第七部 三章 -心の壁に風を通り抜けさせて-
まさか契約者様ご一行がビアヘロを退治してくださるなんて!
村の男達に取り囲まれて進み出たカルディナさんが最初に言われた言葉だった。説明を始めようとしても村の人達は嬉しそうに騒ぐだけ。事情を言わずとも向こうで勝手に納得して帰って行った。
「そりゃあ契約者の周りが召喚士だったのは知ってたさ。だけど流石にお客さんに退治してくれなんて言えないだろぉ?」
翌日になっても宿屋の主人はその話題を引き摺っていた。昨夜ビアヘロ退治に駆り出された中の一人だったから興奮がまだ冷めていないらしい。
「それがどうだい、着いてみたら契約者様は護衛全員を引き連れて血の海のど真ん中!いやぁ参ったね!」
興奮と言うよりは戦わずに済んだ安心感、に思えた。こっちの方ではトロノ周辺に比べるとビアヘロがあまり出ないと聞いていたから、本当に出た時慌てちゃうんだろうな。
「やっぱやっつけたのはアンタか?火ぃ吹いてさ!こっちだって見たんだぞ、夕食の買い出しに歩いてたら空が急に燃えるのを!」
そんなファーリャの近くでビアヘロが出た。村人からすればそれを倒してくれた契約者とその仲間達はもう恩人でしかなかった。
「それともそっちの獅子か?いやいや、やっぱり世を変えるのは若さを持ったオーカミさんか?いやー、それにしても皆さん改めて見るとお強そうで!」
ただし、目の前の店主と同じ様に私達を恩人と思っているのは村人達だけ。あの広場での騒ぎを見ていた他所からの滞在者達には疑われている。
上がった死体に人間はいなかったから広場でライさんが敵意を向けていた老人、ロルダンはいなかったとすぐに広まった。そもそも大事なのは異世界の怪人や怪物を契約者が倒した部分だ。だから疑われていると言うよりは気にしている者も中にはいた、くらいかな。
「もっとゆっくりしてってくださればいいのにぃ」
ヒトの噂も七十五日とフジタカが言っていた。まして、昨日の今日でこの村から立ち去る私達には何を言われようと耳に入る事はなくなる。却って怪しまれたとしても、その場にいない私達の事をずっと考えて何も起きない日々を過ごしている者なんていない。日常がすぐに洗い流してくれる。
「お達者で!またお寄りください!」
のらりくらりと社交辞令の返答を繰り返し、気付けば私達は街道まで着いていた。次の目的地は馬車を使いたい距離と聞いていたが、敢えて使わない。
「しつこかったなぁ、あのおっさん……」
チコは別れた宿屋の店主に文句を誰にともなく呟いている。
「ああいう手合いは放っておけばずっと喋るからな……」
前を歩くトーロが鼻を鳴らしながらチコに同意した。
「つーか……いいんですか?ビアヘロって事にして」
「向こうがそう思っているだけ。私達は何も言っていない。……そうでしょ?」
もしもあの現場を見ていた者、例えばフエンテからの使いが目撃証言を持ち出して言いふらすとする。その際に起きるであろう契約者への批判へ勘違いしてたのは貴方達でしょう、と言い返せる。あまり、良い事でないけど。
「ふん……」
レブが私の隣で鼻を鳴らす。やっぱり昨日の戦闘の真実をねつ造されたのは気に入らないみたい。
それに、昨日中断してしまった話の続きもできていない。私の胸の中はさっきの店主と違い、昨日を引き摺って曇ったままだった。
黙々と一番前を歩くのはウーゴさんとライさんの二人。私達と距離を置きたいのは分かるけど、ライさんの方は早く歩き過ぎて全員を置いて行く勢いだった。
「ライ、もう少しゆっくり歩いてくれないか」
「……分かった。すまない」
ウーゴさんが言うとライさんは立ち止まり、あくまでも自分の召喚士の元にまで引き返す。それでもウーゴさんも離れているから私達と会話をするには遠い。
特に大きな声を出したわけでもないのにライさんはすぐに反応してくれる。そもそも人間よりも優れた耳を持っていたからとしても、聞き耳はずっと立てていたらしい。
それだけ常に周囲に気を張っている。もちろん護衛なのだからのんびりしてうっかりニクス様に怪我をさせる様な事は起きてはならない。だけどあまりにもライさんの姿は痛ましく見えた。
「昨日の事なら……」
「うるさいぞ。喋ると消耗するだけだ」
何かを言い欠けたウーゴさんを遮って、やはり数歩分ライさんは前に出る。その背中を見るウーゴさんの表情は沈んでいた。なんとなくだけど、気にするなと言おうとしたんじゃないのかな。しかもライさん自身も気付いている。
息の詰まる空気感は緊張感とはまた異なる。ライさんの作った壁に私達はまだ触れる事も許されていない。
事ある毎に誤解してしまうが、個人の思惑は二の次。私達は契約者を守らないといけない。
だからレブの事も一度だけ、頭の外に置く。本当は夜のうちに問い詰めたかったけど、レブの横顔は前しか向いていない。
「アスールって……また船には乗りませんよね?」
次の目的地は西ボルンタの港町、アスール。街道の視界は広く開けているが海は見えてない。磯の香りも漂っては来ない。無論、ファーリャを出てまだ時間が経っていないからだが。
「今回は、ね」
こちらの質問にカルディナさんは前を歩くウーゴさん達の背中を見ながら答えてくれた。昨日もそうだけど、少し二人の真意が見えて考え事をしているらしい。
思えば、今となっては契約者の護衛に集中しているのは今も前もカルディナさんとトーロだけだった、かも。人員を増やしたのにその誰もがフエンテの事ばかりに気を取られている。その中でもあの二人は頭に留めるだけでなく、行動にも出てしまっているから余計に心配なんだろうな。
「聞いて安心した?」
「まぁ……」
それでも話す時には表情を変えてくれる辺り、切り替えを弁えた大人の女性だなと思う。それに比べると私も、他の人達もまだまだだ。
「今度は何日くらいになるんですかね」
「そうね、三日もあれば……」
「この調子なら四日の夜だ」
小気味良く答えようとしてくれたカルディナさんにトーロが背負った荷物を担ぎ直しながら答えた。聞いてカルディナさんは苦笑する。
「……だってさ」
「あはは……」
相変わらず時間の見積もりは苦手なんだ。トーロの方が正しいとカルディナさんは笑って肯定している。
「カルディナにあまり時間の話をしない方が良い」
「トーロぉ……」
カルディナさんは突き放すトーロの腕に手を添える。その姿はどこか親子や兄妹の様にも見えた。
「だいたいお前はいつもそうだ。仕事はこなすが時間を度外視している」
「遅れないようにはしているでしょう?」
トーロの顔がカルディナさんの方を向いた。
「調整しているのは、俺だ」
「うっ……」
強調する様に区切った言葉にカルディナさんも口を曲げて一歩引いた。
「早め早めに行動する様になったと思えば、今度はその分手を加える時間も増大した」
「クオリティアップで延期ってのは分かるけど〆切が第一だよな」
フジタカもまた何か言いながらぼんやりと会話に入る。カルディナさんの矛先が彼に向いたのは言うまでもない。
「報告したい事が山ほどあるんだもの……仕方ないじゃない」
「なんかそういうの、報告って簡潔に書けって言われません?」
「えっ……」
図星だったみたいでカルディナさんは目を丸くしてフジタカを見た。
「やっぱり。あの所長、絶対読むのめんどくさがってるもん」
「あー……」
トーロも空を見上げながら思い当たるみたいでうんうん頷いた。
「それでも私は……」
「書きたいというより、話せば良いんじゃないですか?ソニア姉さんみたいに研究成果の発表とかならまだしも」
「あ、所長はカルディナさんと話すの楽しそうだし良いかも」
形式としてチコに報告書をあげさせたりしたけど、その方が聞いてくれる気がする。私が契約者に同行したいと話した時は話題のせいで煙たがられたがカルディナさんなら歓迎しそう。
「私が楽しいかは気にしてくれないの?」
しかし思ってもいなかった返しにこちらが首を傾げてしまう。
「嫌なんですか……?」
まさかカルディナさんの方がブラス所長への報告を嫌がるなんて思ってなかった。急に顔を強張らせてからカルディナさんは手を慌てて振って苦笑する。
「な、なんてね。そうね……その方が所長は聞いてくれるかも」
話したくないから報告書を〆切も忘れて立派に仕上げている?もう少し掘り下げたかったがトーロが私の隣に移動してきた。
「余計な話をされるに決まってるだろ?」
「あぁ、それなら……」
うん、忙しくない時とか少し仕事を休憩したい時ならあの所長はきっと変な話を振ってくる。この前契約の儀式で行った村で食べて美味しかった物は何だったかとか。
「だから俺がしっかりしないといけないんだ。アイツの頑張りはいつも見ているが……頑張り過ぎるからな」
「大変だね……」
そうだよね、勝手な事ばかり考えている私達に心労を抱えるとすれば守られている張本人と、守る側として取りまとめてくれている人だもの。
そこに、前を向いていたレブの目線もこちらへ向いたと気が付いた。
「……何か言いたそうだね?」
「他人事の様に言うが、貴様とて同じ類だぞ」
目線を前に戻して一言。先に行こうとしたレブの前へと回り込む。
「どういう事よ」
「同じ話を繰り返させるな」
「俺は分かったぞ」
トーロが言って、レブは話してくれる気配も無いから退いて元の位置に戻る。
「ザナもどちらかと言えば無茶をしたがるだろう?昨日の俺への援護だって、随分危険だったからな」
「………」
レブも話を聞いてはいるのか何度もしみじみと頷いている。その後姿を二人で顔を見合わせた。そう言えば、レブは私がトーロに助けてもらったところも見てたんだもんね。
「でもあの時は……」
私が動いていなかったらどうなっていたか。
「あぁ、おかげで助かったよ。あと怒鳴ってすまなかったな」
「ううん」
そもそも棒立ちしていた自分が悪いのは分かっている。その分トーロに迷惑を掛けてしまったし。それを行動で取り戻しただけ。……取り戻し方が雑だったとレブには怒られたんだけどね。
「無理をするなと言っても、こちらが止めるまでは黙って続けている」
そうだ、とレブに続いてトーロが私とカルディナさんを見る。
「そんなお前達召喚士を見ていると気が気でないんだ。俺も、アンタもだろ?」
「ふん」
レブは鼻を鳴らすだけで何も言ってくれない。何気にトーロがレブの呼び方を変えている。チコもそうだけどもうレブをチビとは呼べないもんね。
「………」
そこに更に前を歩いていたライさんがこちらを横目で見ていた。喋っていると疲れると言ってくれていたのに無視して話していたからうるさかったのかな。
無視したと言うよりは、確認をしたかっただけなんだけど横道に逸れて雑談もしていた。気に障ったなら謝りたいが、あの距離じゃ聞こえる様に声を張ったら今度こそ怒らせる。小声で呟いても聞こえるかな。
「すみませんでした……」
「………」
聞こえたのか、それとも口の動きで読んだのかライさんの目線は私達から外された。
トーロが言っていた通りに街道をひたすらに歩き、野営地の名残を見付けては休憩を取りつつ四日後の夜に私達は港町アスールへと到着した。夜にも関らず町の灯りは眩しく暗い海も照らしていた。
「あっちのは?」
遠くに見える光を指差してフジタカが私を見た。
「ファーロだよ。灯台の港町」
アスールとファーロは徒歩で半日くらいの距離に位置する隣接し合う町だ。それぞれに港があって、近郊の浅瀬にはアスールから。もう少し沖まで出てカンポや別の大陸に行くならファーロの方が船の便は多い。
「ふーん。俺、灯台って行った事ないんだよね」
「私も」
本を読んで知っているからと言って、実際に行った事はない。人に聞かれて答えた知識も自分の経験ではない。興味が完全に灯台に向いているフジタカは目を輝かせて海を照らす塔の影を眺めていた。
「何かと煙は高いところを好むと言うが」
「俺をバカって言いたいのかよ、デブ」
その言い方じゃフジタカの方が先に仕掛けてるよ……。レブもどうしてそういうことわざはすぐに言えるのかな。
「憧れないか?崖とか高いところで大きな声を出して仲間に向かって呼び掛けるとかさ」
「無い」
「うーん……」
レブも私も薄い反応をするものだからフジタカも行き場を失って周りを見る。
「チコは?」
「ねーよ」
「トーロ!」
「そもそも吠えるのに適した造りをしていない」
どうしようもなく叫びたくなる時はある。だけどそれは鬱憤を晴らす行為であり、フジタカの様に見付けると心が躍るわけじゃない。だから私は言葉を濁していた。それにトーロが言っていた造りもある。元々吠える様な喉になっていないのだから、フジタカの期待に添える様な叫びは私達にはできない。
できるとすればレブだけど先に一刀両断しているし、あと他にいるとすれば……。
「じゃあ……。あ………」
「………」
フジタカの目がある人の背中に辿り着く。言葉に詰まると本人、ライさんの方から振り向いてこちらを見た。
「あ、うるさかった……ですか?」
「いや……」
歩いている途中、度々会話が盛り上がるとライさんに目で注意されていた。その前にカルディナさんが声の調子を落とすように言ってくれたり、ウーゴさんが平謝りしてくれていたりもしている。だからフジタカもこうして確認を取っていた。
「……俺には聞いてくれないのかと思ってね」
「え……」
尋ねてみると首を横に振ったライさんの口から出た言葉があまりに意外で全員で唖然とする。だって、途中まであんなに会話に入りにくくしてたんだもん。
自分でも気付いたのかライさんは顔を掻いて私達から体を背けようとした。それをウーゴさんが間に入ってくれる。
「ハハハ……。ライも喋りたくなくて黙ってたわけではないのですよ」
場を和ませようと言うには少しぎこちない笑顔だった。両方の考えを知っていたから言葉を選んでくれているみたい。
「あー……。ライだって、皆の疲れを気遣ってくれていたんだよな?だから下手に疲れない様にしてくれてたんだな?」
「………」
やや間を置いて話し出したウーゴさんの後にライさんを見ると、明らかにそうではないと苦い表情を浮かべていた。口で言っていた事を繰り返しているのだから嘘ではないのだろう。
「なんとか目的地に無事到着したんだ、少しくらいは息抜きも必要ですよ。皆さんも気を張っていたでしょうし」
「そう、ですね」
フジタカもウーゴさんに合わせて頷くとライさんの横に立つ。
「それでライさん。ライさんなら俺の気持ち、分かってくれますよね?」
ライさんの腰を叩いてフジタカは笑った。
「……あぁ!俺も高いところでは自然に吠えたいと思うよ」
「やっぱり!いい絵になりそうっすね」
フジタカの人懐こい笑顔はピリピリしていた神経も和らげてくれる気がする。レブにも見習ってほしい様な、だけどちょっと怖い様な……。
「愛想を求めるのなら、犬ころに言え」
「まだ何も言ってないでしょ」
ちょっと考えながら見てただけで心の中も見透かすんだから。
でも考えてみれば、いつの頃からかな。レブがブドウの事を考えていると分かるようになったり、私が言わずともこうして気持ちを汲み取ってくれたりする様になったのは。
最初の頃は私もレブもちぐはぐだった。だけど今ではこんな些細な話もなんとなく伝わってくる。
ライさんとフジタカの共通点と言えば大型の肉食獣が原型の獣人という点。とつとつと詰まりながらではあるが、久し振りにライさんの隣を人が話しながら歩いている姿を見れた。
私達が最初に向かったのは召喚士育成機関のアスール支所。馬車が余裕ですれ違う事ができる程に広さを大きく確保した橋を渡った離れ小島にそれはあった。
「ニクス様!お久し振りでございます!」
「息災で何より。パストル所長」
夜分に尋ねて案内してくれた男性の腕には黒い革腕輪が巻かれていた。初めて見る物ではなかったので私はそこでようやくアスール支所に着いたのだと実感する。
通された部屋で私達を待っていたのは、うっすらと割れた腹をはだけたさせた前開きシャツを着た髭面の男性。ブラス所長よりももっさりと豊かに蓄えた坊主頭の男性はニクス様にパストルと呼ばれ、しっかりと握手をした。
パストル・アレン所長と言って、元はアスールで漁業を営んでいた。海で出くわすビアヘロを相手に、必要に迫られて召喚術を学んだところ才能が開花して今に至るらしい。見た目からして力仕事をしていました、と主張する褐色の肌色と腕の太さは外からやってきた濃い私達を更に暑苦しく見せる。
「カルディナもトーロも元気そうだな」
「はい。所長もお変わりなく」
「当たり前です」
ここでもカルディナさんとトーロは既に相手と顔見知りだった。顔の広さはどうやっても今の私達では埋められない。
「そんで君達は……。また随分と……」
やっと私やチコの方を見たパストル所長はその後ろのインヴィタド達も見て言葉を失う。
「事情は知ってたが、もっとなんとかならなかったのか?こう、一人だけ可愛らしい腰丈くらいのちんまい精霊とか連れてるのとか」
腰丈くらい、だったら心当たりはあるし実際にトロノから出発する際に連れていた。その道中で変わってしまっただけの話。顔は見なかったけどレブが鼻を鳴らしたのは聞き逃していない。
「ニクス様の身をお守りする為です」
「はいはい。仕事熱心なんだから」
カルディナさんの一言に目を伏せてパストル所長は髭をぼりぼりと掻いた。
「……まぁ、今日は休んでくれ。話は明日でもいいだろ」
「構いませんが……。どうかされたのですか?」
話をするのもやっと、と言う程の疲労ではない。そりゃあ休ませてくれるなら休みたい気持ちもあるけど所長の方から話を聞こうともしないのはどうしたものか。カルディナさんもどの順番で話すか決めていたみたいだから拍子抜けしている。
「ビアヘロにウチの若いのがやられたんだ。結構な怪我でよ……。今夜は看ていてやりたい」
どんな怪我をしたかまでは語らずとも、声の調子が歓迎時とは段違いに低い。あまり芳しくないのはすぐに伝わってきた。
「ならば」
気まずい沈黙を破って前へ進み出たのはニクス様だった。
「自分も看よう」
「に、ニクス様が……?しかし、どうしてまた」
胸に手を当て名乗り出たニクス様を前にパストル所長は困惑している。付き合いもそれなりにあるのだし、ニクス様の羽に治癒効果がある事くらいはご存知だと思っていたけど。
「医者には診せたのだろう?だが、自分にもできる事がまだあるかもしれない」
アスールの所長が驚いているのは、疲れているのに無理を押そうとしたからではない。そもそもニクス様がそんな事を自分から言うと思わなかったからだ。
「自分の羽一本で人が助かるのなら、安いものだ」
「……すいやせん」
坊主頭を撫で上げて所長は笑顔を作る。その目尻には光る滴が浮かび上がっていた。
全員で行こうとしたがニクス様に止められてしまった。疲れているのは私達も同じだろうから、と。ぞろぞろとお見舞いに行くにしても、ニクス様の勧めもあって今回は自重した。
「………」
「どうした」
夕食と湯浴みを済ませて通された二人部屋。私はそこにレブと押し込められていた。
「こういうところは変わらないんだよね……」
召喚士とインヴィタドは一心同体。まして、専属契約をした相棒ともなれば部屋を分ける方が変。自分と魔力を共有する召喚士を守るにしても傍にいた方が都合は良いし合理的。トロノに居た時と変わらないんだ。
「どの部分を言っている」
だけど……目の前にいるレブが前とは大きく異なっている。部屋のベッドに座って足が床に着いているレブという姿に違和感ばかりが起きていた。
違和感と言うか……そわそわしている。落ち着きなく足を揺らしていた自分に気付いて押さえて止めるけど、レブは既に怪訝そうな顔をして私を見ていた。
「レブは一人部屋の方が落ち着くんじゃないの?」
「……その話か」
見ればレブはじっと固まっていた。
「正直落ち着かない。今すぐにでも貴様を押し倒してやりたいぐらいだ」
「真顔で何を宣言してるの!」
って、大きな声が出てしまった。隣の部屋にだって人はいる。確か右隣がカルディナさんとトーロで……左はウーゴさんとライさん。その向こうにチコとフジタカが入った筈。要人を守るにしても肝心のニクス様はパストル所長の案内で別室に泊まるそうだ。
「………仕方あるまい。私とて雄だ」
「今はそんな時じゃないでしょ……」
レブはそんな事を真顔で言っておきながら自分をきちんと律している。だから今の言葉はレブに対してではなくて、自分に言い聞かせている意味合いの方がよっぽど強い。
「あぁ、そうだな……」
レブの尾先が微かに木の床を擦る。言葉に反して気持ちは落ち着いていないみたいだった。
前からそうだと自覚していた。だけど今日という日を迎えて自分が嫌になる。
姿が変わってしまったレブを異性として、以前にも増して意識してしまう。力を発させた時、彼の腕に抱かれた感触を今でも思い出しては……また触れたいと思っていた。
望めばきっと、レブは応じてくれる……。
「あのさレブ……」
意を決し、彼の座るベッドへゆっくりと移動する。窓の外から入る星明かりにレブの目が反射して揺れた。
「止めておけ」
腕を伸ばし掛けたところで、レブの口から出た言葉は私を止めるものだった。
「最初に言ったの貴様だ。我慢しているのは貴様だけではないと私は既に言っている。貴様から誘いがあったと判断すれば、もう引き返さないぞ」
「………」
レブには我慢させておいて、自分はちょっとだけ。相手の気持ちもまったく考えていなかった。ううん、レブならきっとと思い込みで勝手に話を進めようとしていたんだ。
「……ごめん!私が浅はかだった!」
立ち上がって向かいの自分用のベッドに半ば飛び移る。恥を上塗りする様に年季の入ったベッドは音を立てて軋んだ。枕を掴んで自分の顔に押し付けると凄い勢いで、蒸れる。
「私は一線を越えても良いのだがな」
「良くない!」
聞かせたいやつには聞かせ、見たいやつには見せておけなんて言わないからね!枕をずらしてレブを見ると目を伏せて笑った。
「ふ、そうだな。だが、一つ私は安心した」
「何に対してよ」
レブは顎を揉んでから横目で私を見た。
「わんころと貴様らの言葉は認識の仕方が異なるらしいが……」
フジタカめ、まだレブに何か言っていたんだ。
「こういう状況を、脈ありと言うそうだな」
「フっ……!」
隣の隣の部屋にまで届く様な声で叫びそうになった。何を吹き込んでるんだ、あの人狼!
「落ち着け」
平然と言ってのけた方は堂々と開き直っているし……。バタバタと毛布を蹴っていた足を止めて私は突っ伏した。
「今は確かめられた。それだけでも私にとっては十分だ」
「………」
レブはそう言ってくれたけど……。
「今は、でしょ」
「そうだ。今は、だ」
明日は?その先は?きっとどうなっているか分からない。確かめたのはレブだけではなく、私の方も同じだった。
翌朝になって私は廊下を歩いていたフジタカを捕まえて部屋に詰め込んだ。勿論、昨晩起きた出来事に関して言っておかねばならない。
「朝飯どうするか、先に出てったチコに聞こうと思ったのに」
「話はすぐに終わるよ。フジタカ次第だけど」
いつも通り私よりも先に起きていたレブはベッドに座ったまま腕を組んでいる。私が寝る前と同じ体勢だけどそのままだって事はないよね……。聞いて答えないなら正解だろうし。
「……昨夜の事か?」
「く……っ!」
目を伏せて無言を貫くレブを横目で見たフジタカは頭を掻いた。知ってたな!しかも!
「聞いてたの……!」
「聞こえてきたの。あんまりにもおっきい音だったからさ」
……音?
「その、なんだ。……意外と早いんだな、デブ」
「何の話をしている」
レブは片目だけ開いてたどたどしく話すフジタカを睨んだ。
「いや……え?したんじゃ、ないの?ベッドもギシギシ音鳴ってた……し」
冷水で洗顔したばかりの顔がどんどん熱くなってくる。フジタカが何を言ったのか雰囲気で伝わってきた。
「あれは私がやったの!」
「ザナから押し倒したのか!?」
「ちっがぁぁぁう!」
怒鳴ってフジタカが耳を畳む。レブがこちらを見たので声を押さえる。そうだ、もしかしたら今も両隣に人はいるんだった。
「はぁ……。どこまで聞こえてたの」
「俺は途中まで耳を澄ましてたけど……。とりあえずチコには聞こえてないだろ」
音は聞こえても、中身は見えていない。フジタカだって会話の全部は把握していないみたいだし、だからこそ余計に拗れていると言うか……。
「とにかく、私達は何もしなかったからね?」
「……ふーん」
私と話をしているのにフジタカはレブの方を見て鼻を鳴らした。
「それを俺に伝える為に呼んだのか?」
そうだった。本題に入る前からフジタカに調子を狂わされていた。レブと一夜を遂げたとかそんなんじゃなくて!
「違う。レブに変な事を吹き込むの、止めてくれない?」
「………」
そもそも、いつの間に話しているのか。私だって四六時中絶えずレブの隣にべったりくっ付いているわけじゃない。フジタカと一緒にいるレブの姿を遠目に見た事は何度だってある。
それにしてもだ。ちょこちょこ会話に出てくるブドウの妙な知識と変わった響きの単語は探ってみると、大抵がフジタカの入れ知恵だった。
「えー」
長い沈黙を破ってフジタカが私へ向けたのは抗議だった。また怒りそうになって声をなんとか押さえて私はフジタカに詰め寄る。
「えーじゃないよ……!」
「だってお前ら、いい加減焦れったいんだもん」
「う……」
フジタカが目を狭めて私に言い返す。レブを見れば、目が合ったのにゆっくりと閉じてそのままで硬直した。
「聞けば、デブのアプローチにザナの方が応えないんだろ?だったら俺が一肌脱ごうかなってなるわけよ」
へその出た上着の端をわざと捲って見せるフジタカに悪びれる様子は無い。
「あぷろーちは知らないけど……」
「私は待つつもりでいる、とは話したのだが」
なんとなくで意味を察しているけど、レブに対して私が何もしていないのは本当だ。レブがずっとでも待っていると言ってくれたから、その言葉通りにしてしまっている。
「最初にチューしただけじゃ物足りないんだろ?」
その話も随分前の事の様に感じてしまう。だけど未だに覚えているんだな……。
「………」
物足りないんだ……。で、もう少し求めてしまったら我慢できないんだ……。
だけどそうさせてしまったのは、私か。
「ごめん、レブ……」
「この道を選んだのは私だ。貴様が気にする事ではない」
私はレブに突き放される様で、包み込まれているんだ。レブが我慢してくれているから、その分だけ自分が好きに動けている。
「それで良い、ってんなら俺からは何もしない。けど、デブの方が求めてくるんだもん」
「フジタカの体を……!?」
「異世界の文化をだ」
あ、あぁそうか……。チューの代用をフジタカに求めてたらどうしようかと思った。それは私もちょっと我慢できないかな……。あんまり想像もしたくないし。
「あーぁ。なんでお前は俺が教えたって言っちゃうかなぁ」
フジタカは頭の後ろで手を組んでレブに向かって口を尖らせる。
「私は出典元を明らかにしただけだ」
「元ネタは俺じゃないんだけどな」
教えた張本人に言い逃れなんて許さない。私が睨むとフジタカは尖らせた口を緩めてぎこちない笑顔を作る。
「よく言うよ……!」
「そう怒るなって……。で、何を言われたんだ?」
「フジタカぁ!」
今度こそ私はフジタカに対して怒鳴る。やっぱり懲りてないんだから!
「俺は女心を分かってないデブの方に問題があるから知恵を貸しただけなんだ……」
しばらく続いたお説教が終わる頃には、フジタカの耳も畳まれて俯いていた。彼の住んでた国の文化に則り正座させたのが効いたみたい。
「ふん」
ベッドからレブの足が畳まれたフジタカの足の裏へ伸び、軽く突く。
「う、うごぉぉぉ……!」
それだけで足の痺れが刺激されたフジタカは悶絶し姿勢を崩した。
「何しやがるデブ……!」
「良い姿だな」
笑うレブの隣に私も座る。
「レブだってこうなるかもしれないよ……?」
「………」
レブがフジタカを見て沈黙する。竜人が足を痺れさせたりする事なんてあるのか分からないが、レブ次第では痺れさせるまで説教を続ける覚悟はできている。
「……はぁ」
だけど、疲れてしまった。
「あのさーフジタカ」
「なんだよ……!まだ言い足りねぇのか……」
フジタカは懸命に血の巡りを戻そうと足を揉んでいた。やり過ぎたかな……。
「違うよ。フジタカ自身はどうなの、って思ってさ」
「どうなの……って?」
なんとか胡座を掻けるまでは回復したフジタカが起き上がって首を傾げる。
「自分じゃ恋愛したいとか、思わないのって事」
「あー……どうかな」
彼はトロノ……と言うより今では東ボルンタ大陸では有名人だ。召喚士どころか近所の子ども達だって名前を知ってるくらいだもん。一人や二人、フジタカに淡い気持ちを持ってる女の子だっているんじゃないのかな。
そう思って話を振ってもフジタカの顔色は優れない。足の痺れではないと思うけど……。
「俺ってさ、良い人止まりなんだよな。好きな人ができても」
「なんか……分かる気がする」
友人としては一緒にいて楽しそうだけど、恋人にするかどうかとなると……うぅん。って、本人を前に言ったら……。
「つーん」
「ごめん……」
そりゃあ怒るよね……。
「慣れてるけどさ」
「でも、オリソンティ・エラに着いてからも出会いとかはあったでしょ?」
フジタカは前にトロノの郵便局で手伝いをしていた事もある。自分一人で出歩く事だって多少はあっただろうし。
「そう言われてもな……」
「面食い、と言うのだな」
「レブ」
私が一声で黙らせる。しかし、その言葉ならフジタカ独特の表現でもない。
「獣人じゃなきゃ嫌とか?」
「そうじゃないよ。ただ……」
フジタカが膝を抱えて沈む。
「そう言えば俺……恋愛相談には前から頼られるのに、彼女いた事……」
まずい部分に触れてしまったらしい。
「あの、フジタカ……」
私が一歩近づくとフジタカは立ち上がって後ろに跳んだ。まだ痺れが残っていたらしく着地した途端に足を小刻みに揺らす。
「う、うるさい!俺にだってそのうち美人の彼女ができるんだ……!」
恋人が欲しいとは思ってるんだ……。
「ザナの方こそ、ステキな恋人に憧れたりしないのかよ?お互い青春真っ只中だろうに」
「えっ……」
フジタカからの返しに私は言葉を詰まらせた。レブもゆっくりと私の方へ首を向ける。
……前からそうだった気がする。私は単に興味が無かっただけだと思っていた。でも、自分達と似た様な年代の者は皆が顔にニキビなんて作りながら恋をしている。大人になっても続いて、やがて二人は結ばれ子を宿す……。
私にとって家庭を誰かと成そうなんて考えが浮かばなかったんだ。どうしてか、と聞かれたら……。
「この娘は召喚士として遂げたい目標があった」
レブは私もフジタカも見ずに呟いた。……以前、レブには話したっけ。
「……変かな。召喚士として一生過ごしていくつもりで何年も過ごしてきたのって」
「あ……」
フジタカの言っている事、言いたい事も分かる。他にも選択肢はある、って事だ。召喚士として血を流すよりも、誰かのお嫁さんとしてどこかで静かに暮らす。そんな幸せだってあるのかも、しれない。
「妙な事聞いちゃったね」
だけど私はもう、この選択で進んでしまったんだ。レブが見せてくれた夢にまだ戸惑ってしまっている。フジタカの提示してくれた可能性に、怯えていた。
「貴様は遂げたい目標へ挑めば良い」
レブが立ち上がった。
「その先に必ず、私達の道が交わる日が来る」
「……うん」
だったら今は、今に全力を注ぐ。明日はもっと先に進んでいる為に。二人でもっと強くなっていく為に。
「あれ?」
フジタカが首を傾げて私達を見ている。置いてきぼりにしちゃったけどそういう事だ。女の子らしい夢を見るのも悪くないけど、私は召喚士であり続けたい。
「断言していいのかよ。そんで、ザナはそれを受け入れるのか……」
「えっ」
あ。レブはそんな日が来るかもしれない、じゃなくて来るって言ったんだ。
「無論だ。本人も言っていただろう」
「えっえっ」
それで私はうん、なんて頷いてたんだ……。レブは尻尾をびたんびたんと床に擦らせてたぶん興奮している。
「なんかお前ら……放って置いてももう大丈夫そうだな」
私達を見守りフジタカの表情が和らぐ。勝手に納得しないでよ!
「ちょっとフジタ……!」
言い欠けたところに部屋の扉の向こうから大きな音が聞こえた。一度だけだったが扉を叩く様な音だ。私とフジタカは肩を跳ねさせて扉を見る。
「……ザナが怒鳴るから」
「怒鳴らせる様な事言わせたのは誰さ」
うるさくし過ぎたかな……。怒るとしたらやっぱりライさん?それともトーロかカルディナさんか……。
「う……」
「チコ?」
扉を開けると、そこに立っていたのはチコだった。部屋の中へ入るとフジタカの姿を見付けて数歩。床の板と板の隙間に足を引っ掻け前に倒れる。
「チコ!」
気付いた時にはチコは転んでしまう。フジタカと私が駆け寄っても動かない。
「おいチコ!チコ!」
フジタカが呼び掛けながら揺り起こす。仰向けに寝かせてチコの顔は汗を滲ませ真っ赤にのぼせていた。
「熱があるじゃねえか……。おいチコ……」
「うっせ……。頭痛いんだから……静かにしろよお前ら……」
唸りながらチコはフジタカに悪態を吐く。見かねたレブがフジタカの腕の中からチコを取り上げ抱えた。
「部屋に戻すぞ。見栄を張って、一人で医者を探して力尽きたらしいな」
「く……」
減らず口を叩く、なんて余裕も無くチコは呼吸を荒くしているだけだった。フジタカに部屋へ入れてもらい、ベッドに寝かせると私達はまずカルディナさん達の部屋へ向かった。
「チコ君が……熱?」
「風邪っぽいんですけど……」
事情を説明すると、カルディナさんは表情を険しくしながらもトーロに医者を呼ぶように言ってくれた。だけどチコが急変した理由が思い付かない。
「この辺りで疫病が流行っているなんて話は……」
「無いわ。海を渡って持ち込まれたなんて話も特にはね」
だったらチコだけ倒れる理由なんて……。
「一人で無理をしていたのかしら」
チコの部屋の前まで移動して、私達は扉を見詰める。
「俺が気にしててやるべきだったんだよな。アイツが突っぱねても」
「フジタカ……」
拗れてしまったのは何もウーゴさんとライさんだけではない。フジタカもチコを相手に距離感を取り直していたんだ。前よりも話す事が減ってしまったのは彼がビアヘロだと判明してから。今でこそ雑談はしていても、どこか前よりも余所余所しい。
「貴方達、ケンカでもしたの?前からそういう時があったけど……」
「どうなんすかね……」
「ケンカしたなら、少しは大人になってあげないと。魔力だって貰ってるんだし」
はぐらかすフジタカに対して、知っている自分が口を挟めないのが悔しい。
「……なんて、チコ君も思い込みが激しそうだしね。意固地になってやせ我慢してたのかしら」
カルディナさんは場を和ませてくれようとしたんだと思う。フジタカが悪かったのではないと。
「いや、チコは悪くないです。気付けなかったのは俺だ」
「フジタカ君……?」
体調の自己管理ができていなかったと言うのは簡単だ。だけどフジタカは気にしているんだ、自分が変に壁を作ったせいでチコに我慢させてしまったのだと。
お医者様が来て診察する間にウーゴさんとライさんも部屋からでてきた。診察が終わるとチコの病状は単なる風邪。数日安静にしていれば治ると薬も処方してもらえた。
「………」
チコが大した事がないと分かった反面、嫌な話も耳にしてしまった。ニクス様に会う前に顔を合わせた全員でパストル所長が昨日話していた事を思い出す。
ビアヘロに襲撃されて出た重傷人はもう、立って歩けないかもしれないそうだ。傷の縫合は済んだものの大腿がズタズタに裂かれていたらしい。そこまでの怪我ではおそらくニクス様の羽を使用しても効果があるかどうかは半々だ。
酷い裂傷を受けた召喚士はインヴィタドを失って放心状態。それに夜が明けてからようやく寝たばかりでとても話は聞けない。
だけど私達には話を聞きたい理由があった。
「それは本当にビアヘロか」
ライさんの一言は誰もが頭の中にあった。この地方ではビアヘロが少ないから言っているのではない。現れたのが小型の海竜だったらしいから、だ。竜と聞けば私達はすぐに別の存在を思い浮かべてしまう。連想するのも比較的日が空いていないからというのもあった。
「どっちにしろ、人を襲うなら退治しないと」
「俺達が首を出す事ではないだろう」
「それって……」
私の意見をトーロが否定する。相手はアスールの海域で出たビアヘロだ。……普通ならアスールにいる召喚士達で対処するのだろう。
だけど相手が相手だ。実力は知らないけど皆がいれば、きっと勝てる。
「……ちょっと素朴な質問、してもいいか?」
フジタカがおずおずと手を上げて私達を見渡す。その姿にカルディナさんやウーゴさんと顔を見合わせる。そんなに申し出たりしなくても答えるのに。
「どうしたの」
「竜のビアヘロってどんくらいいるんだ?」
数を聞かれると私も困るな……。私はそもそもビアヘロの竜は見た経験自体が無い。
「多くはない、とだけ。ただし現れれば総出で対処する事になるでしょうね」
「危険だから?」
フジタカにカルディナさんが頷く。
「ビアヘロは自分を維持する魔力を求めて、この世界の魔力源を摂取する。理知的な相手程計画的に、効率良く実践するでしょう?となれば……」
「果物より生き物、生き物なら動物より人。……人間なり、召喚士なりを優先的に食っちゃうんですよね」
随分前に話した事だけどフジタカはきちんと覚えていてくれた。
「竜って、その……必要な食べ物の量が多いんじゃないですか?」
「でしょうね。だからこそ、昔は召喚士のいない村を一つ丸ごと呑み込んだ竜もいたそうよ。それでも満たされなくて、爪跡だけ残して消えてしまったそうだけど」
カルディナさんの口振りからして、自分の経験談を話してくれているわけじゃない。だけど聞いた話は穏やかじゃない。
「インヴィタドである私には関係無いぞ」
「う、うん……」
レブを見て思ったのだけど、専属契約をしたからって私一人で満足できる魔力量を与えられているのかな。村を一つ滅ぼしても自分を維持できないのが竜だとしたら……。だけど本人が平気と言って今も一緒にいるのなら大丈夫、なのかな。消えるとしたらもっと前にいなくなってるよね……。食べるって思っているよりは効率良くないのかも。
「ビアヘロなら放って置けばそのうち消えるんですかね?」
「そこよ」
眼鏡を拭いて掛け直したカルディナさんの眉間には皺が寄っていた。
「相手は小型の海竜、と言っていた。カルディナの紹介していた例は極端だが、もう少し魔力を少ない摂取で賄える存在だったら……」
きっと、また現れる。トーロに言われずとも全員が分かっていた。
チコがいないままだったが私達はアスール支所の所長室に招かれていた。入って通された部屋の広さと中の派手さには身じろぎをしてしまう。昨日通された部屋とは大違いだった。
木造の建物なのは全体と変わらないが飾られている海と灯台、そして灯台が指す光を頼りに暗くなりつつある空を飛ぶ巨鳥の油絵がまず目を引いた。敷物の私よりも数倍大きな白い絨毯も何かの獣の毛皮だった。
「おう皆さん。お揃いで……」
所長席に座っていたパストル所長は私達の姿を認めるとゆっくり立ち上がった。その目の下にははっきりとクマを浮かび上がらせている。先に来客席にいたニクス様は私達が部屋に入ると閉じていた目を開けた。
「所長、寝てないんですか?」
「うん?はっは……。分かるか?ったく、歳は取りたくねぇな」
前の私やチコを思い出してつい聞くと、所長は笑って毛の無い頭を撫でた。
「昔は三日三晩の徹夜も堪えなかったってのに、今じゃ一夜だけでこのザマだ。あーやれやれ」
極力元気な姿を見せようとしてくれている様だけど、声は低くすっかり枯れていた。本当に寝ずに看ていたらしい。
「あの……うちの召喚士が一人、熱を出しまして。その時に怪我の容態の話も聞きました」
「そうかい……。なら、色々省けるな。そっちの熱ってのは?」
「風邪と診断されました。薬を飲んで休ませてもらえれば」
パストル所長は頷くとニクス様の正面に置いてあった一人用の椅子に座った。
「座ってくれ。その召喚士の方もお大事にな。あいにく気付けなかったが……」
「こっちも具合が悪いと知ったのが今朝だったもので」
チコの容体も気にはなるが、私達も聞いてもらいたい話がある。所長にとっても、聞き逃したくないと思うし。
「ほぉ……」
フエンテの話は既にブラス所長の報告書が回って来ていたためすぐに通じた。現状分かっている点を把握してもらった上で、私達が道中で二度遭遇した件も報告する。その途中でレブの話にも触れられた。
「じゃあザナ……。君のインヴィタドは元々……」
「最初から竜だったんですけど……私の力じゃレブをこれくらいの姿にしかできなくて」
今の姿ではない。トロノから出発した頃のレブを思い出しながら手の高さを調整して身振りで説明する。
「それがフエンテのベルナルドに何かされて力が増した……」
「違う。力の使い方が変わった、だ」
「……らしくて」
私の後ろに立っているレブに訂正されながら答える。元からあった力なら、鍛えればもっと強くなれるかな。それがレブの力にも直結する筈。
「成程ねぇ。立派な竜人だ」
「ふん……」
行く先々でレブが褒められる様になった。前の不当と言うか奇異の目を向けられるよりは良いけどレブからしたら掌返しにしか見えないよね。
「おっと、気を損ねるよな。すまなかった」
「構わない。力や年齢は関係無い。私はこの世界に招かれた側の者だからな」
パストル所長がすぐに察して気付いてくれたからか、レブも目付きを緩めた。相手が気付いてくれたかは別だけど。でもやっぱりお互いよく観察し合っている。
「……で、そこの竜人様と知り合いの竜を召喚した爺さんがフエンテにいて、ファーリャでも勧誘と忠告をしてきたか……」
更に話を続け、一通りの報告を終えると所長は肩を落とした。
「で?インヴィタドをけしかけてカルディナ達でぶっ飛ばしたと……。後処理は?」
「一応……。ファーリャの人達がやってくれました」
契約者の一行がビアヘロを倒したという話はそのうちこのアスールにも届くだろう。実際はビアヘロじゃないんだけど。でも、だからこそ私達は別の可能性を提示できる。
「……海竜の出現時期とは重なるか」
「ここ数日の話なんですよね?」
あぁ、とパストル所長はカルディナさんに頷いた。音を立て叩いては頭を押さえる。
「一昨日の話だよ。貨物船を一隻やられて、その日のうちに部下も返り討ちだ……」
ただのビアヘロならその海竜を一体倒せば終わり。だが、もしも海竜がインヴィタドであれば召喚士が再び呼び出して同じ真似をするかもしれない。
「ビアヘロがほとんど出ない地域にいきなりデカいのが現れた。そりゃあ不自然だわな」
アスールが海竜に脅かされているとは知らなかった。だけど知ったからには私達だって同じ召喚士。何か力になりたい。まして、これがあのロルダンの仕業だったら私達を呼んでいるとも取れる。
「私達にもできる事はありませんか」
「そうさな……」
カルディナさんに所長は腕を組んで背もたれに身を預けると体を逸らす。
「契約者の儀式を。終わり次第、アスールから離れた方が良い」
言われた言葉は予想しなかったわけでもない。どこに行ってもそうだ。ブラス所長も、テルセロ所長も。私達に対して掛けてくれる言葉は戦いから身を遠ざける事ばかり。
「それは……」
「気持ちは有難いんだ。だが、アンタ達はトロノ支所の召喚士で、契約者護衛任務中だろ」
その通り。私達が危険に自ら首を突っ込む理由は無い。パストル所長が私達の腕輪を指差して言った事は自覚を促しているんだ。
「海竜がフエンテの爺さんの仕業とは、アンタ達にも判断できない。俺達だってそうだ。対処できそうな今からアンタ達の力を借りるわけにはいかんな」
「手柄が欲しくてやっているわけでもあるまいに」
「そうなんだけどよ」
レブに言われて白い歯を見せ所長は苦笑する。
「手柄と言うよりは俺達の海を荒らすのが許せないんだ。勝手な真似をする存在がまだ潜んでいるのなら俺達の手で何とかしたい」
「矛盾しているぞ」
今日は積極的に喋るレブに私は内心引っ掛かっていた。所長を気に入ったのか、それとも逆に攻撃したいのか……。
「その見栄で部下を危険に晒し、余計な怪我を負わせるのか。力ある私達は庇っておきながら」
「それは……。契約者を最優先で守るのはどこも一緒だからでな……」
レブに言われて所長の迫力ある顔からはすっかり覇気が消えて疲れた顔だけになってしまう。でも言いたい事は分かってきた。
フエンテだから戦うのではない。そこに降り掛かっている火の粉があるから払うんだ。ビアヘロかフエンテかは二の次。
「余所者の私達に言われるのも気に食わぬだろう。だがこのままお前の言う、お前達の海に海竜がのさばるのを看過するか」
「………」
所長の表情はレブの言葉に暗く沈む。レブの説得が響いているのに、それは染み込んで打ち返されない。
「ふむ」
レブの足音がのしのしと絨毯に吸い込まれる。彼はニクス様の肩に手を置いて一言。
「お前の言葉が必要だ」
「分かった」
レブがニクス様の肩から手を退かすと、座っていたニクス様は立ち上がってパストル所長を見下ろした。
「自分達はアスール港より船でガラン大陸のカスコに向かう」
「はぁぁぁぁ!?」
顎が外れるのではないかと言うくらいにパストル所長は大口を開け、目や鼻も大きくした。私達だってざわついたけど、後ろに控えていたフジタカがひょっこり椅子に顔を乗せて私に説明を求める。
「なぁ、ガラン大陸……って?」
「西の海を越えた、ボルンタよりも一回りでっかいオリソンティ・エラでも最大の大陸。カスコはその中でも首都と呼ばれてるの」
最初はセルヴァから出た事もほとんど無かった私の世界が広がっていく。本で想像しかしていなかった世界に私も飛び込める。
「……船で、か」
「船で、ね……」
船旅と聞いて私達だけが気を落とす。でも、そもそもまだ浮かれている場合じゃなかった。
「ニクス様!今の状況をご存知でしょう!」
「無論」
わざとなのか、ニクス様は私達の前に右の翼を大きく全開する。それでも後ろに隠れたのはレブとライさんの体、あとは座っていたウーゴさんの顔半分といったところか。
「自分は自分の決めた様に行動させてもらう」
「その途中、偶然遭遇した海竜を私達は倒してしまう」
「戦力は、この場に整っているからな」
ニクス様の翼がマントの様に翻り、羽が三枚宙を舞う。くるくると回転して机に着地した羽の前には私達が座っていた。それを見たパストル所長はしばし呆然とし、そして笑った。
「は……はは……。あっはっは!本気か、アンタら!」
レブとニクス様なんて無愛想二人が揃って冗談で場を和ませようなんて、するわけがない。最初からそのつもりだ。
「……なんでそこまでしてくれる」
「既に言った通り。私達は立ちはだかる障害を打ち砕くだけだ」
「詭弁じゃねえか」
フジタカが言うとレブは鼻を鳴らして笑った。
「道理を通せば良いだけの話。お前も来るのだぞ、犬ころ」
「……分かってるよ」
私を間に挟んで笑う二人の空気は言いたい事が通じ合っている様だった。フジタカがパストル所長の言えなかった部分を代弁したんだ。
「ビアヘロだったらそれで良し。自分達に縁のある相手であれば、その時はそちらに出番はない」
「アスールからもガランまでの召喚士をつける。言い訳代わりにな。それで文句はねぇでしょう」
啖呵を切ったものの、戦力が多いに越した事は無い。パストル所長側から出た最大限の譲歩を受け入れ私達の報告会と今後の予定確認は終わった。
「……一度集まろう。自分が使っている部屋へ」
所長室を出た直後、ニクス様に従って私達は別室へと移動した。アスールの召喚士達はバタバタと走り回ってこちらを見掛けても挨拶だけで、話す余裕は無さそうだった。
「ニクス様……困ります。カスコにまで行くなんて、計画にはありません」
「分かっている。すまなかった」
カルディナさんに言われてニクス様は静かに目を伏せ謝罪した。私が聞いていたのはアスールの次はファーロに行くつもりだったという事だけ。その後はまた船旅だったのかもしれないけど、予定はかなり変更されそうだった。
「しかしあそこまで言わねば、あの所長は私達に関らせなかった」
「貴方達があんな事を言うから予定が狂ったんでしょう……?」
珍しくレブに対してもカルディナさんが感情的になっている。
「私だってフエンテが気にならないわけじゃありません。だけど、契約者を危ない方へと誘導して!護衛のする事とは思えません!」
海竜を見過ごす。フエンテを無視する。契約者を思えば最良の選択なのだろう。戦いは他に任せる事だってできるのだから。
「自分が望んだ事だ。異界の武王は……」
「パストル所長を言い包める為に、ニクス様を利用しました」
「………」
黙ってしまうニクス様に今度はトーロが助けに入る。
「まぁ落ち着け。カルディナだって、通りすがりの召喚士だったら手伝いに行っただろう。助け合わねばこの先を生きてはいけないぞ」
「……それは」
フエンテの手掛かりが一度潰えた。だから海竜退治に乗り出したとカルディナさんに思われているのも無理はない。
だけど、ニクス様は身を呈してでも人を助けたいと思ってくれたから、レブと口裏を合わせられたんだ。二人の調子があんなにも噛み合うとは思わなかった。
「……契約者の意を尊重します」
私達が取り囲む様に言うものだから、カルディナさんは根負けして宣言した。ウーゴさんとライさんもカルディナさんの一言で前に出た。
「方向性は決まったな」
「ですが、契約の儀式はどうされるのですか?」
「カスコへ優先して向かい、帰路のアスールで儀式を執り行う」
パストル所長に話した時点で決めていたのか、ニクス様は迷いなく言った。だけど、来ておいてアスールを後回しにするというのも……。
「すぐに戻れますか?」
「ガランまでの船旅だって長いのよ。……まして、カスコにまで行っていたら……」
カルディナさんは資金繰りや往路を考えて頭が重そうだ。
「あの……」
そこにフジタカがゆっくりと手を上げる。発言に許可なんていらないのに、癖なのかたまにやってるんだよね。
「チコの事、どうするんですか。今は動けないと思います」
「それも問題よね……。抱えたまま船なんてのも……」
まして、海竜が泳ぐ海の上だ。襲われて、戦闘になって身動きが取れないのでは話にならない。
「フジタカ君だってチコ君が本調子でなければ力も使えないかもしれないしね」
「………」
カルディナさんは考え込んでフジタカの表情を見ていなかった。だけどその方が良かったと思う。
「すまん」
私が肘でつつくとフジタカはすぐに気付いたのか口元を引き締め直した。だって、いきなり石を投げてぶつけられた子どもの様な顔になったんだもん。……トーロとニクス様には見られたかも。
でも、まだフジタカがビアヘロだと知られるには早い。まだ隠し事をしているのは気が引けるし、いずれは知られてしまうかもしれないがまだフジタカの立場を確立できていなかった。チコにもまだフジタカの力は必要だし。
「だったらこうするのはどうだ」
皆の視線がライさんに集まった。
「先陣を切って海竜と戦う者と、チコ君を連れて追う者の二班に分ける。ニクス様とチコ君には後続で客船に乗って来てもらい、先陣班は海竜を討伐した後に後続班と合流。その後はアスールに戻らずガランへ向かう」
ただでさえ少数の私達が更に二手に分かれる。ニクス様の護衛は手薄になり、どちらにも危険性は増す。まして海竜相手に怪我をすれば、負傷した状態で私達は海を渡らなければならない。
「乗った」
山積みの課題の中でいの一番に賛同したのはニクス様だった。契約者の意思を尊重したがったカルディナさんが頭を余計に抱える事になったのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます