この想いが続くかぎり

天川 七

第一章 本気の告白

第1話 side真生

 風に花弁が散っていく中、桜の木の下で、二つの影が向かい合って立っていた。

 

 片方は幼さを残した少女だ。彼女は緊張した顔で彼を見上げている。一方、彼は少年と呼ぶよりも、青年という字がふさわしい雰囲気を纏っていた。


 青年の落ち着き払った様子とは裏腹に、少女の心臓はその音が聞こえやしないかと心配になるほど脈打ち、喉の奥は緊張のあまりに干上がっていた。喉をこくりと動かして息を飲み込む。

 

そして、なけなしの勇気をかき集めると、彼女は想いを音にした。


祐二ゆうじ先輩が好きです」


 それは少女、河野真生こうのまきの初めての告白だった。

 

伝えた言葉は掠れた上に震えており、まるで自分の声ではないような気がした。しかし、青年はそんな真生の気持ちに気付かないかのように、気だるそうに溜息を吐く。


「悪いけど、オレは誰とも付き合う気ねぇから」


 あっさりと返された答えに、握りしめた拳が震える。それが伝わらないように静かに息を吸って、真生は笑って見せた。


「大丈夫です! わたしは好きですから」


 にっこりと笑ってそう言い切れば、青年は驚いたように目を見開く。


「伝わるまで諦めませんので、覚悟しといてくださいね?」


 これが、真生の本気の恋の新たな始まりだった。





 授業中の渡り廊下には人影がなく、校庭で体育の授業を受ける生徒の声が僅かに聞こえている。


 真生は眠たさに目を瞬かせながら、のんびりと足を動かしていた。校舎に入って階段を上れば、上窓から差し込む光が踊り場を優しく照らしている。暖かな日差しは、欠伸を誘うには十分なものだった。


 眠気覚ましに屋上にでも行こうかと、真生はこっそりと階段を上がっていく。四階まで登りきれば、くすんだ色のドアが現れる。取っ手を押してみるものの、ドアは駄々をこねる子供のように素直に開くことをしない。


 仕方なく右下のへこみのある部分を足で蹴りつければ、今度は叱られてしょんぼりした子供のように至って素直にドアが開く。明るい太陽の光と春の風に迎えられて、顔に自然と笑みが浮かぶ。真生は大きく伸びをした。


「良い天気。気持ちいいなぁ」


 ささやかな幸せを味わいながら、手摺に寄りかかるように体を投げ出す。空に投げていた視線を下に落とせば、校庭でボールを蹴っているクラスメイトを見つけた。


 今日の体育はサッカーだったようだ。聞こえる声援の大きさに、楽しそうな空気を感じて、真生の心にほんの少しだけ寂しさが吹き込む。


「──サボりかよ」


 突然、背後から掛った声に驚いて、体がびくっと震えた。振り返れば、ドアのすぐ傍に片膝を立てて座り込む青年の姿があった。


 一週間前に真生が告白した相手、呉柳祐二くれやなぎゆうじだ。左耳につけられた小さなピアスが光に反射して輝いている。跳ね上がった心臓を隠すように、真生は穏やかに笑う。


「体が弱いんで、体育なんてか弱い私にはとてもとても。先輩こそサボりですか?」


「馬鹿言ってんなよ? お前のどこがか弱いってんだ。か弱いやつが毎日毎日オレを追いかけまわしたりするかよ」


 真生の冗談交じりの言葉に、祐二は呆れた顔をする。


「だって言葉にしなければ、想いは伝わらないでしょう? わたしは毎日でも伝えたいんですよ。『大好きです、祐二先輩』って」


「伝えられるこっちはいい迷惑だけどな」


 軽口と共に言われた言葉は胸に刺さるようだった。深い意味などないのはわかっていても、胸の奥から切なさがこみ上げる。


「……ひっどいなぁ。でもそんな所も好きですよ。だから安心してください」


「お前のそれは聞き飽きたっつ─の。それより、そんな顔するくらいなら、お前も体育やってきたらどうだ?」


「なんのことですか? わたし変な顔してました?」


「羨ましそうに見てただろうが」


「いえ、若いっていいなぁって」


「アホだろ、まるっきり年寄り発言だな。お前だって十分に若いじゃねぇか」


「あったり前じゃないですか。まだスベスベのお肌を保った十七歳なんですからねっ」


 些細な変化に気が付いてくれたことが嬉しかった。真生は視線を再び校庭に向けながら、熱を持った顔を隠す。ふざけた会話でさえも愛しくて、心がことりことりと音を立てている。


「十七ねぇ……どっから見ても中坊くらいにしか見えねぇな。ガキだから元気有り余ってんだろ? あいつらと一緒に校庭駆けまわってこいよ」


「嫌ですよ。無駄な体力使うくらいなら、先輩を追い回してた方がよっぽど有意義です」


「だから、その体力を運動で消費してこいっての」


 佑二は隣に来ると、真生と同じように手摺に寄り掛かった。まだ熱の引かない顔をそろりと上げれば、彼は遠くへと視線を投げていた。隣にいるのに、その心はここにはない。


 ──何を想っているんですか?


 その言葉を飲み込んで、真生は努めて明るく振舞う。


「モテ男が何を言ってるんです。いいじゃないですか、わたしは先輩が大好きなんです」

「顔が赤いぞ」


 佑二の視線が戻ってくる。おかしそうに笑われて、むくれた振りを装いながら、つんとそっぽを向いてみる。


「私だって照れることぐらいあります!」


「あんだけ強烈な告白してきた奴が何言ってやがる」


 吹き出すように笑われて安堵する。いつも見ていた祐二の横顔はずっと切なそうなものばかりだったから。


 真生が祐二の姿を初めて目にしたのは、一年前の夏だった。友達とじゃれあっている姿を遠目に見かけただけで、その時は、特になんの思い入れも感じないまま、ただ自分とは関わりのない先輩として済ませた。


 二度目に目にしたのは、ぼんやりと何処かに視線を投げている横顔だった。何かに強く焦がれるような、熱を宿した切ない目。気が付けば、その目に否応なく引き込まれてしまった自分がいた。


 その目の先に何を見ているのか。彼が何を想っているのかが気になって、祐二の姿を追うようになった。


 いつも、真生は祐二を遠くから見ていた。


 廊下ですれ違う瞬間を。

 窓越しに、校庭を駆ける姿を。

 一人屋上に向かう背中を。


 だから、すぐに気がついた。その目が誰に向いているのかを。親友と呼べる相手と、その彼女。三人はいつも一緒にいたのだから。


 彼が想いを寄せている相手に気づいた時、どうしようもない胸の痛みに、苦しくなった。


 祐二が彼女を見つめていても、相手はその想いに全く気付かないのだ。傍から見ていてわかるほどに彼は彼女を想っているのに、彼女はいっそ残酷なほどに優しく微笑んでは、祐二を無意識に傷つけていた。


 何度、うっすらと影が浮かんだ表情を見つけたかわからない。その度に、真生の心は僅かな安堵と、大きな痛みに襲われた。


 安心してしまう自分に醜さを感じながらも、祐二のことを想えば、伝わらない想いの切なさがわかる分だけ、痛みは増していく。


 彼女は明るく穏やかな性格の美人で、同性の自分から見ても魅力的な人だ。真生がこう思うのだから、祐二が目を惹かれたのは当然だったのだろう。


 だから、強く思われる彼女が羨ましかった。自分だけを見て欲しいなんて、高望みは出来ないけど、ほんの少しだけ、『私』という存在をその目に映してほしかったのだ。


 たとえどんなに想っても叶わない願いなら、せめてそのくらいは許して欲しい。それが、正直な真生の想いだった。


 チャイムが鳴る音に真生は我に返った。その音と共に祐二が背を向ける。


「もう行くわ。お前もサボってばっかりいるなよ」


「先輩こそあんまりサボってると留年しちゃいますよ」


「バァカ。お前と同級生なんてごめんだぜ」


 ひらひらと背中越しに手を振りながら階段を下りていくその背中は、想うだけのあの時よりも遥かに近く感じた。

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