十二 休暇

 イサオは、やっとまる一日の休暇が取れた。残念ながら自分ひとりだけで、迅雷号の担当技術者たちとは日がずれてしまったが、取れる時に取っておかないと次がいつになるかわからない。城を出るのは戦からほぼひと月ぶりだ。毎日報告書書きと新兵訓練で暇がなかった。おかげで字はましになった。サノオに叱られ、カグオが見てくれたおかげだ。

 戦後処理の忙しさもあったが、イサオが外出することはとくにきびしく制限された。かわいそうに思ったエオウとカグオが口をきいてくれ、保証人になってくれなければいまでも北の塔と兵舎の往復だけだったろう。だから迷惑をかけるわけにはいかない。イサオは、城下町をぶらついて息抜きをしたら、城門が閉まる前に余裕をもって帰るつもりだった。

 兵舎の警備兵の詰め所ではかなり時間をとらされる。外出許可証は通常の書類ではなく、保証人連署まであるたいそうなものだったので、警備兵が確認に手間取ったからだった。

 ようやく門を抜け、歩いて城下町にむかう。馬の許可証については、とる気力も時間もなかった。

 途中、風に吹かれながら行く道々で稲穂を手に受けてみたが、良い出来ではない。素人にもわかるくらいだ。気候のせいだろうか。

 戦後、税金は確実に上がる。王はほとんど国中をつくりかえるような治水と道路整備計画を公表している。帝国の技術者を招くというし、キョウ自治区も整備すると考えると、出ていくほうが多くなる一方だ。

 救いといえば、漁業が潤っていることくらいだろうか。なぜか、米の出来が悪い年は魚がよく獲れる。人づてに伝わってきた城の学者の話によると、海の流れが関連しているとのことだったが、イサオには海流と気候がどういう理屈で関係しているのかはわからない。

 それでも、城下町はにぎわっていた。開戦が伝わってきたころには終戦していたと言われるくらい早く決着した戦争、しかも農村の被害なし、国の統一という結果は人々の心をあかるくしている。他国からも商売人が流れ込んできているようで、聞きなれない訛で交渉している人の塊がそこかしこにあった。

 ただ、街角の老人の立ち話には暗い調子が混じっている。若者ほど単純に戦勝を喜んではいない。今回の戦が骨肉の争いであり、また、勝ったところで古ジョウ国以上の新領土が得られるわけではない点を嘆いていた。税金が増えるだけさ……、とか、こんどの単位、換算がややこしくてわしにはもう……、といった愚痴が主だ。

 単位といえば、王の認証印を捺された秤や升などの計量器具や、一般向けの換算表がよく売れていた。今年の納税からは新単位で計量するという告知はかなり以前からされていたはずなのだが、人々は、いよいよとなってからあわてている。

 空腹を感じたイサオは、昼営業もしている居酒屋で食事にした。かたく炊いたご飯と甘辛く煮た肉、麺と野菜がたくさんはいった汁。葛の菓子と渋い茶で仕上げる。菓子をつまみ、茶を飲んだので、代金は初期訓練兵のときであればためらう額になったが、いまではそれほどでもない。それに、どうせ使う機会はあまりない。

 広場に出ると、いっそう騒がしくなっていた。食後の人々がそこら中から渦を巻くように集まってくる。皆、雑談を楽しんでいる。イサオは塀にもたれて空を見上げ、ぼんやりする。前にこんな時間を持ったのはいつだったろう。まわりは話し声、売り声、足音、手入れの悪い荷車の車輪がきしる音、荷積み、荷下ろしの音、そういった群衆の騒音だらけなのに、迅雷号のなかのように静かでもある。ひとりも悪くない。

 そのうち、腹ごなしの人が広場からいなくなってくると、人と人のあいだのすきまが大きくなってくる。そうなってから、子供をあてこんだ人形劇の一座が即席の舞台を組みだした。演目は『セトル・セトリルの妖婆退治』だった。なつかしい、いまでもやるのか、と、うれしくなった。

 子供たちが集まり、小遣いを出して飴をもらってはいいところに座ろうと押し合っている。一座の親爺はそういう子供たちを仲裁している。

 人形劇がはじまる。『頓智橋渡り』の場だった。セトル・セトリルはちびで剣と馬の腕はからっきしだが、要領がよくて頓智がはたらく武者だ。主君の姫様が妖婆にさらわれ、みごと救助して結婚するという話だが、戦いではなく頓智で危機を切り抜けるのが面白くて大好きだった。

 そのなかでも盛り上がるのがこの場だ。妖婆の住む真っ暗山に行くにはこの橋を渡らなければならないが、橋のこちら側、真ん中、あちら側のそれぞれに三匹の兄弟妖怪がいて、出題する問題に正解しないと食い殺されてしまう。それをセトル・セトリルが当意即妙で答えるのが愉快で痛快なのだ。

 イサオはほかの大人たちのように、わきからのぞき見していたが、この一座、なかなかうまい。また、人形や道具、背景や仕掛けが凝っている。幟の宣伝文句には、帝国にて興行し大好評、とある。それがおおげさに感じない出来具合だった。

 さらに感心させられたのは、この場を最後まで終わらせたことだ。ふつうは翌日も客を引き寄せるために、橋の真ん中の次男妖怪まで演じ、最後のあちら側の長男妖怪になると、盛り上げるだけ盛り上げておいて、この決着は次回にて、などとすることが多い。それを最後まで演じきったので子供たちは喜んでいたし、まわりの店も、大人まで集まったのを嬉しがり、明日もここで演じてほしいと頼んでいた。

 イサオは後片付けを手伝っている親爺に近寄り、声をかけた。

「親爺、いそがしいところ済まぬが」

「はい、なんでしょう」

 親爺はイサオを見てうろたえ、おどおどとした愛想笑いになる。ちいさい人だが、態度と服を見れば軍人だとすぐわかる。それがなんの用だろう。不敬でもあったのだろうか。

「いや、わたしは休暇中で、公務ではない。いまの人形劇、子供のころにもどったようで楽しませてもらった。感心した」

「それはどうも、ありがとうございます」

「幟にあるが、帝国でも上演したのか」

「はい、劇場ではなく、広場ですが。わしらには空の下のほうが似合います」

「そうか、それではこれを受け取ってくれ。見物料だ」

「いいえ、そんな」

 親爺は手を振って断る。子供向けの人形劇だ。わきからのぞき見していたからと言って、大人、しかも兵士から代金をとるつもりはない。

「いやいや、そうではない。自分で言うのはなんだが、わたしは大男ではない。だから、子供時分はセトル・セトリルの話が大好きであった。今日はなつかしく、愉快で良い気分になった。そのお礼だ」

「そうですか。そういうことなら頂戴いたします。あっ、少々お待ちを」

 親爺は裏へ駆け込むと、呼び込みのときにさげていた革鞄をとってくる。

「さあ、これをどうぞ」

 飴玉を一袋差し出した。

「遠慮なさらずに。見物料をいただいた以上は、こちらとしても飴を受け取っていただかないといけません」

 律儀な親爺ではあるが、イサオは意外なことになってとまどった。子供や大人がくすくす笑っている。ちいさい兵隊さんが飴をもらっているよ、とささやき声が聞こえてくる。

「ありがとう」

 イサオは袋を受け取ると、その場を大またで後も見ずに離れる。顔が熱い。赤くなっているだろう。しかし、悪い気分ではなかった。

 最初の曲がり角を、どこに行くのかわからずにさっと曲がってずんずん歩くと河原にでた。ゆっくり流れる幅広い水面で日光が散らされている。白い粉をまぶされた飴をひと粒口にほうりこんだ。

 酸っぱい。頬がすぼまる。これも子供のころのまま、変わらない味だ。白い粉は酸味が強く、なめてしまうと飴の本体になるが、その頃には舌が甘味をつよく感じるようになっており、実際につかう甘味料はすくなくて済むという、駄菓子の知恵だった。だから、うっかりこの白い粉をはたき落とすとさほど甘くない飴になってしまう。

 ようやく甘い本体にたどりつく。大人になってから味わうと、かなりどぎつい甘味だ。味が変わらないということは、仕入れがおなじなのだろう。

 あの人形劇一座は帝国から南下してきたようだが、ジョウ国の戦争が終わり、人々の気持ちが盛り上がっているとわかっているあたり、かれらにはかれらなりの情報網があるにちがいない。芸人同士のつながりや、こういう駄菓子の仕入れ業者の噂話など、なんでも情報源にして旅を続けるのだろう。

 イサオは飴をなめつくすと、もう帰ることにした。心をからっぽにできて気分がいい。そのまま川沿いに町を出て、城へと帰っていった。

「サノオ殿から。ちょっと寄ってほしいそうです」

 城門の詰め所で外出から帰ってきた届けを出すと、警備兵がそう告げた。

「ありがとう。なんの用だろう」

「そこまでは伺っていませんが」

「そうか。じゃあ」

 イサオは北の塔に行き、通用口の前で警備兵に話をすると取り次がれ、サノオが出てきた。包みを持っている

「休暇中にすまんな。ちょっとあちらで」

 ふたりは塔のそばの資材が積み上げてあるところに腰を下ろす。サノオは片手の包みを差し出した。

「これを昼頃マトリ公から預かった。カミヅカ公からおまえにだそうだ」

 イサオは受け取って包みを開くと、縫い取りのある手巾だった。手にとってひろげてみると、あの時の映像が目の前に現れるように思い出された。

「おまえにはわかるのか。ハツシマ公の手巾とのことだが、カミヅカ公からヨリフサ王にわたされたものだ。カミヅカ公からは、感心した、負け戦のなかで愉快を感じた、との御言葉を賜った。もしよかったら、どういうことか教えてもらってもよいかな」

「ええ、公式の報告には入れませんでしたが」

 イサオが報告書に書かなかった行間にあたる部分を説明した。

「そうか、あのとき古式の信号だったのはそういうつもりがあったのか。しかしだいそれたことを考えたものだな。敵の王を挑発してやろうとは」

「はい。もしかしたら新兵熱が残っていたのかもしれません。でも、愉快だったとは、カミヅカ公のほうが上手だったようです」

 サノオは笑う。イサオも笑った。

 手巾は、イサオの軍用行李に大切にしまわれた。

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