしゃみもしてたから起きてたのが隣の部屋にも聞こえてたらしい。私は視線をニクス様が籠りきりの小屋へ目を移す。

 契約者の儀式用に貸し出されたのは噴水公園のすぐ近くに建っていた取り壊し予定の廃屋だった。土地の買取人も決まっていたそうで、工事もすぐに始まる予定だったらしい。それでも貸してくれたのは、地主も以前は召喚士を志して契約者の儀式を受けたからだそうだ。

 「また召喚陣を描いていたな」

 「気付いた?」

 夜更けに力強く紙に何かを描いている音が召喚士の使う部屋から聞こえてきた。だいたいは想像つくもんね。私を見下ろすレブの視線は木枯らしの風よりも冷たい。

 「今度はゴーレムに挑戦するんだ」

 「お前はもっと精霊とか召喚できた方が良いんじゃないのか……」

 私の力作召喚陣を広げて見せるがチコを始め、周りの反応は渋い。

 「だ、だって、皆召喚できるゴーレムを私だけ召喚できないのって嫌じゃん!」

 「貴様は他の誰も成し得ない、この私を召喚している。そんな悩みは不要だ」

 レブは今にもその爪で睡眠時間を削って描いた召喚陣を切り裂かん勢いだ。他の召喚をされたくないのは知っているけど、私だって試したい。活用するかは置いておくからさ。

 「……でも、そうだよね。助言をもらうにしても、ゴーレムくらいなら誰でもまだ出せる範疇だし」

 私が今までできていなかっただけ。それに、今回の召喚にしてもまだ試してはいない。描いただけで満足していては成功なんて到底呼べなかった。

 「おいザナ、見てみろ」

 「え?」

 なんだか一夜明けたらこの召喚陣が妙にくすんで見えてきた。描き上げた時の達成感と艶めきも寝る前の疲れが私に見せた幻だったのかも。

 少し落ち込みそうになったが、そんな間も無くフジタカが声を掛けてくる。彼の指差す先を見ると、小さな女の子と子犬が歩いていた。

 「あれ、アイナちゃんだ」

 こちらとほぼ同時に向こうも私達に気付いた。子犬に一声掛けると一気に駆け足になってこちらへやって来る。

 「召喚士のお姉ちゃん!フジタカ!レブ!」

 会ったのは昨日なのに私の名前だけは出てこない。なんだろう、この、レブに名前を覚えられていない人達の気持ちが分かる感じ……!

 「なんだ、この子」

 唯一の初対面だったチコにアイナちゃんは足を止めると頭をぺこりと下げた。

 「アイナです!召喚士になりました!」

 「ふーん?」

 チコは聞き流していたけど私達は聞き捨てならない。

 「あ、アイナちゃん……?もしかしてニクス様に?」

 頷いて顔を上げたアイナちゃんの笑顔は昨日レブ達を見た時とも違う輝きを目に宿していた。

 「私、召喚ができるんだって!赤いおじちゃんに言われたの!」

 間違いない、ニクス様だ。来ているとは思ったけど、まさか本当に儀式でも成功してしまうなんて。知り合ったばかりとか、そういうのは本当に関係無いんだなぁ。

 「お兄ちゃん、誰?」

 「俺はチコ。アイナ、だっけ?召喚士になるんだったらちゃんと勉強しないといずれ行き詰まるから気を付けなよ」

 自己紹介早々にチコは怖い事をアイナちゃんに言ってしまう。浮かれさせてあげたい様な、現実を知ってもらった方が何年か先に役立つのかなとも思ったり。

 「大丈夫!ちゃーんとやるよ!それでレブとフジタカをいんびたどにする!」

 「それは無……む」

 レブが真っ先に不可能と告げようとするから私はわざと脇腹を肘で突いた。気付いてはくれたのか、それ以上は言わない。

 「楽しみにしてるよ。頑張ってな!」

 「うんっ!」

 フジタカに頭を撫でられたアイナちゃんはフジタカの様な人狼だったらきっと尻尾を勢い良く振っていただろう。そんな姿を容易に思い浮かべられる程に彼女はこれからに希望を抱いている様だった。

 「……そうか」

 チコはハッとして何かに気付いた様だった。しかしアイナちゃんは既に私達から背中を向けていた。

 「皆に知らせないと!召喚士になったって!じゃーね!」

 子犬と一緒に走り去るアイナちゃんの足取りは軽い。放っておいても大丈夫なものか、少々心配にまでなってきた。

 「気が早いなぁ、あの子」

 「召喚士選定試験、懐かしいね」

 チコも苦笑する程の浮かれ様だった。でも、人の幸せな気持ちって相手にも伝わるともっと心地好いんだよね。

 「あの子、昔のザナに似てるよな」

 「またそんな事言う?昨日もレブとフジタカに言われたよ」

 ずっと村で一緒だったチコにまでそんな風に言われるなんて、もしかして本当に似ているのかな……。召喚士になる、って気持ちは強かったけどアイナちゃんはもうなった気でいるし。

 「あ!レブは私のインヴィタドだからね?」

 「念押しせずともそのつもりだ」

 専属契約を結んでいるから誰かに目移りなんてできないだろうけど、言っておかないと。アイナちゃんにも誰にも、レブは渡せない。

 「そうして見ると本当に専属契約って不便だな。常に魔力も食われてるんだろ?」

 「私にはこれが当たり前だもん。気にならないよ」

 チコは私達の中では唯一のインヴィタドを連れ歩いていない召喚士だし、そう思われても無理はない。でも、私はレブと在り続ける。

 「不思議なもんだよな。俺とお前、繋がりなんてないのに今も一緒にいるんだから」

 「……だな」

 フジタカがチコの頼みを聞き入れたから今もこのなんちゃってインヴィタドの関係は続いている。それもチコが力を身に付けるまでの話。

 チコは召喚士としての力を確実に身に付け始めている。だとしたら、それが一定の水準へ達した時、フジタカはどうするんだろう……?彼の横顔を見ても、何か考えがある様には見えない。

 「うん?どした?」

 だけど、今までのフジタカに考えが無いとは思えない。アルパの森でインペットに子どもが捕らえられていた時の機転だって、あの状況で咄嗟に思い付く事なんてなかなかできないし。

 「ううん」

 教えてくれるわけないよね。それに、今聞いたらまるでフジタカに出て行ってほしいみたいだ。フエンテに回る事はないとしてもこの世界で一人、できる事は限られてくる。

 直後、何かが割れる大きな音が響いた。チコ達は音の方向を、私達はニクス様達のいる小屋の方を見た。

 「なんだ!?何が起きた!?」

 「ニクス様は!?」

 周囲もざわざわと騒ぎ出す中、小屋の方は静かなものだった。しかしすぐに斧の柄に手を乗せたトーロが半ば転がる様に小屋から飛び出した。

 「状況はどうなっている!」

 「分からない!」

 「契約者に危険が及ぶものではない」

 剣を抜かん勢いのライさんに私も声を張るが、その隣で落ち着き払ったレブは首を横に振る。

 「聞こえたの?」

 「単に硝子が割れただけだ。……だが、少々後味は悪い」

 どこかで硝子が割れて、レブの後味が悪い?それとも、この場の誰か、私達にとって後味が……悪い。

 「っ!」

 「おいザナ!どこに行く!」

 「現場です!トーロ達は儀式を続けて!」

 私が駆け出すと同時にフジタカとチコ、そしてレブも続いた。

 「全員で持ち場離れて……カルディナさんに後で怒られるよ」

 「後で怒られるのが分かってるなら、後で考えればいいんだよ」

 フジタカだけでも戻そうかと思ったが、本人が騒ぎの中心に向かって走っているのがよく分かる。下手に回り道をするよりも彼に続いた方が確実だった。

 「コール!コールぅ!」

 ざわざわと人だかりができている中で、聞き覚えのある声がした。聞き覚えなんてものではない、つい先程まで話をしていた少女の声だった。

 「……アイナちゃんっ!」

 人混みを抜けると、足元がぱりん、じゃり、と何かの砕ける音が聞こえた。見ると、陽を反射した粉々の硝子があちこちに散らばっている。

 その端で、小さな女の子が何かを抱えて泣き叫んでいた。分厚い毛に覆われた小さな動物は足から真っ赤な液体をガロテの地面に流しながら唸っている。

 「グゥゥゥゥゥゥ……!」

 「コール!コール!」

 子犬の名前だろうか、コールと呼びながらアイナちゃんはコールを必死に揺すっている。怪我をした動物に対してそれはいけない。誰も助けようとしないので私達はすぐにアイナちゃんへ駆け寄った。

 「アイナちゃん、動かしちゃダメ!」

 「いやっ!コールが死んじゃう!」

 手首を掴んでも振り払ってアイナちゃんは子犬、コールを抱く力を強める。自分の服が汚れる事も構わないが、見えた傷口は深かった。すぐ横に血塗れの大きな硝子が落ちていた。恐らく割れた衝撃で飛んできた硝子で足を切ったか、もしくは突き刺さった硝子を抜いてしまったのか。どちらにせよ放っておいて血が止まる様な怪我ではない。

 「じ、獣医さん!獣医さんとかいませんか!?」

 フジタカが硝子を踏み砕いて声を張るが、誰も近寄ろうとはしてくれない。動物のお医者さんを呼んでくれているのだろうが返ってくる言葉は無い。まして、アイナちゃんの知り合いらしき人物もいない様だった。

 「レブ、こうなったら……」

 「どこへ運ぶと言う」

 子犬の治療ができる人のところ。だけど、そんなの……知らない。

 「闇雲に飛ぶ時間はその犬には……」

 「分かってる!せめて止血……っ」

 息を上がらせた犬の口からは舌がだらりと下がり、涎を垂れ流している。一刻の猶予どころか……もう、瀕死の状態だ。耐える生命力もこの子はまだ身に付けられていない。

 「コール……」

 アイナちゃんが泣く横で、パリン、と硝子が踏み砕ける。

 「………」

 「フジタカ……?」

 医者を探していた筈だったが、少女の隣に立ったフジタカは何かを取り出す。それがアルコイリスと気付いた時にはチコが彼の手首を掴んでいた。

 「おい!どういうつもりだ」

 「離せ、時間が無い」

 まさか、アイナちゃんの前で子犬を消すつもり……?そんな考えが脳裏に過って背筋が冷たくなる。しかし、フジタカはアルコイリスを灰色の状態から金属輪を回して色を変える。

 その色は今まで使った事の無い色だった。部分的に消す力を持った赤でもなく、チコの鞄を直した黄色でもない、その中間色の橙色が輪の中央で陽を反射する。

 「……お願い」

 「あぁ」

 できるの?とか、危ないよなんて言うのは簡単だったし喉元まで来ていた。だけどフジタカ自身がそんな事、一番よく分かっている。チコの腕を振り解いたフジタカの後ろでレブは腕を組んでその背中をじっと見ている。私は止血用に布を取り出したけど、それも要らない様だったので頼む事しかできなかった。

 「アイナちゃん。コールを治そう。な?」

 「え……」

 「な?」

 雑踏にかき消されるのではないかと思うくらいにフジタカの声は静かだった。だけどアイナちゃんは不思議と泣き止んでコールをフジタカの前に掲げる。

 「そのまま。すぐに、終わらせるから……」

 ナイフを見せたフジタカにアイナちゃんは固まる。もはや抵抗する素振りも見せない子犬の傷口をなぞる様にフジタカはナイフを滑らせた。

 するとどうだろう、温かな光が洩れて肉がぐちゅりと蠢く。その音は聞いていて心地好い物ではないが、すぐに子犬の様子に変化が生じる。決してベルトランの腕の時の様に、足だけが丸ごと消えてしまう事はなかった。

 「ハヒュッ……ハフ……フー……フー……」

 「コール……?」

 パチン、と音を立ててフジタカがナイフを畳む。傷口が塞がり、呼吸が安定した子犬は単に寝てしまっている様に見えた。

 「これで良し……かな。しばらくは……おとなしくさせなきゃ駄目だよ」

 私から布を受け取るとフジタカは血で汚れたコールの毛皮やアイナちゃんの服を拭き取ってやる。全部は落とせなくて、寧ろ汚れを薄めて広げてしまった。

 「あ、ごめん……」

 「ううん、フジタカ……ありがとう」

 目の前で起きた現が理解できていないのかアイナちゃんはポカンとフジタカを見上げている。

 「あ!アイナちゃんは……怪我とかしてない?」

 「してない……。うん、大丈夫」

 周りがフジタカの起こした力に目を見張っているが、レブが近付く事を許さない。見物するだけで助けてくれなかったあの人達には悪いが、今話しているのはこっちとアイナちゃんだけにしておきたい。

 「さ、お母さん達が心配するだろ……?早く帰らないと、な。……帰れる?」

 「うん……」

 硝子を踏み砕かずには歩けない様な散らばり具合。見れば、まだ何枚か割れていない硝子を馬車が積んでいた。さしずめ、何かの拍子で荷止めの縄が解けたといったところだろう。馬車の持ち主らしき男は帽子を両手で潰しながらこちらを青ざめた顔で見ている。

 それでも私達はアイナちゃんを帰らせた。巻き込まれるなら、私達だけでいい。

 「う……!」

 アイナちゃんの姿が消えた直後、くぐもった声がして私は振り返る。すると胸を押さえたままフジタカが硝子の散らばる地面へと倒れ込んでしまった。彼の急変には散りかけた外野の人達もまた足を止めてこちらを見ている。

 「お、おいフジタカ!フジタカ!」

 「う、うぅ……!」

 毛皮にしっかり包まれて破片は散った後のおかげか、硝子でフジタカ自身出血する様な怪我は負っていない。だが苦しそうに胸を押さえるフジタカはまるで……私の様だった。チコにも返事をする余裕が無いらしい。

 「魔力切れ……?」

 思った事を口にするとチコも屈んでこちらの顔を覗き込む。

 「はぁ?フジタカはナイフで消費なんて……」

 「この前鞄を直した時、少し疲れてたんだよ。もしかしたらその時よりも消耗が激しかったのかも」

 硝子片が刺さらない様にフジタカを仰向けに転がして私はレブを見た。

 「ビアヘロが一気に魔力消耗したらまずいんじゃないのか……?」

 「分からない。けど、放ってはおけない。レブ!」

 横目で何かを見ていたレブは視線を正面に戻す。

 「宿までフジタカをお願い。私達もすぐに戻るから!」

 「気を付けろ」

 一言だけ注意するとレブは軽々とフジタカを抱き上げた。

 「うっ……ぐ……」

 「呼吸を整えろ。……まったく、まさか私が犬ころを抱える日が来るとはな」

 翼を広げたレブの姿に見ているだけの人々が場所を空ける様に下がる。すぐにレブは飛び上がり建物の影へと消えていった。

 「大丈夫か、アイツ……」

 チコも心配そうに空を見上げていたが、フジタカはあんなに苦しい状況になるだけ魔力を消費した事が無い。落ち着くまでは離れないで看病すべきだ。だって……

 「……誰が、ビアヘロなんだって?」

 見物していた人々の間から、一つ頭が抜き出ていたのは牛の頭をした獣人。その姿を見て私達は身を固めた。

 「と、トーロ……」

 彼の表情はいつにも増して険しかった。


 そのまま意識が戻らないフジタカが眠る部屋は一人きりにして、私達は全員一室に集まれていた。そこで今までの話を洗いざらい、言わされてしまう。心残りはフジタカが寝ているせいで話に参加できていないのに、勝手に彼の事を話してしまった事だ。彼自身の話だが、カルディナさんとトーロ、そしてニクス様を口先で誤魔化せる様な状況ではない。

 「……フジタカが」

 「はい」

 あらましを説明してくれたチコは顔を上げない。彼は自分がベルナルドに会った時に言われた事、された事、フジタカにしてしまった事も細かく話し聞かせてくれた。

 最初はトーロも自分の耳を疑ったらしい。だからこそ、聞き返していたがチコからの返事は変わらない。フエンテ達が呼び出した疑似インヴィタドとも言うべきビアヘロ……それがフジタカだった。

 「知っていて、話してくれなかったんだな」

 「知らせるべき情報とは思わなかったからな」

 その場に居合わせながら知らなかったのはウーゴさんだけだった。ライさんが黙っていたのはフジタカを利用する為だったが、ウーゴさんには今日まで本当に話さないでいてくれたらしい。やっぱりフジタカと約束してくれていたから、なのかな。

 「アイツ、確かに俺のインヴィタドじゃありません!だけど悪い奴じゃないのは、知ってますよね?」

 「食い扶持ぶちがあるからな、召喚士の隣なら」

 厳しい意見のトーロに強くは言い返せない。自分で生きていく金を稼ぐ為にトロノでも郵便局で働きながらトロノ支所にはいたのだから。

 「そういう言い方をしないの」

 でも、フジタカは決して私達に胡坐を掻いていたわけではない。この世界に来て戸惑いながらも一つ一つに立ち向かっていた。例え、召喚士と思っていた友人に一度は拒絶されても。向かって行ったから今はチコも懸命にフジタカを庇ってくれている。

 「ごめんなさいね、二人に背負わせて」

 カルディナさんはトーロをなだめてから私達に苦笑する。黙っていた事が頂けないとは思われても仕方ない。それどころか、こちらは謝られた事の方に動じてしまう。

 「トロノで話したら確かに、ビアヘロとして何らかの処遇変化が起きていた可能性は……有る。でも彼が私達に協力的で、害を成す様な人だとは思っていない。……でしょ、トーロ」

 「……それはな」

 念を押すとトーロも角の付け根を掻いて目を逸らす。トーロだって随分フジタカを気に入っていた。そう、今更私達にとってフジタカがビアヘロだと知ったからって……。

 「どうしようもない。まして、ガランにまで来たんじゃね」

 その一言を引き出したかった。でも、私が想像していたよりも雰囲気はかなり和やかな方だった。てっきり厳しい目で見られながら止む無く、ぐらいに思っていたし。

 「契約者と随伴している以上、仕切るのは私だけど……一存では決められません。事が重大なのは変わらない」

 「はい」

 重く受け止めるべきではある。トロノに戻った時、少なからず罰を受ける覚悟なら黙っていると決めた時点で持っていた。

 「ニクス様はどう思われていますか。フジタカの事を」

 最後まで黙って聞いてくれていたニクス様にチコが狭い室内で迫る。

 「自分にとって君が必要なのと同じだ。この場に居る者全員が、彼を必要としている。そうだろう」

 さり気無く、ニクス様がカルディナさんに対してのみの言葉を使った。だけど皆の気持ちは同じだ。

 「彼は確実にフエンテを呼び寄せる。こっちとしては都合が、良い……」

 ライさんの考えは前と変わっていないのだろう。だけど、口調はどこか上の空というか、別の方を向いていた。もしかして前にも増して悩んでいるのかな。

 「……ライと同じです。多少、思うところはありますが」

 ウーゴさんからすれば、フジタカがビアヘロだとライさんだけが知っていたのは不服だったみたい。こうして行動を一緒にしている以上は得た情報は共有しておきたい、よね。

 この二人は仮に、フジタカがニクス様に同行しないとなれば自分達はフジタカにつくと言ったんだ。決して味方とは限らないが。

 だけどこの二人が抜けられるのは誰が見ても不利だ。だから、この場で今後もフジタカの同行に対して何も意見を表明していないのは残り一人。

 「……俺か」

 トーロは全員の視線が自然に集まって苦笑する。

 「あのねトーロ、黙ってたのは……」

 「言わなくていい。事情は聞いたんだからな」

 手を挙げてトーロは皆を黙らせる。

 「ビアヘロだから、という理由で処断する事もままにあった。それにも例外がある。今回は相手がフジタカだから、割り切れるのだと思う。だが、少し時間はくれ動揺しているんだ、俺も」

 異世界の住人は召喚陣を通して顕現しないと言葉が通じない。フジタカはフエンテの細工で話はできたけど、トーロはもしかしたら言葉の通じない相手を殺してしまった事があるのかな。だとしたら、今回の話も後味は悪いかも。

 「負担ばかりかけてごめんなさい」

 カルディナさんが自身のインヴィタドへ頭を下げると、彼は笑った。

 「手の掛かる主人ぐらいの方が俺の性には合っているらしい」

 問題は目を覚まさないフジタカだった。せっかく皆が受け入れようとしても、彼の方が動けないのでは話にならない。

 「アイナちゃんの前では元気そうだったのに」

 「やせ我慢をしていたのだろう」

 やっぱり辛かったんだろうな。

 「そうだ、魔力切れだよ問題は!アイツ、放っておいたら……」

 「その心配は要らないと思うわ。話を聞く限り、最初から私の召喚陣は使っていないんでしょう?」

 私とチコは頷く。ベルナルドは適当な誰かの召喚陣の近くで力を作動させてフジタカを置いただけ。

 「今日までこの世界の空気と魔力を浴び続けていた彼なら、魔力が切れても具合が悪いだけで済むんじゃないかな」

 「もっとも、本人にはその具合悪いが堪らないのだろうがな」

 カルディナさんとトーロの考えは一致していたみたい。

 「……基本的にフジタカはナイフを使っても消耗はしない」

 「じゃあ、このまま寝かせておけば大丈夫って事?」

 チコと私も半分は信じたい気持ちを言ってみただけ。まだ半信半疑な部分はあるけど……。

 「無理矢理にでも何か食べさせれば良い。入院のお見舞いにはブドウと白ブドウの入ったフルーツバスケットが定番だ」

 「自分が食べたいだけでしょ」

 バスケットだか何かという単語はガロテに向かう途中で聞いた。知った言葉を使いたがるって、子どもじゃないんだから止めてよ。

 でもレブの言う事にも一理ある。やはり魔力を補充するにはよく休む事、そして食べる事だ。空気を吸うだけでなく、直接魔力を取り込むなら水を飲むだけでも気は随分楽になる。それは私は既に何度も体験している、

 「……話は終わりで良いですか」

 チコが部屋の扉に向かい始める。

 「どこに行くの?」

 「……果物屋。この時間じゃやってないかもしれないけど。やってないなら場所だけでも調べておく」

 止める間もこちらには与えずにチコは出て行ってしまった。

 「心配しているのね、フジタカ君の事」

 「止めますか?」

 確認するとライさんは首を横に振った。召喚陣の用意はあるだろうけど、一人で夜の町を出歩いて大丈夫なのかな。

 「彼の気持ちだ。好きにさせれば良い」

 それで気が済むのならな、とライさんは付け加えてウーゴさんと部屋を出た。少しでも借りを返したいのかな。鞄を直した事や、あの日酷い言葉をぶつけた事とか。

 「自分達も戻るか」

 「あぁ」

 ニクス様も相部屋のレブを伴って席を立つ。

 「何かあれば呼べ」

 「ありがとう。おやすみ、レブ」

 「あぁ」

 やっぱり人前じゃ挨拶を返してくれないんだ。だったらまだこちらにも根気が必要だ。私だって心地好く眠りにつきたいし。

 レブもいなくなってしまって部屋に残されたのはトーロだけだった。フジタカを最初に気に入ったのはトーロだし、戦い方を教えていたのも彼だ。今もフジタカは彼の教えに合わせて剣とナイフを同時に使っている。

 「………」

 だけど、だからこそ今までの期間黙っていたのは彼にとっても嫌だったろうな。カルディナさんも最後に出て行ったトーロには何も言わなかった。

 「いいんですか……?」

 「ザナさんにはインヴィタドと対話する大切さを教わった。だからね、見守るのも大事ってのも分かった」

 ベッドに腰掛けたカルディナさんは眼鏡を外した。

 「トーロは大丈夫。必ず自分で折り合いをつけられると、私は信じてる。……だってあの子は、しっかり者だから」

 これまでそうだったから、きっとこれからもできる。カルディナさんはトーロの隣にずっといたから言えるんだろうな。レブにだったら、私だってこれくらいは言いたい。本人は照れて止せと言うか、もっと周りに流布しろと言うか……可能性は半々、かな。その辺が危うい時点でカルディナさんとトーロには負けてしまう。

 「ライさんは……見てくれている人を失ったから、あんなになってしまったのでしょうね」

 簡単にライさんも大丈夫とは言えなかった。支えの無い中であんなに踏ん張って……傷だらけになっても戦っている。

 「どうしたら良いと思いますか」

 「私達でどうにかできる問題じゃないかな。残念だし、無責任な言い方でも」

 横になったカルディナさんは毛布を被ってしまう。

 「周りのどうにかしたいという気持ちを、彼が受け取らないでしょう?」

 ライさんはいつまでも悲しんでいたかったと、レブは言った。……こういう事なんだろうな。

 「……おやすみなさい。カルディナさん」

 「えぇ、おやすみなさい。お疲れ様」

 灯りを落としてから、私も毛布を被って目を閉じた。周りのインヴィタドと召喚士。私とレブ。私と、他の召喚士達。どれも間違っていないのに正しい気がしてこないまま、夜は更け、明けていく。


 「う……んっ、うぅ……」

 静かに寝ていたフジタカの寝息が不自然に変わる。肩が揺れ、毛布が擦れて耳はパタパタと動く。

 「フジタカ……!」

 「フジタカ!」

 チコと私が彼を呼び掛けるとその目が細く開く。数度瞬かせると瞳が周りを確かめる。私とチコ、そしてレブの姿を見付けるとその目がカッと見開かれた。

 「あ、俺……?」

 むくりと体を起こしたフジタカの様子はいつもと変わらない。強いて言えば寝癖で毛が一部逆立っている事ぐらいだった。

 「調子はどう?」

 「……うーん」

 意識ははっきりしている。腕を組んで唸った直後にフジタカのお腹から低い音が鳴る。

 「腹が減った、かな」

 はは、と笑ったフジタカに待ってましたと言わんばかりにチコは机の上に置いていた皿を差し出した。

 「だと思った。ほら、これ食えよ」

 「……リンゴ?」

 そう、チコはフジタカにリンゴを用意していた。起きてから聞いた話だが、閉店の準備をしていた店に飛び込む様にして買ってきたのだそうだ。

 「おう。ま、たまたま売ってたから気まぐれに買ってみたんだよな」

 「………」

 強がりを言うチコからのリンゴをフジタカは見下ろして黙ってしまう。

 「どうした?食えよ。遠慮なんか要らないぞ?」

 「あ、あぁ……うん」

 返事はするもののフジタカは手を伸ばし掛けて引っ込める。そのまま首を捻って耳を畳んだ。

 「それ……なんだ?」

 私はフジタカが疑問を呈するのもよく分かる。手を引っ込めてしまうのもよく分かってしまう。フジタカはリンゴを指差して言っているのだ。

 「狼だよ」

 チコはフジタカではなくリンゴを指して言った。しかし皿に乗っているのは角型に切り取られた歪なリンゴ。大きな四角形の横に小さな四角が一つくっ付いている。加えてその基盤とも言うべき大きな四角の上辺には小さな三角錐が二つ。……チコに説明を受けたので何かは分からないでも、ない。

 小さな四角はどうやら鼻や口を象り、三角錐は耳を表現したそうだ。

 「お前の国ではリンゴを兎の形に切るんだろ?だから俺はリンゴを食う兎を捕食する狼にしてみたんだ!」

 フジタカを見てよチコ。ほら、こんなに渋い顔をして。明らかにフジタカの言っていた兎と違うんだよ。

 「……いただきます」

 しかしフジタカはリンゴを手に取ってかじる。鼻と口にあたる部分を丸かじりにして呑み込んだ。

 「……味は普通だな」

 いっぱい削ぎ落したけど、手は加えてないもん。チコは丁寧に工作していたけど多分、食べ物として間違っているよね。

 角ばったリンゴをあっさりと食べてフジタカは手に滴った果汁を舐め取った。

 「でもこれじゃ足りないぞ……」

 そりゃあそうだよね。年頃の男の子にリンゴ一個なんて腹が膨れるわけもない。チコはもう一つ、まだ皮を剥いていないリンゴをすぐに取り出した。

 「そう言うと思って、もう一個買ってあったんだな、これが」

 「おぉ、ありがてぇ!」

 フジタカは喜んでいるけど、そんなにリンゴが好きだったっけ……。それだけお腹が空いてるのかな。

 「待ってろ、今もう一回狼を剥いてやるからな……!」

 「ちょちょちょちょっと待て!」

 リンゴのどこから皮を剥くか傾け始めたチコを慌ててフジタカが毛布を退かして止める。

 「狼は良いって。だったら俺が兎の見本を見せてやる。見てろ……」

 そこでフジタカがアルコイリスを展開したものだから今度は私とチコが顔色を変えた。

 「フジタカ、待って!」

 「おめぇ、リンゴ消えるだろうが!」

 「え?」

 フジタカの手が止まり、窓の外を見る。天気の悪い曇り空だが、暗いだけではない。

 「え、もう朝……!?」

 「昼などとうに過ぎている」

 レブが答えてやるとフジタカはゆっくりとナイフを畳み、リンゴを見下ろした。

 「マジか……俺、そんなに寝てたのか……」

 症状としては私と似た様なものだけど、何せフジタカは魔力切れで倒れた経験が無い。寧ろ、あれだけ静かに寝ていて、空腹を訴えられるだけよく回復してくれた。私は夕方……下手すれば、明日まで起きないかとも思っていたくらいだ。

 「起きたんだから大丈夫。リンゴは……私剥くよ」

 フジタカからリンゴを受け取り、私はチコが使った果物ナイフでリンゴの皮を剥いてやる。悪いけど兎とか狼とかにはしない。でも、極力皮を薄く剥く事にだけは拘った。

 「綺麗なもんだな」

 「でしょ?」

 芯もくり抜いて切り分けて皿に盛り、フジタカに差し出すと彼は一つ口に放り込んだ。

 「うん、美味い」

 「俺の時は普通だったじゃねえか」

 フジタカの為に剥いたリンゴをチコも取って食べてしまう。呑み込んだフジタカは負けじともう一つを手に取って指差す。

 「お前のはべたべた触り過ぎ。そんで、狼にしたから芯だってところどころ固かった」

 「う……」

 言われた部分に心当たりがあるのだろう、チコも声を詰まらせて言い返さない。

 「でも」

 フジタカがもう一つリンゴを頬張る。

 「ありがとな。気ぃ遣ってくれて」

 「……いや」

 フジタカを思って用意したのはチコだ。それは間違いない。もちろんフジタカにはそんなチコからの気持ちも届いていた。

 「よぉし、リンゴ食ったら元気一発!頑張っていくぞ」

 フジタカは続け様にリンゴを口に詰め込む。それを見ていたレブが口を開いた。

 「ならば、あの子犬にした事を再び再現してもらうぞ」

 「っ……!」

 気を取り直しつつあったフジタカの表情が強張ってしまう。レブが何を言いたいのか分かってフジタカに向き直った。

 「フジタカのおかげでアイナちゃんの犬……コールの足は治ったみたいだったよ」

 今日は出歩いていないから会っていない。だけど昨日見た限りでは何の不調も無さそうだった。フジタカがやり遂げてくれたのは伝えておかないと。

 「だからフジタカ……無理しないで。まだ全快じゃないんでしょ?」

 「……あぁ」

 フジタカはナイフを見下ろしてからしまう。

 「鞄を直した時に少し変だな、って思った。だから犬の怪我にナイフを使うのも少し危ない気はしてたんだ。そうしたら、立っていられなくなってさ」

 服の上から胸を押さえてフジタカは昨日の感覚を思い返している。そう、身体に直接刻まれた記憶って簡単には消えないんだよね。

 「同じ事は無理だな。なんだろう、明日ならできる気がするとか……そういうのも分からない。だけど今は昨日と同じ事はできない。それははっきりしてる。……できないなんて言うのも恥ずかしいけどさ」

 そんな事は無い、と私は首を横に振った。

 「自分の力量を感覚でも分かる様になったなら、それは進歩だよフジタカ」

 「貴様がそれを言うか」

 教えてくれたのはレブだもんね……。聞き流してほしかったけど指摘されて地味に顔が熱くなってきた。

 「……それで事態が好転してくれれば、俺から言う事は無いんだけどな」

 言う事、は私達の方にはまだあった。自然にチコがこちらを見たので頷いた。

 「あのなフジタカ……。もう一つ、話さないといけない事があるんだ」

 「うん?」

 他に思い当たる節がなかったのか、フジタカは首を傾げる。

 「お前がビアヘロだって事……皆に知られた」

 チコの重い一言にフジタカの口と目が大きく開く。

 「は!?」

 声を発すると同時にフジタカが私とレブの方を見る。揺るぎない事実に二人で頷いた。

 「……そうか。でも、いつかは知られるもんな」

 フジタカは立ち上がるとニエブライリスを手に取った。

 「世話になったな」

 「どこに行くのさ」

 勝手にどこかへ行こうとするフジタカをレブは止めないので私がその背中に声を掛ける。

 「え?だってトーロやウーゴさん達に知られたんだろ?」

 間違いなく、話はチコの口からした。だからそれは認める。

 「じゃあもう一緒には……」

 「だからなんでそうなるんだよ」

 しばらく誤解は解けなかったが、なんとか再びベッドに座らせると私達はフジタカを説得した。

 「……知られたけど、一緒には居ていいのか」

 「当たり前でしょ。フジタカはもう私達にとって大事な人なんだから」

 チコがしっかり伝えないから余計に時間と体力を消費してしまった。レブは何も言わないし。

 「大事か……」

 今までのビアヘロに対しての私達は容赦が無い場面も多かった。それは向こうがこちらに危害を加える気だったというのもある。殺らなければ殺られる場面もあったのは本人だって体験して乗り越えている筈だ。それにしても、私達はビアヘロではなくフジタカとして今日まで一緒に過ごしてきた。それは……信じてほしい。

 「……ありがとう」

 フジタカはやや間を置いてから

 「ううん、私だけじゃないよ。レブだって、フジタカがいなくなったら寂しがる」

 「寂しがらない」

 しばらく黙っていたと思えば、しっかりと話は聞いている。被せる様に否定しても私とフジタカが顔を見合わせて笑う。

 「なぁんだよデブぅ……。やっぱ俺がいないとダメなんじゃねぇか」

 「甘ったれた声を出すな。気色悪い」

 ティラドルさんに対して吐く毒にも似た言葉をフジタカに浴びせる。レブの場合、悪態を吐かれる程に気に入られている証拠だと思う。……私を覗いて。い、いや、自分で自分を特別視なんてしたくないんだけどさ!

 手が出ないだけレブも節度はしっかりと弁えてくれている。今のレブがティラドルさんを殴ったら、前の背が低かった時よりも大惨事になるよね、きっと……。

 しばらくフジタカはレブをからかいつつ休んでもらい、ニクス様達が戻ってくるのを待った。ガロテでの儀式成功者の報告と、アイナちゃんの犬の怪我で通りを騒がせた事も併せて召喚士の駐在所に話してもらった。

 「……あの」

 快気した事と、ビアヘロだったと黙っていた事への謝罪。複雑な感情が混ざり合う中でフジタカが皆を部屋に集めた。

 「まずはご心配をおかけしました。……体はこの通り、もう平気です。また怪我を治せと言われると……ちょっと保たないかもしれないですけど」

 フジタカの消耗にカルディナさんとウーゴさんは表情を曇らせる。彼の容体は一時的とはいえ、そこまで深刻になっていた。フジタカの魔力の回復速度はこれから様子を見るしかない。

 「それで」

 だが、本題はこれからだ。

 「チコとザナから聞きました。そして、俺はビアヘロだって事を皆に黙ってました。……すみませんでした」

 腰をしっかり曲げてフジタカは首を垂れた。その様子に肩を回したり鼻をすすっていたのはトーロとライさんだった。……インヴィタドってだけに落ち着かないんだろうな。

 「顔を上げよ、少年」

 ニクス様に応じてフジタカはゆっくりと腰を伸ばす。

 「話を聞いたと言ったな。ならば、君が言った続きも聞いているな」

 「……はい」

 畏まる必要なんて無い。だけどフジタカなりのけじめ。普段は明るいけどこういう場面で気を引き締めるから、やっぱり根は真面目なんだと思う。

 「君は旅路を自身の意志で決めるだけの力があるから、今この場にいる。だからこそ自分は君にこれからも力を貸してほしいと願う」

 「………」

 ニクス様からの頼みにフジタカは頷く。彼に関して言えば、召喚士や契約者に従う理由は無い。それでも自分の成すべき事、したい事を差し置いて傍にいてほしいという願いを聞き入れる。

 「そう身構えるな。これは契約ではなく、ただの口約束。真に果たすべき事が訪れた時、きっとこの約束は解消される」

 「でも今は。自分の事もこなしながら、今だけでも俺はトロノの召喚士とニクスさんに従うつもりだ」

 ニクス様の目が細まった。笑ったみたい。

 「十分だ」

 既に昨夜の時点で話はついている。ウーゴさんもトーロもニクス様の決定には従ってくれた。


 カスコへ向かう街道に誰一人欠ける事なく全員が無事に立っている。今日までを思えばそれが奇跡の様に思えた。今までが、そうじゃなかったから。

 「草が切り拓かれているとかじゃないんだな、この辺まで来ると」

 鼻をひくひくと動かしながらフジタカは足元に敷き詰められた石畳を見ている。倒れてから三日、既に体調は戻って普段通りの彼に戻っていた。魔力の方も、普通に消す分には構わないらしい。またレブが急にガロテと同じ様にやってみろ、と言ってもやってみせるとまで豪語していた。

 「空なら関係無いのだが、飛べないとは不便だな」

 「お前みたいな飛んで火ぃ吹く鱗のお化けばっかりいたら、この世界は終わりだよ」

 ただし、それを今度はレブの方が警戒している。あの力は何度も行使すべきではないと言っていた。それは私も同意している。だって、フジタカがちょっとの傷を治すのに倒れていては本末転倒だもの。

 「……お化けか」

 あれ、フジタカの言葉がレブに効いている……?

 「レ……」

 「この街道、血の臭いがするな」

 私が顔色を窺う前にレブが言った。それを聞いてフジタカとトーロ、そしてライさんも目を合わせていた。どうやら、気付いていなかったのは私達召喚士だけらしい。

 「……業者を警備する者と、業者を襲う者。そのどちらもいるからね」

 だけど私は知識として知っていた。この首都へ続く街道、エスクード街道はガラン大陸の入り口、シタァとガロテからカスコを繋ぐ人工の道路。それはカスコまでの道程を確実に繋げ導いてくれているのと同時に、野盗達はこの街道を目印に待ち伏せして商人達から身ぐるみを剥がす。街道に血の臭いが染みついていてもおかしくはない。それだけ利用者も多いという事だ。

 「それにしては臭いが濃いんだ。まだ新しい」

 「え……?」

 ライさんと同じ物を嗅いでいたフジタカとトーロもそれぞれ武器に手を添えている。

 「気を付けてくださいニクス様」

 「うむ」

 ウーゴさんとカルディナさんがニクス様を挟む様に歩く。前後にはインヴィタドを配置して、ニクス様の安全を最優先に考えてもらう。

 「近くでカスコの騎士か召喚士が野盗狩りとかビアヘロ退治をしていたとか……?」

 「それにしては静かだ」

 レブの言った通り、街道は私達以外に遠くまで目を凝らしても人の姿は見当たらない。つまり事は済んでいる……?

 風が通り抜ける音だけが耳に入って気持ちが沈む。この感覚を知っているからだ。

 「……心配するだけ損だよ。気にするのは当たり前だけど、それで竦み上がって留まる方が危険だもん」

 「……その通り」

 「だが!」

 レブも肩から力を抜きかける。しかし、そこで誰よりも声を張ったのはフジタカだった。

 「……来てる。アイツが、近く……まで」

 耳元を押さえて、と言うよりも耳を握り潰すのではないかと言うくらいにフジタカはしかkりと掴んでいた。

 「どこだ!出てこい!」

 まるで何かに怯えた様だったフジタカが急に耳から手を離して叫び出す。私には何も聞こえないし、何も見えてこない。

 「フジタカは何を……」

 「父親だろうな」

 レブは闇雲にあちこちを見回して吠えるフジタカを冷静に見ていた。

 「来てるの……?」

 「知らん。だが、奴は何かを感じたらしい」

 フジタカの動きはニクス様を中心に据えて円を描く様に動いていた。でも、相手の狙いがフジタカならば契約者を守ろうとしても意味がない。離れたところで彼の危険が増すだけだ。

 「フジタカ、離れないで!」

 「……っ!」

 動かないで言うんじゃなかった。フジタカは私の声に足を止めてしまう。その次の瞬間、フジタカの全身の毛皮が明らかにぶわっと逆立った。

 「ふん」

 直後、レブが腕をかざす。同時にフジタカの背後がレブの魔法によって呼び出された雷撃で土を弾き飛ばした。威力は軽く土が抉れて跳ねる程度。大きな音を立てただけで生き物には命中していない。

 「今のうちに戻れ」

 静かに言ったレブに頷いてフジタカは雷撃でぶすぶすと焦げた地面を何度か振り返って見ながらも戻る。その間、レブの腕は下がらなかった。

 「ほんの数刻。だが気配を感じた。……あのままなら、どうなっていたか」

 レブはまだ神経を研ぎ澄ませて辺りを警戒している。

 「……消えたの?」

 戦闘態勢に入ったレブが簡単に構えを解くわけがない。だから私も周りを見ながら、せめてこの緊迫感が早く無くなる事を願った。

 「いや」

 しかしライさんがほとんど即座に否定する。

 「いるな」

 トーロが言うと同時にフジタカが前に飛び出そうとした。その肩をレブが乱暴に掴んで私達の後ろに放る。

 「あだっ!」

 尻餅をついたフジタカは最初の方に異変には気付いていた。私も彼の視線の先を見て息を呑む。

 先程まで誰もいなかった筈の街道の真ん中に一人。大きな耳にふさふさとした尻尾を揺らす狼の男は腰に提げた剣の柄を撫でて私達と正面から対峙している。

 「………」

 姿は間違い無い。ピエドゥラで見たフジタカのお父さんその人だった。もう気配を隠そうともせずに闘気にも似た圧を放っている。

 「お前……!」

 「この血の臭いはアンタの仕業か」

 フジタカが前に出るよりも先にライさんが剣を抜いた。問答無用で斬りつけるつもりかと思ったのにまだ動かない。

 「……違う」

 ロボは剣の柄から手を離して首を横に振った。得物から手を離したというのに、相手は一片の隙も見せずにこちらを見据えている。

 「臭いの元は消した。だが、やったのは別の者だ」

 嘘を吐いている様には見えない。それに納得できる部分もある。

 レブ達も感じていた血の臭いと肉片の無い違和感。それはロボが能力を使って消したから。最初から彼が何かの血を撒き散らしたとは考えにくい。だって、フジタカがナイフを使えば血は一滴も流れる事無く対象は消えてしまう。同等か、それ以上の力を使う相手であれば余計に痕跡は残すまい。

 「別の者とは、ロルダンか。それともベルナルドか……!」

 どんどん表情を険しくしていくライさんに対して、ロボの表情は変わらない。ライさんの殺気でさえもそよ風の様に受け流してしまっている。

 「どちらでもない」

 しかしロボはしっかりと答えた。ライさんによって肩を負傷したロルダンでも、レブの雷撃を受けたベルナルドでもない別の人物……。

 「なら貴方の、召喚士……?」

 「………」

 基本的に召喚士に異世界の住人と戦う力なんて無い。レブやフジタカがどの程度に濃い血の臭いを嗅いでしまったかは分からないが、話題にする程度の光景がしばらくは続いていた筈だ。

 ロボの召喚士がベルナルドの様に魔法を使った。もしくは、別のインヴィタドを召喚して戦わせたか。どちらにせよ、彼も無関係でないから証拠を消していたんだと思う。

 でも黙った。私は彼によく似た人を知っている。嘘を吐けない代わりに別の話題に逸らすか黙ってしまう人を。

 「この男の召喚士ではないのなら、フエンテの何者かだな」

 それも有り得る。私達は結局、彼らの規模も素性も分かっている事の方がまだまだ少ない。

 だけど、フエンテが何かを殺してロボが消した。一つだけでも知る事はできた。

 「何を消したの?」

 「……ビアヘロだ」

 ビアヘロはフエンテだ、召喚士だなんて関係ない。手近にいたから襲われる。フエンテとて、自分達だけが助かる術は持っていないらしい。

 「藤貴」

 ロボが私達とは距離を置いて動かずにフジタカへ向かって手を伸ばす。

 「あの二人は失敗したが、これ以上そうはいかない。こちらへ来い」

 「誰が行くか……!」

 敵意を向けているのはライさんだけじゃない。ロボの息子であるフジタカでさえ、露骨に牙を見せて唸った。

 「事が済めば、元の世界に戻る事だってできるとしてもか」

 「な、に……?」

 ロボからの一言にフジタカの顔色が変わる。ビアヘロとして今日まで過ごし、このオリソンティ・エラに馴染んでしまったフジタカが元の世界に戻るなんて……。

 「フエンテであれば、召喚陣を使って異世界に対象を送る事ぐらいならやってみせる」

 異世界に人を送る……。自力で外界に行けないなら、召喚士の力で送り出すって事……?そんなの、送り先の世界を知らない人間にできるわけがない。そう思っても、相手は確信を持っているかの様に言ってのけた。

 「心配せずとも、お前だけでもこの境壊世界から出してやる。だから……」

 お前、だけ?だったら……あの人は、戻らない……?

 「勝手言ってんじゃねぇ!」

 しかしフジタカはロボへと怒鳴り返した。

 「なんで俺だ!どうして俺がこの世界に来なきゃいけなかった!」

 「俺と来れば教えてやる」

 でなければ、教えるつもりはないと顔に書いている。似た顔立ちではあるものの、どうしてこんなに表情が違うのか。

 たぶん、目だ。ロボの目からは生気を感じられないんだ。どこか沈み、疲れ切った状態で私達の前に立っている様な。暗い表情に親しみなんて感じない。

 「………」

 だけど、フジタカは立ち上がり、ライさんの横に立っても黙ったままだった。

 「フジタカ……?」

 彼の様子に皆の視線が集まる。

 「まさか……!」

 ライさんは剣の切っ先を向ける。

 「待ってくれよ。俺が裏切るわけないだろ」

 言われる前にフジタカはナイフを握った手を挙げてライさんに見せる。

 「お前が欲しいのは、これだけだろ?」

 「親に向かってお前とはなんだ」

 はん、とフジタカは笑った。

 「親面するには些か以上に傲慢だ。それらしい事もロクにしてなかった奴に言われたくはない!」

 レブみたいな言い回しで、しかし語気は強くフジタカはロボを断じた。親子で戦う姿なんて見たくはないけど……。

 「………」

 「レブ?」

 すると、レブは私の肩に手を置いてから前へ出た。

 「おい!デブでもアイツは……」

 「退け」

 フジタカを押し退けてレブは翼を広げて身を屈めた。それを見てロボも剣を抜いた。

 「悪い様にはしない。こんな場所まで連れ回されるとは思わなかったが、大人しく息子を返して頂けないか」

 「それが本人の意思なら考えないでもない」

 だが、と付け加える様にレブが前へ跳び出した。

 「それが答えか……!」

 ベルナルドとロルダンを追い返してもまだ私達の前に立ちはだかる。追っている私達からすれば出てきてくれるのは好都合。だけど彼もまた、同胞を倒されてでもフジタカに会う理由があるんだ。

 レブの人離れした速度の体当たりを正面に構えた剣でロボは迎え撃つ。しかし、レブは彼の剣の間合い直前に軌道を変えた。

 「ふっ!」

 「く……!」

 横薙ぎの一閃を飛び越えてレブは拳をロボへと振り下ろした。しかしレブに躱されると予想していたかの様にロボは剣の勢いに体を任せて転がるとレブの一撃を流してしまう。

 「ち……!」

 レブは舌打ちをするとすぐに後ろに跳び退いた。その間にロボも剣を構え直す。

 「そうだ、それでいい!」

 フジタカも拳を握ってレブを応援する。今の動き、どこかで見たと思ったらフジタカがやっていた一撃離脱の動きだ。

 レブはロボの様子見をしている。フジタカの力を知っているから、一撃でも浴びる事はできない。そうか、ライさんもロボに触れない為にすぐに挑まなかったんだ。

 「はぁっ!」

 レブが手をかざした同時に私の胸が痛む。しかしロボは彼の魔法を浴びて倒れる事は無かった。ただ剣を前に構えているだけなのに。

 「……魔法も消せるのか」

 見えたのは雷糸が迸り、ロボの横を通り過ぎたところだけ。私はどちらかと言えば雷がロボを避けて割れた様に見えた。一瞬の光が瞼の裏に焼き付いているから間違いない。少なくとも、ロボには当たっていない。

 それをレブは消したと言った。ならば考えられるのは複数の雷撃を放射したが、自分に当たる部分だけロボは消してしまった……とか。

 「他の手を炙り出そうにもこれではな」

 膠着してしまったレブとロボの間にトーロもライさんも入らない。恐らく炎や大地の魔法だって同じだ。閃光の魔法ですら消してしまう相手には発動までの時間が止まって見える。……もしかしたらロボの意識には関係無く消す力は働いているのかも、フジタカみたいに。レブすら一回の手合わせで八方塞がりになってしまうなんて。

 「だったら、俺がやる」

 レブの隣に立ったフジタカはナイフを展開して、ニエブライリスも抜いた。

 「お前を守る為に体を張っているのだぞ。それで勝手に飛び出されては本末転倒だ」

 視線を外してレブはフジタカを睨んだ。だけどロボに動く気配は無い。

 「俺は、守ってもらう側じゃないんだぞ。契約者の旅路を邪魔する障害を排除するのは俺にだって重要な仕事の一つだ」

 「………」

 口を閉ざしたレブはただフジタカを見下ろしていた。

 「あの得体の知れない相手に立ち向かえそうな力を持っている奴がお前の目の前にいる。どうするよ、デブ」

 「どうもしない」

 一度ロボにレブは向き直る。

 「言ったからにはやってみせろ。挑む側が張った虚勢に興味は無い」

 「サンキュ」

 レブは目を伏せるとフジタカに道を譲る様に後ろへと下がってしまう。その様子にカルディナさんも慌て出す。

 「何を言っているの!?危険過ぎます!」

 「……ふん」

 ならば、と言わんばかりにレブは再度拳を握り、突き出した。手からバチバチと音を散らして放たれた光はロボを目掛けて街道を駆け抜ける。

 「はぁっ!」

 気合いと共に剣を横に振るったロボを避けて雷撃は通り抜けていった。

 「せぇぇぇぇいっ!」

 「ぬ……!」

 次いで剣を縦に振るうと雷撃が方向を変えた。レブが急に身構えて翼と腕を大きく広げて皆の前に立つ。

 「レブ!」

 大半の雷撃は平原のあちこちに放電されてしまったが一部は跳ね返りレブに絡まった。どういう理屈かは見極められなかったが、跳ね返されたのは分かる。

 「自分の魔法でやられる間抜けではない」

 雷だからレブが受け止める事で損害は無い。しかしこれがもしライさんの炎やトーロの地割れでも同じ事が起きてしまうとしたら。オンディーナや別のインヴィタドに防がせないと危なかった。

 「これで分かっただろう。私達が抵抗するのならば、同じ力で制するしかない」

 「でも……」

 カルディナさんはレブに睨まれてもまだ考えてくれている。フジタカを気遣ってくれているんだ。

 「攻勢に出てこれ程不利な状況にされるとはな……!」

 一撃浴びせられれば自分が消える。なのにどこか楽しそうにレブは笑う。

 「だが!」

 レブは動かない。その横を通り抜けた影、フジタカはナイフをロボへ向かって突き出した。

 「く……!」

 ナイフを相手に突き立てる意味を知っているとフジタカは以前言っていた。その相手が肉親だとしたら、もっと意味は変わってくるのだろう。

 それでもフジタカは手を伸ばす。相手に自分の刃を突き込む為に。決別と覚悟が宿る刀身はロボの持つ剣に激突し、ほんの一瞬火花を散らした。

 「通じた!」

 見逃さずにトーロもフジタカ達の一挙一動を注視している。そう、フジタカのナイフをロボは消せない。そして、フジタカのナイフでも消せないのは同じ。

 「だったら……!」

 フジタカは投げる様にして一旦片手剣を鞘にしまい、両手でナイフを握る。アルコイリスの宝石部分を隠す様にしてロボの剣とぶつけ合う。

 「舐めるな!」

 「ぐっあっ!」

 後に残るのはナイフと剣の戦い。ロボの剣幕にフジタカは押されてしまう。一撃の重さがあまりに違うのだ、真っ向からぶつかり続けるには分が悪い。

 「距離を取れ!」

 「そうは言ってもさぁ……!」

 助言をしたライさんも分かってはいるのだろう、今この場で一歩後ろに跳んだところでロボの剣閃がフジタカを容易く切り裂いてしまう。それだけ両者は肉薄していた。

 「選べ!今こんな世界で死ぬか、俺と共に来て元の世界に帰るか!」

 「この世界で会った人達の為に戦うんだよぉ!」

 フジタカの蹴りがロボの腹を浅くだが捉えた。一息詰まらせただけだが、距離を取るには十分。剣の届かぬ間合いへすかさずフジタカは下がった。

 「フジタカ……」

 あぁ、そうだ。彼はこんな風に上書きしていくんだ。自分自身の存在を、その力で人の為に使う事で。

 「そうだ……。少し、分かった」

 フジタカが剣を抜いた。

 「俺がこの世界で使える力ってのはモノを消す力だけだって思ってた。でも、それはちょっと違うんだ」

 ロボは腹を擦っていたが痛手にはならなかったらしい。剣を構え直して息子と再び対峙する。

 「もう一つ、あった。それは……“消さない”力だっ!だから!」

 フジタカが前に踏み込む。そして自身の剣をロボへと振り下ろす。

 「な……!?」

 そこで初めてロボが狼狽した。フジタカの剣はロボの剣とぶつかり合ってせめぎ合う。

 「だから、この剣は!消えない!」

 信じられない事が起きたと思ったのは私だけではない。レブの魔法をかき消し、反射までした剣をフジタカの剣がナイフを使わずに受け止めたのだから。ロボは後ろに跳び退いたが、もう遅い。

 「おぉぉぉぉぉ!」

 剣の窪みにアルコイリスを嵌め込み、金具を上へ引き上げる。ガチン、と固い音を立ててナイフと合体した。

 「これが俺の!」

小振りの両手剣が遂に鍛冶職人の信じた形として完成する。ナイフの柄部分の宝石の色は、赤い。

 「ニエブライリス、だぁぁぁぁぁぁ!」

 受け止めようとしたのだろう、ロボが正面に構えた剣に横薙ぎのニエブライリスが激突する。それはモノを消す力が拮抗した二人には単なる金属のぶつけ合いとなる筈だった。

 「ぐ、おぉぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ!」

 もう一声フジタカが雄叫びを上げる。するとロボの剣が不自然に震え出した。

 「な………」

 ヴン、と音を立ててロボの剣がニエブライリスとぶつかり合っていた先から全て消えた。フジタカはそのまま剣を薙ぎ払う。切っ先はロボの体までは届いていなかった。

 刀身の途中に設けられた窪みはアルコイリスの足りない長さを補う物だった。光を散乱させる霧は人の目を曇らせると同時に、虹は虹のままに輝きを広げる。霧虹ニエブライリスと名付けられたその剣は、刀匠セシリノさんとポルさんの望み通りにアルコイリスを受け入れフジタカの力を強化した。

 「これは……」

 信じられない物を見る様に、ロボは自分の手元を見ている。そこにあるのは途中で折れてしまった彼の剣。フジタカの剣には関心を向けていない。

 それはフジタカの剣が優れていると彼が思っていない証拠だ。ならば、彼が今口元を震わせているのは自分の力が……フジタカに競り負けたと知ったからだ。

 「形勢逆転だな」

 ニエブライリスの切っ先を向けてフジタカが宣言する。

 「……これだけ力を身に付けていたとはな」

 やっと顔を上げたロボの表情は苦い。

 「俺の力じゃない。俺達の力だ」

 腰を下げて剣を溜めるフジタカを見てロボは鼻を鳴らして短く笑った。

 「僥倖だ。その力は必ず使う日が来る」

 フジタカは首を横に振る。

 「そんな日を来させない為に今、こうしてるんだろうがぁ!」

 「さらばだ」

 叫ぶと同時にフジタカが踏み込む。今度こそニエブライリスの剣がロボを捉えると思ったが、剣が袈裟懸けに振り下ろされる前にロボの姿は消えてしまった。剣は虚しく空を裂く音だけを響かせ溶けていく。

 「あ……」

 剣がぷるぷると震えた。

 「勝手にどこ行きやがったぁ!」

 空に向かって吠えようとフジタカの声に返事をする者はいない。剣を折られた事でロボはどうやら撤退したらしい。

 「消えた……」

 「気配を探ろうにも、ああも騒がしくてはな」

 街道外の草むらを踏み潰しながらフジタカはうろうろと歩き回る。ロボを探していると言うよりは取り逃がした苛立ちと興奮が治まらないと言ったところか。

 「フジタカ!」

 「………ザナ」

 こっちがまだ周辺に何かいないか気にしても、フジタカの気が逸れていては守れる者も守れない。

 「……凄かった。使えたじゃない、ニエブライリス」

 「俺……。そうか……」

 やっと立ち止まったフジタカが自分の手を見下ろす。その手には今もしっかりとニエブライリスが握られていた。

 「……すー…」

 深呼吸してからフジタカはニエブライリスの金具を解除し、ナイフ部分だけを取り出してから背中の鞘に収めた。

 「ふぅ」

 やっとフジタカの肩から力が抜ける。表情を少しだけ緩めて彼は黙って立っていたレブの方へ歩いていく。

 「なんとかなった」

 「その様だな」

 突き出したフジタカの拳にレブが応じ、同じ様に握った拳をこつん、とぶつける。

 「……でも、逃げられちまった」

 「私では追い返す事もままならかった。この場を救ったのは犬ころ、お前だ」

 本気を出したレブの魔法を幾らぶつけようとロボは無かった事にしてしまう。下手すればこの街道を吹き飛ばしても本人だけ無傷という事も考えられた。

 レブに言われてフジタカの目が恐る恐るこちらを向く。そんな風にせずとも、私達も同じ様に思っている。

 「また助かったよ、フジタカ」

 それを一番に伝えるのは、やっぱりチコだった。

 「この場にいた中で唯一あの男に正面から対抗する力を持った男だ。そんな目をしていては、その剣も泣こう」

 トーロも努めて穏やかに言っている。横のライさんからすれば取り逃がした事を攻めたい気持ちもある、みたい。だけど褒めも怒りもしないで背中を向けたのが彼なりの優しさだったのかもしれない。

 「……だったらもっと使いこなさないとな。まだ、アイツと同じ事ができるわけじゃないんだから」

 フジタカももう次の事を考え始めている。そう、きっと次も現れる。それだけは間違いない。もしかすると、次はまた総出で来てもおかしくないだろう。

 「次、か。私達も一層気合いを入れないとね」

 そうなったら私達だって戦力の中核になるくらいの気持ちは持っていないと。私はレブを見ながら今後の抱負を伝える。

 「そうだな」

 返事をしてレブは前を歩き出す。私もカルディナさんやニクス様と一緒にフジタカがニエブライリスで行った魔法を検証しようと思った。

 「……レブ?」


 だけど、レブの背中がいつもと違う様な気がして一旦私は足を止めてしまった。

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