オリンポスの力

 文字通りのウィンの命を賭けた攻撃によって、大悪魔アエシュマが倒れた。

 そのことは人類軍にとっても希望の一縷となりつつあったが、だが彼らが今相対しているのは、アエシュマをも超えるアンラ・マンユの力の象徴、アジ・ダハーカであった。

 たった一体でも、その巨体と厖大な霊力、そしてアンラ・マンユの力そのものを使うその怪物の存在は大きすぎる。

 対神軍全体で奴に向かっていたが、実質打開策などなく、どれだけ傷をつけようともそこから大量の虫を湧かせて傷を塞ぎ、ダメージなどほとんど残らない。

 龍の特性を持つ相手に有効な龍殺しの剣アスカロン

 自身よりも巨大な相手に有効な巨人殺しの小人剣エッケザックス

 そして神霊武装ティア・フォリマ史上最強の攻撃力を得た王選定の剣カリバーン

 この三つを主軸に立ちまわっているものの、強化されたアジ・ダハーカには、為す術もなかった。

 それで喜んでいるのは、かの戦闘狂たるディアナ・クロスくらいのもので、他はすでに肩で息をし、体力も気力も大きく削られていた。

 強敵と対峙すればそれに比例して霊力を上げるディアナは、アジ・ダハーカに一人向かって行く。

 斬っても斬ってもその傷口から大量の虫を湧かせて、その傷口をあっという間に塞ぐアジ・ダハーカに怯みもせず、狂喜乱舞と言った様子で剣を振り続けていた。

 イアとリエンも彼女について行くが、同じように行くはずもない。アジ・ダハーカの体を舐めるように滑走していくディアナの背が、小さくなったり大きくなったりを繰り返していた。

 アジ・ダハーカの背中から伸びる触手を両断し続けながら、ディアナを追う。

「ディアナ先輩、どこにあんな体力があるんだ……」

「そうですわね……ケイオスのときより、ずっと強くなっているのではなくて?」

 聖剣で一気に薙ぎ払う。

 そして全身を一直線に並んでいる目をイアが貫くが、血の代わりにまた、うじゃうじゃと虫が湧いて二人の胃酸を込み上げさせる。

 リエンがアジ・ダハーカの表層を聖剣の光で焼き斬るものの結果は同じで、湧き出る虫の量が違うだけだった。

 と、アジ・ダハーカの全身の目が光る。すでに何度も繰り出されている攻撃のため、イアもリエンも、攻撃していたディアナさえも舌を打ちながら、回避行動を取った。

 直後、全身の目から繰り出される赤い破壊光線。地上をねぶるようにありとあらゆる方向に放たれ、地上を焼く。

 すでに何度目かのこの攻撃で、戦場となっていた森は燃えていた。動物たちが逃げ惑い、悪魔達は進行してくる。

 人類軍は森林火災というもう一つの脅威とも戦わなければならず、氷を繰り出せるミストらを中心とした消火活動が行われていた。

 さらにアジ・ダハーカは自身が受けたダメージのすべてを一つに集束し、それを咆哮として解き放つ。顎を外して繰り出される巨大な光線は一直線に大地を走って、その先にある山を破壊した。

 さすがにアンラ・マンユの力の象徴と言われるだけあって、ただの悪魔とは勝手が違う。その存在はまさに、悪神と呼べる存在であった。名のある神と同等以上の、怪物である。

 つまりただの人間が特殊な武装を持った程度で、簡単に対処できるはずもない一種の厄災。そしてその規模は、もはや星が悲鳴を上げるほど大きい。

 神話では、眠っているアジ・ダハーカを起こしてはならないと言われてきたが、人類はその意味を真に理解した。

「ディアナさん! ここは一度引いて、最大火力で一気に薙ぎ払いませんこと?!」

「引く!? 引くだと?! 私に引けと! 大きく出たなぁ、イア・キルミ! だが私は引かんぞ! こんなにも楽しい戦いを前に何故引ける!!!」

 いけない。戦闘狂のディアナの悪い癖が出た。

 相手が強ければ強いほど強くなるディアナだが、一度ハマるとなかなか抜け出てこない。

 自分が死のうが味方が死のうが、その上質な戦いを放棄することができない。

 ディアナもアジ・ダハーカと同じで、その火力を一気に削いでやらないことには倒れることを知らない。味方にすれば頼もしいが、その反面、強すぎる相手にぶつけてはいけないというのが、彼女の制御方法である。

 そして今、ディアナはミーリ以来の、ミーリ以上の強敵と戦えることに興奮していた。

 ディアナが最強で居続けられる最高のポジショニングと言えたが、しかし同時に制御不能となってしまったのだった。

 彼女を唯一操作できそうな白夜びゃくやも、今この場にはいない。彼はダエーワ掃討の戦力として、妖刀を振るい続けていた。

「私は行くぞ! さぁ勝負だアジ・ダハーカ! もっと、もっと私を楽しませろ!!!」

「ディアナさん!」

 イアの制止も聞かず、ディアナは単独先行してしまった。

 イアとリエンはもはや限界で、一度後退する。ディアナがアジ・ダハーカの体を斬り付け、触手の鞭を受けても倒れるどころか狂喜に満ちて再び斬り返す姿が、視界に入る。

 その光景に、二人は驚愕せざるを得なかった。あれだけの災厄に身一つで挑むディアナの姿は、まさに英雄のそれだった。圧巻だった。

「ミーリ・ウートガルドが最強先輩と呼ぶ理由が、わかった気がする……あの人の領域には、とても至れそうにない」

「いえ、あの領域には至らない方が賢明だと思いますわ……それよりも、どうします?」

「“何物よりも揺ぎ無き聖剣カレトヴルッフ”をもう一発と行きたいところですが、それには霊力が足りません。正直今の霊力の残量では、撃ててもあと一発。それを無駄撃ちにしないようにしないと……」

「幸い、的は大きいですから、外すことはないでしょう。しかし、発動まで霊力を溜められるか、ですわね」

「強化されて、アジ・ダハーカの攻撃はその範囲を大きく広げて来ました。先のように、溜める環境が整えられるとも思えません。何より、この森の火災をなんとかしないと、攻撃のまえに熱と煙でどうにかなってしまいます」

「炎が消えればいいの?」

 と、不意に聞こえてきた声は空からだった。

 見ると、そこには白いワンピースドレスを身にまとった金髪の少女が立っていた。

 波立つ彼女の髪から絶えず、泡が噴き出ている。

 彼女は二人の返答を待たずして、わかった! と応じると、そこより高く跳んで指で作った輪っかの中身を吹き、泡を噴き出した。

 するとその泡が森全体を包み込み、火を次々と消していく。さらにその泡はアジ・ダハーカにまとわりついて、その動きを奪っていく。

「“泡泡女神アフロディーテ・アプロス”!!!」

 アジ・ダハーカが吠える。

 だがその声量は次第に弱まって、寒いのか震え始めた。

 その姿を見て少女――アフロディーテは喜々として笑う。

「私の泡は、あらゆる汚れを削ぎ落すよ! 力も能力も……その体温さえも! あなたの力、全部削ぎ落してあげる! 命だけは、削げないけれどね?」

 アジ・ダハーカは吠える。

 アフロディーテを狙って咆哮し、破壊光線を吐き出そうとするが、アフロディーテが待て、と言わんばかりに手を出すと、集約されていたエネルギーが霧散してアジ・ダハーカは固まってしまった。

「あは! 私に立てつくなんてありえなぁい。私を傷付けられるのはぁ、私が愛した人だけなんだよ? あなたみたいな気持ち悪いの、私嫌ぁい。だからぁ、めっ!」

 アジ・ダハーカは押さえ込まれたまま動けない。

 特にそこからアフロディーテの攻撃が繰り出されるわけでもなく、ただアフロディーテに攻撃しようとすれば、アジ・ダハーカは何度も攻撃を中断して悔しそうに唸っていた。

 アフロディーテの腰に巻かれている帯は宝帯と呼ばれ、アフロディーテの魅力を増して他を惹きつけるというが、その能力の延長と見られた。

 だがアフロディーテ自体に攻撃力はなく、彼女の能力は相手の能力を削ぐことに限定される。故に攻撃は、彼の役目だった。

 彼――アレスは自らの霊力を高めていた。

「誰も……来るなよ……! “城壁の破壊者カタストロフィス・トゥ・ティーコス”!!!」

 大地を裂き、空を裂く。すべてを引き裂き破壊する、狂乱の戦士。

 アレスはその力を解放し、アジ・ダハーカに飛びかかる。自身の何千倍もあるアジ・ダハーカの触手をつかむとそれを引っ張り、あろうことか大地から引き剥がして見せた。

 そのままブンブンと振り回し、遠心力を得て投げ飛ばす。アジ・ダハーカが森を抉って山にぶつかって止まると、そこに赤く輝くアレスが走る。

「殺す、壊す、殺す、壊す……殺す、壊す、殺す、殺す、殺す殺す殺す! っあぁぁぁぁっっ――!!! “荒ぶる神の猛りアウトレイジ・アンタレス!!!」

 振り抜いたアレスの拳が、アジ・ダハーカの胴体を貫いた。

 直径五キロは下らない大きな風穴が、アジ・ダハーカに悲鳴を上げさせる。

 ひゅおぅ、ひゅおぉぉっと、空気の流れ込む音がしたと同時、そこから大量の虫が湧き出したが、アレスの拳はその虫をすべて潰していく。

 さらにもう一つ。もう一つとアジ・ダハーカの体に穴を開けて、さらにそこから湧き出る虫もすべて潰していく。

 戦闘における狂乱と狂気、暴力と無慈悲の化身と呼ばれたアレスの真の力が、悪神の力の象徴など軽く凌駕して、苦しい悲鳴を上げさせた。

 そしてアジ・ダハーカの体に五〇近い穴が開くと、アレスは宙へと飛んで拳を大きく振りかぶり。

「壊す! “繁栄絶つ戦いの幕アクロポリ・カタストロフィス”!!!」

 アジ・ダハーカの体に落ちる、赤い流星。

 燃え盛る星のように落ちたアレスの鉄拳が、アジ・ダハーカを貫いた。

 アジ・ダハーカはそれこそ、断末魔のような声を上げるが、しかしそれでもまだ死なない。

 その異様なしつこさには、狂気に身を置いたアレスでさえもまだ死なないか、という顔をするくらいであった。

「アレス、下がってくださいますか。あなたにこれ以上暴れられると、周囲の地形が変わってしまいますので」

「そうですね、下がっていてもらいましょう。私の弓が、あなたを巻き込むまえにね」

 霊術を解除したアレスが飛び退くと、上空から真っ赤に燃え盛る光の矢と、白い銃弾が流星群の如く落ちて来た。

 それらがアジ・ダハーカの全身を撃ち抜き、アジ・ダハーカの体を這う虫を殺していく。

 それらを撃ち込んだ二柱――アポロン、アルテミス兄妹が曇天を突っ切って落ちて来た。二柱の手にはそれぞれ、真っ赤に燃える弓矢と真白に輝く拳銃が握られている。

「フム、この程度では虫を殺す程度ですか。やはり腐ってもアジ・ダハーカ。ならばさらに火力を上げますよ、妹君」

「はい兄上。全力投下と参りましょう」

 アポロンが五本の矢で、アルテミスが二丁の拳銃で狙いを定める。

「「“疫病神託遠矢ヴェロス・ティス・ペスティリシス”!!!」」

 五本の矢と二つの銃弾。計七つの光がアジ・ダハーカに襲い掛かる。

 それらが刺さるとアジ・ダハーカの全身のところどころが膨張し、ついに皮膚が破裂して血を噴き出した。初めて、アジ・ダハーカが流血した瞬間だった。

「神をも殺す疫病ですので、悪神といえど耐えられないでしょう。もっとも私が本気を出せば、安楽死すらも容易ですが」

「やめてください、兄上。兄上が本気を出せば、人類側も皆死んでしまいます」

「それはよろしくないね、妹君。では悪神の権化殿には、このままご退場願おうか。というわけで、あとは頼みましたよ、アテナ」

 二柱が下がると、アテナは悠々と現れた。

 その脇には、気絶したディアナを抱えていたが、その場に降ろして剣を構える。

 それを地面に突き刺すと、アジ・ダハーカを囲うように輝く壁が現れて、取り囲む。

 そして血を溢れ出させるアジ・ダハーカを連なる壁で完全に密閉し、閉じ込めた。

 アテナはその剣をゆっくりと回し、壁を完全にロックする。

「そのまま死なれては、腐敗した肉から疫病が広まってしまうのでな……悪いが閉じ込めさせてもらう。静かに、暗闇の中で、ゆっくりと……安らかに眠るがいい。そのまま眠れば、苦しみなどしない」

 その言葉に反して、アジ・ダハーカは壁を壊そうと中で暴れる。

 だがどれだけ大きな音が響こうとも壁はビクともせず、アジ・ダハーカが出てくることはなかった。

 次第にアジ・ダハーカが暴れる音は掻き消えていき、そして静寂が訪れた。

「眠れ、邪悪の龍。できればそのまま、目覚めないでくれると助かる。私達はもう一度、信じてみたいのだ。人間という存在を」

 あまりにも静かな決着。

 先ほどまでの喧騒など夢だったかのように、まるでこの戦いが初めから幻だったかのように、数万人の命を殺した悪龍の最期は、とてつもなく静かだった。

 彼を仕留めるために放った凶暴な攻撃も疫病の矢もすべて嘘だったかのように、静かな決着が、彼らの胸を撫で下ろす。

 その胸に、アテナは強く告げる。力強く、勇敢に。

「人類よ! 遅れながら我らオリンポスの神々は、これより人類に味方する! 悪魔達を蹴散らし! 人類よ掲げよ、勝利の旗を! 歌え! 勝利の凱歌を! 我ら神は、其方たちの勝利を祝福しよう!」

 戦争における美徳の化身。勝利の女神、アテナ。

 その声は神に不信を抱く人々の心をも魅了し、惹きつけ、その士気を底辺から最高潮へと一気に高める。それこそが、彼女が持つ最大の能力であった。

 人類軍をまとめてしまった神の御技を見て、ずっと構えていたイアとリエンは、思わず足から力が抜けてしまってよろめく。

「はは……ここに来て、神に助けられるとは……」

「これも、あなたのお友達の援軍ですの?」

「かもしれません。ディアナ先輩もすごいですが、私は彼にこそ敵わないと今、悟りましたよ」

「ということは貴女ですか、聖剣を携えた聖女というのは」

 降りてきたのは、アポロンとアルテミスだった。

 二柱はリエンのことを見下ろして、フム、とかなるほど、と唸る。

「なるほどその聖剣を握るだけの力はあるようですね。その様子だと原初の剣すらも使えると見えました。彼女が目を付けたのも、理解できます。無論、人間の尺度で測ればですが」

「それは仕方ありません兄上。権能の半分を失っているとはいえ、私達も神。そう易々と、人間に負けるわけには参りませんとも」

「妹君、君は向上心があっていい。しかし今はそれどころではない。我々の役目を果たさねば……」

 そう言って、アポロンはかけている眼鏡を外す。黄金の双眸がリエンを見つめて、そっと微笑を称えた。

「目の前であれこれと失礼申し上げました。私はアポロン。こちらは妹のアルテミス。ミーリ・ウートガルドの協力者です。聖剣と魔剣を携えた、いつぞやの騎士王を思わせる聖女殿、あなたに会いたいという方がいる。我々と共に、来てくれますか?」

「……その相手が、どなたか訊いても?」

「アンブロシウス・アウレリアヌス。あなたならば、その名前を聞けばわかるでしょう。彼女は言っていました。その聖剣と魔剣の使い方を、教えて差し上げようと」

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