154話「やわらか抱き枕」
「ごちそうさま・・・・・・。」
そう言ってニーナが匙を置いたが、彼女の弁当箱にはまだ半分以上残っている。
「・・・・・・ニーナ、また全然食べてない。」
「なんかもうお腹いっぱいになっちゃった。」
「秘密兵器も良いけれど、きちんと休まないとダメよ? ここ数日、顔色が少し悪いわ。」
「うん・・・・・・でも、早く作らないと、忘れちゃいそうだ・・・・・・し・・・・・・。」
言葉が終わらないうちにコテンと横になり、可愛い(?)寝息を立て始めるニーナ。
午後の授業までは時間があるし、少し寝かせておいた方が良さそうだ。
声を殺しながらリーフが呟く。
「はぁ・・・・・・もう、仕方の無い子ね。」
サーニャがサッとニーナの弁当箱を取り上げ、あっという間に残りを平らげてしまった。
ここ数日、すっかりそれが習慣付いてしまっている。
・・・・・・ゴミにならないから良いんだけど。
その所為でニーナの体重が少し落ちている様子。
健康面に大きな影響は出ていないが、育ち盛りなのだし、長く続くようなら無理にでも止めた方が良さそうだ。
・・・・・・言っても聞きそうにないのが問題だけど。
逆に、サーニャの体重は増えた・・・・・・訳では無い。
ただエネルギーを摂取した分、更に元気に動き回っている。
こちらに関してはまぁ、健康的で良いだろう。
「貴女からも何とか言ってやりなさいよ、ヒノカ。」
「ふむ・・・・・・とは言っても、折角ニーナがやる気を出しているのだしな。」
「そうだけれど・・・・・・。」
「それに、アリスも付いているのだ。そこまで心配する必要は無いだろう。」
「・・・・・・それが心配なのよ。」
リーフがジトリと横目でこちらを睨む。
信用されてねぇ。
「ま、まぁ先日は没頭し過ぎて鼻血が出ちゃっただけで・・・・・・。」
「そういえばあの時、校長先生が伝言を伝えに来たのよ!? 一体何をしたらそうなるのよ!?」
レンシアの代わりに表向きの雑務をこなしている、言わば影武者のお爺さんだ。
彼女が伝言を託せるのはその人くらいだが、まさか直接来るとは・・・・・・。
「ア、アンナ先生にお願いしたから分からないけど、寮長さんも休んでる時間だっただろうし・・・・・・。」
「それにしたって・・・・・・おかしいわ。」
「と、とにかく! ニーナの事はもう少しだけ様子を見ておくよ。近いうちに完成するって言ってたし。」
「ふぅ・・・・・・分かったわ。お願いね、アリス。」
「うん。」
クイとフラムに袖を引かれる。
「ん? どうしたの?」
「きょ、今日も、先生の所・・・・・・行く、の?」
寂しそうな表情でこちらを見つめてくる。
「う、うん・・・・・・多分。」
「そ、そっか・・・・・・・・・・・・。」
しゅんと項垂れるフラム。
こうして何も言われない方が堪える・・・・・・。
「そうだ! ニーナが秘密兵器を作り終わったら、また買い物にでも行こうか。」
「良い・・・・・・の?」
「勿論だよ。フラムはそれで構わない?」
「う、うん・・・・・・!」
暗い表情が晴れ、ホッと胸を撫で下ろす。
最近はニーナに掛かりっきりだったからなぁ・・・・・・。
これで埋め合わせになれば良いけど。
ともかく・・・・・・午後の授業は気合を入れないといけなさそうだ。
こみ上げてくる欠伸を何とか噛み殺した。
*****
「アリス、今日はもう終わるよ。」
作業部屋から出て来たニーナに声を掛けられ、手を止めてハッと時計を見上げた。
「あ・・・・・・もうこんな時間か。また鼻血出ちゃったの?」
ニーナの鼻の周りや手には乾いた血の跡が残っている。
「うん・・・・・・えへへ。でももうボク一人で止められるから大丈夫だよ。」
「・・・・・・みたいだね。顔、綺麗にするから少しじっとしてて。」
「ん・・・・・・。」
ニーナの頬に触れて顔を固定し、魔法を掛ける。
「次は手だね。」
彼女の手を取ると、爪の中にまで血がこびり付いていた。
鼻血だと分かってなかったらビビってただろうな。
「よし、終わり。」
「ありがと。」
「気分はどう?」
「う~ん・・・・・・、気持ち悪いとかじゃないけど、良くはないかも。」
鼻血が出て気が滅入っている、という感じか。
体調が悪い訳では無さそうだ。
まぁ、寝不足が続いているから一概に良いとも言えないだろうが。
「今日はもう休みなよ。ソファは先生が使ってるから、ベッドでね。明日は休みだし、ゆっくり眠れるよ。」
学校を出る時にリーフ達には泊まると伝えてあるし、この間の様に慌てる事は無い。
「アリスはどこで寝るの?」
「私は床で寝るよ。準備もして来たし。」
今日はインベントリの中に新品の寝袋を用意してあるのだ。
しかも魔女謹製の良いやつ。・・・・・・値は張ったが。
今使ってる古いのでも良かったのだが、折角だしな。
年甲斐も無くウキウキしてしまう。
「ダ、ダメだよ! 前もボクがベッド使っちゃったんだし、今日はアリスが使いなよ!」
「体調が万全じゃないんだから、ちゃんとベッドで休みなよ。私は大丈夫だから。」
「で、でも・・・・・・アリスだってあんまり寝てないでしょ!?」
「私はもう慣れちゃってるからなぁ・・・・・・度合い的にはニーナの方が酷いんじゃない? 授業中に居眠りしちゃうくらいだし。」
「う・・・・・・。それはそうだけど・・・・・・。じゃ、じゃあ一緒に寝ようよ!」
「へ・・・・・・っ!? い、一緒に・・・・・・っ!?」
「・・・・・・顔赤いけど、ホントに大丈夫?」
そ、そうだよな・・・・・・そういう意味じゃないよな。
いかんいかん・・・・・・マルジーヌさんとの一件が軽くトラウマになってやがる。
「う、うん、大丈夫。一緒に寝るのは良いけど、このベッド一人用だよ?」
「ボク達二人ならいけるんじゃない?」
一人用のベッドと言っても大人が使うもの。
ニーナの言う通り、子供二人ならなんとか収まりそうだ。
「・・・・・・分かった。じゃあそうしようか。」
「じゃ、ボクこっち!」
ニーナがベッドの奥側へ寝転がる。
「折角寝間着を用意してきたんだし、ちゃんと着替えなよ。」
「あ、そうだ! お風呂! お風呂入りたい!」
「お風呂って・・・・・・今から学校に戻る気?」
大衆浴場・・・・・・いわゆる銭湯のような施設は街中にもいくつか存在するが、個人や一家庭にまでは普及していない。
アンナ先生個人の所有であるこの工房も、裏に井戸があるのみ。
一番近くにあるのが学校の敷地内という訳だ。
足を伸ばしたところで、時間的に他の浴場は閉まっているだろうが。
「違うよ! アリスが出してよ!」
「あぁ、それで良いなら構わないよ。なら裏に出ようか。」
ソファで寝ているアンナ先生には声を掛けず、裏へ繋がる扉から静かに外へ出る。
地面の土を使って井戸の側に少し大きめの浴槽を作り上げた。
「お水汲むねー。」
ニーナが井戸に備え付けられた桶に手をかける。
「いや、大丈夫。桶は邪魔だからそのまま持ってて。」
魔法で井戸の底から水を汲み上げ、温めてから浴槽へ張る。
湯気が立ち上がる湯船にスッと手を浸けるニーナ。
「ちょっと温い?」
「のぼせてまた鼻血が出たら大変でしょ。」
「えへへ・・・・・・そっか!」
ポンポンとニーナが服を脱ぎ、浴槽の側に拵えた脱衣籠に放り込んでいく。
・・・・・・無駄に男らしい。
湯船に飛び込むと僅かに浴槽からお湯が溢れ、地面を濡らした。
「わっ・・・・・・もう、飛び込まないでよ。」
「ごめんごめん。・・・・・・アリスは入らないの?」
「んー・・・・・・折角だし、入ろうかな。」
「じゃあ・・・・・・ハイ!」
ニーナが脇へ寄り、湯船のスペースを空ける。
「一緒に入るの・・・・・・?」
「え・・・・・・だって別々に入らなくても良いよね?」
「それはまぁ・・・・・・そうだけど。」
「ホラホラ、早く脱いじゃいなよ!」
パシャパシャとニーナが水を掛けてくる。
「わ、分かったから掛けないでよ!」
もう一つ脱衣籠を作り、そこへ自分の着ている服を放り込んでいく。
掛かり湯の代わりに魔法で体を清め、ゆっくりと湯船に身を浸した。
「・・・・・・ちょっと温い。」
「だからさっき言ったじゃん!」
温水プールと言った感じの温度。
夏場ならまだ良さそうだが、今の時期だと少し肌寒い。
下手をすると風邪を引いてしまいそうだ。
「少し温度上げるね。」
湯船の中に魔力を流し、少しずつ温度を上げていく。
「おー、あったかいー。」
「これくらいで良い?」
「うんー、だいじょうぶー。」
水面に顔だけプカプカ浮かべてニーナが答えた。
俺としてはもう少し熱い方が好みだが、ニーナがのぼせるといけないしな。
「プハッ・・・・・・きもちいー!」
今度は潜って遊んでいたニーナが月の下に肢体を晒し、風を受ける。
月光と工房の窓から漏れる光に照らされたニーナの身体に、いくつかの小さな痣を見つけた。
「ニーナ・・・・・・体に痣が出来てるよ。」
「えっ・・・・・・どこ?」
「ここ。」
腕の外側にあった痣を指し示すと、ニーナが身体を捻るように覗き込む。
「ホントだ! うー、寝惚けてどこかにぶつけたのかなぁ・・・・・・?」
「・・・・・・今日はゆっくり寝てね。」
「そうする・・・・・・。」
*****
灯っていた魔力の光を消すと、窓から差し込む月の光が部屋のシルエットを浮かび上がらせる。
か細い光を頼りにベッドへ到達すると、既にニーナが寝息を立てていた。
「もう寝てるし・・・・・・。」
ニーナの眠るベッドにそっと入り、彼女に背を向けるように横になる。
突然、背中のニーナに抱きつかれ、引き寄せられた。
「ちょっ・・・・・・ニーナ!?」
耳元に吐息が掛かる。
「ひゃぅ・・・・・・っ!」
ニーナの腕から逃れようともがくが、まるで物を扱う様に強引に引き寄せられる。
「な、何してんのさ、ニーナ!」
俺の抗議に無言で・・・・・・いや、寝息でニーナが答えた。
これ、抱き枕にされてるやつだ・・・・・・。
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