第3話 side佑二

 校舎の外では空気を染めるよう甘い香りがしていた。四人は大振りの桜を見つけると、その下に腰を下ろした。


 周囲を見れば、同じように芝生に座る生徒の姿が見える。学食ももちろんあるのだが、四人はほとんどそこを利用しない。


 一人暮らしの祐二には弁当をつくってくれる人がいないため、自分で作るか、購買で買うかになる。しかし、朝早くから起きて作る気力があるはずもない。むしろ弁当を作る時間があるなら、一分でも長い惰眠を貪りたい。だからほとんど購買で済ませることが多いのだ。


 涼も似たようなもので、弁当は持参しない。気が向けば自分で作ることもあるようだが、それは本当に極まれだ。要するに、二人とも食に対しては、腹が満たされればいいと思っているのだ。


 それ以外では、二人を憐れんだ琴美が時折弁当を作ってきてくれるので、それをパクつくくらいだ。


「天気もよくて、最高のお花見日和ですよね。気持ちよくて眠くなりそうです」


 桜の間から零れる光を見上げ、真生が嬉しそうに目を細めた。その言葉に祐二も視線を空へと向ける。


 そこから見えた空は屋上での風景とはまた違い、薄紅色の桜に空の蒼さが一段と映えて素直に奇麗だと思えるものだった。


「……楽な花見だな」


 しかし真生の言葉に同意するのもなんだか癪で、祐二は憎まれ口を叩く。


「今はちょうどシーズンですもんね? 学校以外でお花見しようとしたら場所取りが大変ですよ」

 

真生はそんな祐二の態度に怒りもせずに笑うと、さっそく弁当を開き始める。祐二もそれに倣い買ってきたサンドイッチの袋を開く。


 箸をせっせと口に運び、美味しそうに顔を綻ばせて、口をもごもごとやっている彼女の姿にハムスターのような小動物を思い出させられた。


 頭に浮かんだ姿に笑いそうになるのを懸命に堪えていると、そんな真生を微笑ましそうに見つめている琴美と目が合い、にこりと微笑みかけられる。


「春は好きよ。だって、幸せな気分になれるじゃない?」


「まぁ、悪くはねぇな」


「琴美ちゃんはオレといればいつだって幸せでしょ?」


「そういう意味じゃないってば。天気がよくて幸せとか、ご飯がおいしくて幸せとか。そういう些細な幸せっていうのが、春には多い気がするって言ってるのよ!」


「じゃあオレといれば幸せ倍増っしょ。琴美は春も夏も秋も冬も一年中幸せってことだ」


「……あんたはどうしてそういうことを、なんの恥ずかしげもなく言えるのよ……」


 もともと、琴美は人前で恋人同士らしい話をするのを嫌う。祐二が訊いても砂を吐きそうな台詞に、そんな彼女が我慢できるはずもなく、恥ずかしさのあまりに頬を染めて怒り出した。


「まぁまぁ、喧嘩は駄目ですよ? せっかくのお花見なんですから楽しく食べましょう」


「そうだアホは放っておけ、何を言っても聞きゃあしねぇんだからよ」


「そうね……せっかく皆で楽しく食べてるのに、怒ってるのも馬鹿らしいわ。真生ちゃんその卵焼き一口くれる? あたしもウィンナーあげるから」


「ありがとうございます。琴美先輩、涼先輩が欲しそうに見てますよ?」


「……仕方ないわねぇ、今回だけよ?」


 普段ならこうはいかないのだが、仲裁に入ったのが真生だからか、琴美がわりとすんなりと涼を許す。すると、隅で開けたパンを齧っていじけていた悪友が瞬時に復活した。


「琴美ちゃん、ラーブッ!!」


「あたしはラブじゃありませんっ!」


 怒った表情をしながらも、その目だけは嘘をつけない。相手を愛しむ色を見つけて、祐二の胸は鉛を飲んだように重苦しくなる。


 ──奪いたいわけじゃないのにな……。


 辛そうな顔より、幸せそうな顔を見ていたいと思う。だからこそ、この気持ちを伝えることは一生しないと決めたのだ。


 祐二は空になったペットボトルとパンの袋を潰し、溜息を噛み殺す。


 ──何やってんだかな、オレも。


 さっきまで素直に綺麗だと思えた空が急に憎くなる。見上げた空を、祐二はうんざりした気分で睨みつけた。


「先輩、これ食べます?」


「うおっ」


 唐突に目の前に茶色い物体を真生に突き出され、祐二は思わず仰け反る。距離を離してみれば、視界いっぱいに広がった茶色の正体は、タレが落ちそうな肉団子だった。


「美味しいですよ。食べますか?」


 箸で挟んだ状態で笑みを浮かべて聞いてくる真生は、祐二の驚きにはまったく無頓着だ。ただ、にこにこと笑う彼女に祐二は力なく言葉を返す。


「お前……いきなり真ん前に近づけんなよ」


「そう怒んないで下さいよ。先輩お腹空いてたんじゃないんですか? 空見てたってお腹は膨れませんよ?」


「アホか。なんで上見てただけで、腹が減ってるに繋がるんだよ」


「そうなんですか? てっきり空腹のあまり、飛んでる鳥まで狙っているのかと思って」


 惚けたことを言う真生に、祐二は痛み出した頭を押さえる。意図せずにどっぷりと溜息が出てきそうだ。


「あーもういい。お前は黙って好きなだけ食ってろ」


 悩むだけ馬鹿らしくなり、祐二は投げやりに視線を遠くへ飛ばした。


「酷いなぁ、先輩を心配して言ったのに」


「嘘つけ、明らかにおちょくってただろ」


「あはっ、バレてました?」


「当たり前だ」


 祐二がそのまま後ろに寝転がると「酷いなぁ」とぼやく真生の声が聞こえた。

頬に当たる芝生の感触。緑の匂いが心地よくて、そのまま目を閉じていると、いつの間にか自分の中から、凝るような想いは霧散していたことに、祐二は気が付く。


 ──オレの気を、逸らせるためか?


 ちらりと、視線だけを真生に向ければ、幸せそうな顔をして弁当を突っついていて、深読みしずぎた自分に苦笑が浮かぶ。


 ──こいつがそこまで考えるわけねぇか……。


 視線に気がついたのか、細い首が傾げられる。そして、何を思ったのか、満面の笑みを浮かべて、ずいっと膝の上に乗っていた弁当が差し出された。


「やっぱり、お腹空いてたんですね! 遠慮はいりません。さ、どうぞ!」


 ──絶対、そんな深い考えはねぇな……。

 

 祐二はそう確信した。


「先輩どうか──……」


「真生──っ!」


 その時、穏やかな空気を不似合いな怒声が切り裂いた。校舎から走ってくる影があり、次の瞬間には隣で座っていた真生がパッと立ち上がった。


「い、郁也くん……」


 引き攣った顔で呟くと、途端にあたふたと慌て出す。


「どうしたの?」


「うわぁぁ、まずいっ、どうしようっ!?」


 傍らで不思議そうに話しかける琴美の声さえ聞こえていない様子で、その口からはひたすら「どうしよ……どうしよ……」と小さな呟きが零れるばかりだ。どうやら思わぬ事態に軽くパニックを起こしているらしい。


「何をそんなに焦ってる」


 さすがに祐二も気になってむくりとその身を起こせば、はっと真生が振り返った。その後の行動は、普段ののんびりな様子からは考えられないほどに素早かった。


「……何がやりたいんだお前は?」


 真生はあろうことか、起き上った祐二の背後に回り込み、その背中に隠れたのだ。幸い、と言っていいのかわからないが、真生の身体は平均くらいで、祐二の体は当然それを上回る大きさだ。彼女の大きいとは言えない身体でさらに小さくしゃがみ込めば、正面からは祐二一人にしか見えないだろう。


 だが、ぎゅううっとあらん限りの力で縋りつかれた祐二は堪ったものではない。


「お願いします。動かないでください」


 背中にしがみついて離れない真生は、見たことがないほど必死な様子で、このまま隠してくれと頼み込んでくる。しかし、祐二が反応する前に影が射す。


「いまさら隠れても無駄だ」


 低く響いた不穏な声に、顔を向ければ、眉間に深々と皺を刻んだ少年と目が合った。背は祐二より十センチ程下だろうか。鋭く切れる刃物のような印象を与える二重の目に、薄い唇。髪は黒く、ピョンピョンと無造作に跳ねている。顔のパーツはまだ幼さの抜けきらない少年のものなのに、表情は酷く大人びていた。

 

 きつい目が一瞬だけ祐二を睨み、鋭い視線が真生に移る。


「うぅ……」


「なにをやってんだ、お前は!」


 鬼のような形相とはまさにこのことだろう。少年は祐二の背中に中途半端に隠れたままだった真生を引きずり出すと頭ごなしに怒鳴りつけた。


「なんで、お前が、こんな所に、いる!?」


 一言ずつ区切られた言葉にますます凄味が加わる。普通の女子なら泣きそうだ。


「て、天気もいいので、外でご飯でも食べようかという話になって。あ、なんなら郁也くんも一緒に食べない? なんて……」


「そんなこと聞いてんじゃねぇんだよ!」


「あはははは……」


「笑って誤魔化すな! きっちり説明してもらうからな?」


「見逃して──」


「くれると思うのか。このオレが?」


「やっぱり駄目?」


「当たり前だ」


 怖々と、それでも僅かな期待を乗せた言葉を一刀両断された真生は肩を落とし、俊然と項垂れる。琴美と涼が顔を見合わせる中。祐二は騒がしい遣り取りの間に割り込んだ。


「うるせ─よ。痴話喧嘩なら余所でやれ」


「あぁ? あんた誰だよ?」


 胡散臭そうに目を眇める郁也に、祐二は器用に片眉を上げて見せた。


「随分と口の悪りぃ餓鬼だな」


「うっわっ! 祐二に激似じゃん」


 横から口を挟んで、余分なことしか言わない涼に本気で殺気を覚えて、ギンッと睨みつけてやると、涼は引き攣った顔でへらりと笑って、降参とでも言うように両手を上げた。


「涼は余計な口出ししないの! とりあえず、真生ちゃん? この子は誰なのかしら?」


 涼の頭を軽く叩いて、琴美は自分の彼氏をそっちのけに真生に笑いかける。


「あっ、すみません。彼は菊地郁也きくちいくや君と言って、私の幼馴染兼クラスメイトなんです。ほら、郁也君も先輩たちに挨拶しないと」


 裾を引っ張って促す真生に、郁也はムスッとした顔でしぶしぶ口を開く。


「ど─も」


 その声は、お前らなんかに興味ねぇと言わんばかりに愛想の欠片もない。慌てて真生が裾を引っ張りながらフォローに出る。


「郁也君っ! すみません先輩方。そうは見えないかもしれませんが、本当は凄くいい子なんです」


 しかしそれは全くフォローになっていなかった。


「子って言うな。お前が馬鹿なことしかしないから、オレの口が悪くなるんだろうが」


 不機嫌そうに睨まれて、真生が言葉に詰まりながらも果敢に反撃に出る。


「そ、それは悪いと思ってるけど、私だっていつも無謀なことしてるわけじゃないよ? それと郁也君の口の悪さは関係ないじゃん」


「あぁ? お前が無茶ばっかするから、俺だって口を出さなきゃいけなくなるんだ。けど、軟い口調で言ったって、お前全然聞かねぇだろ! それによ、いっくら年上だろうが、知らない奴らに敬語なんざ使えるか」


 そこには一理あると祐二も思った。だがそれを口に出すことはしない。正直、こんな奴の味方をするようで癪に障る。


「お前ねぇ……オレ等だからいいようなもんだけど、全部の先輩にそんな態度じゃ目ぇつけられるよ?」


「それがどうした。そんな奴らにこのオレが負けるとでも?」


 その軽率な行動を咎めるように涼が顔を顰めれば、馬鹿にしたように郁也が返す。


「おい、どうでもいいからさっさとそいつ連れてけ。こっちは飯食ってんだ」


 祐二もいい加減、黙っているのに限界を覚えてスパンと叩き切るように、涼と郁也の言い合いに割って入った。その気だるそうな態度に、郁也が敵愾心を剥き出しにした目で祐二を睨む。


「あんたが、呉柳祐二か?」


「だったらなんだ」


 答えた瞬間、表情が一変した。


「オレはあんたを──……」


 郁也の顔には色濃い苛立ちと、それ以外の何かの感情が浮かんでいて、祐二は僅かに違和感を感じた。たとえ真生の幼馴染であろうが、初対面の相手にこうまで敵意を剥き出しにされる覚えはないはずだ。

 

 親の敵でも見つけたかのように睨み合う二人を中心に、一瞬で緊迫した空気が漂う。しかし、それが壊れたのも一瞬だった。


「あぁっとっ! 私、課題出さなきゃいけないのでそろそろ行きますね。ほら、それで呼びに来たんでしょ? 一緒に戻ろ」


 こいつは空気が読めないのだろうか。呆れるほどマイペースな真生に、祐二と郁也は呆気にとられて、すっかり毒気を抜かれてしまった。


「待てっ、オレはこいつに言いたいことが」


「はいはい。これ以上先輩に迷惑掛けないの。それじゃあ先輩方、お先に失礼します! 祐二先輩また会いに来ますので、待っててくださいね」


 馬鹿丁寧な挨拶をして、真生はさっと広げていた弁当を包むと、引きずるように郁也の腕を引っ張っていく。


「この馬鹿! 急に走るな!!」


 真生の背中と郁也の怒鳴る声が徐々に遠ざかり、やがて校舎の中に消える。それを見送ることになった祐二は、しまりのない終わり方に、ガシガシと頭を掻いた。


「馬っ鹿野郎。誰が待つか……」


「なによ。祐二君たら寂しいの? なんならオレが慰めてあげようか?」


「はっ、いなくなって清々すらぁ」


「素直じゃないねぇ」


「素直じゃないわね」


「うるせぇー」


 笑い声が響く中、祐二はぶっきらぼうに言葉を投げた。


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