極秘の研究。

1、資料室


 今まで見て来た他の部屋や廊下とは違って、突き当りの部屋は天井の明かりが点灯していた。暗闇に慣れた目にはまぶしいくらいだった。

 四方の壁には天井に届くほどの棚が隙間無く造り付けられていて、棚の中には分厚い本やらファイル・フォルダーがびっしり並んでいた。

 中央の大机にドキュメント・コンプレッサーが十台。そのうちの一つを、多機能ゴーグルとガスマスクを外した兄が操作していた。

 ここは多分、資料室だ。研究に必要な資料やら実験データを保管しておく場所だ。

「兄貴、何やっているんだ」

 僕は兄に聞いた。ドック・コンプを操作する手を休めずに兄が答えた。

「調べているんだ。を止める方法が何処どこかに記録されているはずだ。それを探している」

「あの機械って、何さ?」

 一心にドック・コンプを見ていた兄が、初めて顔を上げた。

 顔にあせりの色が浮かんでいた。こんな兄を見たのは初めてだった。

「ヨネムスさんと別れてから、もう一時間以上が経過した。警察に連絡が入るのは一時間後。町の警察がすぐにこの寺へ向かったとして、四十分から五十分後には到着するだろう。つまり俺に残された時間は一時間四十分。それまでに、この下に……地下二階にあるを止める方法を何としても見つけ出さなくてはいけないんだ」

 それだけ言って、兄はドック・コンプに記録されたファイルの閲覧に戻った。

 自分には残された時間が無いからこれ以上話しかけないでくれ、邪魔をするな……そう言いたいのだ。

(地下二階にある機械を止める? この下に一体何があるんだ?)

 それよりも、まず兄に伝える事がある。そのためにここへ来たんだ。

「兄貴、良く聞いてくれ……住職はまだ完全には死んでいない」

「何だって?」

 もう一度、兄が顔を上げて僕の顔を見た。

「……いや、肉体は心臓を撃ち抜かれて確かに死んだ。でも、自分が殺されることを予想していた住職はあらかじめ、ある種の薬を飲んでいたんだ。この研究所で開発された薬だ。肉体が死んだあとも霊魂だけになって自由に動き回れる薬だ。そして住職の魂は兄貴を追ってこの寺に戻った。サエコが巫女の能力を使って霊視したんだ。間違いない」

「なるほど……やはり住職はこの研究所の成果を私物化していたか……」

 兄は僕の話に興味を失った様子で、ドック・コンプの閲覧に戻った。

 そして今度は顔を上げること無く言った。

「……大丈夫だ。ドック・コンプに残された資料を読むと、霊魂安定剤を使って幽霊になっても物理的な攻撃は不可能らしい。憑依するために作った人造人間は、機械の不調で全てミイラ化しているしな。手も足も出ないさ」

 僕は、同じ階にあった「棺桶の部屋」を思い出した。

「……でも、精神攻撃をされたら……」

 サエコが反論した。

「俺が着ているのは対霊魂戦用プロテクターとヘルメットだ。ある程度の精神攻撃は防御できる。……それに……お前たち、ここへ来るまでにその幽霊とやらに攻撃されたか?」

 顔はドック・コンプに向けたまま、目だけを動かして僕らを見た。

 僕とサエコは同時に、首を横に振った。

「やはりな……資料によると、実験薬は完全じゃない。薬を飲んで霊体化しても生きている人間の精神に危害を加える能力は付加されない」

 それっきり兄は黙ってしまった。僕は何だか急に阿呆あほらしくなった。結果的には意味が無かったとしても、僕らは兄に危険を知らせようと必死になってここまで来たんだ。それなのに兄からは感謝の言葉ひとつ無い。

 ただ一心にドック・コンプの資料を漁っているだけだ。

「ちぇっ」

 小さく舌打ちをして不貞腐ふてくされる僕をサエコがたしなめた。

「コウジ、そんな顔をしないで。きっと、お兄さんは限られた時間でどうしてもしなければいけない事があるのよ。私たちに構っているひまが無いんでしょう」

「そうなんだろうけど、さ。……地下二階に一体何があるっていうんだよ」

 僕は別のドック・コンプのスイッチを入れた。

 何を探せば良いのか分からなかったけど、ここまで来たのに手ぶらで帰るのもしゃくだった。

 せめて、この施設でどんな研究が行われていたのかを少しでも知ることができれば……

「ファイル2357-3360Aを開いてみろ」

 兄が顔を上げずに言った。

「この研究所の設立目的と終戦直前までの経過が簡単に記録されている」

 起動シーケンスが完了すると同時に、僕はドック・コンプを操作して言われた通りファイルを開いた。

 サエコもピッタリと僕に体を寄せて、二人同時に一つのファイルを読み始めた。

 読み進めるうちに自分の顔が強張こわばっていくのが分かった。隣を見ると、サエコの眉間にも深いしわが刻まれていた。


2、ファイル2357-3360A


 そもそもの発端は、少女大量殺戮兵器「巫女殺し」による攻撃だった。

 先の戦争では、前線で戦う将兵よりも銃後の巫女たちの能力こそが趨勢すうせいを決めると言われていた。

 戦時中、この国の十歳から十九歳までの女の子は、半年に一回、ある種の検査を受けることを義務づけられていた。

 検査の結果、その少女に巫女の潜在的才能があると判定された場合、彼女は特殊な訓練機関に送られ巫女としてのエリート教育と心霊医学的施術せじゅつを受ける。

 十九歳になっても検査に引っかからなかった場合、それ以後は一般市民として暮らすことが出来た。

 その少女に巫女としての才能があるかどうかは、兆候が出るまで分からない。巫女の兆候は十歳で出ることもあるし、十五歳で出ることもあるし、十九歳で出ることもある。だから少女たちは毎年特殊な検査を受け続ける。

 大戦中期、敵国は巫女の能力の有る無しに関わらず、この国の十代の女の子だけを殺す新兵器の開発に成功した。

 標的限定型ウィルス拡散低温爆弾……通称「巫女殺し」だ。

 新兵器が投入されて以降、僕の国の十歳から十九歳までの女子の人口はどんどん減少して行った。

 その後遺症で、今でもこの国の人口バランスは酷く不自然だ。ある年齢以下の世代では、女子よりも男子の方が圧倒的に多い。

 当然、僕らの国も手をこまねいていた訳じゃない。

 軍当局は対抗手段の研究に着手した。研究は、ワクチンの開発や、巫女の能力を機械に置き換える実験など多岐たきにわたった。でも僕の知る限り、終戦までに実用化に至った技術は一つも無い。

「この研究所も、そうした様々な『巫女殺し』対策のうちの一つを研究していた訳か……」

 サエコがドック・コンプに記録されたファイルを読みながら無意識につぶやいた。

「そういう事になるね」

 僕はうなづいた。

 ……さらに読み進める……

 この研究所のアプローチは、少女たちをウィルスから守ったり、その能力を機械に置き換えたり、などとという「現世的な」方法では無かった。

 つまり、こうだ……

 具体的な研究は大きく三つの部門に分けて行われた。

 第一に、死後の魂を定着させる薬剤の開発。

 それを飲むことによって、脳内の神経に化学的な変化を起こし、生前の意志や記憶や感情を持った幽霊を「人工的に」創り出す。

 第二に、「霊魂捕捉装置れいこんほそくそうち」の開発。

 多くの場合、死んだ人間の魂は自分の死体や遺骨の周辺に数日間滞在する事が、巫女たちの証言から分かっていた。その数日間のうちに死体(または遺骨)から魂を引きはがし、捕捉し、拘束し、一時的に「保管」しておくための機械だ。

 釣った魚を生かしたまま一時的に保管する「」というものがあるけど、ここで研究されていた機械は……変な表現だけど……死んだ霊魂を逃がさないようにしておく言わば「魂の」だった。

 そして第三の研究は、薬理的であれ機械的であれ、この世に留めて置いた少女たちの霊魂に「再び肉体を与える」方法についての物だった。

 生きた人間から少量けずり取った肉片細胞を、特殊な薬液の中で培養し電気刺激を与え続けることによって、わずか数ヶ月で十代の少女の肉体を作り上げてしまう実験だ。つまり、人造人間の研究だった。

 薬液で満たされた水槽の中で、たった数ヶ月で培養された少女たちには魂が無かった。感情も、意志も、精神活動と呼べるものが何も無かった。

 言ってみれば人間の骨と肉で作られた空っぽの人形に過ぎなかったけど、この研究の本来の目的から考えると、それはむしろ好都合だった。

 何故なぜなら、肉体が自分自身の魂を持っていると、それが邪魔で外から霊魂が入り込めないからだ。

 ……ファイルを一通り読み終わって、僕はいきまじりにサエコに言った。

「薬や機械を使って、死んだ少女たちの魂をこの世界に留めて置いて、数ヶ月間で『促成栽培そくせいさいばい』した人工の肉体に憑依ひょういさせる……それが、この建物の中で極秘に研究されていた軍事技術か……」

「たしかに巫女の能力が霊魂に宿るものだとしたら、何回殺されようと次々に肉体を乗り換えて行けば、巫女化少女部隊の戦力低下はまぬがれられるでしょうね。あの棺桶みたいな装置は人造人間を培養するための水槽で、中のミイラ化した死体はその人造少女たちの成れの果て、という訳ね」

「たぶん、機械が故障したまま放置されてミイラ化したんだ。じゃ、じゃあ、ユキナさんは? 僕らが見た、ぬらぬらした紫色のを首に巻き付けたユキナさんの幽霊は、いったい……」

「亡くなって荼毘だびに付され、この寺の墓地に納骨された時に、研究所ここの地下二階にある捕捉装置に捕まったんだ」

 いままで知らん顔で別のドック・コンプを調べていた兄が、突然、僕に言った。

「何者かが装置を作動させ、ユキナさんの魂を研究所の地下まで引きずり込んだ」

「い、いったい誰が?」

「分からんよ。だが、一番可能性が高いのは……」

「住職ですね?」

 サエコが兄の言葉を引き継いだ。

「たぶん、な」

 兄が顔を上げ、僕とサエコを見つめて言った。

 突然、ジーディーが部屋の入口に向かって吠え出した。

 サエコがはっとして、コート越しに僕の腕をつかんだ。

 兄が大机に置いてあったアサルト・レーザーガンを素早く持って入口に狙いを定める。

 僕もポケットから拳銃を出してドアに向けた。

「だ、誰だ!」

 僕は思わず叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る