二十三 駒と棋士

 イサオは、ゴオレムに搭乗してほしい、と言われたときのように首をかしげる。

「ケト家も、アイノ家も、喧嘩沙汰で済ます以上、なんらかの公式記録をのこす気はない。それは当初から決まっていたことだ」

 サノオは自分に言い聞かせるようにゆっくりと話す。

「それゆえ、加勢したアケノリ家、ジョウ国軍としても公式の記録をのこすことはできない。さて、このたび、レムノウル公はタツキ公より提供された私的な戦闘記録をも破棄すると決断された。ヨリフサ王はそれを受け、こちらの実験記録についても破棄せよと命じられた。記録がなければ軍功もない。わかるな?」

「わかりません」

「わかってくれ」

 ふたりは見つめあった。イサオの目にはとまどい、怒り、疑問がこめられていたが、サノオの目は深くおちくぼんで感情を読み取れない。イサオは、自分が戦っていたとき、この人も戦っていたのだろうと思った。

「では、喧嘩沙汰に加勢していた期間、なにをしていたことになるのですか」

「通常勤務という扱いになる」

「エオウもですか」

 サノオは目をそらせる。

「記録上は勤務中の事故となるが、恩給などは戦死と同様に支払われる。また、遺族は互助会への入会資格も認められる。それだけはなんとか取った」

「と、いうことは最初はそれすら認めない気だったんですね」

「公式の記録がないからな。事故見舞金は出すが、恩給はなし、入会は認めないというのが玉座の間の立場だった。お歴歴を前にしてひと暴れしたさ」

 サノオはよほど疲れているのだろう、イサオには言わなくていいことも話している。それがわかるだけに、いまは自分の思いをたたきつけるのがためらわれた。そして、サノオもイサオがそんな風に気をつかっているのがわかった。

「すまない。ほんとうにすまない」

 上官に対する礼を忘れたままサノオの執務室を出たがとがめられなかった。サノオ自身、イサオが礼をしたかどうかなど見ていなかったのだろう。

 北の塔内は修復儀式につかう香の臭いが強くたちこめていたので中庭に出てほうりっぱなしの樽にもたれた。夜でも気温が高いが湿気が少ない分、山の向こうよりさわやかだ。でも、自分が帝国領に行ったという証拠は、関係者の記憶以外にはもうない。

 エオウ以外の味方の死傷者がどういう扱いになるかはわからないが、タツキ公ならば道理にかなった対応をしてくれるだろう。イサオは新兵熱の後に声をかけてくれた姿を思い出していた。

 しかし、処刑され、丘に埋められた敵兵士はどうなるのだろう。かれらの遺族はどういう通知を受け取るのか、そもそも通知が出るのか。いや、この事件について考えてみれば、監視対象にされることも考えられる。ノヤマ公のつながりでどれほどの貴人が没落し、その周辺でどれほどの人々が影響をこうむるのか。その全容を理解できる者はいるのだろうか。

 いるだろうなと思う。闘将盤には盤面を見下ろす立場の者がかならずいる。その者は闘将の争いをわきで見ている見物人かもしれないし、棋士かもしれない。見物人は駒の動きをあれこれ口出しし、棋士が動かす。実際に戦って盤からとりのぞかれるのは駒だ。

 でも、見物人や棋士がとりのぞかれることもある。ノヤマ公はそういう勝負に金品を持ちこませたくなくて争い、かなりの味方やついてくる部下もいたようだけれど、まわりの人を殴りつけるやり方のせいで結局は葬り去られた。

 自分はといえばあきらかに駒だ。棋士はサノオだろうか、タツキ公だろうか。棋士も、もっと上から見れば駒だ。ヨリフサ王やレムノウル公や皇帝陛下はかなり上のほうの棋士だ。いちばん上の棋士はなんだろう。祖神か、運命というものか。

「あの、ちょっとよろしいですか」

 イサオは反射的にひざをついて礼をした。この時間に城内を歩き回っている女性となれば、すくなくとも自分より身分が上なのはまちがいない。相手がだれかわからなくても礼をしておいたほうがいい。

「すみませんが、北の塔の方ですか」

「はい。イサオと申します。研究助手をしております」

「あら、申し遅れました。わたくしは東雲の上の女官を務めている者ですが、こちらから、その、あまり良いとは言えぬ香りがただようようですので確認に参りました」

「それはご迷惑をおかけしております。現在、迅雷号の修復儀式が行われており、その香と思われます。まことに申し上げにくいのですが、三日ほどは続きます」

「まあ」

 白っぽい灰色の服の女官は困ったような声を上げる。

「東の塔にてご不快のお声がございますか? もしそうであれば上官のサノオにその旨を伝えますが」

「いえ、確認が取れればよいのです。それでは失礼いたします」

 イサオは女官が見えなくなるまでひざをついていた。立ち上がると、それまで考えていたことがそれほどたいしたことではないように思われた。世の中を闘将盤にたとえてみたところで、それがどうしたというのだろう。

 でも、正しい棋譜が残されないという点はどうだろう。エオウという駒が取り除かれたが、その譜は真実ではなく、勤務中の事故となった。

 玉座の間のお歴歴は、駒を動かすのみならず、棋譜をも好きにできる。

 わたしは迅雷号を操り、戦場ではゴオレムと対等に戦える力があるが、その力はノヤマ公がふるって世界から葬り去られたのとおなじ種類の力だ。

 一方、ヨリフサ王やレムノウル公の力は、世界で起きたことの記録をどうにでもできる力だ。

 けれど、あの丘には多数の処刑された敵兵の遺体が埋まっている。味方の遺体は遺族に引き渡され、それぞれのやり方で葬儀が行われただろう。この事実は変わらない。

 事実と、事実の記録。あったことなかったこと。わたしは帝国領で迅雷号を操って戦ったのか、ここで変わらず勤務していたのか。

「なんだ、そんなところにいたのか」

 カグオだった。休憩に出てきたらしい。

「ええ、ちょっときれいな空気を吸おうと思って」

「あの香か。我慢しろ。あれがいちばんきれいに石を成長させるんだ」

「東の塔の女官がきましたよ」

「ほんとか?」

「ええ、臭いの確認に。説明したら、しょうがないって感じでした。後でサノオさんに話しておきます」

「それだが、おまえ、やりあったのか」

「まったく記録に残らないってのは気に入りませんから」

「そりゃそうだろうが、あの人も板挟みなんだよ」

「わかってます。エオウさんのことではいろいろとあったみたいですね」

「ああ、あまりそういうことは言わないが、うわさだと首を賭けたそうだ。あまり良くないうわさだな」

「そうなんですか?」

「そりゃ、玉座の間と対立したらまずいだろう。予算とか」

「カグオさんはそれでいいんですか。喧嘩沙汰に加勢したことはみんな無しになったんですよ」

「だからといってなにかできるわけじゃない。なにもできない過去なんかさっぱり忘れて、未来のことを考えるさ」

 カグオはその言葉ほどさっぱり過去を忘れる気はない口ぶりだった。

「わかります。そうでも思わなきゃやってられない」

「おまえもそうか。なあ、次の休暇、いっしょに取れそうだし、エオウの墓参りに行かないか。おれはエオウの家族とも付き合いがある。紹介してやるよ」

「ありがとうございます。もちろん行きます」

 イサオとカグオ、私服のふたりをうしろから見ると、年のはなれた兄弟のようだと、城門の警備兵は提出された外出許可証を整理しながら思った。おとといから降り続いていた大雨も昨夜止み、よく整備された道には水たまりは残っているが、歩いても服は汚れない。

 エオウの家は掃除が行き届いたこぢんまりとしたつくりで、庭には香草が植えられている。子供が三人遊んでいたが、いちばん上の子はイサオくらいの背があった。その子が来客を知らせ、夫人がふたりを迎えた。

 紹介が済むと、全員で墓に参った。墓石はなんとなくエオウのような四角い石だった。線香と、鮮やかな夏の花を供えて手を合わせる。子供たちはイサオの体格を珍しがり、一番下の子は無礼を叱られた。

 それからエオウの家に招かれ、大人だけで茶をいただく。経済的な苦労はないらしく、茶も菓子も相応のものだった。

「互助会のほうから紹介いただいた仕事が決まりました」

 夫人は低い声で落ち着いて話す。

「それはよかった。なによりです」

 カグオは丁寧すぎる口調で返した。しばらくだれも話さず沈黙がつづいたが、夫人が破った。

「先にいただいたお手紙にもありましたが、主人の、その、最期の状況についてお話ししたいとのことですが」

「はい。出発前にご主人から伺っていたことや、うわさなどでもうわかっておられるとは思いますが、やはり、最期を見届けたわたしが直接説明したほうがよいのではないかと思いました」

 カグオは一口茶を飲んで続ける。

「もちろん、その準備ができていればですが、公式の発表だけではご不満もあるかと思います」

 イサオは内心驚いていた。こんな突っ込んだ話になるとは思ってもいなかった。

「よろしいです。準備はできております。勤務中の事故などとは思ってもおりませんでしたから」

 カグオは当時の状況を、できるだけ感情を交えず、実験報告のように行った。

「わたしは、こちらのイサオ君とともに喧嘩沙汰に加勢するべく帝国のケト家、アイノ家の領境の丘で戦闘を行っていました。われわれふたりはイサオ君の操作する新型ゴオレムの監視と記録を担当していました」

 木の上で体をしばり、ゴオレムの戦闘を記録し、時にはイサオからの信号を中継していたこと。敵をなんどかやり過ごしたこと。一体目の敵ゴオレムを倒した後、破損の状況を確認するため、木を下りてもっと近寄るかどうか相談していたとき、投石があったこと。エオウの頭にあたり、目を閉じ、呼びかけても答えなくなったこと。顔色が青ざめ、唇が紫色になったこと。

「わかりました。もう結構です。ありがとうございます」

 夫人は目を閉じている。カグオは青ざめていた。イサオはのどが詰まったかのようだった。

 しばらくして夫人がおちつき、それから故人の思い出話や雑談になった。夕食をすすめられたが、閉門に間に合わないので遠慮して辞去するとき、夫人が言った。

「真実を知ることができて良かった。ほんとうにありがとうございます」

 帰り道、周囲に人がいなくなったので言った。

「カグオさん、なんであんな思い切ったことをしたんですか」

「これがおれの意地だ。記録はなかったことにできても、あった事実を知るべき人はいる」

「法的には正しくない行為ですよ」

「イサオ、この件に関しては、おれの意地のほうが優先する。サノオさんも意地を通した。おまえにもゆずれない意地はあるだろう」

「はい。あります」

 思ったより大きな声が出た。イサオは自身驚き、さきほどののどの詰まりが取れたせいだろうと思った。


(2024/02/14)ボツ案二つを公開する近況ノートを書きました。

https://kakuyomu.jp/users/ns_ky_20151225/news/16818023213532727866

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