第3話


「僕を愛してる?」



唐突に彼女Aに聞いてみる。



「なあに、突然」



目をまんまるに丸めて驚く彼女Aは愛らしい。



「もちろん愛してる」



「あなたの顔も声も身体も全部」



そう言って彼女Aは、その白い腕でぼくを抱く。


そうだ、好きだと告白してきたのは彼女Aだった。



ぼくは、彼女Aの緊張しながら告白する姿を眺めていたのだった。



ぼくはそんな彼女Aを愛おしいと思ったんだろう。



こんなぼくでも愛してくれる彼女Aだから、


ぼくは手放せないのだろう。




ただ夢見ていたいだけかもしれない。



この妄想的な恋愛を続けていたいだけかもしれない。



ドラマの終わりも、物語の終わりも、音楽の終わりも、


寂しくなるから嫌いだった。



彼女Aにそれを話したら、


終わりがないなんて飽きると笑って返してきた。



彼女Bにそれを話したら、


いつもあなたってそんなことばかり考えてるわねと笑って返してきた。



君にそれを話したら、


いっそさっさと終わればいいと思ってると真顔で返してきた。







彼女Aはぼくに安心感を与えてくれる。



彼女Bはぼくに寂しい思いをさせない。



そして、生活を養ってくれている。





君は、君は……何だろう?

どうでも良いようなことに対して文句を言い過ぎている気がする。



好みの外見でも、内面的に好みではない気がする。



きっとぼくの生活はまともじゃない。



ぼくは、まともじゃない。



君からしたら、文句を言いたくなる点ばかりなんだろう。



君からの小言を聞いていると息苦しくなる。



君が居なくて困るというほどのこともない。



諦めるしかないねと心は言うのに、何かが反発してる。




それも心だろうか。



心って一つだろうか。




心は個体のもので、数えられるのだろうか。




そもそも、心ってどこにあるんだ。




なんで胸が痛いんだ。


去ってしまったと思った君はそこに居た。



けれど、そこにはもう一人いた。




彼女Aだ。




彼女Aは俯いている。



怒ってる。その雰囲気だけが伝わってきた。



「そんな疑問、純粋に無意味よ」



君は何食わぬ顔をして言う。



「あるべくしてあるとしか言いようがないじゃない。いちいち追求するのも野暮よ」



ぼくを笑う、君が言う。



君とぼくは、方向性も質も全く違う。



それがぼくにわかる唯一のこと。




君の横には、彼女Aがいる。



それなのに君は隣の彼女Aには目もくれず、


髪をいじりながらぼくに言う。



「お別れはしないわ。だってあなた寂しがりだもの」


「でも全部が全部、あなたの思うようにはならないの。そこだけは、諦めてちょうだい」



お別れ、


それはぼくが怖いと思うもの。




思い通りにならなくて、


ないものねだりのぼくが満足するだろうか。



そして言うなれば、


この状況はぼくにとっての修羅場というものではないだろうか。



君は口ではああ言いながら、


ぼくに別れの選択を迫っている。




「ねえ、去る者が美しく見えると聞いたの。だから、それをあなたに譲ってあげる。私の最大限の愛を込めて」



「振られる日はどうせなら雨の日がいいわ。冷たい雨に打たれながら、私は、道端であなたを想って泣き叫ぶの」



「なんてね。そんなこと、思うだけできっとしないわ。心で泣く程度に留めておく。きっとね。だって今日は晴天よ」




「君は忘れっぽいからきっとぼくのことを数分足らずで忘れるよ」


「雨が降っていたのなら、いろんな思い諸共、雨と一緒に流してしまう」




ぼくは乾きった口でそう言うのがやっとだった。



君は笑って否定をしなかった。



「ねぇ、この女は誰?」



彼女Aは震える声でぼくに尋ねる。



彼女Aは、君を認識したくないようだった。



ぼくは、彼女Aを認識したくなかった。




そんな彼女Aの様子に、


君は余裕の笑みを浮かべている。





ぼくがこの場で君を好きだと言えないのを知っていて、


君はこの場を作った。



場面を作る天才だ、君って。



どうしてこういうことが起こりつつあるのか、


ぼくは何も知らない。



わからない。



こんなことになるつもりはなかった。



全部、君が仕組んだことなんだろう。





「あたしを捨てるの?」



「この女が好きなの?」



ぼくは何か言ってあげなければいけない、彼女Aに。



どうすれば傷つかない?



どうすれば最善の策?




「人生において、物事の核心がはっきり見えるような瞬間って何回かはあるものよね」



君の眼は興味をなくしたようにぼくを映すことはなかった。



君は、そう言って今度こそ、


その場を去ってゆく。



去るのはやっぱり君のほうじゃないかとぼくは思った。



彼女Aがぼくの腕を掴んで、


服を掴んで、


ぼくの胸を涙で濡らしてゆく。




ああ、これじゃあ君を追うことも出来ない。



「行かないで」



彼女Aは何度もそう口にする。



ぼくもそう思う。



「行かないで」




「ぼくはここに居るよ」と、君にいっそ伝えてしまおうか。




彼女Bの自宅で寝転がるぼくは思う。



そうしたら君に会えるのだろうか。



君はいったい、ぼくのことをどう思っているんだろう。



ぼくが求めてるのは冷たい人じゃないんだ。



君はいったい、ぼくの何なんだ。



君なんかいらないって言えたらどんなに楽なんだろう。





「誰のことを想ってるか、当てようか」



突然彼女Bが寝転んだぼくの上に顔を覗かせた。



その表情は、無だ。



あ、怒ってる。



「別の女のことでしょ」



当てなくていいよという前に口にする彼女B。



ぼくは何も言い返せない。



少なくとも彼女Bのことではなかった。




「誰でもないよ、考え事をしてただけ」




苦し紛れの嘘ってこういうことを言う気がした。






「わたしに、嘘をつくの?」



彼女Bが問う。



「残念ね。本当に残念。まるでわざとのよう」



残念そうな顔をしていない彼女Bから発せられる言葉は冷たい。



「嫉妬なんてするものじゃないよ。そして人を疑うものでもない」



「悪いほうばかり見て、それを誇張して考えてしまうよ」



一度嘘をつくとすらすらと嘘を紡げる気がする。





「馬鹿ね。しないわけないでしょ。お金をかけたんだから、アンタに」



「金の切れ目が縁の切れ目と言うの?」



「どこの女?金持ち?若さ?美貌?」



彼女Bはどこまで行っても現実的だ。



ぼくの言葉なんて、てんで役に立たない。



「それで勝ち得たものはなに?」



「何もないよ」










彼女Bからの軽蔑を勝ち得た、


だなんて言葉が頭に浮かんで自重した。




そんな下劣な考えも気にならないぼくにしてしまった君はどこにも居ない。




「要するに馬鹿なのね。つまりわたしにもう用はないの?」




誰かから必要とされないなんて、つらい。



ぼくはそれを知ってるんだ。



「他の女のところに行かないで」



彼女Aが会う度にそう言う。



ぼくを束縛する。



馬鹿馬鹿しいくらいしつこい信頼。




これは信頼?



信じて、頼ってる?



人の良心に浸け込むのは、信頼?




言葉は曖昧なくらいのほうがいいのかもしれない。



ぼくはひどく考え込むようになった。



ぼんやりしていると言って良いくらい。



「あたし、あなたが居なきゃだめなの」



「あなたじゃなきゃ、だめなの」




それは知らせてくれなくても別に良いんだ。



だめって何がためになる?



それって所詮、一時的だろ?



ぼくが居なくなれば、他に移るんだろう?



ぼくじゃなければならない理由なんてどこにもないのに。



じゃあぼくは、


なんで君じゃなきゃだめなんだ?





「アンタを閉じ込めておいても良い?」



彼女Bが毒々しく思われる薄笑いでそんなことを言う。



ぼくはちょっと驚いて、彼女Bを見つめる。



人間ひとり、あの世に送りかねない顔をしてる。



そうなったらなったで、致し方ないと思う。



ぼくは返事を返さないまま、


彼女Bの部屋を出る。




ほら、彼女Bはぼくを引き止めない。



引き止めることが出来ない。




彼女Bはプライドが高い人間だ。



直接的で非常識な行動を起こすことは滅多に、ない。



自分の手を汚さないであろう策をいろいろ練るんだろう。



ただ、感情が溜まりに溜まって、


溢れ出たら何をするかわかったものではない。



だからその時は、ぼくを本当に閉じ込めておくかもしれない。



でも、まだ大丈夫。



宣告されたのだから、


そうなる日は遠くないかもしれないけれど。






君と会えるかもしれない、


木の匂いのするカフェに向かう。



最近、ぼくはここによく居る。



心に咎める思いがないわけじゃない。



ないわけじゃないけど、


心が君を求めてる。



君が良い人だったらいい。



そうしたら必ず、ぼくのもとに戻ってきてくれる。



それならぼくも救われるだろう。



そう思いながら、いつもの定位置に座って窓から外を眺める。



心の中で君を期待しながら、いつまでも。


時間になれば彼女Aや彼女Bがぼくを迎えに来る。



今日とて、君は来ない。




ぼくは待つ。




彼女Aや彼女Bは、


いつもそんなぼくを見て同じ表情をする。



ぼくはその表情が表す感情の意味を知っている。




「どうしてそんなに好きなの?」



「あの女のどこにそんなに惹かれてるの?」



「わたしじゃだめなの?」




彼女たちの心の中にある疑問にすべて答えてしまうような、


そんな顔をぼくはしているんだろう。



彼女たちはぼくの顔を見て、


ぼくよりも深刻に切なそうにする。



彼女たちがそんな顔をする必要はないのに。



たとえば彼女たちがぼくをそんなにも愛してくれることに、


ぼくは感謝をしている。



ぼくはそれに値する人間でもないのに。



彼女たちが望むのなら、彼女たちの幸せを手放しに喜びたい。



けれどそこにぼくは居ないんだろう。



彼女たちの欲を満たすのは、本質的にぼくじゃない。


ぼくの欲を満たすのは、本質的に彼女たちじゃない。



それが分かっているのに、


彼女たちの情熱に流されてしまいそうになるぼくがいやだ。






報われない恋ならしないほうがマシだ。



悲恋に酔い痴れるなんてとんだ酔狂だ。



彼女たちは、いつこの酔狂に飽きるんだろう。



ぼくは、いつこの酔狂に飽きるんだろう。


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