第24話 side真生

 病室に戻ると結構な時間が経っていた。涼はベットの傍に椅子を置いて、真生の話に付き合ってくれているが、一向に帰る様子が見られないので、そろそろ心配になってくる。


「涼先輩、授業はいいんですか?」


「いいのいいの、オレ頭悪くないから心配いらないよ? 五回や十回受けなかったところで大した問題にはならないからさ。それよりね、もう少し真生ちゃんと話したいよ」


「十回って、留年したいんですか? 多すぎですよ。話したいって思ってくれるのは嬉しいですけど、琴美先輩が怒りませんか?」


「あ、怒るかな? いや、でも大丈夫だって。真生ちゃんのとこにいるからって言えば」


「素直に帰った方がいいですよ」


 促すものの、暖簾に腕押しの状況だった。祐二には学校を優先してほしいと頼んだ手前、彼だけにそれを許すのは真生の心情に反していた。


「今度は琴美先輩と一緒に来てください。そうすれば絶対に怒られませんよ?」


「そうだね、今度はそうするよ。……その前に琴美の怒りを鎮めてからじゃないと、無理かもしれないけどね」


 歯切れの悪い口調だ。真生は二人の関係に影が射したのかと、困り顔になる。


「今度はどうしたんです?」


「あのね、琴美は真生ちゃんの病気を最後に知ることになったよね? まぁ、他意はなかったわけだけど。だけど、あいつからすれば可愛い妹分からも知らされず、彼氏からも、ダチからも知らされなかったわけだ。で、今かなり怒ってて、口訊いてくんないんだよ」


「それは……」


 真生は言葉に詰まった。そうだった。すっかり教えた気になっていたが、よくよく考えてみればそんなわけがない。自分はあの時、誰にも言わずに消えるつもりだったのだから。


「ね? なんとも言えないでしょ?」


「……謝らないといけないですね」


「いやぁ、オレも土下座する勢いで謝ったんだけど、腹に一発拳を食らって、見向きもされませんでした」


「なんというか、相変わらずなようですね。不謹慎ですけど、ちょっと安心しちゃいました」


その光景が容易に目に浮かぶ。


「そんなとこで安心されても嬉しくないって。けど、琴美も真生ちゃんの気持ちはわかってるはずだからさ。ちゃんと話して今度は連れてくるよ」


「はい。琴美先輩に、言えずにすみませんでした、って伝えてもらえますか?」


「わかった。ちゃんと伝えるよ」


 涼の態度は、今までにない真摯なものだった。ふざけた姿ばかり見てきたが、本来の涼は繊細で優しい人なのだろう。その時、ふと足音を耳にして、真生は開け放たれたドアへと目を向ける。


「どうしてお前がここにいるんだよ?」


 先にいた涼に不機嫌な顔をして、祐二が病室に入ってくる。


「あらま、随分なご挨拶じゃないの。あ、もしかして妬いてるの? オレが真生ちゃんと仲良くしちゃってるから」


 涼は真生の肩に腕を回すとわざとらしく鼻で笑ってみせる。挑発するような仕草に巻き込まれた真生は困った顔をするしかない。


「オレのに触るな」


 涼が真生の肩を抱き寄せると常から目つきがよくない目が険悪に細まった。佑二は不機嫌な顔で親友の頭を軽く叩くと、真生を解放させる。その強引な仕草に思わず彼の顔を見上げた。


「大丈夫か?」


「あ、はい。ちょっとびっくりしました」


「……まぁ、大丈夫ならいい」


 何かを言いかけ、祐二はため息を吐きながら、ゆるく首を振る。どこかすれ違っているよう気がして真生は首を傾げる。


「真生ちゃん、今のは祐二の嫉妬だって」


「黙れ、害虫」


「い、一度ならず、二度までも!」


 祐二の手が素早く動く。今度は力が入っていたようで、涼は頭を抱えて痛そうに唸った。


「嫉妬? あははっ、また冗談言っちゃって」


「この反応って恋人としてどうなの? 祐二、お前もっと頑張れよな」


 真生がありえないと笑えば、二人が顔を見合わせる。祐二は複雑そうな表情の意味が、真生にはいまいちよくわからなかった。


「わたし変なこと言いましたかね?」


「気にするな。それよりも、こいつ大体いつからいやがったんだ。お前が学校にいなかったせいで、琴美の怒りがこっちに飛んできたじゃねぇかよ」


「オレ達、親友でしょ? 祐二くんとオレは一蓮托生なんだから、琴美の怒りも一緒に受けて当然だろ」


「胸を張るな。そんな親友いらねぇよ。むしろ捨てたいわ。お前の彼女なんだからお前がしっかり宥めろ。……お前が何も言わないで消えたから、琴美も心配してたみたいだぜ」


「上々だね。琴美ちゃんにはもう少し素直になって欲しいのよ、オレとしても」


「もしかして、わざとですか?」


「怒ってばかりでこっちの話を少しも聞かないからね、苦肉の策だよ。このままぶつかることだけが増えていけば、一緒にはいられなくなるでしょ? 今のオレ達には必要なことだよ」


 苦笑して、それでも必要だと口にする涼は、きっと本当に琴美のことが好きなのだろう。


「……呆れた奴だな」


「なんとでも言ってよ。それじゃあ、そろそろオレは帰るとするかな。馬に蹴られて死にたくないしね」


「さっさと帰れ」


「はいはい帰りますよ。またね真生ちゃん」


 ひらひらと手を振る涼に、祐二は手の甲を見せ邪険に払った。その後ろで真生は小さく手を振り返していたのだが、祐二が振り向く前に、素知らぬ顔で手を下ろして隠す。


「やっと煩い奴がいなくなったな。無駄に疲れたぜ」


 溜息を吐いて、頭をがしがしと掻く祐二に、真生は軽く笑った。


「涼先輩はいい人ですよね」


「まぁ、悪い奴ではねぇな。うるせぇけど」


 最後に付け足された素直じゃない言葉が祐二らしくて、小さな笑い声が漏れる。軽く睨まれるものの、その様子がますます笑いを誘う。


「怒らないで下さいよ」


「怒ってねぇよ」


「じゃあ、拗ねないで下さい」


「拗ねてねぇ」


 そっぽを向いてぶっきらぼうに祐二は答えるが、その声とは裏腹に彼の耳はうっすらと赤かった。真生は祐二が拗ねないように今度は声を立てないで笑った。しかし、その笑い声はすぐに途絶えてしまう。


「あ……っ」


 まるで何かの衝撃を受けたように視界が一瞬大きくぶれた。同時に頭が痛み出す。最初は小さく、やがて耐えられないほど痛みは大きくなっていく。


「真生?」


 振り返った祐二に応える余裕もないまま、真生は震える指先で米神に触れると、きつく目を閉ざす。苦痛の時間が始まったのだ。


「先輩……外に、出ててください……」


 こんな姿を祐二に見られたくなくて、真生は激痛を堪えて声を絞り出す。じわりと広がるような痛みが、頭の中で大きくなったり小さくなったりを繰り返す。まるで不整脈を起こした心臓のようだ。


「痛むのか!? ナースコール押すぞ!」


「お願いです……外へ……」


「こんなの見て放っておけるか! どうすればいい? どうすればお前を少しでも楽にしてやれる?」


 痛みに苦しんでいるのは真生なのに、祐二の方が死にそうな顔をしていて、真生は冷や汗の浮かんだ青ざめた顔で微かに笑った。


「……一番上の引き出しに薬が入ってます……取って、もらえますか……」


「水もいるよな? ちょっと待ってろよ」


 祐二は引き出しから出した薬を真生に持たせると、反対側の壁に備え付けられた洗面所でコップに水を汲んで持ってくる。


「……すみません」


「謝らなくていいから早く飲め」


 真生はあまりの痛みに朦朧としてきた意識の中で、なんとか薬を飲み込んだ。祐二の優しい手が何度も頭を撫でてくれる。繰り返し撫でられているとほんの少し、痛みが小さくなった気がした。


 すぐに担当医である郁也の父が駆けつけてくれた。彼は祐二の姿に驚いたようだが、それも最初の一瞬だけで、何も言わずに祐二を外に出して、苦しむ真生の処置を始めた。腕に針を刺され、点滴が行われる。


「……おじさん……先輩に、今日はごめんなさいって……」


「わかったよ、真生ちゃん。ちゃんと伝えておくからね、さぁ、ゆっくりと眠りなさい」


 真生はぼんやりした頭でかろうじてそれだけを言い残すと、激しい痛みの中、ようやく気絶するように眠りについた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る