第五章 聖剣は持ち手を選ばない 後編

「ちくしょう、一体なんだって言うんだよ!」


 洞窟の外にいたため、その襲撃が起きたときにいち早く逃げ出せた少年——エリオットは、寸前に見た理解できない非現実的な光景を思い出して、罵り声を上げた。

 そうしながら、茂みをかき分けるようにひた走る。から逃げおおせるには、どれだけの距離をとればいいのか想像もつかない——そう、のだ、エリオットの前に。

 竜。それは、かつてのこの世界の王者。

 どんな獣より強靭な肉体を持ち、鳥や一部の幻獣のように空を自由に駆け、吸血種デメトル不死の王ノーライフキングと比較される寿命を持ち、長く生きた個体は知性に目覚め竜語魔術ドラゴニックロアという独自の魔法すら操るとされる。

 現在では、東方を除くと、よほどの秘境に踏み入れなければ、お目にかかることすら難しいと言われている。噂に時々上がるのは、古代遺跡で番竜ガーディアンドラゴンとして呪縛されている幼竜レッサードラゴンの存在だが、噂はあくまで噂だとエリオットは眉につばをつけている。

 ちなみに、ここまで竜が減った原因の説の一つには、お伽話に出てくる英雄たちが悪い竜を退治し尽くしたから、というのがある。エリオットは、悪竜退治の講談を目を輝かせて聞き入ったことがあった。

 そろそろ十三になろうかという今のエリオットからすれば、なんであんな子供だましに夢中になったのかと悔しいやらなんやらで、


「——だから、こんなところに竜なんか出るわけないんだって! そのはずだろ!?」


 樹木の他には聞くもののいない叫びを上げる、エリオット。

 そもそもエリオットの今日の予定は、単に山から下山して、街に戻るだけのはずだった。

 もちろん、戻ると端的に言っても、ルセットの街はここからは随分離れているから、四・五日の旅路にはなる予定だった。けれど、この辺の旅路でもっとも危険なのはガジ山賊団の襲撃であるから、

 特段可愛らしくもない少年が一人旅をしているのを襲っても、稼ぎにならないので山賊は怖くない——と考えているわけではなく、この辺りを仕切る盗賊の大親分であるメルローズの旦那からの使いで、ガジ山賊団の親分へ、この先ののだ。

 仮にそこつな誰かがエリオットから金を巻き上げでもした日には、少なくともそいつの喉に線が一つ引かれることになるだろう。真っ赤に濡れる線が。


 というようなことを、つらつらと考えながら逃げていたのがいけなかったのだろう——。

 藪を突き破って飛び出した先の獣道で、エリオットは山賊の一人ではない誰か——巨大な黒竜がというのに、慌てる様子もなくゆっくり歩いている、無茶苦茶に怪しいやつ——に出くわしてしまった。


「ん……もしかして、可愛いキミも山賊くんなの?」


 ソイツは、くすんだ赤い髪の女だった。エリオットの目には、青っ白い肌をした、ひ弱そうなガキに映った。エリオットはルセットの街より外に出たことはあまりないが、少なくともこの辺の人間じゃないことが、顔立ちとその珍妙な服装——日本で、学校の制服と呼ばれる服だが——から分かった。

 ……まあガキと言っても、年齢はエリオット当人より二、三歳は年上くさいと思えたが。


 これなら、勝てる。


 刹那の判断のあと、右手を腰の後ろに回したエリオットは、ヒップバッグの裏に隠してあるナイフを抜きはなち、胸の前に突き出して構えた。

 これが街のゴロツキ相手なら、これみよがしに刀身を見せつけたりはしない。だが、相手は女の子、油断させたところを一突きにするよりも、脅かして追っ払ったほうがいい。


「へへっ、姉ちゃん、あんたが何者なのかは知らないけど……怪我したくなかったら今すぐすっこんで、おいらを通しなよ」


 声変わりもしてないエリオットでは、ドスを利かせることはうまくできないながらも、めいっぱいに横柄に言ってみた。これでダメなら、しかない。が、大丈夫。どう見てもこの女の子は喧嘩なれしていない、育ちのいいガキだ。だからこそ怪しいのは怪しいが、きっと、素直に道を開け——。


「ん……当たりかあ。子供にナイフで脅される体験なんて、日本じゃできないなあ」


 ところが、その少女は平然として、ナイフを持ったエリオットの前でそんな感想をのたまう。

 カッとなったエリオットは、


「おいらが何もしないって思ってんだったら——」


 声を荒げながら、わずかな距離を一足で縮め——


気弾フォース

「ぶへらぼっ」


 エリオットは、少女——瞑の魔法が生成した、不可視の弾丸に打ちのめされた。

 その衝撃はまるで、ルセットの街の裏通りにある、もぐり酒場にして盗賊たちの情報交換場にいる、のろまのアビー——身長二メーテル近い大男だけど、少しとみんなから言われる、怖がりでいつもめそめそしているエリオットの——が、全力で体当たりしてきたらこうなるだろうと思えるほどのもので、体格の小さいエリオットは風に飛ばされる木の葉のように吹き飛んだ。


「あー……ちょっとアレだったかな……。人相手に試すの初めてだから……まあ、山賊の子みたいだし、別にいいかな?」


 無表情の瞑が珍しく、やっちゃった、という顔をする。

 一方のエリオットはその言葉を聞くどころではなく、くらくらと頭の中が揺れる感覚にふらつきながら立ち上がる。エリオットが無事だったのは、今の攻撃の衝撃がゆっくりしたものだったためである。弾き飛ばされるのではなく、だけだから、怪我一つない。

 それでも目を回しそうになったのは、衝撃が頭にやってきたからだ。


「姉ちゃん……魔法使い……なのかよ」


 ふらつく足で、二歩三歩と下がりながら、エリオットは確認した。

 エリオットがこれまでに見た魔法といえば、ルセットの街で、夜になるとじじいの魔法使いが小銭稼ぎに売っている、光明ライトの魔法をかけた木の枝とかそういうものしかなかった。その記憶によれば——。


「普通、長ったらしい呪文があるだろ——?」


 いつかの昔、その魔法使いが明かりの魔法をかける場面をじっと見ていたことがある。エリオットも、出来ることなら魔法を使ってみたいと思っていた。すぐに、見ているだけで出来るようになるものではないと気づいたが。

 ともあれ、じじいの魔法使いは、一つの枝に明かりを灯すのに三十秒はかけていた。

 ちっぽけな明かり一つに三十秒。小遣い稼ぎに魔法の技を小売するような爺さんだから、そんなに魔法がうまくないのかもしれない。それに比べて、この姉ちゃんは魔法のプロかもしれない。だとしても、今の魔法は早すぎる。もし、本当に刺す気になって襲いかかっても、返り討ちにあうのはきっとエリオットのほうだ。

 なにより、さっきの一撃でナイフは遠くに転がっている。もう一本、靴の裏に仕込んだ小さいのがあるが、そんなのを悠長に取り出している暇があるはずもない。

 つまり……この姉ちゃんには勝てっこない。

 だから決断。


「あっ……」


 エリオットので上がる小さな驚きの声。

 そう、エリオットは後ろを向いて全力で駆け出したのだ。自分が一番得意なのは、人を刺すことではないし、一流並と呼ばれるスリの腕前でもない。いざというときの逃げ足の速さが、これまでいろんなピンチを切り抜けてきた、最後にして最大の手段。

 ジグザグに駆ければさっきの魔法にも、一、二回なら当たらない自信がある。

 そして、それだけの時間があれば十分に逃げおおせるはずだ。茂みと藪のある森の中で、人一人を探しだすのはそう簡単ではないだろう。

 ——問題は、とうとう黒竜のほうに戻ってしまうということだったが——。


「……えっと、跳ねる足取りの揚げ足取り、そして私はあしびきの鳥、ってこの呪文なんなの? ――地鎖スネア!」


 しかし、そのエリオットの目論見も、背中から聞こえてくるその呪文が終わるまでだった。


「——うわあっ」


 エリオットは、つんのめって、悲鳴を上げる。転けないようにバランスを取ろうとして、片足が動かないことに気づいた。足元に視線を落とすと、地面から生えてきた土の手が、自分の足を捕まえていた。


「ひぇ……」


 悲鳴を上げかけて気づいた、これも魔法なんだと。


「こういう使なんだけど……なんちゃって、ね。——さあ、観念しなさい。


 瞑のその最後の言葉を聞くまでもなく、すでに逃げることを諦めて、エリオットはただ唇を噛んだ——。


   ★


「あらかた片付いたか」


 黒竜——だと、この世界の人間が思ったかどうかは分からないが、瞑が幻影の投影魔法によって作り出した、日本の映画文化に生み出された怪獣群の頂点の偉容で、退治する予定だった山賊たちは交戦を開始する前にあらかた逃げ出していた。

 仮に戻ってきそうなやつがいたら、始末するようにと零士は将人に指示していた。どうなっているのかは分からないが、少なくとも戻ってきたやつはいない。

 始末とは言っても、殺さなくてもよいと伝えている。パンクだのなんだの言っている将人だが、そう簡単に殺しができるほど壊れているとは思わない。自分はともかく、普通の高校生には無理だろう。


 殺してしまってもそれはそれでかまわないのだが。


 この世界の常識的には山賊狩りと言えば、殺さず捕らえるのは山賊の頭だけで十分だ。実際、零士たちが操っている、砦の将たるローデシア聖王国の上級騎士もそのように言っていた。

 頭を殺さず捕らえる理由も、民衆の前で裁きにかける——公開処刑で被害者の溜飲を下げさせるためだというのだから、この世界は甘くない。

 ともあれ、零士が山賊のアジトである洞窟に辿り着いたときに残っていたのは、頑迷な山賊のボスといくらかの手下だけ。

 最初はこちらを侮って交戦の構えを見せていたのだが。

 それも、聖剣の力を用いて、彼らが立てこもる洞窟の屋根をではだいぶ素直になっていた。


「い、命だけはお助けを……」


 地べたに土下座して、さっきまで顔を伏せていた山賊の頭らしき男が、ちらりとこちらを見てきた。無言でねめつけてやると、すぐに視線を地面に戻した。


 ——これだから、立場の分かっていない馬鹿は困る。


 零士がそんな風に考えていると、さくさくと軽快な靴音とともに制服姿の瞑が現れた。日本ではない別の世界にいるというのに、その格好を続けているのは彼女だけではなく、零士もであった。

 その理由は、愛着と無頓着という別種のものではあるのだが……。


はいったいどうした、瞑」


 歩いてくる瞑のそばに、ふわふわと宙に浮いている少年を指して零士が問いかける。


「この子、あたしが欲しいな、もらっていい?」


 心なしか弾んだ声で問いかけてくる瞑に、零士は眉の付け根をよせる。


「好きにすればいいが……どういうつもりだ、瞑?」


 零士は瞑に借りがある。その一部は、この世界に来た時に、神とやらと取引して瞑の治らない病気を治してもらったことで返したつもりではあるが、まだまだ返しきれていない。なので希望は叶えてやらなければならない。だが、どうしてこんな小汚いガキを欲しがるのか。


「ん……どっかの誰かさんと似てて、ほっとけないなあって。それだけ」


 そのとやらが、孤児だった頃の自分を指しているのは考えるまでもない。自分は、二十歳まで生きられるかどうか分からなかったというのに、どこからその博愛精神が来るのかと思う。そのくせ、こんな台詞を吐くときにも無表情。


 まったく、分からない女だ——。


「分かったよ、——。……いや、瞑の、好きにすればいい」


 言い間違いに頬へ血がのぼるのを感じる。それを振り払うように、投降した山賊連中を眺めて、さてこいつらの始末はどうしよう……と零士はふたたび考え始めた。

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