第18章 集まる手掛かり

 理真りまの予想は甘かった。確かに車の通りの多い町中は、何度もタイヤに踏み分けられ、路面の雪は轍状にその姿を消していたが、星見ヶ丘ほしみがおか公園に向かうにつれ、雪は依然アスファルトを埋めた状態を維持していた。車の通りがないことに加え、気温も町中より低いためだ。理真の運転も慎重になる。


「こうして運転してみて分かったけどさ、午前中の保永ほながさん、それを追っていた中野なかのさんも、相当無理して飛ばしてたんだなって思った」

「そうだね。しかもあのときは、雪が降ってる最中で、ほとんど視界も効かなかったしね」

「車が全然通らないから、もし今事故っても、誰にも被害を与えないことだけが救いだわ」

「理真、運転代わる」

「冗談だよ」


 一度豪快に車をスピンさせた前科のあるドライバーが何を言うのか。


 極めて安全運転で、(もし後続車がいたなら、さぞイライラさせてしまったことだろう)星見ヶ丘公園へ到着した。聞くところによるとこの公園は、夏にさらに奥にあるキャンプ地を訪れる人が立ち寄ることが多いところで、名前の通りよく星が見えるのが売りだそうだ。もちろん晴れた夜限定だ。そういうことで、キャンプのオフシーズンでもあり、曇りが多い冬季に訪れる人は滅多にいないとのことだった。


 駐車場の轍は幾本もあるが、どれも警察車両がつけたものだ。瀬峰せみねの事件はまだ発表にはなっていないため、マスコミの車両も来てはいない。

 一応保永が物見やぐらへ向かった足跡は保存されている。捜査員や鑑識もその足跡は踏まないように避けて移動したため、保永の足跡は雪の上に残っている。この辺りは町中に比べ気温が低いため降雪が残っているが、消えてなくなるのも時間の問題だろう。どのみち、いずれ降るであろう本格的な雪で覆い隠される運命なのだが。


 私と理真はまっすぐに物見やぐらへ向かい、螺旋階段を上る。やぐらの中は、高さ一メートル二十センチくらいの高さの丸太ログで隙間なく囲われている。手すり代わりであり、隙間がないのは転落防止の意味合いもあるのだろう。これにより、手すりにもたれているのでもなければ、外からやぐらの中に誰がいるかを窺い知ることは出来ない。円形のやぐらの中心に生えた丸太は屋根を支える柱となっている。ゆるやかな勾配が付いた円形の屋根のひさしと手すり先端との間は一メートルほど空いており、眺望を楽しむのには十分だ。


 私は手すりに寄りかかり外を眺めた。瀬峰の死体発見時はそこまで余裕はなかったが、富山市の町並みが展望できる。もちろん後ろ百八十度に見えるのは山肌だが。屋根が付いていることから、夜に星を見る目的ではなく、単純に展望台としての用途で設置されたのだろう。星が見られるということは必然晴れているということだから、公園の思い思いの場所でベンチに座り込むなり、芝生に寝そべるなりして、勝手に見てくれということなのだろう。私はやぐらの中を振り返る。


「わっ」声が出た。


 理真が床に仰向けに寝そべっている。しかも寝ている位置は、床に貼られた人型の白線の中。つまり、瀬峰の死体と同じ状態で。


「何やってんの」私は声を掛ける。

「見えない」と寝そべったまま理真。

「何が?」

「手すりには隙間が全くないし、屋根もある。手すりと屋根の間の眺望のためのスペースも、ここからだと手すりと屋根のひさしがちょうど被ってしまう。つまり」理真は起き上がり、「瀬峰さんの死体の位置に寝そべると、外の様子が全く分からない」


 どれどれと、私も理真と同じように寝そべってみた。確かに、手すりの縁と屋根がちょうど重なるようになるため、どんなに目を動かしても視界に入るのは丸太ログで出来た手すりと、屋根の裏側だけだ。


「で、これがどうかしたの?」私は起き上がった。

「外が見えないってことは、雪が降ってることも分からないってことよね。雪は雨と違って降っても音はしないから」

「そうだね」


 その通り。カーテンを閉めた夜に静かな部屋で過ごしていて、寝る前にちょっと外の様子を見ようとカーテンを開けたら、いつの間にか雪が積もっていて驚いたということは、降雪地域に住む人なら一度は経験があるだろう。


「で、それが?」

「瀬峰さんは雪が降っていることに気付かなかったってこと。もしそれが分かったら、もっと別な方法を考えたはず」

「え? 瀬峰さんがそこに倒れたときはもう息がなかったんじゃ? 別の方法って?」

「ちょっとまだ頭の整理が付かないから、説明は待ってね。丸姉まるねえたちの捜査結果待ちのところもあるし」


 理真は言うと、戻ろう、と螺旋階段を下りはじめた。私はここから望む眺望をもう一度目にして理真を追った。雲は激しく動きその数を増している。空から青い領域を奪い、富山の町の上空を占拠せん勢いだった。



長谷川はせがわは口を割りました。やはり昨日の夜、瀬峰から電話があったそうです」


 理真の携帯電話のスピーカーから中野刑事の声が。金沢に飛んだ中野刑事は、早速長谷川を捕まえ聴取したのだ。まだお昼ご飯を食べて間もない。移動時間を考えたら、驚異的スピードでの供述である。実際に脅しを使ったのかもしれない。


「公衆電話からの着信で、誰だろうと思い出てみたら瀬峰だったそうです。自分の携帯電話からの発信では拒否されると思い公衆電話を使ったのでは、と言っています。そんな話から、二人の関係がどんなものだったか、想像出来ますよね」


 中野刑事は話を続ける。

 大方の考え通り、長谷川は瀬峰からエイチスティール社長令嬢に乗り換えていたのだった。しかし、これまた予想通り、瀬峰とも綺麗な別れ方をしようと、結論を延ばし延ばしにしていたのだ。実際、瀬峰とは結婚も視野に入れた付き合いをしており、具体的な話がまとまりかけたのも一度や二度ではなかったらしい。


 長谷川の二股状態は長く続き、瀬峰が社長令嬢との関係を知ったのはここ最近のことだったそうだ。長谷川が瀬峰に事実を打ち明けた日時はごく最近のものだった。自分は社長令嬢と付き合っていること、結婚する意思があること、結婚するのであれば社長の家に婿入りすること。日時から考えるに、私たちが喫茶店で瀬峰と会い、その席で瀬峰が恋人がいると言ったあのときも、瀬峰は長谷川が社長令嬢に乗り換えているとは知らなかったことになる。


 当然、瀬峰の怒りは激しいものがあったという。何度も電話を掛けてきて問い詰められたが、長谷川は呆れたことに、これからは友達として付き合おうなどと答えたそうだ。瀬峰が承知するはずがない。そんなことが何度か繰り返され、長谷川は瀬峰からの電話には出なくなった。瀬峰も忙しい身であることから、直接押しかけられるようなことがなかったのは幸いだったと長谷川は語っていたという。


 それが昨日の夜、公衆電話からの瀬峰の電話を受けることになってしまった。すぐに切ろうかと思ったが、これが最後だからという瀬峰の言葉に、話をする気になった。思っていたよりも瀬峰は落ち着いた喋りだったという。瀬峰の用事は、長谷川の意思を最後に確認することだった。長谷川は、自分は社長令嬢と結婚するつもりであることを改めて告げた。それを聞いた瀬峰は、しばらく無言だったが、お幸せに、と言い残し電話を切った。


「瀬峰には、もし警察が来ても、今日自分から電話があったことは話さないでくれと頼まれたと言っていました。以上です。思いっきり脅かしてやったんで、嘘を言っていることはないと思います。長谷川のやつ、瀬峰が死んだと聞いたら、最初は驚いていましたけれど、すぐにほっとしたような表情を見せましたよ。社長側には瀬峰とのことは話していないそうだから、頼むからこの話は内密にと拝まれましたよ。俺、この足で東京の本社まで行って社長に全てぶちまけてきてもいいですかね」

「ありがとうございます、中野さん。ま、今日の所は帰ってきて下さい」


 了解しました、と中野刑事は電話を切った。理真は無言のままハンドルに手を置く。お昼ご飯を食べ終えたファミリーレストランの駐車場で中野刑事からの電話を受けたのだ。理真は考え事をしたような表情のまま車を発進させた。


 富山県警本部に戻り、しばらくすると明藤みょうどう警部に呼ばれた。仁藤にとう、瀬峰調査班からの報告が上がってきたそうだ。


 仁藤のアリバイは、やはりはっきりしなかった。カウンセリングを受けに行く他は、人と会うことはなかったようだ。近所の住人に聞き込みをしたが、いちいち仁藤が何時に家を出入りしたかなんて気を払っているわけがないため、仕方がないと言える。六田ろくだ芳賀はがの死亡推定時刻に限らず、アリバイの証明はほぼ不可能だろうとのことだった。


 仁藤の家からは古新聞のたぐいは出なかった。駅売店の聞き込みでも、仁藤が地方紙を買ったことがあったかどうかは分からなかった。車の運転については、こちらもはっきりしなかった。近所の人の話では、確かにここしばらく仁藤が車を運転している姿を見たことはないという。ガレージに入った仁藤の車も長い間動かした形跡はない。バッテリーを上がらせないよう定期的にエンジンは掛けていたようだが。私たちが聞き込みに行ったときも、そんな話を聞いたなと思いだした。


 瀬峰の家からも古新聞は出なかったが、インターネットの閲覧履歴から、ここ半年ほどの間、隣県の地方紙のサイトを見ていたことがあると分かった。瀬峰が深夜に病院へ出入りすることは可能だったろうとのことだ。実際瀬峰の懐に入っていたキーケースには病院の鍵がぶら下がっていた。心療内科のほうに宿直はいるが、カウンセリングセンターは深夜には完全に無人となるため、誰にも会わずに自室に出入りすることは、やろうと思えば可能という答えだった。


 また、各新聞社に直接問い合わせをしたところ、瀬峰が六月から十月までの間、新潟、長野、岐阜、石川と富山県に隣接する四県の地方紙の定期購読申込をしていたことが分かった。購読契約は十月を最後に各紙一斉に取りやめの申込が成されていた。


 最後の丸柴刑事からの報告は、夕方も過ぎた時間になった。瀬峰の大学時代の友人に聞き込みをしたところ、確かに芳賀が務めていた企業と合コンを行ったことがあったと証言が取れた。記憶は曖昧だが、と条件付きで語ってくれたところによると、その頃瀬峰はすでに長谷川と付き合っていたという。瀬峰はそれを理由に参加を断ったのだが、頭数が足りず、座ってるだけでいいからと説き伏せ、参加してもらったと。芳賀のことは憶えていなかったし、瀬峰と関係があったかまでは分からなかった。そして、それ以降、瀬峰は合コンに参加することは一切なくなったという。


 調査をしてくれた全ての刑事と明藤警部に礼を言って、理真と私はホテルに帰った。

 ご飯を食べに行き、風呂とサウナに入り部屋に戻ると、理真は考え事があるからと、私を先に寝かせた。机に肘をついて考え事をしている理真の後ろ姿を見ているうちに、私は睡魔に襲われ眠りについた。

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