並び立つ者
第六部 一章 ーその名はニエブライリス!ー
アイツが言っている事を信じられなかった。そんなの当然だ、いきなり幽霊みたいに現れて親父が待っている……って。
ベルトランと同じ顔をしているだけでもこっちは有り得ないと思ってたのに、親父が待ってるから一緒にフエンテに行こう?俺はフエンテの連中に召喚されただ?何勝手に話をしてんだよ……!
この話だって衝撃的だったさ。でも、そんなのどうでもいいって思えるくらいの事が次の瞬間に訪れた。
「さっ触るんじゃねぇよ!この、ビアヘロがぁ!」
「あ……」
召喚陣が破かれたのは俺としてもびびった。でもその次だ。怪我をしたチコに近寄ったら怒鳴られ、腕を弾かれた。そんでもって、すごい顔で威嚇されて叫ばれた。俺は剣はもちろん、爪も牙も見せてなかった。チコが叫んだ理由は多分……俺がビアヘロ、だから。……ただそれだけなんだ。
ただそれだけなんて考えるんだから、きっと俺は危機感が足りてない。俺だって色んなビアヘロと戦ってるのにな。
この世界の人ってのはビアヘロは例外なく危険な存在なんだ。心を任せていられるのは自分達で呼び出したインヴィタドに対してだけ。俺はそこに胡坐を掻いて今日まで過ごしてたんだな。
……本当は俺だって、ビアヘロだったのに。召喚陣をベルナルドに裂かれてどうしても実感しちまう。
俺はチコと繋がっていなかった。拾い上げた二枚になった召喚陣が風に揺れる。まだ魔法で吹いた風が止まないのかもしれない。俺が一番に剣を抜いたのに、何もできなかった。
チコの事を笑ったアイツが許せなかった。チコを傷付けたアイツが許せなかった!……だけどチコは、もう俺を見てくれない。お前を笑ったあのにやけ面を殴り飛ばせなかったビアヘロとは会ってくれないだろう。
そりゃあ……ムカつく事もあったよ。歳も変わらないやつに偉そうに命令されて、時には死ぬと思った場面も一度や二度じゃない。だけどそれを一緒になって潜り抜けてきた日々は嘘じゃないと思ったんだ。
「この、ビアヘロがぁ!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「あっはははは!見た、今の!あはははははは!」
チコの怒鳴り声と悲鳴が耳から消えない。ベルナルドの笑い声もだ。耳を押さえても頭の中をずっとリピート再生して大音量で響かせる。召喚陣の紙を耳に詰めてもきっと聞こえなくはなってくれない。
「……っ」
「……フジタカ」
頭痛がして、叫びたくなる。きっとそんな事をしても解消されないのに。
背後から、俺の名前を呼ばれた。振り返ると、ザナが立っていた。その後ろにはデブ……そして、ライさんとウーゴさん。……さっきの炎って、ライさんがやったんだな。
「……俺」
「帰ろう、フジタカ!」
ザナが真っ直ぐ見上げて一歩詰め寄る。すぐに手を掴まれて俺は咄嗟に払い除けてしまった。
「うぁっ!」
「あっ……」
爪は当たらなかった。だけど勢いが良くて俺はそのまま一歩下がる。
「あ、す、すまん……」
「……ううん。いいから」
ザナが俺の指を再び掴む。今度は少し引っ張っても外れない。
「帰るよ?」
「……どこにだよ」
「決まっているだろう」
デブが街道を引き返し始める。
「そうだよ。私達が帰る場所は、トロノ支所しかないでしょ?」
「でも……うぁ!」
俺が渋ろうとした時にはザナが強引に指を引っ張って歩き出した。
「他に行くところだってないじゃん。細かい話は……後にしようよ」
「……分かった」
ザナは日中と態度は変わらない。デブも、他の二人も前と同じ。それどころか今の俺を見て積極的に声を掛けてくれている。なのに、俺の方があんまり頭に入ってきてないんだ。
……そうだ、俺は
トロノの夜道は私達に何があったかなんて知る由もなかった。でも、何人かは街道で炎を見た人もいたみたい。それに……。
「寄る所は……」
「特に無い。トロノに来るのは初めてだからそのうち案内してほしい」
「はいっ」
私が後ろに立っていた二人に尋ねるとライさんの方が答えてくれた。町に入るとその姿がよく見える。鬣は伸びているけど間違いなくカンポで会ったライさんだった。喋り方は変わらないけど、少し声が低くなった気がする。ウーゴさんは少し痩せたかも。
真っ直ぐにトロノ支所へ戻ると私は早速床に赤い染みを見付ける。乾いていないそれは寮の方へと続いていた。
「これ……チコの……」
「医務室に行ってないんだ」
廊下の逆方向には全く血痕は落ちていなかった。部屋で自分で止血してから医務室に行ったか、もしくは何もしていないか。チコを追い掛け始めたのだって時間にして大きく差は無いから多分……何もしていない。
「先にチコを……」
「………」
ずっと掴んだままのフジタカの指が私の手から離れた。そのままライさんとウーゴさんの後ろにまでフジタカは下がってしまう。
「あ、あの……俺、やっぱり……」
「フジタカ……」
彼の姿を見ていなかった。こんな風に耳を畳んで口を震わせたままにしていたなんて。
「あ、と……あの所長に報告しに行くんだよな?その、俺はなんつーか……」
「私は犬ころを連れて部屋に戻っている。必要であれば、呼べ」
今度はレブがフジタカの手首を掴む。
「お、おいお前……!」
「来い」
有無を言わさずにレブはフジタカを連れて女子寮の方へ向かって行ってしまう。……フジタカとチコの事を考えてくれていたのかな。
「………」
「あの、この後は……?」
「あ!す、すみません!チコの部屋に行きます。怪我をしたままかもしれないので」
フジタカはレブに任せて私はウーゴさん達と先にチコの部屋へ向かった。本当に分かりやすく彼の部屋まで血痕は一滴一滴と続いている。他の召喚士達も気付いて心配している様だった。
「チコ!チコ!いるんでしょ!」
部屋の扉をチコへの呼び掛けと共に叩く。扉が開くと私は突然何かに顔を覆われた。
「うっぷ……!」
「うるっせぇってんだ!俺に構うなぁ!」
何が起きたかと腕を振るってなんとか視界を確保する。どうやら開けると同時に私の顔に毛布を押し付けたみたいだった。毛布を退かすと扉は閉められ、鍵も掛けられてしまう。
「ねぇチコ!さっきの怪我……!」
「こんなん大した事ねぇんだ!唾つけときゃ治るんだ!」
扉の向こうから聞こえる怒鳴り声に私も一歩下がる。口ではそう言うけど、とてもじゃないがトロノ支所の部屋の前まで血が止まらない様な怪我ならその程度では治せない。
「いざとなれば俺が治癒の妖精でも召喚して治させればいい!お前には関係ねぇ!」
「関係ないって……!」
「ザナさん」
私がもう一度部屋の扉を叩こうと拳を振り上げたらライさんに止められた。周りを見ると、騒ぎを聞き付けた召喚士達も何人かこちらを見ている。
「……本当に大丈夫なの?」
「くどいんだよ」
少し掠れたその一言を最後に、チコは返事をくれなくなった。私は一度毛布を持ったまま自室に戻る。
「置いたらすぐに所長のところにご案内しますので」
「分かりました」
ウーゴさん達に待っていてもらいながら部屋に入ると、レブとフジタカが先に戻っていた。その姿に私は言葉を失う。
「……戻ったか」
「………」
私が戻ったからだろう、レブはこちらを向いた。フジタカは膝を抱えて俯いて座っている。
捨てられた犬の様、なんてよく聞く比喩だが今のフジタカは文字通り、それを体現していた。耳を伏せ、私に気付いて見上げる潤んだ瞳に震える鼻。ずっと雨に打たれていたのではないかと思う程に寒そうに見えた。冷えているのは身体ではなく、きっともっと別の部分なのに。
「これから、ウーゴさん達とブラス所長に会ってくる。フジタカ、床に座ってないで椅子かベッドに……」
「………」
フジタカは何度も首を横に振った。そこを定位置に動きたくないんだ。
「……お尻、痛くなるよ」
せめて敷物に、とさっき押し付けられた毛布をフジタカに渡してやる。すると彼は顔を上げて数度鼻をひくつかせてから受け取った。
「これ、どっから……」
「さっきチコが怒鳴りながら私に被せたの」
「……俺の使ってた毛布だ」
フジタカが毛布で自分を包み込む。器用に包まったからか、鼻先と手以外はほとんどがすっぽりと隠れてしまった。
「今度こそチコに捨てられちまったんだな……」
口だけ動かしてもフジタカの表情は見えない。しかしチコの血が微かに付着した部分をぎゅっと握り締める手は震えていた。
そんな事はない。チコはフジタカが私達と戻って来たと知っているから私にその毛布を預けたんだ。
「………」
とても、そんな風には思えない。好意的に解釈したくてもフジタカの耳に届かないと意味が無いんだ。
「私、ウーゴさん達と所長に会ってくる」
「……私は留まる。相手の説明はできるな」
「うん」
風を操るベルナルドと、レブの拳を受け止めるだけの力を持った甲殻虫人。ほとんどその力は見れなかったけど、だからこそレブを連れていかずに済む。今はフジタカの傍に誰かいてくれないと。
「じゃあフジタカ、そこにいてね」
「………」
お腹が空いた、でも良いから何か言ってくれないかと思ったけど彼は黙ったまま。気にはなったけど私達はまだ灯りの点いていた所長室へ移動した。
「やぁやぁ、遠路はるばるご苦労様です。ウーゴさんとそのインヴィタド……ライネリオさん、でしたか」
「………」
いつもならライで構わない、と言ってくれるライさんは所長を前に黙っていた。
「こちらこそ、お声掛け頂けた事に感謝します」
ウーゴさんが仕事机の前に立った所長へ頭を下げる。口振りからして、ブラス所長が二人をトロノ支所に呼んだんだ。
「まさかザナ君が連れてくるなんて思わなかったよ」
「あ、あの!」
所長がやっと私を向いたのですかさず私は前に出た。
「どうしたの?」
「……フエンテが再び現れました」
「………」
ブラス所長が来客用の椅子へと移動する。
「聞かせてもらえるかな」
座る様に手で促された私はウーゴさんとライさんと一緒に長椅子へ腰掛ける。この場に他に誰もいなくて助かった。
私が話を組み立てるしかない。だから私は聞いてもらった。トロノの町中でベルナルドに移動させられた事、そこでフエンテへ加わる様に勧誘された事。交渉は決裂し、チコが怪我をした。そこでチコが退避してフジタカが激昂、戦闘になった所でライさんが魔法で援護してくれる。新しいインヴィタドらしき姿もあったがそこでベルナルドはまた来るとだけ言って消えてしまった。私達はチコの怪我を優先しトロノへ戻ってきたと所長へ淡々と報告する。
「……以上です」
「………」
その場にいた一同で黙ってしまう。私は内心冷や冷やしていた。
……私達の会話をウーゴさんとライさんはどこまで聞こえていたか。二人が現れた時にはフジタカがベルナルドに飛び掛かっている。フジタカがビアヘロでチコと繋がりがない部分を私は端折って報告したんだ。
「……君達がフエンテに、か。確かに君達は何度もフエンテと争い勝ってきたからね」
眉間に皺を寄せて所長が俯いたまま言った。ライさん達は補足で何も言わない。
「でも私達ははっきりと拒絶しました」
「正直に言ってくれてるんだ、信じるよ。ただし、また来ると言ったんでしょ?」
側頭部の髪を指で梳きながら私の顔を見る所長にはまだ困った様にだが笑みがあった。
「そうですが……」
「どうしたもんかなぁ……」
頭を掻いて唸る所長を前に手を合わせて鳴らしたのは、ライさんだった。
「こういうのはどうでしょうか」
「うん?」
「ザナさん達を俺達と同じ様に組み込むのです」
組み込むという言葉に私が首を傾げ、所長は口を曲げた。ウーゴさんの表情は少し明るくなっている。
「うん、それなら……」
「……はぁ……」
ウーゴさんはライさんに賛成しようとしたのかもしれない。だけどそれを上書きする様に所長は溜め息を吐き出す。
「どうされたんですか?」
「間が悪いなぁ……。ザナ君が居る前で言っちゃうんだもん」
顔を上げた所長が事態を呑み込めていない私の方を向く。私の前だと不都合……って?
「契約者もフエンテに狙われている。そして彼女達もフエンテの標的に含まれた。だとすれば……」
「あ」
そうか、分かった。だったら……。私が口を開けたところで所長は手を軽く上げた。
「……そうだよ」
所長は手を下げると、ウーゴさんとライさんに向ける。
「この二人は契約者ニクス様の警護を強化すべく、フェルト支所から出向してきた補充人員だ」
やっぱり、予想した通りだ。この二人なら腕も確かだし、契約者との同行経験は他の召喚士とは比べ物にならない。所長が思ってるよりも心配ないと言っていたのは……きっとあの時点でウーゴさん達に打診していたんだ。この二人に対してなら私達は相応しくないと言われても無理はない。
「契約者の儀式にはこちらも縁が深いから呼ばれました。……若干、持て余していた部分がありましたので」
「………」
ココを失ってからの二人……どうしていたのだろう。ライさんも黙ったままで、どうして引き受ける気になったのかな。気にしても今は話題にしていられない。この機会を活かさないと。
「契約者直々に指名したカルディナ君と、こちらとニクス様の合意で出向してもらったウーゴ君。この二人の召喚士が……」
「更に、私とチコに声を掛けた。……そうですよね?」
所長に割り込んで私はウーゴさんの顔を覗き込む。
「え?えぇ……先程のフエンテの話を踏まえて、そうするのが妥当……」
勝手に話を繋げて所長は咳払いをしてウーゴさんの目線を自分へと戻させた。
「だと思ったのですが……」
「契約者を再び危険に晒す事になりますよ」
「あ……」
所長が声を低くして言うとウーゴさんは声を詰まらせた。
「危険の一極化。それに巻き込まれるのが分かっていて、飛び込ませるなんて真似は所長として看過できない」
契約者を狙うフエンテは倒した。その次に現れたのは私達を勧誘するフエンテ。契約者への脅威を取り除いたのに私達が一緒にいる事でまたニクス様の身を危うくしてしまう。言っている事は分かるけど……。
「この話はおしまいだよ。先へ進むなら、権限を持った立派な召喚士になってから出直してもらおうかな」
「く……」
所長はそれ以上は話を聞いてくれなかった。この場に私の意見を推してくれる人が他にいれば変わったかもしれないのに……。
無い物をねだっても仕方が無かった。私はブラス所長に合鍵をもらってウーゴさんとライさんが使う寮の部屋へと案内する。その道中、チコの部屋の前も通ったけど誰も何も言わなかった。
「この部屋です。お風呂はさっきの角を曲がって直進してください」
「ありがとう、なんとか覚えました」
ウーゴさんに鍵を手渡すとすぐに扉を開錠した。ライさんも荷物を担ぎ直す。
「こちらこそ、今日はありがとうございました。おかげで……助かりました」
「早く戻ってあげるといい」
ライさんが私を見下ろして言った。
「俺も、君達が一緒に来てくれた方が良いと思っている」
「……はい、ありがとうございます!」
やっぱりライさんの優しさは前と変わっていない。今もフジタカを心配してくれているみたいだし。でも、だからこそ忘れないで確認しておかないと。
「あの、ライさん……」
「うん?」
「……私達とあの……ベルナルドの話は聞こえていましたか?」
名前を出すのもライさんには刺激があるかなと思った。ライさんは顎を揉んでからゆっくりと頷いてくれる。
「……あぁ、聞こえていた」
「あの……!」
「分かっている」
口止めをする前にライさんは片手を上げて私をなだめた。
「あの、話とは……?」
「……こういう事、だな」
私は頷いた。ウーゴさんは知らないらしい。知らない人は今は少ない方が良い。ライさんも一度目を伏せるとこちらから目線を外す。
「ザナさんが勧誘されていた時の内容だ」
「君達もフエンテに、か。まさかそんな話をされるとはね」
「止せ。フジタカ君も召喚士を傷付けられて気が動転しているんだ。見張りは任せて休め」
部屋へウーゴさんを押し込みながら最後にライさんは私に目配せをした。召喚士を傷付けられて……嘘ではない、さっきの所長への報告と同じ様に。少し心は痛むけど……。
「おやすみなさい」
最後に挨拶だけして私は食堂へ寄って自室へと戻った。
「……はいフジタカ、パン持ってきたよ。焼きたてじゃないけど」
「………」
自分の部屋に戻ると、出る前と寸分変わらない状態で保存されていた。まるで扉を閉じたのが数秒前かの様にレブとフジタカもその場から動いていない。
私がフジタカにパンを差し出すと彼は鼻先を揺らすだけで断った。……起きていたんだ、やっぱり。
「レブも」
「うむ」
持ってきのは大きく丸を描いた三つのパン。一つをレブに差し出すと、真っ二つに裂いて一つずつ口に押し入れ、呑み込んだ。
「……果物だけじゃ足りないでしょ?置いとくよ」
皿を用意してそこにパンを乗せ、フジタカの前へと置いておく。その間フジタカは一切動かなかった。
「………」
私もしばし黙って遅めの夕食を摂り始めた。千切ったパンを口に運んでからスープか水も用意した方が良かったと気付く。
でも、もうフジタカから離れちゃいけない。所長への報告で既に散々待たせてしまったのだから。レブには何も話していなかったんだろうな。
私が食べ終わってもフジタカはパンに手を伸ばさない。頭の整理にもなるし、と報告書を書いてみても動こうとしなかった。
「そろそろ休め」
「でも……」
報告書を書き終えても机に向かったままだった私の背中へレブが声を掛ける。この状況で休めなんて言われても……。
「何かあれば起こす」
「……分かった。見張り、よろしくね」
「任された」
レブが頷いてくれたのを見て私は灯りを落とす。窓から入る星明りを頼りにフジタカの横を抜けてベッドに倒れた。
フジタカがいるからとか、フエンテがまたすぐに襲ってくるかもしれない。そんな事も考えていたせいで眠れない……なんて事はなかった。自分でも呆れるくらいにあっさりと眠りに落ちて私は翌朝を迎えてしまう。
「う……」
「起きたな」
目を開けると、レブの声と共に目に入ったのは横たわるフジタカの姿。彼を見てすぐに飛び起きる。
「ふっ、フジタカ!大丈夫!?」
「おい、貴様……」
寝る前は座ったままだったフジタカが倒れている!もしかして窓から何か魔法で……。
「う……?」
起き抜けの頭を巡らせているとフジタカの目が開いてこちらを捉えた。数度瞬きをすると耳がピン、と張る。
「あれ……」
「途中から横になって寝ていただけだ」
「え……」
じゃあ具合が悪くて倒れたんじゃなくて、ただ寝てた……?
「あー……おはよう」
「おはよう……」
そしてフジタカも暢気に挨拶をしてくるものだから、私も返してしまう。洗顔だけ済ませて部屋に戻るとフジタカはパンをかじっていた。
「まったく慌てん坊だな、ザナは。尻が痛くなるよ、って言ったのは自分だったろうに」
「だからって……心配したんだよ」
目の前で毛布から手だけ出して倒れてたんだから、こっちは何事かと思うに決まっている。
「すまないって。とりあえず寝たら……少しは落ち着いたからさ」
「うん……」
フジタカが負った心の傷は本来ならもっと時間を掛けて癒さないといけない。本人が一夜明けて平気そうな顔をしているのは私達の前だからだと思う。それでも目を離せない危うさが滲み出ていた。
「起きたら腹が減ってて、パンを食ったらもっと落ち着いた。……そういう事なんだよな」
毛布を床に敷いて座り、フジタカは自分の手を見下ろす。
「俺、ビアヘロ……なんだな、やっぱり。誰とも繋がっていない」
声が震えていた。
「ビアヘロってこの世界に馴染む為に魔力の塊を摂取する。……さっきのパンみたいに、食事を続けてるだけで俺はこの世界に溶け込んだのかな」
「これだけの時間を過ごして何も変化が生じないのなら、とうに馴染んでいるのだろう」
客観的にレブが答える。そこでフジタカはがっくりと肩を落とした。
「って事は、俺が元の世界に帰る方法は無いって事だよな」
「まだ諦めてなかったの?」
「そりゃあな」
目的を果たしたら戻るつもりはあったんだ。でもフジタカの言う通り、召喚陣ではない方法でオリソンティ・エラに来たビアヘロでは帰り道は用意されていない。フジタカがどうしても元の世界に帰りたいのなら、彼の世界にいる召喚士に呼び出されるしかないだろう。……魔法の無い世界、って聞いてたからそれも難しそうだけど。
「昨日まで誰も気付かなかった。俺がビアヘロだって」
「うん、私も……レブでさえも」
ビアヘロとインヴィタドを区別する方法は無い。見た目が私みたいな人間やエルフでなければ異世界の住人、という考え方があるだけ。強いて言うなら、召喚士の横にいる異形がインヴィタド、相対しているのがビアヘロといったところか。
だとしたらフジタカはインヴィタド……だった。しかし実際には彼は召喚陣を介していないビアヘロの獣人。それが今日まで私達の隣にずっと居て、共に話して笑って、時に戦った。知らずに過ごしていた、では済まされない。
「あのね、一応……所長には話してないんだ。知っているのはこの三人とチコ、あとはライさんだけ」
「……やっぱり、聞かれてたか」
助けの入り方が偶然と言うには出来過ぎだった。聞こえていたからこそ魔法を編んで、機を見計らって放てたんだ。
「ライさん、ブラス所長の前でもそうだったし、召喚士のウーゴさんにも話さず黙っていてくれるつもりみたい。だからそこは安心して」
フジタカはライさんともカンポでよく話をしていた。剣術の訓練だってしてもらってたんだから仲も良い。フジタカも同意して頷いてくれた。
「ライさんは男の秘密は守ってくれるからな。多分事情も聞いてただろうし大丈夫だろ」
男の秘密ってどういう秘密かな……。私は女だから深く聞いちゃいけないとかもあるのかな。
「問題があるとすればあの小僧だろうな」
レブが鼻息を洩らして部屋の扉を見る。向こうには誰もいないと思うけど、私も気になっていた。
「………チコ」
フジタカも名前を出すだけで二の句を継げない。あんな言い方されたんだ、それに毛布だって……。
「私からもう一度……」
「止めてくれ」
話をするなら、私を通した方が進行しやすいと思った。だけどフジタカに強く遮られてしまう。
「……ごめん、違うんだ。あの……」
「まだ整理がつかないのか。愛想を尽かされたのなら、お前も背中を向ければそれで済む」
「……できないから悩んでいるんでしょ、レブ」
教えてあげてやっとレブもふむ、と腑に落ちた様だった。レブにとってチコは自分をチビとか呼ぶ生意気な小僧……とかかもしれないけど、フジタカにとって同じではない。
私だって昨日までチコとはよく一緒にいた。フジタカに対しての扱い方は少し厳しかった時もあった……でもそれは、あくまで自分のインヴィタドとしての接し方だった筈。家畜や奴隷扱いではなく、どちらかと言えば友人みたいに接する時も多かった。だからフジタカだって魔法に縁がなかった地点から召喚されてもチコに協力できていた。彼だって最初はフジタカに任せっきりではなかったし。
そこで今度は私のお腹が鳴った。押さえてもまだ鳴り止まない。
「……とりあえず、朝ごはんにしよう。パンだけじゃ足りなかったでしょ?」
「ビアヘロの俺は……」
……ビアヘロという言葉だけで否定的な意味だとフジタカはもう知っている。その烙印を押されたから何をするにも怯えているんだ。
でも、確かに立場を確立していないフジタカを食堂に連れて行って、万が一にもチコと正面から出くわしたらまずい。騒がないとも限らないし……。
「食事を部屋まで持ってくる……けど理由がないしなぁ」
「理由なら簡単に作れるだろう」
昨日は余ったパンだけ持ってこれたけど二食続けてパンだけ、ってのは年頃の私達にはどうかな。でもこの部屋まで普通に食事を持って行くのは妙だし、外食するにも人目はある。
どうしようか迷っているとレブが何を悩む、と言わん勢いで私を見上げた。
「精神的に参っている貴様へ私が食事を運ぶ。この構図なら違和感はあるまい」
「……いいの?」
レブは頷くと部屋の扉を開けた。
「待っていろ」
言ってレブは出て行ってしまった。
「参っている、か……」
レブのいなくなった扉を見詰めて、声がふんわりと部屋を漂う。
「俺のせいで……」
「部屋に入れたのは私の判断だよ。フジタカが謝る事じゃないから」
聞こえていたフジタカがまた落ち込みそうだったから私は努めて明るく言った。……でも、慰められてるって気持ちは意外に筒抜けなんだよね。
「チコってどうなるんだ?俺の召喚士じゃ……ないんだろ?」
「うーん……」
フジタカの召喚に成功したから評価されて特待生認定を受けたのがチコだ。それが違うと判明したらチコは並の召喚士という事になる。それを自分自身が許せるかどうか、だと思う。チコは前から自分が特待生である事を誇っていたから。
「召喚士としては一から出直し……なのかな」
昨夜、ベルナルドが言っていた事を思い出す。今のチコは……ルビー達よりも立ち位置が初心者なのは間違いない。フジタカの補助や訓練を目的にスライムを召喚できるようにしておいただけの様だったから、昨日怒鳴った治癒の妖精なんて今日明日で召喚なんてできない。フジタカ頼みで召喚術を使っていたのが仇になっている。……そんな初歩の召喚を飛ばしてレブと繋がっている私も人の事は言えないけど。
「チコの事もだけど、自分の事も考えないといけないよ、フジタカは」
「……そうなんだけどさ」
そこにレブがお盆を二枚、片方は器用に頭に乗せて部屋へ戻った。私は慌てて頭の一枚を受け取る。
「今戻った」
「言ってよ、すぐに開けるのに」
……あれ、お盆は二枚。つまり二人分しかない。
「貴様と犬ころで食べろ。私は一食抜いても……」
「はい、パン半分。トマトのスープは一緒に食べよう?」
「……あぁ」
レブだけ見栄を張らなくていいんだから。物足りないかもしれないけど、少しくらいは食べてもらわないと私達が気まずい。
「それで、何を話していた」
せっかく分けたパンを丸呑みしてレブがフジタカを見る。……スープも飲ませよう。
「あぁー……進路希望調査と個人面談、かな」
「なんだか重い響きだね……」
意味は分かるけど調査とか、面談という言葉だと途端に受け取り方が変わる。尋問とか言わないだけまだ軽いのかな。フジタカにしては少し分かりやすい言葉を使ってくれている。
「フジタカのこれからをどうしようかって話してたの」
レブに教えながら私はスプーンで掬ったスープを彼の口へ差し込む。本人が嫌そうにしても一口くらいは飲んでもらう。……トマトは嫌いなんて言っていなかったし。
「あの、前例は無いのか?こう、俺みたいなビアヘロが集まる村があるとか……どっかで働いてるとか」
「……うーん」
答えたいのは山々だけど私だって実例なんてほとんど知らない。と言うのも、やっぱりビアヘロは基本的に害として見なされるからだ。
知能を持つビアヘロは大概が他の部分でも私達人間よりも大きく秀でている。それが腕っぷしなら傭兵を装って追いはぎをしたり、魔法ならば辺り一帯を焼け野原にしたり。それを召喚士が呼び出したインヴィタドと共に退治するのがお決まりの流れ。……改心して何かしたとか、友好的なビアヘロが持っている知識で人を助けたりする話なんておとぎ話でも聞かない。悪い噂ばかりが目に入る、ってのもあるんだろうけど。
「やっぱり……」
私がまごついているとフジタカは察してしまった様で俯いた。まずは話を聞かないと、私だけの情報で物事を語るわけにはいかない。
「カルディナさんやソニアさんにも聞いてくる。あ、意外にウーゴさんやライさんとかも知ってそう」
スープを一口飲んで閃いた。自分で分からない、知らない事は聞くだけだ。聞ける様に、今まで色んな人と知り合ってきたんだもの。
「そうだ、あの召喚士達はどうしてトロノにやって来た。……想像はつくがな」
「そっか、昨日は話さないで寝ちゃったもんね」
考えればそんなに難しい事ではないけど、私はウーゴさんとライさんがトロノ支所に現れた理由を伝える。今日はニクス様と顔合わせしてるだろうな。だったらカルディナさんも一緒かもしれない。
「一番異世界の事情に詳しいのは契約者だ。捕まえておきたいな」
「だよね。じゃあ私、片付けついでに探してくる」
お盆や食器を重ねて私は扉へ向かう。でも、出る前に立ち止まって振り返った。
「とりあえずフジタカ……。しばらくはこの部屋にいよう?ね?」
「……悪い」
何度目かの謝罪に私は苦笑だけして見せた。気にしないで、と言うのも無責任だから今は我慢してもらう。
「うーん……」
食器を食堂に戻して廊下を進む。ニクス様の元を訪ねたけど既に部屋には誰もいない。ウーゴさんやライさんも見当たらなかったから、もしかしたらもう顔合わせが始まっているのかも。だったら今一番、話を聞けそうなのはソニアさんだ。しっかりと聞けなくても、そういう一例が一つあるか聞けるだけでも今のフジタカには大きな励みになると思う。
ソニアさんが普段使っている研究室へ歩の向きを変えると、不意に小さな影が現れた。速足で歩いて危うく素通りするところを向こうから声を掛けられる。
「うぉーい、お嬢ちゃん……じゃねぇ、ザナちゃん!」
「あっ……セシリノさん?」
考え事をしながら歩いていたからって、ちょっと失礼だった。足を止めて見ると、そこにはいつもの作業着姿のセシリノさんが立っている。
「おう、おはようさん!」
「おはようございます。どうかされたんですか?」
前は朝から工房で仕事をしていたセシリノさんをトロノ支所内、しかも入口じゃなくて寮の近くで見掛けるなんて初めてだ。
「どうしたもこうしたもねぇよ。フジタカを見なかったか?」
「フっ……」
分厚い顎髭を撫でながらこちらを見上げるセシリノさんの口から出た名前に一歩引いた。こんなに早く外でフジタカにお呼びが掛かるとは思わなかった。
「いやよぉ、“アレ”がやっと完成したから今日の朝に引き取らせようと思ってたんだが……。約束放ってどこ行ってんだ?チコんとこに行ったら知らねぇ、って追い返されちまった」
チコの部屋から帰るところだったんだ。……しかも、知らないって言ったなら本当に把握してない。知ってたら私のところに行ってみろくらいは言いそうだし。
「あの……すぐ、行かせますから。先に戻っててもらえますか?」
「お?便所だったのか?いるならいいんだ。待ってるって言っといてくれ」
「はい、ありがとうございます」
セシリノさんの背中が見えなくなってから私は急いで部屋へ戻った。慌てて戻った私を見て二人も首を傾げる。
「成果があったか」
「そうじゃないんだけど……フジタカ」
名前を呼ぶとフジタカはとりあえず、と言った様子で立ち上がった。
「セシリノさんが探してたよ。やっと完成した、って言ってた」
「……!」
何が、とまでは聞いていなかったけどフジタカは理解したみたいで表情が変わる。しかしそれもすぐに崩れて口を曲げてしまった。
「でも俺……」
「会いに行ってみようよ。待ってるんだよ?行かせるって言っちゃったからさ!」
フジタカの手を取り引っ張ると抵抗はされなかった。
「レブ、裏から出てちょっと遠回りしよう」
「いいだろう」
そもそもフジタカがビアヘロだと知っているのは片手で数えられる人数だ。しかも全員がそれに関しては口を閉ざしている。だったら堂々と歩いていれば良い。チコにだけ会わない様にすれば広まる心配も少なく済ませられる。
私はすぐに二人を連れてポルさんとセシリノさんの工房へと向かった。もちろん、誰もフジタカを気にしたりしない。
それどころか、フジタカは今でもトロノでは人気者だ。アルパの一件をセルヴァではジャルを倒して盛り返している。誰も彼へ冷たい目を送ったりはしない。
「………」
本人が気にしている分にはそれも届かない。目線が私達に向けられているだけで彼は避けたくなっているんだ。心配せずとも、わざわざチコにフジタカの位置を知らせる様な人もいないと思うんだけど。……自分から探しに来たら答える人はいっぱいいるかな。もう、何人にも見られてるし。
「来たな」
「おはようございます、ポルさん」
「おはよう」
レブと一緒になって無理に来てしまった。特に驚く様子も無くポルさんに挨拶を返すとセシリノさんも奥から現れる。
「あれ?ザナちゃんも来たのかい」
「はい!ちょっと気になっちゃって……」
「だよな!分かるぜ、その気持ち」
気になるのはフジタカに用意した何かよりも彼自身だけどね。
「……どうしたんだ、お前」
ポルさんが急に声を低くして私の横を通り過ぎた。そして後ろに立っていたフジタカの顔を覗き込んで眉をひそめる。
「え、いや……特には……」
「じゃあなんでそんな顔してんだ!」
ポルさんが声を張ると、フジタカと私、セシリノさんが肩を跳ねさせた。
「……まぁた、何かあったな?」
「………」
詰め寄られてもフジタカはどうしても目を合わせない。合わせる顔がない、と言いたげにかろうじて工房の玄関に立っている。
「……どうしちまったんだ?コイツ」
「はい……」
諦めて親指でフジタカを差しながらポルさんが私に向き直る。口を開きかけると、やっと地面を擦って彼が一歩工房へ踏み込んだ。
「あ!は、話す!俺が……」
「………」
「だから少し……待ってくれ。整理、するからさ」
黙って見ていたポルさんが丸椅子を勧めてくれたのでそこにフジタカは腰掛ける。あとの四人で少し離れて囲む様な状態になった。余計に話しにくいんじゃないかな、と思ったけどフジタカの口がゆっくりと動き出す。
「実は……ビアヘロなんだ」
「何が」
「……俺が」
「俺……!?」
主語の無い一言にポルさんが一つ放る。付け足したフジタカからの情報にセシリノさんが声を荒げた。目を丸くして髭を揺らしたドワーフに対して、その召喚士ポルさんは静かに彼を見下ろしている。
「お前がビアヘロだってのか」
「……昨日知った。分かんなかったんだ、自分の事なのに」
しかも教えられたのはベルナルドに。でもきっと今のフジタカに昨日の経緯を説明する余裕は無い。
「騙すつもりじゃなくて。本当に知らなかった。それで……チコに来るな、触るなって言われて……追い出された」
「それで落ち込んでるのか」
ポルさんがフジタカではなく私を向いたから頷いて見せる。
「あの、ビアヘロが私達に馴染んだ話とかってご存知ないですか?」
フジタカは座って俯いてしまっている。これ以上は話せないだろうと思って私が引き継ぐとポルさんは首を横に振るだけだった。
「強いて言うなら、コイツ?」
「………」
それでは解決しない。焦りばかりが出てきて先が見えてこない。
「ふーん……。インヴィタドにもビアヘロと戦う以外の選択はあるってんならセシリノやリッチみたいな話もできるのにな」
ポルさんはもたれていた机から体を離すとそのままスタスタと工房の奥に入っていく。すぐに戻るとその両手には布で包まれた何かを持っていた。
「とりあえずこれを見てくれよ」
「ちょちょちょちょっと待てぇい!とりあえずってなんだよ!」
セシリノさんがすぐにポルさんの腕を掴む。
「……ダメか?」
「ダメだろ!話聞いてたのかお前!」
私も急に話が切り替えられたからついていけなかった。ポルさんがレブを見ても無反応だからこっちを見る。個人的にはセシリノさんと考え方が近い、かな。
「当然だ。質問したのは俺だからな」
しかしポルさんは胸を少し逸らして悠然と答える。
「だったらなんで無視して別の話しようとしてんだよ……!」
呆れたのかセシリノさんは手で目元を覆って天井を仰ぐ。そうしている間にポルさんは持ってきた物に巻いていた布を机の上でしゅるしゅると衣擦れの音を立てながら解いていく。
「話は分かった。だけどな、フジタカがビアヘロでも別に変わらない。俺は前と同じ様にするつもりだぞ」
淡々と、でもしっかり芯を通してポルさんは言い切ってくれた。
「ただし」
結んだ布も一通り解き終え、あとは退けるだけというところでポルさんは手を止めてしまう。
「お前はどうなんだ、フジタカ」
「……俺?」
自分の意見を求められるとこれっぽっちも思っていなかった様にフジタカが顔をゆっくり上げた。名前を呼んだ張本人、ポルさんは頷いて見せる。
「お前が止めるって言うなら俺だってここまでだ。でも、お前にまだする事が残っていて、続ける意志があるのなら俺もお前に協力する」
「……する事……できる、事」
フジタカが自分の手を握っては開いて、最後に力強く握り締める。
「君のしたい事はなんだ?」
「俺の……」
ポルさんから最後の質問にフジタカが立ち上がる。
「俺はビアヘロ、なんだ。もう今からは変えられない。でも……この世界に来てできる事もやりたい事も分かってきた。そして……まだやらなきゃいけない事は残ってる」
「それで?」
「この世界に来た理由を知りたい。その為に必要な力を貸してくれ」
溜め息を吐きながらポルさんは笑う。
「身構えてるのはお前だけなんだって。じゃ……持ってけ!」
布を取り払って出てきたのは諸刃の剣だった。
「名付けて、ニエブライリスだ!」
名前まで既に付けられている。その名前を聞いてフジタカは露骨に顔を歪めた。
「………」
「なんだ、気に入らないのか。
「言いにくそうだな……」
フジタカはどうしても違和感を拭えないみたい。
「まぁ、最初だけか。ニエブライリス……な」
やっと持ち主になる予定の狼男の手に剣が渡る。持ち上げてみてその剣が他と違う事に気が付いた。
まず、片方の柄の近くが窪んでいる。刃が不自然に引っ込んでいた。切れ味を増すのが目的で用意されたにしてはあまりにも不格好だと思う。
「これ……もしかして」
フジタカも凹み部分を見て数秒唸ると何かを思い付いたらしい。そこで彼が取り出したのはアルコイリスの付いた彼のナイフだった。
「ここに嵌めろ、ってか……」
見れば柄も随分と複雑に留め具が幾つかあった。そこにアルコイリスを取り付ける?……確かに形状を見るとぴったりと収まりそうだった。
「でも、そんな事したら……」
「そうだ。消えちまうだろ」
私とフジタカの意見が重なる。手元のニエブライリスとアルコイリスを見比べてからポルさんを見ると、腕を組んで目を細めた。
「お前はいい加減、力の制御ができてもおかしくない。決め付けるのは良くないぞ」
「……」
言われた事は分かる。フジタカも渋々と言った様子で再び手元を見詰める。
「フジタカのナイフが剣に変わる、って事でいいんですか?」
「あぁ。そうすれば戦い様もしっかりしてくるだろ」
こちらの質問にセシリノさんが答えてくれる。レブはフジタカをじっと見て先程から一歩も動いていない。
ナイフが剣に変わる。届く長さが変わるのだから攻撃に幅は広がると思う。小回りが利かなくなりそうでも、ナイフに合わせて刀身を用意したからかあまり重そうには見えない。私が持ってもなんとか振り回せそう。てことは、フジタカにはもっと簡単に扱えると言う事だ。今までも片手剣と併用していたのだから、分離させればこれまでと同じ戦い方もできる。
「……よし。魔力をギリギリまで絞って……やってみる」
「頑張れ、フジタカ!」
私に頷いて見せてからフジタカはゆっくりとアルコイリスをニエブライリスに重ねていく。……もしかして、合体だけは私がやってもいいのかな。
「うぁっ!」
しかし、代わる前にそれは起きてしまう。ナイフが微かに剣に振れた瞬間、フジタカの手元から剣だけが姿を消した。
「やっちまった……!」
フジタカが慌ててナイフを畳む。普段ならまだしも、今の彼は精神的にもまだ不安定だ。魔力をちゃんと制御し切れていなかったのかも。
「あ、あの……すまない」
セシリノさんも目の前で力作が消されたせいか言葉を失ってポルさんを見た。謝ってもフジタカが消したものが戻って来た例は今まで一度たりとも、ない。
「消さないって選択肢はまだ取れないか……」
怒るどころかポルさんは冷静にフジタカの持つナイフを見詰めて分析していた。その様子にセシリノさんは詰め寄り両手を振って取り乱す。
「どうすんだよ!あの剣だって貴重な鉱石と応石と鉄も混ぜて作った……」
「あぁ、うるさい!」
セシリノさんよりも大きな声を上げてポルさんが怒鳴る。セシリノさんが固まるとポルさんはもう一度工房の奥へと小走りで入っていった。
「えーと……?あぁ、これだ」
そんな呑気なポルさんの声が聞こえたと思えば、彼はすぐに私達の元へと戻ってきた。しかもその手には……。
「ニエブライリス……!?」
フジタカが先刻消したばかりのニエブライリスが握られていた。
「こんな事になるだろうともう一本用意してたんだよ」
「いつの間に……」
セシリノさんも知らなかったらしく本気で呆れている様子だった。しかしポルさんの用意の良さには私も胸を撫で下ろす。
「さぁフジタカ。今度こそ正真正銘のニエブライリスだ。これでアルコイリスは……お前のナイフはもっとやれる」
「あ……う……」
しかし問題はフジタカの方だ。幾らニエブライリスがあるからと言って、本人が使いこなせないとまた同じ事を繰り返してしまうだけだ。
一回失敗してもう次は無いと言われればそれはやっぱり引け腰にもなる。
「さっきの決意はどうしたんだ……なんてな」
しかしポルさんは差し出した剣の柄を引っ込めると作業机に置いてしまう。
「ノリでどうにかできるものじゃない。魔法と同じだ、気持ちと実力のどちらかでも伴わないならできるものもできないんだ」
端に置いていた鞘に剣を納めてからポルさんはフジタカにニエブライリスを持たせた。
「自分で今なら使いこなせると思ったらその使い方を試せ。考えてみれば、アルコイリスに役割を全部与えた訳でもないみたいだしな」
「フジタカは本番に強そうに見えるから、機を見るか!」
セシリノさんの言う通りだと思う。フジタカはいつもこの一番というところで何をするか分からない。もしかしたら……そう、ココの言う通り時が来るのかもしれない。
「………」
フジタカは剣を見下ろして口を閉ざしている。彼のナイフに合わせて作った彼専用の剣だ。本当なら飛び上がってもいいくらいかもしれないけど……。
「ありがとう」
フジタカは一言、静かに言うと背負って鞘留めの長さを自分の体に合わせた。
「似合ってるぜ」
「見合うだけにはまだなれてないみたいだけど……」
位置と握り心地を確かめているフジタカにセシリノさんが笑う。
「しっかし、同じ物をよくもう一本用意したな?」
「同じじゃないんだけどな」
セシリノさんの質問にポルさんは事も無げに答える。
「最初のは俺が一人でこっそり作った屑鉄の模造刀な。フジタカが力を操ってアレを消さずに済むならそれで良かったし」
「お、おめぇ……」
「セシリノの目を騙せたなら俺の技術もまぁまぁってところだな」
拳を震わせるセシリノさんに対してポルさんは得意げに語る。ドワーフの目を欺く鍛冶技術……人間が成したなら凄いよね。
「ふん!手に取る間も無かったから気付かなかっただけだ!」
「そういう本当は認めてるけど素直になれないみたいな反応じゃ後継者を育てられないぞ」
「だってよ、レブ」
「私を継ぐ者などいない」
鼻を鳴らしてそっぽを向くと思ったのに、話はちゃんと聞いてくれてるんだね。……なんて指摘したら今度こそ拗ねるだろうな。
「いや……後継……。そうか、息子……か」
あ、変な事考え出した……。
「あの、今度のニエブライリスとさっきの剣はどう違うんですか?」
私達だけの世界に入る前に話を戻す。……他の人にも聞いてもらう日が来るかもしれないし、しっかり知っておかないと。
「まずは鉄が違う。ピエドゥラの鉱石ではなく、そもそもを異世界から取り寄せている代物だ」
「それを俺が叩いて鍛えるわけだな」
ポルさんとセシリノさんも話を振るとすぐにこちらへ戻ってきてくれる。フジタカもしっかり耳を彼らに傾けている様だった。
「魔力を増幅する応石は多分このオリソンティ・エラで採れる石が一番だと思っている、他の異世界を含めてな」
違う世界の石の話なんて聞いた事も無かったけど、違いはどこにもあるんだ、やっぱり。
「応石と鉄の構成は俺よりも知識のあるポルの方が確実でな。そのポルが振り回しやすさ、頑丈さ諸々を考えて配分した鉄を俺が剣として鍛え上げたのがニエブライリスってか?」
「あぁ、いわば俺たちの血と汗と涙と経験と技術の粋を結晶化した物だ」
培った物を全部混ぜ合わせて鍛えた業物と言ったところかな。二人の表情を見ればどれだけの熱意を持って槌を振るってくれたか伝わってくる。
「だから、今度こそさっきみたいに霧散させんなよ?」
「……しばらくは」
とりあえず取り付けて振るわないんだろうな。ポルさんが言う様に機会を見付けないと。
「あの、代金とか……」
「支払えるアテは無いんだろ?ツケといてやるし、そんなもん気にすんな」
気前が良い、と言えばそれまでだけどポルさんは金銭感覚が無いかの様に淡々と返した。
「……すまない。必ず、何かしらで返してみせる」
「気長に待ってるさ。こっちはこっちで作ってて楽しかったしよ」
支払わないと納得できない、と言った様子のフジタカだったが自分で落とし所を設けて頭を下げる。セシリノさんはそんな彼を見ると髭を撫でて笑った。仕事を楽しめるって本当に幸せなんだろうな。
「さて、俺達は今日の仕事に取り掛かるか!」
セシリノさんが腕を振り回してポルさんに向き直る。ポルさんは布をぐるぐると手で巻き取ると端へと放った。
「あぁ。お前らも見学なら歓迎だ。またな」
「ありがとうございます!」
「その技術、不思議と見ていたくなる。気が向けばな」
……レブが自分から興味を示すって事はあまり知らない分野って事かな。着飾りも、防具も要らないしね。
ポルさんとセシリノさんの工房を後にして、私達は同じ経路を辿って裏口からトロノ支所の中へと戻る。部屋まで昨日会った誰かと顔を合わせる事はなかった。
「……神経使わせて」
「謝らなくていいんだってば」
開口一番に謝ろうとするんだもん。ポルさん達に会って少しは前向きになれたと思ったんだけどな。
だけど、これも時間の問題だな。フジタカは私やレブと仲が良いから出入りする分にはいつもの事だと思われる。ただし何事にも限度というものはある。今日明日くらいなら何とかなるけどいつまでもフジタカをこの部屋に置いておく理由……後で何か考えないといけないな。
「ほら、剣も置いて」
まだ遠慮しているので引っ張ると、フジタカは背負っていた剣を鞘ごと外して壁に立てる。するとすぐに自分の毛布の上に座ってしまった。レブは真っ直ぐに椅子に向かって既に腰掛けている。
「用意してもらった剣……ニエブライリスで活躍できる様にしておかないとね」
「うーん……」
フジタカは剣を見て唸る。名前は気に入らなかったみたいだけど今は自分の力の事でも考えているみたい。
「また何かの拍子に触れて消すんじゃないかって思ってさ……」
「そうしないように対策しとこう。……レブは何か思い付かない?」
思案していたのか、目を閉じていたレブがゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「犬ころのナイフで消せない物で作れば良い。それではナイフが意味を成さんかもしれないがな」
フジタカですら消せない何か、か。何でも消すナイフと謳うくらいだ、大概は消せるだろうけど……。
「今まで消せなかった物ってないんだよね?」
「………」
レブの言葉に何か引っ掛かったのか、フジタカは口元に手を当てながら床をじっと見ていた。
「夜……かな」
ぽつりと呟いてからフジタカは苦笑して顔を上げる。
「なんちゃって……。はは、顔に似合わずロマンチックな事を言ったな。夜と人の闇は消せない……なんて」
茶化す様に笑っても乾いていてぎこちない。場を和ませよう、誤魔化そうなんて気遣いはいらないのにな。
でもフジタカの言う通り、彼とナイフは夜になるとその効力を発揮できない。それを活かして……。
「夜にしか生成されない鉄、なんて」
「聞いた事が無いな」
「だよね」
私の方が今度は変な事を考えてしまっていた。でも着眼するならそこかもしれない。
「フジタカ、少しだけニエブライリスとアルコイリスを貸して」
「ほら」
あっさりとフジタカは剣とナイフをこちらへ渡してくれる。剣を抜くと見立て通り、そんなに重くない。刀身は新品で微かな光もキラキラと反射してくれる。
「えーと……」
次にナイフも刃を出して……剣の窪みに嵌め込む。隙間はほとんど無いのに、吸い付く様に容易くぴったりと二つの刃は合わさった。
そして仕上げに剣の柄側に付いた留め具を合わせて……。できた!
「どう!これ!」
「あぁー……こうなるんだな」
日が暮れるのを待たずに持ち主を置いて組み上げてしまったが、フジタカも完全体になったニエブライリスの姿を見て声を洩らす。ナイフ一本分の重さが加わっただけだからほとんど負担は変わらない。
「貸してみろ」
レブが椅子から降りて私に手を伸ばす。フジタカも特に何も言わないので持たせてあげた。
「………」
ナイフ自体には特に変わったところは無いんだよね。剣だってセシリノさんが得意げに色々教えてくれたけど……。
「私の爪程ではないが、良い鋼だ」
片手で振るけど竜を斬るには不十分、みたいだね。そこまでの戦力を投入する必要は……まだあるか分からない。相手は底知れないのだから。
「ねぇフジタカ。聞いてもいいかな……」
「……どうした?」
昨日から聞けずにいた事だけど、本当だったら真っ先に聞くべきだった。そう、相手は別にいるんだ。
「フジタカは……フエンテ側に」
「行かない」
私の目を真っ直ぐに見てフジタカは断言した。
「……ビアヘロだって言われてどうにかなりそうだけど、その選択だけは絶対にしない。アイツらは……ココとサロモンのおっさんを……」
「……ごめん」
欠片でも疑った自分が堪らなく嫌になった。視野を広げて物事を考える……良い事だけでもないみたい。
「………いや」
フジタカの手から力が抜け、レブも剣を壁に戻す。……今はフエンテの事なんて考えている場合では、ない。例え相手がこのあとすぐにやってきたとしても。
「しばらく時間が必要だな」
「整理するから。迷惑なら出てくし……」
「そんな事は言っていない」
レブは椅子に戻ると腕を組んだ。遠回しなんだから。
「ゆっくり考えようよ。……チコとの事」
「………!」
フジタカの毛がふわっと膨らむ。彼がどんな選択を取っても私とレブは味方でいてみせる。今まで君が私達と戦ってくれた様に。だから私達の事ももう少し頼ってほしい。
「……一人じゃ、きっと会えないって思った」
「私もいるし、レブもいるよ」
「大船に乗ったつもりでいろ」
その例え、私達には逆効果だよ……。
「時間は私達で作る。だから落ち着いていこう」
「うん……」
さて、少しの間この部屋を使ってもらうわけだけど……。
「やっぱり敷布団も要るよね。床、固いもん」
「俺は別に……」
チコの部屋には私だって何度も入っている。そこには当然、毛布だけでなく敷布団も用意されていた。トーロの場合は待遇が違うから個室でベッドもあったし。
「フジタカは私の部屋に来たお
「あ………」
それにどうせなら。
「レブも。やっぱり座布団でも敷布団でも……」
「必要無いと言った筈だ」
今まで当たり前の様に寝かせていて悪いと思っても、そうやって顔を背けて聞き入れない。床の木が心地好い、というわけではないでしょうに。
「どうせフジタカの分も貰うんだよ」
「人の眠り方に難癖をつけるな」
「気持ち良く寝たいとは思わないの?」
別に重い荷物を何時間も背負って組み立てたりはしない。チコから取り返せないなら別室から持ってくるだけだし手間はほとんどなかった。
「惰眠を貪る趣味は無いだけだ」
そこまで頑なに拒否するならフジタカの分だけこっそり持ってくるけど……。
「変なの。じゃあ、寛いでてよ。本とかは読んでていいから」
フジタカ、ちゃんと文法とか覚えているかな?本、と言ったらフジタカの目線も机の方を向いた。……うん、一度別の事を考えるのも手かもね。
レブとフジタカを残して部屋を出る。布団を用意したら次は……着替え、かな。トーロに頼めば獣人用の服は集まりそう。
「よし」
まずは一つ一つこなしていこう。全部積み上げて考えちゃうから頭が重くなってくるんだ。切り替えて私は廊下を進んでいく。
こうして思うと、フジタカは召喚されてから随分目まぐるしく毎日過ごしてたんだなぁ。その中で自分が何を得たのか、改めて考えてみてほしい。きっと、俯くだけの日々じゃなかったから。
しかし時は事象を伴って過ぎていく。彼が自分の持つ力に気付く間も与えぬままに。
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