朝日奈恵子
陰雷館と呼ばれる旅館に、鮫崎警部が到着したのは、爆破された橋に鑑識が到着してから五分後のことだった。
平和な村を襲う大きな事件ということもあってか、事件発生の噂は、一時間程で村民達全員に知れ渡る。旅館で働く従業員達は、旅館の出入り口付近に固まり、ヒソヒソ話を行っていた。
「石橋が爆破されたんだって」
「爆破テロかもよ」
「馬鹿ね。こんな村の石橋を爆破して、何のメリットがあるっていうんだい」
三人の噂付きな従業員に、咳払いした伊藤久美が近づく。
「あなたたち、持ち場に戻りなさい」
威厳のある仲居の一言を聞き、従業員達は持ち場に戻る。すると伊藤久美は出入り口に佇む村の警察官の存在に気が付き、頭を下げた。
「鮫崎さん。村の石橋が爆破されたっていうのは、本当ですか?」
「そうですよ。今日は警視庁の月影管理官からの要請で、この旅館の宿泊客に事情を聞きに来ました。刑事の勘が、爆破事件の犯人は、この旅館の中にいるって言っているんでね」
鮫崎が旅館に足を踏み入れた時、右から一人の男が姿を現した。その男は、玄関先に立つ鮫崎の顔をじっと見つめ、首を傾げる。
「君が鮫崎警部か? 俺は警視庁捜査一課の合田だ」
その男、合田警部は警察手帳を鮫崎に見せる。その後で鮫崎は同じように、警察手帳を合田に見せた。
「鮫崎です。本庁の月影管理官から話は伺っています。本庁の刑事さんとの合同捜査は初めてのことですので、よろしくお願いします」
「同じ階級だろう。堅苦しい。敬語は使わなくていい」
合田が頭を掻く。それから鮫崎は視線を伊藤久美に移し、彼女に尋ねた。
「伊藤さん。どこか旅館内で開いた部屋はありませんか? 会議室でも構わない。合田警部と二人きりで捜査情報を共有したい。ここだと誰に捜査情報を聞かれるか分からないからな」
「分かりました。石橋が爆破されてしまっては、主催者の朝日奈恵子様は来られないでしょう。短時間だけ朝日奈様のお部屋をお貸しします。そこで話してください」
そう言いながら伊藤は、朝日奈恵子に渡すはずだった個室の鍵を鮫崎に手渡す。そうして二人の刑事は朝日奈恵子が宿泊するはずだった一号室へと向かう。
合田が一号室に入ると、鮫崎は早速捜査情報を小声で話し始めた。
「本庁に爆破予告が届いているらしい。内容はまだ分からないが、情報によると悪戯ではないことを証明するために、東京都内のどこかの橋を爆破すると予告したそうだ」
合田は初耳な情報に思わず目を見張った。
「その予告が今回の石橋が爆破された事件のことを示唆しているとしたら、東京都内で爆弾事件が発生することになるな」
「本庁の上層部も同じことを考えているらしい」
「おかしい」
鮫崎は合田の口から思いがけない言葉を聞き、首を傾げた。
「何がおかしい?」
「爆弾犯の目的が分からない。なぜこんな村の橋を爆破した? 俺が爆弾犯だったら、交通量が多い橋を爆弾で落として、交通を麻痺させる。それに、この村は普通に携帯の電波が届く。ヘリコプターがヘリポートに着陸できるから、仮に急病人が出たとしても、ヘリコプターで麓の病院まで搬送できる。つまり、ミステリーでよくある、橋を壊して村を陸の孤島にすることで、標的を逃げられなくした上で殺害していくということができないんだ。そうなると、なぜ石橋を破壊したのかという犯人の意図が分からない」
合田が考え込むと、鮫崎は右手を挙げた。
「それを考えても、仕方ないのでは? ここは東京で西野という警察官が殺害された事件についての捜査を始めよう」
タイミング良く合田の携帯電話に、葛城警部から連絡が入った。
『合田警部。晩餐会の主催者とされる、朝日奈恵子についての情報が集まりました。彼女は七年前に発生した赤い落書き殺人事件の被害者の一人、高野健二の愛人。また彼女と愛人という関係にある男は数十人程で、悪女と呼ばれているようです。ところが、高野健二を殺害した酒井忠次の初公判が行われた、七年前の十月、彼女は自宅のマンションの室内で首を吊った状態で発見されました』
「自殺?」
『そのようです。遺書のような物はなかったのですが、警察は事件を自殺として処理したようです。今から、入手した朝日奈恵子の顔写真をメールで送ります』
「ありがとう」
『それでは、他に何か分かったら連絡する』
東京で捜査する葛城からの通話が途切れた後、合田の携帯電話に顔写真が添付されたメールが送られてくる。
その写真を携帯電話の画面に表示させた合田は、女の特徴を頭に叩き込む。漆黒の髪を肩の高さまで伸ばした、可愛らしい丸い瞳が特徴的な女は、二十代に見える。
「朝日奈恵子」
合田は真剣な表情で携帯電話に映る若い女の顔を睨み付けた。
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