第6話
4
あまりの眩しさに静哉は目を一度強く閉じた。それから目をこすりつつ少しずつ瞼を持ち上げる。
真っ先に彼の目に飛び込んできたのは真っ青な雲ひとつない澄みきった空と、空を一帯を照らす太陽だった。
「ここは?」
少なからずここが自分の部屋のベッドではないことぐらい理解できる。だが、自分がなぜ外にいるのか、そしてここがどこなのか、寝起きで頭の働かない彼は分からない。
自分の現在地を特定しようと上半身を起こす。するとその先は遥か下方に街が小さく見えるだけで、彼の正面に道は続いていなかった。
その場所に、一箇所だけ心当たりがあった。念のため、自分の予想が正しいかどうか背後を見る。
やはりそこは木々が生え、ここが開けた場所であることは間違いない。これでようやく予想は確信に変わった。
ここは自分のお気に入りの場所だ。空を観察したり、日向ぼっこをしたりと、頻繁に来ていた場所だ。
ちょっとずつ思い出してきた。昨日確か謎の現象に襲われ、戦闘に巻き込まれて……。
そうか。そのまま眠ってしまってたのか。
「だったらもしかして元の場所に戻った、ってことは」
昨日の時点で時間が止まっていたのであれば、目が覚めた今も夜であたりは暗いはずだ。
しかし、太陽は昇り始め現時刻が朝、もしくは昼前であるのは否定しようがない。なら、その仮説は誤ってたことになる。
だから彼が元の世界に復帰した可能性もある。いや、昨日の出来事全てが夢だったのかもしれない。
心のどこかで淡い期待を抱きつつ、現実がどうなっているのか知るべく、家へと向かって歩き出した。
いつも通っている山道を家へと歩く際、その道中はいつもと雰囲気がかけ離れていた。きっと、昨日奇襲からの脅迫を受けたせいだからだと思う反面、昨日の出来事を現実だと受け入れてしまっている自分に些か苛立ちを覚えつつ歩く。それでも自然と彼は視界の悪い山道を警戒して、人影がないかを確認しつつ進む。
結果、特に何も起こることなく山を抜けた静哉だったが、すぐに足を止めた。
初めから分かってはいた。どうせこんなことだろうとは思っていた。けれども本気で元に戻っている可能性に期待したのも事実だ。だから昨日と同じように家の前で固まっている友希を目にした時の落胆は大きかった。
「俺はこれからどうすればいいんだよ」
もう一度友希と笑いあいたい。だけどそれはもう叶わないだろう願いなのかもしれない。
友希は病弱なのだ。普段は何食わぬ顔で自分から家事をしたり、自分から何かをしようして決して自分が特別扱いされることを嫌っていたが、病弱な彼女にとってかなり負荷は大きかっただろう。
自分がいてやらなくては、とてもじゃないが友希一人では生活していけない。
静哉は一度目を閉じて深呼吸をした。
まだこの現実を受け止めきれたわけではない。少なからず恐怖心だって残っている。友希の心配をするよりもまずは自分の心配をするべきなのは分かっていた。
昨日の戦闘は紛れもない現実だ。その中でよく分からない単語がいくつが出てきて、自分がとんでもない場所にいることも理解できた。そんなところで生きていくことができるのだろうか。
目を閉じれば瞼の後に今でも事故当時の記憶が蘇り、体を硬直させようとする。昨日の二人のやり取りからして、ここでは機能のような争いが頻繁に行われているに違いない。
そこで生きていくということは、命懸けだ。
今は精神状態が落ち着いたが、戦闘になって、命の危険が訪れたとき、静哉は必ずまた正気を失ってしまうことだろう。それ以前に戦うことができるのかと言われれば恐らく不可能に近いがここで生き抜くことの方が困難な気がする。
もし彼が平穏を望み、穏便に暮らすことを選択したら、争いからは免れるのだろうか。
きっと、答えは否だ。ここにいる限りどこにいたって争いなは巻き込まれる。どこにも安全な場所などはない。
それが分っているのなら、自らここで起こっていることに身を投じた方が命を落とすリスクは減る。
静哉は目を開いて大きく息を吐き出す。開いた彼の目には覚悟と決意が現れていた。
それに、少年の言っていた「宝」というのも気になる。本当にそんなものが存在するならそれはどんなものなのか。命を懸けてまでその宝を欲するべきなのか。見てみる価値はあると思う。
――そう決めたは良かったが、実際に何をすればいいのだろう。宝に繋がる手がかりなどはこれっぽっちもない。
とりあえず静哉は動かなくなった友希が持っていて、微妙に宙に浮いているような奇妙ことになっている家の鍵を取り、自宅へと入った。
意外、というべきか、外は謎の現象によって大きく変化しているにも関わらず、家の中は何一つ変わっていなかった。
とりあえず静哉は外に置きっぱなしだった買い物袋を中に入れる。その途中、彼は買い物袋の中に小さく、膨れ上がった紙袋を見つけた。その中には静哉と友希が交換するために買った色違いの熊のキーホルダーや、その他のキーホルダーが入っている。
静哉は紙袋から友希から貰うはずだった青色の熊のキーホルダーを手に取って自分の携帯電話に付けた。
「あっ……」
そうして初めて彼はあることに気がつく。
自分の今いる場所が止まった時の中なのかどうか見極めるのに自分スマホを開いて時刻表示を見れば良かったのだ。もし時刻表示が家に着いた時間であれば時は止まり、進んでいればそうではないということになる。
スマホの画面を点けて彼は現在の時刻を確認した。
――十時二十六分。
これは明らかに家に着いた時刻ではない。つまり、時間は止まることなく動き続けているということだ。
それだけ分かったなら成果はあったと言えよう。とにかく今は今後のことを考えなくてはいけない。
静哉は階段を上がって自室へと入った。
やはり何も変わっていない部屋は昨日家を出たときのままだ。
彼はベッドに身を投げ出して横になった。
一年近く生活してきて何も気にならなかったはずの白くシンプルな天井が今はなぜか恋しく思える。このままここで寝て、起きて、生活していれば平和に今まで通りの生活ができるのではないかという思いも彼の中に少しずつ芽生えた。
「何を考えてるんだ俺は」
ちっとも今まで通りなどではないじゃないか。確かに静哉は平穏に暮らせるかもしれない。でもこの場には友希はいない。
だから何も元通りではない。何とかして元の場所に戻り、また友希と一緒に生活して初めて今まで通りと言えるのだ。
そのためにもまずこの後どうするべきなのか考える必要がある。
だが、彼に宛などない。この世界で知っている人物といえば、昨日静哉を脅迫した少女と、彼女と戦っていた不良少年だ。しかし、その少年とは静哉は言葉を交わしていない。とすると、一番接触しやすいのがその少女ということになる。
それには問題も多かったりもする。
まず、静哉は少女の居場所を知らない。唯一手がかりになりそうなのが制服だが、彼女の着ていた学校の制服は見たことがないのだ。
そしてもう一つ。少女は静哉を助けたとはいえ、彼にナイフを突き付け、本気で静哉を殺そうとした相手であるということだ。
だから例え接触できたからといって、少女がまとも応じるかは正直なところ分からない。むしろ顔を見るなり再び襲ってくることも充分有りうる。そんなことがあれば静哉には太刀打ちできないことは目に見えている。
それでもそれしか術がないというのは皮肉だと我ながら思う。
「はぁ」
静哉はため息をつきながら上体を起こした。
不安ではあるが怯えていては何もアクションは起こせない。覚悟を決めてとりあえず動こうとした。
「ん?」
ベッドから下りた彼の目に不審なものが目に止まった。
「なんだこれ?」
部屋の隅に寄って不審なものを見ると、それは宝箱のようなものだった。
こんなもの、昨日家を出るときにはなかった。それどころか、宝箱なんか家にあったことも置いたこともないはずだ。ならこれは現象後の変化だ。
いや、もしかすると静哉が帰ってくる前に誰かが何らかの方法で忍び込み、静哉に対して仕掛けた罠という可能性もある。
これは危険だと脳が警告する。開けた瞬間に爆発するとか、毒ガスが出てくるとか、そんなことだってあるかもしれない。
だから静哉は小さな宝箱を見て見ぬふりをして部屋を出ようとしたが、そこで不良少年の言葉が脳裏に蘇った。
『最後の一人まで残ったヤツにはスゲェ宝が貰えるって秘密ぐらいな』
――まさか、な。
別に最後の一人になったわけではない。少年の言っていたものではないはずだ。もしかしたら昨日の二人が最後の二人で、静哉の前から姿をくらませた後、相討ちになってお互いが死んでしまったなら……。
有り得ない話ではなかった。
素通りしかけた宝箱の前で静哉は数秒考えた後、もう一度引き返して宝箱に近づいた。
途端に緊張感が高まり、動悸がしはじめた。
鍵は空いてるのだろうか。蓋を持って少しだけ鍵が掛かっている様子はなく簡単に開きそうだった。
これを開けた瞬間に自分の人生が終わるかもしれないという緊張感が彼を包む。
ここまで来て今更開けずに引き返すわけにはいかない。わざと呼吸を遅くして自分の精神状態を落ち着ける。
そしてまだ震える指先で宝箱の蓋を開けた。
「…………は?」
自分が今まで怯えていたことすら馬鹿らしくなるぐらい、宝箱の中身は拍子抜けするものだった。
静哉が宝箱から取りだしたのはカップ麺一つと二本のロープだ。カップ麺はコンビニでも売っているようなありふれたもので、ロープは全長一メートルほどで短い。
「何でこんなものが?」
カップ麺とロープを隅々まで確認しても特段怪しいものは見当たらない。ならばなおさら、どうしてこんなものが宝箱に入っているのかが謎だ。
そもそもこんなものが入った宝箱が部屋にあるのか、そこから謎だが、考えるだけ無駄だと判断した静哉はロープとカップ麺を小さ目の袋に入れ、それを持って外に出た。
当然玄関を出たところで動かない友希が目に入る。友希がまた倒れてしまう前に、妹を支えるべく一緒に暮らせるように、そして妹の笑顔を見るために、改めて静哉は元の場所に戻ることを胸のうちで静かに誓う。
幼い頃事故が起こった直後、不安と恐怖でいっぱいだった静哉を救ってくれたのは妹の友希だ。今度は自分が妹を救う番。
必ずここにまた戻ってくる。だから、
――行ってきます。
言葉に出さず家を見守る妹に声を掛けて、彼は街に向けて歩み始めた。
彼に宛などない。そもそも、まだここに住むようになって一年ほどしか経たないためにこの辺のことはそこまで詳しいってわけではない。
だが、宛がないからこそ静哉に選択肢は一つしかなかった。とりあえず彼の知っている場所、街の公園に向かう。
そこに少女がいることなんてほぼゼロに近しい。そこは静哉の知る場所の一部であり、この世界のたった一箇所に過ぎないのだから。
「そんなの分かってる」
でも、行動しなきゃ意味が無いのだ。例え可能性が低くても、ゼロじゃない限りそのほんの僅かの可能性に賭けた方がいい。静哉には、それぐらいしかすることができないのだから。
自分にそう言い聞かせると彼は歩くペースを速めた。
無論、街までの道のりで周囲に気は配り続けている。また奇襲を受けないようにしなければ、今度は昨日のように無事で済まない。
「って言っても、正面から来られてもやばいのは変わらないんだよな」
半ば割り切った感じで静哉は自嘲した。
はぁ、と一息つき、無意識のまま空を見上げた。雲一つなかった空には少しだけ白く薄い雲が浮んでいる。
ここはどこなのだろう。毎日のように空を見上げてきたから何となく分かる。この一帯に広がっている大空は元の世界そのものだ。だから違和感なくいられるが、逆にそれが違和感となっている。意識してなければここが自分の世界だと思い込んでしまいそうで、友希の存在もなかったかのように感じてしまう。
ずっと周囲に気を配っているのは肩がこってしかたがない。今は明るいし奇襲をするにはあまり適してないから大丈夫だろう。
――友希、絶対戻るから。
是が非でも妹のことを思い続けると、自分に言い聞かせて彼はまた前を向いた。
「うっ……!」
街に入った瞬間、吐き気がした。
分かっていたことではあったが、それを見た途端に猛烈な気持ち悪さに襲われる。
異常が起こったのは夜。街は深夜でない限り賑わう。だから街中には友希と同じように動きを止めた人間の姿が所狭しと並んでいるのだ。しかも、少し歩けばその動かない人々の体はすり抜ける。
こんな現実離れした光景は本当に気持ち悪いの一言以外では表現できない。
口元に手をあてて込み上げる胃液を堪えながら静哉は一旦人気のない場所を目指すことにした。
歩く際人をすり抜けるという奇妙な現実をこれ以上してしまえば本当に嘔吐してしまいそうだ。だから絶対に人に触れないように気を張り巡らせながら歩くのは、奇襲を警戒しながら歩くより壮大な疲労感を覚えた。
着いたのは昨日少しだけ友希と話もした公園。街は夜でも賑わっているが、少し外れたところにあるこの場所では、異常が発生した夜には人がいない。
ここで友希と休憩をしながらちょっと話した小さな思い出の場所。だが思えば、ここが初めて幻覚を見た場所でもある。きっとあれがこの世界に来ることなる予兆だったのだろう。
公園の中に入り友希と座ったベンチに向かう。すると、そこには先客がいた。
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