金毛白面相
ヒモロギ
はしがき
そのころ、東京中の町という町、カフェーというカフェーでは、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、帝都にひそむヴィランたちのうわさをしていました。
ヴィランというのは、日本語に訳せば「悪役」「怪人」のような意味になるでしょうか。つまり妖術、科学力、手品に超能力といったさまざまな力をつかって悪事をはたらく怪人物をまとめて指ししめす言葉で、とりわけわが国の場合、その正体は明治のご一新ののちに里に下りてきた妖怪や山人たちがその大半を占めました。
たとえば、東京の西と東に分かれてそれぞれ怪事をおこす「
そんな名うての怪人たちのなかでも、とりわけ人びとの話題にあがるのは、やはり大怪人「金毛白面相」のうわさです。なかには、帝都をさわがすヴィランの大半は金毛白面相の化けた姿にすぎないのだという人さえおりました。
さて、金毛白面相とはいかなる怪人か、みなさんはご存知でしょうか。この賊は、単館系のミニシアター映画、青林工藝舎や太田出版やアスペクトやらの出版社から出版されたサブカル系書籍、健康志向の自然派食品、Evernoteを活用したいけてるライフハック術など、自分の趣味嗜好を愛しすぎるあまり、他の人たちにもそれらの魅力を理解させよう、たとえ興味がなかろうと、力ずくでも受容させなければ気がすまぬという、じつに恐ろしくもはた迷惑な、意識高い系の怪人でした。
この賊の手口というのは、たとえばこうです。
ある新作映画の封切りをむかえた都内の映画館「メトロポール新宿」での出来事。新作映画への期待に胸をふくらませながら本編前の予告を観ていた満員の観客たちが、「そろそろNO MORE 映画泥棒のしょうもない小芝居が始まる頃合いかしら」と、いささかうんざりしながら身がまえていると、とつじょスクリーンが暗転し、場内は真っ暗になり、次の瞬間、スクリーン前のステージには、頭はカメラ、体は黒スーツといういでたちの怪人があらわれ、観客を見回しながらへらへらと笑っているではありませんか。それはまさしく「NO MORE 映画泥棒」に登場するカメラ男そのものでした。
怪人はうす気味のわるい暗黒舞踏をぴくりぴくりと踊りだし、顔の表情はおよそうかがい知れませんが、どことなく満足げなようす。なおも観客があぜんとしていると、背後のスクリーンがふたたび大暗転。その真っ黒な画面には赤い血文字で「単館系映画、みないと死ぬで」というメッセージがおどろおどろしく表示され、そして壇上の怪人はよりいっそう激しく、ダンサブルに、まるできちがいか
劇場内は大パニックになり、観客はなだれをうって逃げだそうとするのですが時おそし、全ての扉には外側から鍵がかけられ、まるでイタリア製ホラー映画『デモンズ』の惨劇が再現されたかのようです。悲鳴と怒号が入り混じるなか、開演のブザーが会場内に重々しくひびきわたり、かくして通常のプログラムは無視され、白面相の好きな映画であるらしいタルコフスキー監督の名作『惑星ソラリス』が幕を開けるのでした。
「やめろ、ええい、やめたまえ! 私たちは爽快なアクション映画を観るため4DXシアターにやってきたのに、なんで4DXで『惑星ソラリス』を観なけりゃならんのだ!」
「そもそもこの映画、長すぎるんだよ。上映時間が165分もあるなんてどうかしてるよ!」
「会話のシーンばかりでぜんぜん4DXの仕かけが作動しないぞ! このままでは寝てしまうじゃあないか。せめて、せめて座席をゆらしてくれーっ!」
「これはもはやエンタテイメントの名を借りた合法的な拷問だぞ! おたすけーっ!」
場内のざわめきに反応したのか、ふたたび怪人の笑い声とアナウンスが響き渡ります。
「あっ、そうそう。今夜は特別二本立てなので、『惑星ソラリス』の後はポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』を上映します。上映時間は188分です。インターミッションはありません」
「ぎゃーっ!」
「なお『マグノリア』の上映時には、特別サービスとして、クライマックスシーンに合わせてなめこやもずくなど、ぬらぬらしたものを天井から落下させて頂きます。どうぞ皆さま、劇場ならではの臨場感をお楽しみください」
「ぎゃーっ!」
館内は
かくして『惑星ソラリス』『マグノリア』の上映が終わった6時間後、異変に気づいた警察がようやくのことで映画館に踏みこんでみると、そこにいたのはぐるぐるに縛られさるぐつわをかまされた映画館の従業員たちと、全身なめこやもずくまみれとなって白痴のような顔でたたずむあわれな観客たちばかりで、かんじんの怪賊「金毛白面相」の痕跡はどこにも見つけることが出来ませんでした。まさに大胆不敵、
しかし、この魔術師のような稀代の大怪賊にも弱点はあります。それは宿敵である妖怪探偵・
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