雪上の追跡。

1、サエコの推理


「ここでじっとしていろ。割れたガラスに気をつけるんだぞ」

 そう言い残して、兄はダイニングから出て行った。

 部屋を出るとき電灯を消すことを忘れなかった。夜、明かりをけていれば、それだけで狙われる。戦時中、都市に住んでいた時の記憶が甦った。心臓がドクドクと高鳴った。

 僕は立ち上がって、注意深く窓際まで歩いて行った。さっき兄がしたように、壁に背を付けてカーテンの隙間から外を覗いた。

 兄の姿は見えなかった。けど、この庭のどこかに居るはずだ。

 通りからロボット犬の鳴く声が聞こえた。同時に通りから庭に駆け込んで来る影が、っすらと見えた。

 ジーディーだ。

 恐らく犯人のクルマを追いかけて行ったのだろう。あの様子だと、まんまと逃げられてあきらめて帰って来たのか。

 庭で一旦いったん立ち止まって周囲を見回した後、緊張を解いたのが遠目にも分かった。

 つまり犯人の仲間が近くにいる可能性は低いという事だ。少なくとも軍用ロボット犬の高感度センサーには感知されていない。

 どこからか兄が表われ、犬を連れて玄関から家の中に入って来た。右手にレーザー拳銃ハンドガンを持っていた。

「まんまと逃げられた」

 兄が言った。

「戦争はとっくに終わっているというのに、まさかこんな田舎町で銃撃されるとは」

「兄貴、ひょっとして昨日の一周忌と何か関係があるのかも? 僕が墓地で見た人影と関係があるのかも知れない」

「あるいは、な。……しかし、はっきりした事は言えない。とにかく俺は犯人を追う。町までは脇道わきみち無しで一本だ。軍用車両でなければ道をれて深い雪原を走ることは不可能だが、奴のクルマは軍用ではない。エンジン音からして民間車両だ。スカイハウンドを使えばすぐに追いつける。……お前たちは家で待ってろ」

 その時、レーザー銃の連射を受けて滅茶苦茶になった居間からサエコが僕のハーフコートを持って来た。彼女自身のコートも持っている。

「ありがとう」

 僕はコートを受け取って袖に腕を通した。

 サエコも自分のコートを着た。

「ちょっと待ってろ」

 そう言って兄は一旦いったん廊下の奥へ歩いて行った。帰って来たときには小型のレーザー・ハンドガンを持っていた。

「俺が居ない間はジーディーに護衛してもらえ。いざとなったらこれを使うんだ」

 僕はうなづいて銃を受け取った。

 兄は襲撃者を追跡するつもりだ。町までクルマで三十分。仮に相手が四輪駆動車に乗っていたとしても雪道を走る速度には限界がある。目いっぱい飛ばして二十五分という所だろう。スカイハウンドに乗って追いかければ、あっという間に追いつく。

 犯人は絶対に逃げられない。

 兄は特別あわてる様子も無く落ち着いて僕らに指示をしたあと、母屋から出て行った。

 しばらくして軍払い下げ四輪駆動トラックのエンジン音が納屋から聞こえて来た。エンジン音は農場の方へ移動して遠ざかって消えた。

 静かで暗い家の中で、僕は右手に持った拳銃を見下ろした。暗くてほとんど見えない。

 ガラスの割れた窓からヒュウと風が吹き込んで来て、カーテンの裾が舞い上がった。

 同時に……月を覆っていた雲が流れたのだろう……青く冷たい光が室内に入って手に持った銃を照らした。

 その瞬間、先ほどの疑問が再び僕の頭に浮かび上がってきた。

(さっきまで月は雲に隠れていた。それなのに犯人は

 同時にサエコも、ハッとした顔で僕を見た。月光に照らされて頬が青白く光っていた。

「コウジ……」

 二つの黒く大きな瞳に思いつめたような光が見えた。

「きのう二人きりで墓地にいたとき誰かに見張られていたようだ、って言ってたでしょう?」

「うん。それがどうかしたのか?」

「いまの銃撃が私たち二人を狙ったものだとしたら?」

「え?」

「犯人は、私たちがユキナさんの魂を見たと知って、何らかの理由で口封じをしようと襲撃したのだとしたら?」

「その可能性は、さっき僕も考えたけど……」

「もし、そうだとして……私がコウジの家に居ることを犯人が知らないとしたら?」

「つ、つまり、今の襲撃は僕を……僕だけを狙った事になる。そして、当然、犯人が次に狙うのは……」

「私よ。、次に狙うはず」

「次に襲撃するのはヨネムスさんの家という事か? あるいは、ヨネムス家を襲撃したあと僕らの家に来たのかも」

「とにかく犯人を追いかけましょう。可能性がある限りは、ヨネムスさんを助けたい。急げば間に合うかも」

 僕は三秒だけ迷った。そして決断した。サエコの言うとおり犯人を追いかけよう。ヨネムスさんの家へ行こう。

「ジーディー、壁に兄貴へのメッセージを書け。『ヨネムスさんの家へ行く……コウジ』だ」

 軍用犬が口を開け、特殊インクを噴射して壁に文字を書いた……と、言っても僕らには見えない。軍用のゴーグルでないと認識できない。

 兄は地下サイロ跡の秘密基地へスカイハウンドを取りに行った。そこで戦時中使っていた個人兵装を身にまとうはずだ。この居間に来れば必ずメッセージに気づく。

 僕ら……僕と、サエコと、ジーディーは庭先に駐車してある小型ヴァンまで走った。

 運転席に軍用ロボット犬、助手席に僕、後部座席にサエコが座った。

「ジーディー、さっきの車を追うんだ。できる限り速く!」

 四輪が激しく雪をかき上げ、ヴァンは通りへ飛び出した。


2、気づき


 軍用ロボット犬の精密かつ正確な運転によって、それほど高性能でもないヴァンは雪道を飛ぶように走った。前後左右に容赦なく加速力が掛かる。

 僕もサエコもシートにしがみ付き、舌を噛まないよう歯を食いしばった。

(兄貴は犯人を一本道が終わる手前で捕まえれば良いと思っていた。だから、あんなに落ち着いて行動していた。でも、犯人の第二目標がヨネムス家だとしたら?)

 全速力で走るヴァンの車内で激しい揺れに耐えながら、僕は時間の計算をしていた。

 犯人を逃がしてから母屋で会話を終えるまでの時間。兄の運転するトラックが農場の反対側にある地下サイロに到着するまでの時間。秘密基地の隠し扉から、サイロの基部まで駆け下りる時間。特殊兵装を着てスカイハウンドに乗り込み発進するまでの時間。

 発進してしまえば、地上を走るクルマに追いつくのに一分もかからないだろうが……それでも……

(だめだ。おそらく一本道が終わるまでには間に合っても、犯人がヨネムス家に着くまでには間に合わない)

 僕らでヨネムスさん達を守るしかない。

 ……あるいは、もう既に……

 その時、青白い光で雪原を照らしていた月が、ふたたび雲の向こうに姿を隠した。

 あたりが一気に暗くなる。

(月が雲に隠れていたというのに、なぜ犯人はライトを消して走ったのか?)

 僕は考えた。

(車の形や色、ナンバープレートを見られないようにするためだ)

 じゃあ、なぜ暗闇の中でクルマを運転できるのか?

 おそらく軍用の暗視ゴーグルか、それに相当する性能の機械を持っていたからだ。

 そしてサエコの予想通り、きのう墓地で僕ら二人を見張っていた何者かが犯人だとしたら……

 参列者の中に犯人がいた事になる。

 あの場にいたヨネムスさんの親戚たちの顔を一人一人思い出した。

(あの中に、軍用の暗視ゴーグルを持っている人が……)

 分からない。戦後放出され、あるいは略奪された軍の装備品を誰かが持っていたのかもしれない。

(いや、一人だけ軍用の視覚装置を持っている人物が居る)

 持っている、というより、その体内に軍規格の部品を埋め込んだ人物が。

(住職……か)

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