修証一如

 明智長山(おさやま)城(作中は明智城)は城下がある台地の北側から東西へ広がる山城である。南に城へのびる道があり、上がっていくとそのまま門をくぐり二の丸に行き着く。本丸はそこから西に連なり、現当主である光安の居館もそこに位置している。居館といっても近世城郭にみられる本丸御殿のような大層なものではなく、現代で言えば田舎の邸宅と同等の大きさの中世的な屋敷であった。すれ違った近臣に叔父の所在を聞くとちょうど昼餉を済ませ奥の間にいると言うので、十兵衛は弥平次と共にまず報告へ向かった。

「十兵衛か、はいれ。」

「ははっ。」

奥の間の中心には懐紙を啄み刀に打ち粉を振る光安が座しており、二人は間の外より片膝を付き控えた。刀は手入れが行き届いており、陽を反射して優美な輝きを見せている。一通りの作業をこなし傍らに太刀を置くと、光安は二人のほうを見据えた。

「城下警固の任、大儀である。して、どうであった。」

十兵衛がおもむろに答える。

「城下は依然として平穏につき目立ったことは見当たりませぬ。ただ、尾張への商いを展開している商人らはいささか不安がっておる様子でございました。」

「左様か、稲葉山からは差し迫った報も届いておらぬゆえ、ここ数か月は戦事も起こるまい。明日儂が城下へ回り領民を安心させてこよう。二人とも大儀であった。今日は館にて休むがよい」

「ははっ。」

弥平次と今一度礼をすると奥の間を後にし、一族の在する部屋へと向かった。

「さて兄上、今しばし休んだのちに立ち会いまするか。」

「そうしよう、四半刻後に館の前じゃ。」

弥平次とは自身の部屋の前で別れ自らの部屋に戻った十兵衛は、やをら腰を下ろし目を閉じ少し感慨に耽った。叔父にあたる明智光安は弥平次の実父であり、道三に刃向かった亡父の死後、明智の家を束ねている。亡き父とは異なり野心ある武断の将とは言えず、内に目を向け一族にも厳格に明智の地を鎮撫してきた。正直いまの十兵衛には叔父が己の事をどう思っているかは定かではない。が、十兵衛にとって一度は滅亡の憂き目にあった明智の家を支え続け、また十兵衛に戻る場を設けてくれた叔父には頭が上がらない。弥平次はじめ家臣の中には、十兵衛を棟梁とすべきという声も挙がっているが、十兵衛にはこの限りない恩を感じている叔父に対する敵愾心など毛頭なく、むしろ叔父を献身的に支えていく心づもりであった。そして何より家臣の中でも派閥や地盤がない十兵衛を自身の血族のため放逐してもおかしくないこの状況で、実の兄が如く慕ってくる弥平次を止めることなく、一廉の武将として扱ってくれている叔父が心から好きなのであった。

「ふむ、、果報者だのぅ、、」

誰もいない部屋で息を吐くように呟くと、そっと立ち上がり部屋の障子を開けて庭へ出た。十兵衛の部屋は城の北に面しており、外をのぞくと西には雄大に広がる濃尾平野、東には峻厳に連なる木曽山脈が一望できる。はるか遠くまで広がる地平は先ほどの森林で味わった様な静けさとは別の部類な、まるで天地に己一人が相対しているような心地に襲われ、十兵衛はこの景色に包まれるたび自分が大きくなっているような気分になるのであった。


「また外の景色でも眺められておられましたか。」

支度をし屋敷の外に出ると、弥平次が動きやすい小袖に竹刀を持ち十兵衛を待っていた。

「早いな弥平次、何故分かった。」

「お顔が凛としておられるゆえ。」

「まるで平生の儂がたるんでいるような言い草だな。」

口元に笑みを蓄えつつ軽く睨むと、涼しげな笑みを返してきた。初夏の爛々とした日差しに照らされる弥平次の顔は、さながら太陽のようにも思える。

「さて、、やるか。」

「はっ。」

本丸の南側には平素、武芸を鍛えるための空き地がある。戦時にはそこに兵を集め打って出るのだが、そこに二人は向かい、礼を以って立ち会った。


「カンッ!カンッ!」

竹刀のぶつかる乾いた音が城に響き渡る。弥平次とは十兵衛が稲葉山より戻ってから何回立ち会ったことか分からない。一族といっても二人の体格は大きく異なり、華奢ではあるが日頃より鍛えた筋肉が身を引き締めるようにしてついている十兵衛と背丈は十兵衛に劣るものの大きく開いた肩幅に厚い胸板が目立つ弥平次では、当然力の差で弥平次が圧倒している。しかし道三直々に剣術を指南された十兵衛は、田舎剣法のそれにはない流れるような太刀筋が備わっており、力と技という各々の力量をいかんなく発揮するためいつも勝負は長引くのであった。

「いつもながら流石の剣術ですな、兄上」

ぶつかり合う竹刀が軋む中、弥平次の一撃が十兵衛の脳天めがけて振り下ろされる。それを受け止め外へいなすと、

「ふんっ、お前こそ相変わらずの馬鹿力よっ」

という返答ともに空いた弥平次の脇へ鋭い突きを放つ。一瞬ぐらついた弥平次は片足のみの脚力で後ろへ飛んだが、それを見逃す十兵衛ではなかった。

「そこじゃっっ」

空間を真っ二つにするかのように弥平次の足めがけて横に一閃すると飛んだ軸足の踝に当たり、弥平次はそのまま背中より地面へ激突した。

「くっ、、参りました」

「大事ないか弥平次、どこか強く打ったのではないか」

と十兵衛はすぐさま駆け寄ろうとしたが、弥平次は手を振って十兵衛を制止し竹刀を杖のようにして立ち上がった。十兵衛もここで過剰に心配しては弥平次を踏みにじる事になると立ち上がるのを待ち、礼を済ませた後ゆっくり近寄った。

「また負けてしまいましたな、いやはや未だ兄上の剣筋が読めませぬ。」

悔しさを滲ませながら腰をつく弥平次の姿が道三公に鍛えられていた時の自身と重なり、不意に師の姿が思い浮かんだ。

「武芸は日々のたゆまぬ努力によってのみ研磨されるもの。一朝一夕にて極めたのであれば、乱世など疾うに終わっていよう。道三公も常々そう仰られておった。」

十兵衛自身、ここまで剣術を修練するまでには多大な月日がかかった。その日々を噛みしめるかのように師の言葉を口にする。

「なるほど、御屋形様らしいお言葉でございますな。」

「ああ、お前も我も未だ道の中途よ。さ、肩を貸そう弥平次、部屋に戻るぞ。」

弥平次の肩を持ち足に負担のかからぬよう気を付けながら、二人は館へ戻る。当たりはすっかり夕刻になり、茜色の空が二人の背後に煌々と広がっていた。


 十兵衛が稲葉山を離れて早数カ月がたっている。帰ってきたころの明智城は雪をかぶり屋敷の中もすこぶる寒かったが、段々と日も長くなり、夜にも関わらず蒸し暑さが付きまとう季節になった。稲葉山では道三の近習としてひと時も離れず奉公していたため季節の移り変わりなど刹那のように過ぎ去っていたが、ここにきて季節の移り変わりや花鳥風月に囲まれるゆったりとした生活になったため、ふと修練や書物から離れてしまうことも多い。それでも片時も稲葉山での日々を忘れまいと書物を開いた十兵衛は、弥平次と立ち会った熱の余韻を感じつつ読書に没頭した。ここ数日で読んでいるのは曹洞宗の開祖となった道元上人が書いた「正法眼蔵」であり、稲葉山にて道三より借り受けた大事な書物である。十兵衛は仏の教えに対して深く信仰しているわけではないが、その教義や歴史は頷くところも多く、また師である道三自身が仏門を経ていることもあり、稲葉山の頃から道三に勧められ読むようになった部類である。現在読んでいる「正法眼蔵」も深く理解できず疑問が残る点は自分なりの解釈を考えつつ読み進めている十兵衛であるが、最も残ったのは曹洞宗全体の考え方である修証一如の教えであった。すなわち道元上人は仏教における最終目標である成仏を、一定の段階で迎えることが出来るとは思っておらず、成仏したのちも無限の修行、果てない修行こそ悟りの境地へ行き着くことを説いているのであり、仏に帰依するつもりは毛頭ない十兵衛もこの考えには深く感じ入った。己自身いまだ大きな事を成し遂げたわけでもなく、修練の途上であることは間違いない。かといって師である道三公や歴史書の人物すべてが完璧であったかと言われれば強くは頷けないことも多く、みな道の途上にて無限に続く修練をしているのだ、という風に十兵衛は納得していた。ふと目を離すと、今日の立ち合いが脳裏に浮かぶ。

「武芸はたゆまぬ努力によってのみ研磨されるもの。その果てに確たる極みが待っていないとしても、乱世を生き抜くために士は己が武を磨き続ける、まさに修証一如のように。」

一人虚空に向かって呟く。

(…真にそれが開花するは当の先。それでも己が身を修練し、知を磨け、か。御屋形様の言っておられた事が少しずつではあるが飲み込めてきた気がする。)

そう思った刹那、全身を細やかな震えが襲い、脳内がまるで啓示を得たかのような閃きに包まれた十兵衛は書物の世界へ再び足を踏み入れていった。

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