第六部 三章 -意気込む未熟な果実-

 風が妙に冷たい。すっかり落葉を終えて細くなった木々から伸びる枝は、何かを求める様に風に合わせて揺れる。

 ウーゴさん達にトロノの案内を終えて数日経って、私はいつとも知れぬ召喚士試験の日程発表を待っていた。その間にできる事はしておきたい。

 「……私が魔法で危険なビアヘロを退治できる、ってそれも加点対象かな?」

 「貴様は召喚士だ。戦士になるつもりなら浄戒召喚士の資格は要るまい」

 思い立ってペンから目線を後ろに座るレブへと向ける。しかし部屋の中で静かにしていた彼は私の思い付きを一声で断じた。。

 「そうだよね……」

 ニクス様と同行できるなら召喚士に拘る必要もないのかな、なんて思ったのは勉強疲れかな……。嫌だ、というつもりはなくても体が勝手に拒否してるのかも。

 「休むならこまめにしろ」

 「詰め込みすぎは良くないんだっけ」

 フジタカも言っていたし。ちょっと外の空気を吸って頭を冷ましてこようかな。

 「果糖が欲しいのではないか」

 「欲しいのはレブの方でしょ」

 ブドウが食べたいって事くらい読めてるよ。……この前二本目のブドウ酒の仕込みを一緒にやったから、しばらくは我慢してもらう。あれだけ買っても一本分の量にしかならないんだからお酒を作る大変さと、普段食べているお手軽さを同時に知ってしまった。

 「レブも来る?」

 「……いや、休むなら一人の方が良かろう」

 お喋りするのも気晴らしの一つの方法だし、私は気にしないんだけどな。朝の散歩は最近も私の方から誘う日が増えていた。

 一人になりたいのはレブの方、って考えられるのかな。男にも色々あるとフジタカやライさんも言っているし。

 廊下に出て、トロノ支所の外へ。少し長めに休んでもいい、のかな。だけど休み過ぎても調子が取り戻せなくなる。体の柔軟を軽くするぐらいにしておこう。

 「あれ……」

 目の疲れか、頭の重さと手首の微かな痛みがじんわりと広がっている事に気付いた頃、一人の少女が大きな鞄を持って歩いているのが見えた。

 「ルビー?」

 つばの広い帽子を被って通りを速足で歩いていたが間違いない。その後ろ姿に声を掛けると細い肩を跳ねさせてルビーはこちらを向いた。

 「ざ、ザナ……」

 「どこか行くの?」

 立ち止まった彼女の隣に立つとルビーは目を逸らしてしまう。

 「ごめん、やっぱり会っておくべきだったね」

 「え?」

 「私、セルヴァに帰るんだ」

 ルビーが突然何に謝ったか分からなくて首を傾げると、風が彼女の帽子を揺らした。

 「セル、ヴァ……?何か忘れ物……」

 「ううん」

 聞き返す前に首が横に振られる。

 「そうじゃない。私……召喚士にはならない。なれないって、思っちゃったんだ……」

 「ど、どうして急に……!」

 思わず声を大きくすると周りの視線が集まってきた。それに気付いてもルビーは寂しそうに笑うだけ。

 「この前のタロスとの戦いで……私、何もできなかった。ザナがフジタカ君を連れてきてくれなかったら、死んでたかもしれない」

 鞄を置いてルビーはスカートを手で押さえ、私に頭を下げる。

 「止めてよそんなの……ルビーだって、頑張ろうとしてたじゃない」

 「最初……セルヴァでジャルと戦ったのを見ていた時はね。でも……タロスの時は……」

 顔を上げたルビーは涙ぐんでいた。チコと二人であの巨大な銅像と戦っていた時に何が起きていたかは分からない。しかしどんな思いをしていたかは容易に想像できる。

 理不尽で、成す術もない圧倒的な異形が自分の命を刈り取りにやってくる。どうして自分なのか、恨まれる事をしたのか。そんなものは些末事でしかない。相手にとってはただその場に居合わせたからで十分。魔力を求めて蠢く怪物の目に留まってしまったから狙われたのだ。

 私もビアヘロに襲われた事があるからその恐怖は知っている。しかし、その恐怖から人を助けたいから召喚士になろうと思ったんだ。

 「あの時……また、お父さんに会いたいって、思ったの」

 「………!」

 ルビーの大きな目から一滴の涙が零れ、頬を伝った。……私は、そんな彼女を分かってはあげられなかった。

 「お母さんにも……セルヴァの、皆とも……」

 私は……会いたいと思う両親がその時にはもういなかったから。

 「だから私……やっぱり無理だよ。召喚士になっても、また精霊を死なせちゃう。そして最後に自分が……」

 言わなくても分かっている。あの恐怖に震えた先にやって来る結末。それは誰かからもたらされる救済とは、限らない。その後が全て絶たれる深い闇が自分を呑み込む事だって有り得るんだ。

 「ザナは……まだ戦うの?」

 「うん……」

 自分でも迷わないで答えられた。その次の言葉が思い付かないのに、それだけは間違いなく言える。

 例えこの身がどうなろうとも、きっと召喚士で在ろうとする……と思う。ルビーの話を聞きながらもその思いが自然に強くなっていた。

 すると、ルビーが私を抱き締めた。腕に回した力はとても強く、彼女の体温が直に伝わってくる。

 「ごめんね、ザナ……ごめんね……!」

 「いいんだよ、ルビー……」

 声を震わせて泣くルビーの背中をそっととんとんと叩いてやる。小さい子が泣いているとルビーはこうして泣き止ませていたから。

 「元気でね。私は召喚士になる。ルビーの分まで戦って、きっとまたセルヴァにも帰るから」

 私にとってもセルヴァは大事な場所だ。私にあの地を、あの地で笑って暮らしている皆を守れる力が使えるのなら、全力で振るいたい。

 「うん、待ってるから……!」

 涙に濡れて酷い顔だった。だけど私も少し涙が出そうになって鼻をすする。

 馬車が出るから見送りはいらない、と言われた私はルビーの背中を立ち止まって見詰めていた。彼女はもう振り返ってくれる事はなかった。

 「遅かったな」

 「うん」

 部屋に戻る頃には体がすっかり冷え切っていた。レブは椅子から降りていたけど、私が帰るとすぐに座り直した。

 「何かしていたのか」

 「はぁ……」

 自然と溜め息が出て、私はベッドに腰掛けた。

 「セルヴァに戻ったり、アルパ近くでタロスと戦った時に一緒だったルビーって子を覚えてる?あの子がね、召喚士を辞めるって言って出て行っちゃったの」

 忘れているわけもなく、レブは頷き、話の続きを催促してくれる。

 「止めようとはしたんだ。だけど……もう間に合わなかった。気付いてあげられなかった自分が情けなくて」

 「恥じるな」

 レブに言われて顔を上げる。

 「悩んだ末の決断は易々とは覆らない。貴様が幾ら優しくしたところで、変えられたと思うのか」

 「………」

 思えないんだ。だったら……もっと前に気付いてあげられたとしても変えられない。

 「貴様はあの娘が何に挫けたか知っている。だから無理には止めなかった」

 「……そうかも」

 何も知らずに、無責任なままこのまま一緒に戦っていこうなんて言えないんだ。半端にでも共感できてしまうから。

 今はビアヘロだけではなく、フエンテなんて別の脅威もすぐ近くに潜んでいる。だからこそ私は強制なんてしたくない。

 「でも私は辞めないよ」

 「知っている」

 レブはそれを聞きたかったとでも言いたそうに小さく頭を縦に振って目を閉じた。

 魔法の練習もその日から改めて始めた。別に試験に活かそうと思っての事ではなく、自分なりの訓練だった。戦士が体を鍛えるのと同じ、術士が基礎魔力を高めたいと思うだけの事だった。

 ルビーとの約束もある。私が自分で誰かの力になってあげたい。その気持ちを胸にしていた私へレブは何も言わずに訓練に付き合ってくれた。

 「ふむ……」

 「はぁ……はぁ……」

 一日の終わりに私はレブにその日のうちに残った魔力をぶつけている。時に持続性だったり、日によっては一撃に全て籠めてみたり。あの手この手を使っているがレブを唸らせるには至らない。

 「今日はこれくらいにしておくか」

 「まだ……」

 今日は低出力で雷撃を放出し続けた。それが途切れて膝をついた私の前にレブが立つ。

 「休んで溜めるのも時には必要だろう」

 「う……」

 言われてみればそうなのかな。……魔力が尽きてもレブは自力で魔力を生成できるようになっているから、存在自体を維持できない事はないいだろうけど……。

 「以前よりは発動限界時間が伸びている。それは自覚しているだろう」

 それでも秒単位だけどね……。と、答えるのも難しいくらいに息が続かない。滲む汗を拭ってまずは呼吸を整えるところから私は始めた。

 「ふぅ……ふぅ……」

 「果糖は」

 「欲しいけどこの時間じゃやってませーん……」

 レブの提案に今回は乗りたくてもこんな夜にルナおばさんが店を開いているわけがない。先に買っていたらともかく、今日は水でも飲んで寝よう。訓練場からトロノ支所に戻るまで歩けるかな……。

 派手に動き回るでもないのに、こんなに汗だくになってしまった。このまま放っておいたら風邪をひくかも。そう思っていると不意に背後から足音が近付いてきた。私は咄嗟に顔を上げたけど、レブは警戒する様子を見せない。それどころか腕を組んで相手が来るのを待っているみたいだった。

 「こんな時間に外を徘徊とはな」

 レブが口を開くと暗がりからその影が浮かび上がる。その形には見覚えがある……というか、気付かない訳も無い。

 「仕方ないだろ。これでも俺だって色々やってたんだからさ」

 現れたフジタカの手にはリンゴが二つ。その片方をナイフで半分に切ると私に手渡してくれる。

 「お疲れさん、ザナ」

 「ありがとう」

 受け取って私はそのまま口に運ぶ。フジタカはもう半分をレブに差し出したが彼は腕を組んだまま動かない。

 「食ってみないか?リンゴだって美味いんだぞ」

 「……栄養を求めているのは私ではない」

 そんな事言っても食べないのは単にブドウじゃないからでしょ。でもリンゴの甘さが疲れた私の体に沁みてくる。魔力の詰まった果実なんて言われているくらいだし魔法を使った後はリンゴが良いのかな。

 「でもフジタカ、本当にこんな時間に何をしてたの?」

 まさか私達にリンゴの差し入れをするためだけに外出してきたとは思えない。それに、会うのも実は部屋が分かれてから数えるくらいだ。会ってもすれ違うくらいで話もしてない。

 「バイトだよ」

 「ばいと?」

 短いけど意味が分からず首を傾げるとフジタカはあー、と口を開けて暗い空を仰ぐ。

 「えーっと……アルバイトって言ってもダメだよな。非正規雇用……うーん……」

 よくわからないけど……。

 「とりあえずさ、ダリおっさんのとこで郵便配達の手伝い始めた!これでどーよ!」

 「ダリオさんって……フジタカが?」

 聞き返すとフジタカは頷いた。

 「まぁほら……チコと色々あったろ?それなのに俺がトロノ支所に居るのもちょっと忍びないじゃん。だから金を少しでも稼がなきゃいけないって思って」

 この表現は酷いけどフジタカはビアヘロであって、召喚士ばかりの施設とは接点が薄い。それでもトロノ支所で暮らすのだから、って考えかな。

 「一人で?」

 「始めたばっかだからまだ事務のおばさんと一緒に配達物の仕分けをしてるんだ。それなら文字の読み書きの練習にもなるし」

 地区の名前も読めたり書けたりしないんだもんね。実用性も兼ねてて良い、とは思う。だけど……。

 「私が言ったのはそうじゃなくて……」

 「狙われている身でありながら一人で行動して問題無いのか、という事だ」

 レブが気付いて代わりに話すとフジタカはリンゴを口に詰めて頬を掻いた。

 「まぁ……ザナやデブの言いたい事は分かるんだよ。だけど、何もせずにもいられない。だからやってるんだ。その辺は誤魔化しながら伝えてるぞ?何があるか分からないからってニエブライリスを職場に持ってったりもしてるし」

 不用心の無抵抗、考え無しにやっているわけではないんだ。今もしっかりニエブライリスはフジタカが背負っている。

 「フエンテっては言ってないが何か来るかもしれない。そして、契約者に同行して遠征するかもしれないからずっとはいられないかも。それでも雇って色々教えてくれてるからさ。もうちょっと頑張りたいんだよ」

 なんだか、楽しそうに見えてきた。そんなフジタカから無理に仕事を取り上げる事はできないな。

 「所長には許可取ったの?」

 残りのリンゴを呑み込みフジタカは目を逸らした。

 「う……。実はそれはまだ……」

 もしやと思って聞いてみたけどやっぱり。フジタカとティラドルさんも、ライさんやトーロでさえも所長とは話したがらないし。

 「悪い事してるわけじゃないんだし、後ろめたく思わずに話してみたら……?無許可でやって後から言われる方が面倒だよ」

 「うーん……」

 私が言わなくても分かってたんだろうなぁ。

 「セシリノのおっさんは元から技術目当てで呼ばれたんだろうし、リッチさんはミゲルさんがいっぱしの召喚士だから何も言われないだろ?しかも一緒にいるから。俺は……どうなんだろうな」

 チコの助っ人という立場を取ってもビアヘロではある、か。他の人と比較できない部分が妙に多いんだよね、フジタカは。

 「最初の給料出るまで考えさせてくれないかな……?あ、ちなみに今日のリンゴはダリおっさんからもらったんだ」

 もう一つのリンゴはフジタカが手に持ったまま。……持ち帰るのかな。

 「……仕方ないね。リンゴに免じて今日は聞かなかった事にする。だけど」

 「見逃してもらったんだ、しっかり労働するよ。まずは事務所でこそこそな」

 私は聞かなかったから庇ってもあげられない。だけど知ってしまったから機を見計らってかな。試験日程が分かれば、その時期までは働けるとも言い易いだろうし。

 「人目はどこで光っているか分からぬぞ。特に犬ころはトロノにおいては知らぬ者はいないのだからな」

 フジタカなら外を出歩けばすぐに気付かれると思う。召喚士が多いトロノでも、狼の獣人が何人もいるかと言えば、他は知らない。貴重な竜人が二人も同じ町に居る方が世界的に見ても珍しいとは思うけど。

 「分かってるって、忠告ありがとさん」

 目立つ理由は顔だけでなく彼の持つ力も含まれる。分かっていても少し不安は残るかな。

 「慎めば人目はある程度流せる」

 レブもやっぱり気にはなっているみたい。

 「でも対策のしようがないんだが……変装か?」

 顔を布で覆って……って、とっても怪しいよ。

 「余計に目立つよ」

 「だよなぁ……。そんな気はしてた」

 フジタカの目撃情報をブラス所長が耳にする可能性はある。所長って所長室に籠ってる日も多いけど普段はどこか行ったりするのかな……。

 「何かあったら吠えるなりして助けも呼ぶよ。素直にさ」

 「……気を付けてね」

 今はフジタカを信じて応援してあげるくらいしかできなかった。

 その翌々日、トロノ支所の玄関から入って正面、二階に上がる手前の掲示板に遂に召喚士の試験日程が掲示された。それを私は人がいなくなった夜になってからレブと二人で見ている。

 「再来月……」

 「あっという間だな」

 レブに頷いて試験概要を眺める。筆記試験と実技試験に分かれており、召喚試験士は筆記試験のみを一日で行う。一方、浄戒召喚士は筆記と実技を各一日ずつ。召喚試験士の方が楽に見えるが、その分筆記の範囲が広く、難易度が跳ね上がる事は調査済みだ。

 「……技術士は無いね」

 貼り出された紙を読み返しても召喚技術士……ポルさんの様に異世界の文明を取り入れて私達の生活を豊かにする知識を学ぶ者達を今回は募集しないみたい。

 文字に慣れたいと言ってフジタカはダリオさん達の郵便配達へ行ったけど、どうせならポルさん達に専門的な知識を教えてもらうのも手だったかもね。

 「技術士になりたがる人はアスールの方に多いのよ」

 何人か通り過ぎる廊下で、ふと一人が階段の途中から私の背へ声を掛ける。

 「ソニアさん」

 「話は知ってるわ、だいたいね」

 振り返ると手すりに体を預けていたソニアさんがゆっくりと階段を降りてくる。隣に立つとい掲示板を眺めてから私へ目線を向けた。

 「技術士はアスールが多い……どうしてですか?」

 「どうして……か。向こうの方がこちらよりはビアヘロが少ない。そしてピエドゥラや海で採れる資源が豊富だから、かな。だからトロノよりは浄戒召喚士の資格ではなく、最初から技術士を目指す人が多いみたい」

 少し考えていたからソニアさんなりの解釈だ。だけど私も向こうの方がビアヘロは出現しにくいと知っていたから的外れではないと思う。

 「戦える者が少ない、とは違うのだろう」

 「そうですね。なり易さはやはり浄戒召喚士の方が上ですから」

 リッチさんもビアヘロと戦っていた時期があったと言っていた。技術はあるけどどちらかと言うとリッチさんの場合は手先が器用ってくらい。多分ミゲルさんはアスールの方でも少し特別だったのかも。

 「ソニアさんも試験を受けるんですか?」

 「そのつもりよ。ようやく、試験士になる機会がやってきたんだから」

 今のソニアさんは召喚試験士のなる前の段階、試験士補だ。それでティラドルさんという竜人まで召喚しているのだから士補の中で実力は最上位の筈。なのに……。

 「しばらく試験って無かったんですか……?」

 「そうね」

 私の疑問にソニアさんは短く答えた。

 「うちの所長ってね、結構気まぐれだからあんまり試験をしたがらないのよ。だからザナ達がトロノに来る前はしばらく無かった」

 「迷惑な話だ」

 レブの言う通り、試験ってある程度は定期的に機会があると思っていた。ましてやここは召喚士育成機関なんだから。それを気まぐれって言われると……。

 「やる気がとても強い人が召喚士を目指していると伝わって、やっとその重い腰を上げるのよね」

 じゃあ今回も……?だったらそのやる気が強い人って……。

 「まぁ、根競べして負けたってところでしょうね」

 私があまりにも契約者に拘っていたから見かねて、って事かな。だとしたら……。

 「ザナ。貴女が不合格なの許されないのよ」

 「……はい」

 ソニアさんが少しだけ屈んで私に目を合わせる。真剣な目をしていたソニアさんはすぐに張っていた気を解いて笑う。

 「でもザナが頑張って所長と話していたから他の召喚士達も自分の力を試せる。感謝してる人はそれなりにいると思うわ。だからそんなに力まないで」

 「あ……」

 肩に手を置かれると急に力が抜けた。気を引き締めなきゃ、と思っていたけどもう体に出てしまっていたらしい。

「私は召喚試験士になってみせる。……貴女は?」

 「……なります。浄戒召喚士に、なってみせます」

 こちらからの返事にソニアさんの手が肩から離れる。

 「良い返事じゃない。だったら分かっているでしょうね」

 「はい。再来月には一人前として恥じない召喚士になります」

 「楽しみにしているわ」

 ソニアさんはわざと私を笑ってから廊下の奥へと消えて行った。私は何も言わずにレブと二人で部屋へと戻ろうとして、足を止める。

 「寄り道してもいいかな」

 「あぁ」

 二人でソニアさんとは逆方向に廊下を進んである部屋の前で立ち止まる。静かな廊下にこんこん、と私が扉を叩く音が響いた。

 「……なんだ、お前か」

 顔を覗かせた部屋の使用者、チコは私を疲れた目でぼんやりと見ている。なんとなく目の下にクマが浮かび上がっていた。

 「チコ……具合悪いの?」

 「別に……」

 目を逸らして言うチコの声は明らかに低い。

 「……召喚士の試験日程が出たの、知ってる?」

 「知ってる」

 答えたチコがゆっくりと扉を開ける。

 「……入れよ」

 「うん……」

 促されるままに入ってから私は部屋の中に充満するインクの臭いが鼻についた。数歩進んで部屋の様子を知って愕然とする。

 「これ……」

 「必要なもんを丸写ししたみたいなもんだ。纏めるのは、これからだ」

 おびただしい数の紙が部屋中に散らばっていた。そこには一枚一枚に召喚陣や触媒に関する情報が記述されている。その紙は椅子にも積まれており、チコはそれをのろのろと退けると私に座る様に勧めた。

 「……チビは」

 「要らぬ」

 レブは紙がかろうしてない足の踏み場に陣取ると腕を組んでチコを見上げた。

 「……召喚試験、チコも受けるんだね」

 私が座った椅子の正面にあるベッドにチコも座る。毛布にも紙が何枚か下敷きになっていた。

 「それが知りたくて来たんだろ」

 「うん」

 チコが目を擦ると手に付着していたインクが顔を汚す。しかしそれに気付く事もないまま彼は大きな欠伸をした。

 「俺、怠けてたんだ。だから召喚士としてはきっと今は誰よりも劣ってる」

 「そんなの……」

 アマドルとレジェスの一件以降、このトロノ支所からはルビーと同じ様に召喚士を諦める者はいた。しかし、新しくトロノ支所に入ってきた者は誰もいない。強いて言うならウーゴさんがライさんを連れて現れたくらいだった。

 「だから追い付かないといけない。特待生として……自分を高めないといけない」

 特待生だから何をしなくてはならない、とは言われない。だが、何もしていなかったとは言えない。特待生であり続ける選択をしたチコがこれから通る事になる道は一から再開するよりもよほど大変だと思う。嘘を本当にするまでもがき続ける事になるのだから。

 「その結果がこれ?」

 私が一枚だけ紙を摘まみ上げるとチコは頷いた。

 「精霊も呼び出せない特待生なんていないからな」

 「この部屋に居るよ……」

 「あ……」

 精霊よりも力のある者、とレブを呼んでも精霊は召喚した事が無い。チコも気付いたのかとても短く声を洩らして目を逸らす。

 「……悪い」

 「私だって……どうにかしたいんだけどね」

 レブは何も言わないでこちらを見ている。時が経てばできるとレブにも言われていたが、まだその時でもないみたい。

 「それでチコ、何か呼び出せたの?」

 「まぁ……色々とな」

 チコの手の動きを追って指先の延長線上へ目線を上げる。そこに映ったのは不自然に黒ずんだ天井だった。

 「なにあれ……」

 「焦げたんだ、サラマンデルを呼んで」

 顔を戻すとチコが苦笑しながら答える。

 「まだルビーみたく上手く制御できなかったから、すぐに召喚陣破いたんだけどな」

 馴染みのある名前が出て来て、私は身を固くする。もしかして……。

 「チコ……ルビーの事なんだけど」

 「うん?」

 心当たりが無いらしく、チコは首を傾げた。だとしたら、やっぱり知らないんだ。

 「ルビーがトロノ支所から出て行ったの、知ってた?」

 「は……」

 手に持っていた紙を手から溢してチコは絶句した。

 「もう、しばらく前の事なんだけど……。やっぱり自分じゃビアヘロとは戦えないって」

 「………」

 チコ一人の責任ではない。だけど彼は拳を握ってぷるぷると震わせていた。

 「そろそろセルヴァに着いている頃だと思う」

 「そう、か……」

 手からふっと力を抜いてチコは自分の背中を壁に預けた。その目はどこを見ているのか、いまいち定まっていない様だった。

 「俺のつまんない見栄っ張りでルビーがいなくなってた。しかも俺は気付けなかったんだな。今日の今まで」

 チコは髪の毛を掻いて頭をぼさぼさにする。籠り切りだったのかな、若干髪が軋んでみえた。

 「……何か言ってたか?」

 頭から手を抜き、その手を見下ろしてチコが尋ねた。

 「タロスと戦って、またセルヴァの皆に会いたいと思ったんだって」

 「………」

 そう思わせたのは決してチコ一人のせいとは言えない。だけど、そう思わせずに済ませる方法は……あったのかもしれない。

 「そうか」

 そう、ただそれだけ。もしもはもう、起きない。

 「でも俺はもう……止まらない。絶対召喚士になって、アイツの鼻を明かす」

 アイツ、とはフジタカの事ではない。チコを笑ったあの男だ。

 「腐るだけではなかったか」

 落ち込みはしたものの、前に進もうとしているチコは吹っ切れて見えた。あとはその疲れた顔をどうするかが問題。

 「休憩もしたら?」

 「言っただろ。俺は……お前が勉強していた間も怠けてたんだ。休んでちゃ……追い付けないし、追い越せない」

 召喚士試験は誰かを蹴落として合格する様な試験ではない。しかしチコが合格基準に私を据えているのなら、受けて立つ。

 「だったら余計に休むのも大事だよ。明日が試験じゃない。自分に足りないのは本当に全部なのか確認してみたら?」

 少し突き放す言い方だったかな。でも、見詰め直す時間って大事だよ。

 「……そう、だな」

 チコは再び頭をバリバリと掻く。

 「少し体が痒いし臭い気がする。……片付けながら自分の弱点を確認して、ひと眠りしたらそいつから潰すかな」

 「うん。腹ごしらえもしときなよ」

 「あ……」

 お腹が空いていたら発揮できる力も十分ではなくなる。私の一言を聞いて急にチコは自分の机を見た。

 「………」

 紙を一枚退かすと、出てきたのはリンゴが丸ごと一個。どこかで見た気がして私は思い当たる事を口にした。

 「……最近、フジタカと話した?」

 彼の名前を出すとチコは肩を跳ねさせてからこちらを向いた。

 「ん……なんか、働いてるんだってな」

 本人と話したかは分からないけど把握はしているんだ。それだけでも私は安心できる。

 「これ、アイツがくれたんだよ。急に部屋開けて、ほらって言って」

 言ってリンゴを持ち上げて色んな角度から見回す。特に傷んでいる様には見えないがフジタカがリンゴを持ち歩いていたのってしばらく前だったと思う。

 「フジタカと受験するって思っていいのかな」

 「だとしたら?」

 「ううん」

 チコも気にしているんだ。フジタカと向き合う機会を増やさないといけないのと、頼るのは減らさないといけない事を。

 「……俺もアイツも、自分の立ち位置を確立しなけりゃならない。その為に組むんだ」

 リンゴを見詰めても食べようとはしない。……私達がいたら食べにくいかな。

 「戻るぞ」

 「うん」

 目を合わせるとすぐにレブが考えていた事を先に口に出してくれる。

 「じゃあチコ、頑張って」

 「……お前も、な」

 柄にもない事を言ってチコは照れたのか少し顔が赤かった。勉強し過ぎの知恵熱でなければいいんだけど。

 自室に戻ってようやく今日を振り返る。最後の魔力放出もレブに言われた通り、一度溜めてから放った時の威力とは全く別物と言っても良かった。勢いに圧倒されて尻餅をつく様では実用性は無い。自分が制御できる内でどれだけ強力なものにするか。それが今の私における魔法の課題だった。

 「ソニアさんもチコも、フジタカも頑張ってる」

 「私は普段と変わらない」

 ベッドに仰向けになっていた私にレブが声を掛ける。レブも頑張っていると言うのは違うが、見た目は少しずつ変わっている……気がした。

 「相変わらず私の魔法を受けてもピンピンしているもんね」

 自分に自信を持てない理由ってレブを相手にしているからじゃないかな。幾ら私が魔力を溜めたり放出し続けても、レブの反応が変わらないんだもん。

 もちろん何か変化があれば気付いて指摘や褒めてくれる。だけどしっかりとした実感が返ってこない。自分の捉え方次第だとは思う。

 「紫竜を相手にその程度の魔法で挑み続ける勇気、それは称賛されても良いと思うが」

 「悪かったね、その程度で……」

 冗談なのか本気なのか……後者なんだろうな。自分を変えるにはどうしたら良いんだろう。

 少し考えていた事がある。それは、レブ以外を相手にする事。私が何か的を用意してそれに対して攻撃を魔法で加える。実戦的でアリだと思ったけどすぐに計画は座礁した。

 レブ相手にならともかく、他に雷撃に耐性を持つ存在がなかった。そしていたとしても、私に用意できない。まして召喚なんてもっての外だった。

 ティラドルさんですら雷撃には耐性を持っていないと言われてしまった。強靭な生命力を持つ相手とは言え、一方的に痛めつける様な真似は絶対にできないし、訓練でも正面から対峙すれば私には為す術がない。瞬く間に蹴倒されてしまう。

 「拮抗した相手……あの小僧のゴーレムでも相手にするのが貴様には手頃か」

 「付き合ってくれるかだよね」

 頼めるとしたらチコなんだろうけど本人はあの調子で勉強に集中したいだろう。

 「……付き合う」

 「違うってば」

 レブからは離れられそうにない。

 「……待てよ?」

 寝る直前、私は明日の予定を思い返して良い事を思い付く。もう一人いるよ。ちょっとした土人形を操るのも得意な召喚士が。

 翌日、起きてすぐに私達は二人に個人的にも訓練をお願いし、快諾してもらえる。本当なら、自分でできないといけない部分で申し訳ない。

 「じゃあ……出すわよ」

 「お願いします!」

 召喚陣を地面に置いて眼鏡を指でそっとカルディナさんが持ち上げる。そう、訓練でカルディナさんは何度となくスライムやゴーレムを召喚していた。

 「ふんっ!」

 訓練場に着いて早速カルディナさんは召喚陣を輝かせる。そこから現れたのは私よりも少し背が高い細身のゴーレムだった。一歩足を踏み出すと小気味良く軽快に場内を跳ね回り始める。

 「……こんな感じかしら、ね」

 「ありがとうございます!」

 トーロやレブがこちらを見守る中、私は剣を一本携えてゴーレムに向かって構えた。相手も足を止め、体をこちらへ向ける。操作しているのはカルディナさんだ。

 今日はトーロがライさんと模擬戦をするので見学したいと予め言っていた。そこに昨晩の閃きを加える。レブに挑む前哨戦を今まで経験していないから成長を自分で認められないんだ。

 でも今回カルディナさんに用意してもらったゴーレムは私の腕力でも剣を頭に叩き付ければ核を潰せそう。油断はしない、あくまでも魔法の練習として戦うのであって物理攻撃は最終手段だ。

 「雷よ……って!」

 「隙だらけ」

 早速魔法を使おうと意識を集中しかけたところをゴーレムが前に跳んでくる。途端に慌てた私は剣を引いて走り出した。

 「き、来てる……!」

 「相手は敵。当たり前だ」

 トーロの指摘は分かっている。でも、追い回されながら魔法を使うって……!

 「……っ!雷よ!」

 「その子を捕まえて!」

 でもいきなり弱音なんて吐いていられない。立ち止まってもう一度声を張る。すぐにゴーレムはすかさず召喚士の命を受けて私に飛び掛かって来た。

 「……破砕してぇ!」

 でもそれが狙い!両腕を突き出し、岩肌に触れると同時に私は魔法を掌から放つ。相手にぶつかった瞬間、手を擦り剥きながら弾かれた。

 意志に応え魔法陣が足元で輝く。正しくは相手と接触する前に発動すべきだったけど結果的にはこれで良い。ゴーレムの中央を支える岩がバカン、と大きな炸裂音と共に砕け散った。

 「……よし!」

 手足と頭を支えていた岩の均衡が崩れてゴーレムは体を意地できない。赤く輝く頭の核だけが見えたところでもう一撃……!

 「雷よ!岩の守り人を砕け!」

 閃光が走り、核を飛び散らす音が遅れて聞こえた。目を庇っていた腕を退かすと、後ろから拍手が鳴り始める。

 「あ……」

 目の前でゴーレムは岩片と化して動かなくなっている。振り返ればカルディナさんがトーロと一緒になって私に拍手してくれていた。

 「おめでとう」

 「初めてにしてはやるな」

 「えへへ……」

 レブは腕を組んで私を見上げている。そんな彼を見てトーロが怪訝そうに眉をひそめる。

 「自分の召喚士へ贈る言葉は無いのか?」

 「………」

 トーロのから言われたのか、無視したのかレブは一歩私の方へ踏み出す。

 「一撃で破壊しようと欲張らなかったのは正解だ」

 「やればできそう、なんて油断はしないよ」

 魔力の乗せ方はレブに教わっても、それの強弱が実際にできているかは別。だから私はまずは小手調べに魔法を使った。

 出力としては本気の三割。仰け反らせて動きを封じるくらいを予想していたけど……実際は遥かに威力が強かった。消耗具合を確認しても下手に出し過ぎたわけではない。

 「だが、人間でありながら相手を自分よりも過小評価するな」

 「過小なんて……」

 そんなつもりはなかった。だからこそ二度に分けて攻撃したんだ。カルディナさんのゴーレムだからとか、召喚士への魔力の逆流を心配して手心を加えたりなんて事はしていない。あっさり済んだのも事実だけど、自分なりの精一杯をぶつけて挑んだんだから。

 「だったらその手はどの様に説明する」

 「手?」

 レブが指差したのは私の手だった。言われて見下ろしてから気付く。

 皮が剥け、滲む血の量は私が思っていた以上に多い。見下ろすとほとんど同時につう、と滴り落ちてしまった。怪我の様子を見てやっとひりひりと痛み出す。

 「これが実戦だったら貴様の肘は折れ、手が吹き飛んでいてもおかしくないぞ」

 「あ……」

 そうだ、本当に相手が問答無用で襲って来て私が今の様に対処したら負けていた。この程度で済んでいるのはカルディナさんの加減もあったから。

 「肉を切らせて骨を断つ様な真似を許容できる肉体か」

 「……ごめん」

 痛くて手を握り締められない。ニクス様の羽は持ってきているからしばらく巻いておこう。今回は良くても連戦になれば同じ手はもう使えない。

 「あの戦い方を実戦で使うのなら、触れる前に放て。全力でな」

 「触れなきゃ感電させられないよ」

 レブは首を横に振る。

 「その魔法は本来、音よりも早く相手を灼き射貫くモノだ。感電とは雷撃の副産物であり、その効果を主軸に組み立てるものではない」

 灼き射貫くという表現は見た事がある。そう、あれはテルセロさんの家周辺を飛び回るインペットをレブが葬った時。次々火だるまになったインペットが墜落していった。

 あの時私もインペットを一匹倒した。でも咄嗟に焼け、と命じたのに魔法はそこまで至らせなかった。これではレブの使った魔法と同じとは言えない。

 「分かってはいる……のかな」

 反射的に唱えたのは本質の焼く方、そして破壊する方だった。知ったかぶりにはしたくないからもっと学ぼう。

 「自分の力を恐れるな。私からはそれだけだ」

 レブが背中を向けて引き返す。カルディナさんとトーロはそんなレブを黙って見ていた。

 「カルディナさん、これから訓練なのにこんな事までお願いしてすみませんでした」

 「いいえ、私は構いません。魔力の鍛錬ではないから」

 ゴーレムを召喚した後でもカルディナさんは顔色一つ変えていない。持っている魔力の量が違い過ぎるんだ。

 「あとは私が……」

 「あの、ゴーレム二体に同時に風穴開けたりする相手に挑むつもりはありません」

 「つまらぬな」

 確かに今のレブを相手にするゴーレムと言えば、あの時のタロスや専属契約で限界を引き延ばしたゴーレムぐらい。カルディナさんも用意するだけ無駄と思っている。

 「やっと来たか」

 トーロが訓練場の向こうを見て木刀の柄を握る。レブには悪いがここからは見学だけにしてもらう。

 「お待たせした」

 「良い退屈しのぎをしていた。気にする事はない」

 やって来たライさんが遅れた事に頭を下げる。トーロは気にした様子を見せずに木刀を肩に乗せた。

 「とりあえず最初は様子見で?」

 「そうしましょう」

 後ろにいたウーゴさんとカルディナさんのやり取りも短く済んで二人のインヴィタドがそれぞれ距離を取る。

 「相手を降参させるか武器の破壊、もしくは奪取が勝利条件です。魔法の使用は不可とします」

 「それでは、はじめ!」

 カルディナさんの説明、そしてウーゴさんの号令でトーロとライさんがそれぞれ木刀を握って走り出した。

 「おぉぉぉぉ!」

 「おぁぁぁぁ!」

 両手で構えるライさんは普段から剣を扱う。その一方片手斧を複数本扱うトーロは片腕での戦いに慣れていた。両手で持った武器の構えにはライさんの方に分がある。

 「あぁぁぁぁぁぁ!」

 「ぐっ……!」

 しかし実際はトーロが補うだけの腕力でライさんを圧していた。気合いと共にその隆々たる筋肉を膨らませて鎧姿のライさんを捻じ伏せる。

 「がぁ!」

 木刀を振り抜きよろめいたライさんの肩をトーロが殴り付ける。そのまま仰向けにライさんは倒れたが木刀は手から離さない。

 「そこだぁぁ!」

 「まだだ!」

 トーロが木刀を振り上げた。しかしライさんは振り下ろされる前に足を払う。それを見越したトーロは跳んで躱したがライさんは目を光らせた。仕掛けてくるとすぐに分かる。

 「ふんっ!」

 「うあ……かはぁっ!」

 ライさんは腕で自分の体を支えてもう一本の足をトーロの腹に突き込んだ。軽装だったのが仇になってトーロは空中で無防備なまま蹴りの直撃を浴びる。いかに強靭な肉体でも唾を吐き散らし、腹を押さえてトーロはうずくまった。

 「ぐ……」

 「はぁぁ!」

 「トーロ!右に倒れなさい!」

 立場が逆転しライさんの木刀が迫る。そこに響いたのはカルディナさんの声であり、トーロの耳も跳ねて右へ転がるように倒れた。ギリギリのところで木刀は地面を抉るのみ。

 「ライ!後退だ!」

 「ちっ!」

 ウーゴさんの指示でライさんは後ろに跳ぶ。すぐにトーロの木刀が膝を掠める。それだけでもかなりの痛みだろうに、ライさんは顔色を変えずに構え直した。

 「トーロ、大丈夫なの?」

 「あぁ、腹にモロだが……ぺっ!まだまだだ!」

 トーロが赤みを帯びた唾を吐き捨て立ち上がる。カルディナさんは彼を心配しながらも目はライさんだけを見ている事に気付いた。

 「ライ、次は……」

 「任せておけ。こっちで済ませる」

 これが、召喚士がインヴィタドに指示を出すと言う事。そしてインヴィタドもそれをこなしている。

 スライムやゴーレムは命令をすると言うよりも自力で操作する感覚に近い……らしい。しかしトーロやライさんは自分自身の考えを持っており、私達の思った通りに動かない場合もある。

 だからこそ時に想像以上の働きを見せてくれる事もあり、私達を驚かせる。その誤差を少しでも埋める方法は一つ。自身のインヴィタドを知り、信頼関係を築く事だ。

 「……すごいっ」

 私にもチコにもできていなかった召喚士としての本領。自身が召喚した対象に指示を出して成果を上げる。まして互いの召喚士がぶつかり合っているのだからその光景は圧巻の一言だった。

 「まだ感心されるには早いだろう」

 「そうだぞ、ザナさん。俺も彼もまだまだ小手調べの段階だ」

 戦いながらトーロもライさんも私へ言葉を投げて寄越す。しかし互いに目線はかっちり合わせたまま。きっと逸らした時点で先手を取られるからだ。

 「ふ、小手調べしている内に足元を掬われるなよ」

 「安心してくれ、その前に叩けば話は済む」

 「言ったな!」

 先に飛び込んだのはトーロの方だった。ライさんは木刀を下段に構えて迎え撃つ。

 「トーロ!外さないで!」

 「分かって……いるぅぅぅ!」

 大上段から振り下ろされる木刀の速さは人間ではとても太刀打ちできない。しかしライさんは一瞬、絶好の間で溜めた木刀を振り抜く。

 「なにっ……!」

 木刀がぶつかる音の大きさに耳が痛む。トーロの渾身の一撃をライさんが互角の力で弾いた。

 「単純な力勝負では分が悪いかもな」

 互いに一歩離れてライさんは自分の手をぶらぶらと揺らした。痺れているらしいがトーロは畳み掛けない。

 「トーロ!今!」

 「……すまん」

 木刀を握ったままだがトーロは拳をぷるぷると震わせていた。ライさんと同じなんだ。すぐに挑もうにも、今飛び込んで木刀を狙われれば手から落として負けになる。蹴りや肉弾戦に持ち込もうにも武器は必携する決まりだ。

 「……ライ!」

 魔法は使用禁止。ならばどちらに勝つ気があって早く立ち直るか。ウーゴさんが名前を呼ぶだけで先に動いたのは、ライさんだった。

 「く、おぉぉぉぉ!」

 「な……!」

 ライさんが木刀を庇う様に肩からトーロに体当たり。後ろに吹き飛んだところにライさんは木刀を上へと振りかぶる。

 「防いで、トーロ!」

 「ライ、ここは一旦……!」

 「おぉぉぉぉぉお!」

 二人の召喚士が叫び、ライさんはトーロが防御姿勢で構えた木刀に自身の一撃を叩き込む。

 「……ふん」

 メキィ、と信じられない音が聞こえると同時にレブが跳び上がって腕を横に払った。その手には不自然な木の塊が握られ、あっさりポイと捨てられる。

 「あ……」

 振り抜いたライさんの木刀は切っ先部分がへし折られ消えていた。それをレブが恐らく持っていた……と言う事は。

 トーロの木刀は健在らしい。ライさんが放った攻撃で木刀が耐え切れずに折れた……ならばこの勝負は。

 「……そこまで!」

 「……お前の負けだよ、ライ」

 カルディナさんが止め、ウーゴさんがたしなめる。その先には息を荒げた雄獣人が二人。

 「はぁ……はぁ……」

 「………くっ!」

 ライさんが木刀を横に放り座り込む。トーロも堪らずにその場に屈んで肩で息をしていた。緊張の糸がすっかり切れてしまったらしい。カルディナさんとウーゴさんもすぐに二人に駆け寄った。

 「大丈夫、二人とも……」

 「怪我はほとんどない」

 怪我をしているとしたらトーロの方だろうけどそれは平気そう。ライさんも頷くだけだった。

 「ライ、あそこで加減せずに無理をしたらどうなるか分からなかったか?」

 「……すまない。俺とした事が」

 そう、勝負を決したのはライさんがウーゴさんの指示を最後まで聞かないで突っ走った事にある様に見えた。無理を推してでも仕掛けた結果がライさんの木刀だった。

 「それに、ライの全力でトーロさんの木刀が折れていたら……脳天に直撃だった」

 「考えると恐ろしいな……」

 トーロが頭を押さえて唸る。その後に広がる光景は想像もしたくないよ。

 「ある程度本気で戦わねば実戦で活かせないだろう」

 「それはそうだが、ライの場合はある程度の域を出ていた」

 「だからその木刀も折れたのではないか」

 ウーゴさんにレブも同意して続く。ライさんは牙を口の端から見せて木刀の破片を拾い上げた。

 「もうしばらく訓練を続けていたかったけど、これでは難しいわね……」

 カルディナさんも既に先程まで見せていた凛とした気を放つのを止めてしまっていた。ライさんは振り返ったが誰も顔を合わせない。

 「気にするな。実戦なら俺が負けていた」

 「………しかし、これでは」

 トーロがライさんの肩に手を乗せる。まだ納得できていないライさんの方へ一歩だけレブが寄った。

 「だったら訓練の内容を変更する」

 レブの宣言にカルディナさんとウーゴさんも足を止めた。私は冷や汗を浮かべてレブに詰め寄った。

 「勝手な事言わないでよ……!」

 「汗を流し足りない若者達に協力してやると言っている。もっとこの鍛錬を有意義にしたいのではないのか」

 だから、それを私やレブが勝手に決めちゃダメなんだってば……!

 「……何をどうすると言うのか?」

 ライさんは立ち上がってレブの前へと移動する。……やっぱりウーゴさんとカルディナさんは蚊帳の外にされていた。

 「私に向かって魔法を放て。竜人に傷一つでも負わせられれば、魔法使いに転職という手もあろう」

 顎の下に手を当てライさんが唸る。そこでやっと私達召喚士の方を向いた。

 「ウーゴ」

 「……ライの好きにすれば良い。だが、今度は」

 「あぁ、節度を持って、だな」

 頷いてライさんが握った自分の拳と拳とを打ち合わせる。

 「牛はどうする」

 「竜に挑む機会……。確かに、今までは無かったな」

 「トーロまでその気になって……」

 カルディナさんは肩を落としたけどトーロは既にやる気満々だった。

 「そして今度は貴様もだ」

 「……私?」

 レブは頷くと腕を組んで背中を向けながら離れていく。

 「そこから私に魔法を避ける指示を出せ。それが貴様向けの訓練だ」

 「……分かった!」

 急に言われても、悩まない。一緒になってレブを攻撃するよりも良い。

 「存分に撃ち込め。この私が立てなくなるくらいにな……!」

 手足と翼を広げて明らかな戦闘態勢をレブが見せる。その姿は私よりも背が低い筈なのに威圧感が逃げたくなるくらいに伝わってきた。あれが私の味方なんだ。

 「……遠慮はいらないな?」

 「私だって、レブに避ける様に指示を出す。全力でやってみて」

 トーロからの確認に私が承認する。大船に乗ったつもりとか、胸を借りるには狭いかもしれないけど……見た目は問題ではない。

 「大地よ!」

 「炎よ!」

 トーロとライさんの周りで魔力が高まっていくのが分かる。だけどレブに動く気配は無い。

 「………」

 「まさか……」

 本当に私が指示を出さないと動かない気なんだ。きっと実戦ではこんな機会はやってこない。だけど今の私にとってもこれは試練。自分に課せられた役割はこなさないと。でなければ……。

 「弾けろ!」

 「噴き出せ!」

 でなければ傷付くのはレブだ。トーロ達の大声には声量が負ける。

 「飛び上がって!レブ!」

 だけど彼の耳に私の声は届いている。だから安心して任せられた。

 「はぁ!」

 レブが翼を羽ばたかせて直上へ昇っていく。一拍も間を置かずにレブのいた足元が弾け、同時に高熱で熱され赤く輝いた岩が幾つも爆散した。

 「レブ、旋回してそれを……」

 「………」

 休んではいられない。すぐに次の指示を……。そう思っても叫んでもレブは何も反応せずに自分から燃える礫を浴びてしまう。

 「レブ!」

 「カルディナ!畳み掛ける!」

 私の横でトーロが足を踏み鳴らして全身の筋肉を膨らませた。

 「やりなさいトーロ!」

 「おぉぉぉ!」

 カルディナさんが胸を押さえる横でウーゴさんもライさんを見る。

 「ライ!まずは……」

 「落とせば良いのだろう!」

 息の合った掛け合いでライさんは手をレブへと向ける。

 「絡み落とせ……!」

 礫を浴びせられて体勢を崩したレブの周りが発火した。あっという間にレブは火だるまにされてあっさり落ちていく。

 「違う……。レブ!着地して!」

 あれは……傷を負わされて落ちたのではない。

 「………」

 「潰せぇぇぇぇ!」

 訓練の域を超えているのならば、今の状況も大概だ。トーロはレブが炎を消して着地した直後に魔法陣を展開して叫び、腕を売り下ろす。カルディナさんですら胸を押さえて前屈みになっていた。

 現れたのは私達に影を落とす程の巨大な岩石。それが突如宙空に出てきてレブをその周辺ごと狙う。

 「レブ!打ち砕いて!……魔法は……使わない!」

 「はぁぁぁぁ!」

 その場に踏み込んでレブが一喝と共に拳を振り上げる。岩はそのままレブの姿を包み込む様にして押し潰した。

 「……やり過ぎたか?」

 「いいえ」

 見た目はとても派手で、この位置からではあたかもレブが圧殺された様にすら見える。土煙が風に流されるのを見ながら私は首を横に振った。ライさんはさっきの注意もあったせいかそれ以上の追撃はしない。

 「ぐ……!」

 今度はトーロが胸を押さえた。恐らく自分の起こした魔法に何らかの意図しなかった事象が起きているから。

 その時、私達の見ていた光景に変化が生じる。バキ、と音が聞こえるとトーロが魔法で出した岩から急に亀裂が走る。その溝はどんどんと蛇が地を這う様にジグザグを描きながら広がり、終いには私達の身長よりも高い岩の頂まで上っていた。

 「ふん、ぬぅ!」

 岩が真っ二つに割れて、中からレブが蹴り開けながら飛び出した。

 「これだけやっても……」

 レブは無傷だった。手足を引き摺る様子も見せずに悠然と岩の上で腕を組み、私達を見下ろしている。

 「今ので全力か」

 手足の短さはその分速度で補い詰めている。物理的に剣や斧で戦ったところで半端な鉄ではレブの肉へは届かないから、射程の差は利点になっている様で意味を成さない。

 魔法でも同じだ。遠距離の相手を狙っても、その防護を貫くだけの威力を発揮できなければ隙が生まれるだけ。私が普段レブに感じている力の差をトーロやライさんも体で感じたらしい。未だに殺気を放つレブに次の攻撃を組み立てられていなかった。

 それに、トーロやライさんだけではない。私にもレブに対して問題があった。

 「ごめん、レブ!」

 「私よりも自分や周りを見ろ」

 レブに空中で旋回し、岩を弾き飛ばせようとした。しかしそれをレブは聞いてくれずに自ら浴びてしまう。

 私が浅はかだった。その命令を聞かせたら、きっと炎の礫が今度は私達召喚士に降りかかる。それをレブは自分の判断で防いでくれた。

 相手がレブだからこそできたことで、フジタカやトーロでは自分の身を盾にする戦法には限界がある。レブという相棒の力を私がどれだけ把握して、発揮させられるかがきっと試験では問われる。過信と頼るは別の話だ。私がレブに力を発揮させるにはもっと的確に、もっと素早く指示を出さないと。

 「さぁ、続きだ!よもや私に仕掛けて、この程度で帰れるとは思うまいな……!」

 不敵に笑う竜人を見上げる獣人二人が身構える。私も、彼らと召喚士二人がどの様な戦略を持って彼に挑むのか学ぶ。そして、それを上回るにはどうすれば良いかをレブと見付けていく。彼が今持っている力を活かす為に。


 そして試験の日がやって来る。ここまでは、何も起きないままに。

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