一周忌。

1、本堂から墓地へ


 歓迎夕食会から五日後、ユキナさんの一周忌が行われた。

 僕ら兄弟は黒服を着てヴァンに乗り、森の奥の古寺へ向かった。三門前の駐車場には既に参列者の車が何台か停まっていた。

 本堂に入ると、ごく近い親戚数人とヨネムスさん夫婦が雑談をしながら法事の始まるのを待っていた。

 驚いたことにサエコも来ていた。

 黒ではない、地味な色の服を着ていた。

(やっぱり喪服は持ってきていないのか……)

 兄も驚いたようだった。

「サエコさんが来ているじゃないか……」

 僕をチラリと見て行った。

「図らずもヨネムスさんの親戚にって形だな。明日の朝には町じゅうの噂になってるぜ……お前とサエコさんの事」

「うん……まあ何時いつかは知られる事だし」

「ここに居るって事は、当然、ヨネムスさんが許したって事だろうな。喪服を持っていない事も含めて」

 僕らは近づいて行って、ヨネムスさん夫婦に挨拶をした。

 近くにいた親戚の人たちが、僕の顔を見て、お決まりの「冷やかし」を言った。

「十四歳で、こんな別嬪べっぴんさんをもらうなんてうらやましい」

 とか、何とか。

 そのうち、本堂に袈裟を着た住職さんが入って来て法事が始まった。

 読経、焼香、住職さんの法話のあと、本堂を出てお墓へ向かった。

 墓地の通路に積もった雪を皆で踏みしめながら、ユキナさんの骨が収められたヨネムス家の墓まで歩いて行く。

 そこで住職さんがもう一度、短いお経を読んだ。

 読経が終わり、参列者が合掌を解いて目を開けた直後……僕の隣に立っていたサエコがハッと息を呑む声が聞こえた。振り向いて彼女の顔を見た。驚きで目を大きく開けていた。

(何をそんなに驚いているんだ?)

 僕は、サエコの視線を追った。

 ……何もなかった……

 視線の先には、墓地の奥から真っ直ぐに降りて来る狭い通路があるだけだ。

 サエコは、二十メートルほど離れた通路の石畳を一心に見つめている。

「サエコ……」

 小声で呼びかけてみた。

 我に返ったようにしてサエコが振り向き、僕を見た。

「どうしたんだい?」

 僕のその問いかけには答えず、切羽詰せっぱつまったような表情で僕と通路の石畳を交互に見つめるばかりだ。

「サエコ……いったい、どうしたんだよ……」

 僕は小さな声で聞いた。サエコは答えなかった。

 最後に施主であるヨネムスさんが簡単な挨拶をして、法事が終わった。

 参列者が帰って行く。

「どうしたんだね?」

 お墓の前で動こうとしない僕とサエコを見て、住職さんが声を掛けてきた。

「ああ、ええと……僕ら二人は、もう少しお墓の前で手を合わせてから帰ります。ヨネムスさん、少しだけ駐車場で待っていてもらえますか? 兄貴も……」

 とっさの僕の言葉に、住職さんもヨネムスさん達も、それから兄も、少し戸惑った様子だったけど、ヨネムスさんが「二人きりで話でもしたいんでしょうから、我々は先に行きましょう」と言うと、奥さんも、僕の兄も「やれやれ」と首を振って、みんなで駐車場に向かった。

「二人きりで話も良いけど長居するなよ、風邪ひくぞ」

 去りぎわに兄が言った。

 一瞬だけ、住職さんが不審そうな顔でサエコを見たけど、すぐに視線をらせて皆と一緒に本堂へ向かった。

 本堂の角をまわって皆の姿が見えなくなったのを見届けてから、サエコに聞いた。

「いったい、どうしたんだよ」

 サエコは相変わらず、墓地の通路と僕の顔を交互に見つめていたけど、最後に意を決したようにして僕に言った。

「これから、何を見ても驚かないでね? 大きな声を出さないで……」

「何を言ってるんだよ? 僕には、さっぱり……」

 突然、サエコが僕の手を握った。

 ギュッと、きつく。

 瞬間、サエコの手から電流のような痛みが僕の手に伝わり、腕、肩、首と駆け上がって両側のはじけた。

 目の前で火花が散ったような感覚に襲われ、反射的に目蓋まぶたを閉じて両手で顔を覆った。

「サエコ……な、何を……」

「大丈夫……心配しないで、コウジ……ゆっくりと、目を開けて」

 僕を落ち着かせるような口調で、サエコが言った。

 両手を顔から離し、目蓋まぶたを開ける。

 とりあえず、視力は何とも無いようだ……最初は、そう思った……でも、違った。

 僕は、まずサエコの顔を見た。サエコも僕を見ていた。そして彼女は、ゆっくりと首を動かし、視線を墓地の奥から真っ直ぐに伸びて来る通路に移した。

 つられて、僕もサエコの視線の先を見た。

 ……、が……いや、が居た……

 奥から手前にに下っている墓地の通路を、ゆっくりと、這いずりながら、こちらへ向かって近づいて来る……裸の、女。

 顔の左半分が無かった。

 いや、顔というより、頭蓋骨そのものが半分しか無かった。

 まるで肉食獣に喰われ、削り取られたような傷口を晒して、片方しか無い目で僕とサエコを一心に見つめている。

 這いずり向かって来る女の割れた頭蓋骨から、灰色の脳髄が露出していた。

 頭蓋骨だけではない……女は、全身のあちこちの肉がえぐりり取られていた。

 背中全体で十か所以上、握りこぶし大に肉が奪われていた。両方の白い肩甲骨と、肋骨あばらぼねが数本見えていた。わき腹に開いた穴からは腸のようなものが覗いている。

 ひざから下が両脚とも無かった。

 右腕もひじから先が無かった。

 どの傷口も、不思議と血が出ていない。

 ただ、黄色い脂肪と、ピンク色の筋肉と、白い骨がまだらになって見えるだけだ。

 僕は驚きと恐怖でその場から一歩も動けなくなっていた。

 女が、墓地の通路をゆっくりとこちらに向かって這い下りて来る。

 音は無かった。

 這う女の腹と、通路に積もった雪との摩擦音が聞こえてこない。

 女の首には、暗い紫色をしたのようなものが巻き付いていた。の表面はぬらぬらと濡れて光っていた。

 の一方の端は、墓地の通路を奥へ向かって真っ直ぐに伸びて、敷地の外で見えなくなっていた。

 女が、ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。

 僕も、サエコも、動かなかった。二人並んで、這う女を凝視するだけだ。

 ゆっくり、ゆっくり、近づいてくる。

 両手両足のうち一本だけ残った腕を、僕とサエコのほうへ伸ばした。

 まるで「手を取って、助けてくれ」と言っている様だった。

 でも、僕は動けなかった。

 突然、女の首に巻き付いたが、ビンッと張った。

 ぬらぬら紫色に濡れたが物凄い力で女の体を奥へ引っ張った。

 抵抗するひまもなく女の体がり返り、あおむけに返って、墓地の通路を奥へと引きずられていく。

 引きずられながら、半分しか無い顔の片方しかない目で僕らを見つめ、すがるように左腕と、ひじから先の無い右腕を突き出す。

 首に巻き付いたの力で、墓場の奥へ奥へと引きずられながら、女が音の無い叫びを発したような気がした。「たすけて」と。

 僕はその場から動くことも、声を出すことも出来なかった。

 女は、あっという間に墓地の向こう引きずられて見えなくなった。

 同時に、僕の体を縛っていた驚きと恐怖が緩み、こわばっていた全身から力が抜けて危うく雪の上にひざを突きそうになった。

 サエコは黙って僕の横に立っている。

「サエコ……君は、いったい……」

 その問いかけには答えず、ただ僕の目を見つめている。

 ハッとした。

「そ……そうか! き、君は……」

 脳裏に湧き上がった思いは、一瞬にして確信に変わった。

「君は……!」

 僕を見つめたまま、サエコが小さくうなづいた。

「783式戦略巫女みこ化少女兵55型634番体。戦争終結直前に『造られた』最後のシリーズ。戦後すぐに『廃棄処分』されたけど、私は、なんとか生き延びた」

 心の緊張が解けて少しずつ体に力が戻り、どうにか自分の意志で動かせるようになった。

「……そうか……という事は……たった今、僕が見たのは……」

 サエコがもう一度、小さくうなづいた。

「コウジの手を通して、私の霊力を少しだけ流し込んだ。あれは普通の人間には見る事のできない『霊的光景』なの。……あの女の人は、人間ではない……いいえ、もとは人間だったのでしょうけど……今は完全な霊体……つまり幽霊」

「幽霊なのか……」

 僕は、通路の奥、女の……幽霊の消えた先を見た。

「サエコ……僕は……あの女の人を……あの幽霊を知っているんだ」

 今度はサエコの目が、驚きで大きく開かれた。

「顔が半分しか無かったけど、分かった。あれは……彼女は……ユキナさんだ。一年前に亡くなって、このお墓に納骨されているはずの女性だ」

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