八 塩味の粥

 迅雷号が先頭になり、そのうしろから騎馬隊とゴオレム技術者ふたりが、渡りをする雁の群れのようにくさび形になってついていく。かなりの速足であり、地面の状態のいいところでは駆け足になった。小休止のたびに木に登って現在位置や進行方向を測定していたが、担当の兵士は、結果報告するたびに毎回聞き返され、再確認させられるのにうんざりしている。兵士たちの経験ではゴオレム付きでこれほど短時間に移動できる距離ではないからだった。測定結果を信じるならば、騎馬隊のみでの移動とまったく変わらないことになる。想定していたこととはいえ、ゴオレムと行軍しているとは思えないほどの移動速度に皆は驚き、また、この新兵器に感心するとともにとまどってもいた。そして、騎馬隊の全員が、迅雷号の名を実感していた。

 日が沈み、雨は降りやんだ。迅雷号と随伴騎馬隊は、コウエキケ山を背後に遠く見る敵地の奥深くで停止した。迅雷号はいつもの、貴人に拝するような駐停止姿勢になる。

「夜襲、あるかな」

 カグオが封印を解いてからエオウに小さな声で聞く。

「あるだろうな。でも、まともに編成された部隊じゃないだろう。たぶん……」

 エオウは石をはずしながら、おなじくらいの小さな声で返事する。

「やっぱり、昼間逃げてった残存兵」

「うん、そいつら以外は間に合わないはずだ。昔からあいつらは兵を薄く広げて配置するから、この速さで侵攻されると受けきれないだろうな。それに、よそではほかの二体が戦ってるはずだし」

 ふたりが封印石を迅雷号の背に首からぶら下げるように固定すると、イサオが這い出してきた。目をぱちぱちさせている。迅雷号の目で長時間過ごしたので、自分の目にもどるまでは混乱があるようだった。搭乗口に油紙を広げる手元がおぼつかない。エオウが端を折り込むのを手伝う。

「ありがとうございます。目と手の感覚が……どうも」

「いいさ」

 三人とも地面に降りると、騎馬隊の上級兵が待っていた。皆敬礼し、兵は答礼する。

「今夜はここで夜を過ごす。明日は日の出前に出撃。作戦に変更はない。しっかり休め。それから、おまえたちは火は焚くな。火はあそこ一か所のみ。全員分の食事を作ったら消すから、自分の分はまちがいなく受け取るように。質問は?」

 質問がないことを確認すると兵は歩き去った。三人は荷物から自分の食器を取り出すと焚火のそばに腰を下ろす。火は光があまり漏れないように、掘ったくぼみのなかで焚かれている。そのうえ、炎のとどかないくらい高いところには、針葉に水をふくませた枝を組み合わせ、屋根のようにかぶせている。その屋根を抜けた煙ははっきりとうすくなった。なにもしないよりはいい。気休めにはなる。

 山の夜では、この季節でも火の暖かさは不快ではなかった。兵士たちは体を乾かしたり、靴を干している。馬は周囲数カ所に分けてまとめられ、干し草や雑穀を与えられたり、かってに草を食んだりしている。

 湯が沸き、粥が炊かれて配られた。訓練兵時代にくらべると飯粒の感じがあり、噛めるくらいの粥だったのでイサオはなんの文句もないし、エオウは実戦経験があるから、こんなものだと思って食べているのだろうが、カグオはつまらない顔をしている。イサオはその気持ちがよくわかった。軍の粥には味がない。腹がふくれて血が温まればいいのだ。かといって、タツキ公や上級兵まで同じものを同じだけ食べているのでだまっている。だまって愚痴を腹の中でこぼしているのだろう。

 イサオは粥を食べ終わり、熱湯をそそいでもらって食器に粘りついた残りかすをうかせて飲んだ。火は小さくされ、タツキ公と上級兵数人が地図をひろげて相談している。それもすぐ消された。見上げると夜空は晴れ、雲のすきまから星が見えていた。もう寝よう。明日は晴れるだろうか。

 肩をたたかれて目を覚ます。まだ暗い。

「夜襲だ。たいした数じゃない。迅雷号は不要。おまえたちは木にでものぼって見物しててくれ。手は出すな。とくにイサオ君はけがでもされると困る」

 上級兵は、迅雷号の腹の下で薄い毛布をかぶって寝ていた三人を起こすと、それだけささやくように命令して去っていった。全員飛び起きて顔を見合わせ、迅雷号にのぼった。

 イサオは、びっくりして止めようとするふたりを無視し、迅雷号の背からそばの木に移り、さらに木から木へと伝っていきながら高いところにのぼって見下ろした。暗闇に慣れた目でもようすはつかみにくいが、また戦闘を見たかった。敵は十人はいないだろうか。味方同士でかわされる声からすると、馬を傷つけようとして見張りに見つかったようだった。それから、前に聞いたことのあるにぶい打撃音がした。敵一人に味方二、三人でかかっている。革鎧を棍棒で打つ音。そして、肉がつぶれ、骨が砕ける音。命令の声、うめき声。

 打撃音のなかに高い音があることに気づいた。敵に金属の鎧兜をつけている者がいる。それがだんだん大きく響くようになり、急にやんだ。

 草をかき分ける音がして、白っぽい羽根をつけた光る兜が真下に見えた。ほかに兵はいない。音からすると、戦闘の中心は遠くに移っている。羽根兜の兵は左肩をおさえながら腰を低くしてかがんだ姿勢であたりを見回し、馬を見つけると短剣を抜いた。腱を切るつもりだ。

 大声を出すべき時なのに、イサオの喉は土の塊でふさがれたようになって出せなかった。この感覚はなんだろう。顔、指先、爪先が熱い。

 そこから先の行動について、イサオは理屈で動いたのではなかった。どこにも合理性のない行いだった。ちょうど吹いてきた風に押されるように、イサオの体は跳ねとんだ。

 羽根兜の兵の背中に落ち、その兵は腹からつぶれた。うめきながら即座に転がってその場をはなれようとしたが、その前にイサオの棍棒が後頭部から首のうしろあたりをめがけて振り下ろされた。棍棒は、初期訓練課程にある通り、目標で止めるのではなく、目標のむこう側へ抜けるように打ちつけられた。羽根兜の兵は、なにが起こったかわからず、イサオの顔も見ることはなかっただろう。

「もういい、もういいぞ」

「いや、わたしの、体格、それと、体力、では、他人が、一発で、すむところ、でも、二、三発は、いるんです」

「もういい。無力化した。やめろ。命令だ」

 上級兵の一人が音を聞きつけて駆けつけた時には、羽根兜のなかで頭は砕けていた。イサオの手と顔ははねた血液などでぬらりとしている。ほかの兵もやってきて、それでも棍棒を打ちつけつづけるイサオをうしろから抱きかかえるようにして止めた。

「だめだ、あっちへやれ。こいつ新兵熱だ」

 兵たちはもがくイサオを押さえつけて棍棒を取り上げ、目隠しをし、引きずってその場から離した。

 朝日の光が山々のすきまをくぐりぬけてきて、周囲があかるくなってきた。夜襲は完全な失敗に終わり、兵馬ともに被害はなかった。味方に行動不能なほどの負傷者はなく、敵五名はすべて無力化した。夜襲の常として、捕虜をとる余裕はなかった。

 本来なら出発していなければならないが、味方のけがの手当と、イサオの精神的な回復を待つため、遅らせることになった。タツキ公と上級兵が相談し、ここで朝昼兼用の食事をとってから出発することと決定された。

「新兵熱か。まちがいないか」

 タツキ公が、目隠しをはずされ、うつろな目をして地面にじかにあぐらをかいているイサオを見て部下に言う。

「はい、わたしが止めましたが、あの目はまちがいありません」

「敵兵は?」

「後頭部が砕けてなくなりました。顔はいくらか残っています。まあまあ裕福だったんでしょう。金属の兜です。夜襲だというのに羽根をつけていました」

「回復まで、かかりそうか」

「いえ、もう大丈夫です。いまは熱の後の疲労感が来ているところでしょう。食わせたら治ります」

「本来なら、命令違反で処罰しなければ、だが……」

「やはり新兵熱ですし、そこは……。それに、進軍の遅れは夜襲によるものです。新兵熱の影響ではありません」

「どうする? 記録に残すか」

 タツキ公は、エオウとカグオがイサオのそばに来て心配そうにしているのを見て確認をとった。

「残してください。これは実験も兼ねていますから、あったことは記録が必要です。それに、ただの新兵熱でしょうが、それでも命令違反です」

 エオウがあえて規律を重視した答えをし、カグオもうなずいた。タツキ公がすこし考えて言う。

「では、そちらの実験記録にのみ残せ。こちらの日誌には命令違反は記載しない。わたしとしてはイサオ君の行動は不問に付すつもりだ」

「わかりました。ありがとうございます」

 エオウは敬礼する。

 日が山の上に姿をあらわすと、皆、馬の世話をしたり、食事の準備をしたり、敵の遺体を整えて安置したりとそれぞれに働いている。タツキ公が二人分の食器を持ってきて、ひとりきりのイサオの隣に座った。粥が湯気を立てている。

「さあ、食え。熱が引いたら腹が減る」

「はい、いただきます」

 イサオは一口食べ、また一口食べ、無言で食べ続ける。タツキ公もいっしょに食べはじめた。

「うまいか」

 イサオはうなずく。

「塩が効いているだろう」

 イサオの手が止まる。

「顔や手くらいぬぐえ、乾いた血やらほかのものがぼろぼろ落ちてる」

 イサオは食器を持った自分の手を見、錆の粉がかかったような粥を見て、また食べだす。タツキ公はあごひげについた飯粒をとりながら大笑いする。

「善哉、善哉。新兵熱はすっかり治ったようだ」

 兵士が回ってきてふたりの食器に湯をそそいでいく。イサオは手ぬぐいにも湯をかけてもらい、しぼって顔と手をざっとぬぐった。

「おう、男前があがったな」

「謝罪します。命令違反をしました」

「それについては部下とも相談したが、今回にかぎり不問となった。新兵熱だ。これを処罰する前例を作るときりがない」

 タツキ公は立ち上がって尻をはらう。

「心も、迅雷号のように制御できればいいのにな」

 イサオは無言でいる。どう返事すればわからない。

「では、行こう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る