第42話 夜空 2/2


「結局食べたのはソフトクリームだけか。平野さんにもっと色々食べさせてあげられたら良かったんだけどな」

 帰りの車中で太一が無念そうに言う。前から思っていたが、こいつ人のために何かするの好きだよな。

「いいよいいよ。着替えたら逆に目立っちゃってたからねん」

「今日から三日間、海では花火大会だから、その時にリベンジすればいいよ」凛子が答える。

「しかし、ただ街を歩いただけで今日のような騒ぎだぞ。祭りなんて行って大丈夫か?」氷雨が疑問を口にする。

「別荘からでも充分見れるし。庭にビニールシート敷いてさ、みんなで見ようよ」テルがフォローする。

「そうだな。それならば今日の夕食は俺に任せろ。麗美に夏らしい食事を用意してやる」

「へえ。将くんって料理できるんだ」

「うむ。なにせ毎日自炊しているし、これでも実家は餃子屋さんだ。祭りらしい出店的なものも用意してやろう。太一、テル。帰ったらお前たちも手伝ってくれ。女二人は役に立たんのでな」

「オッケーだよ。それじゃ僕はパエリアでも作ろうかな。せっかく海が近いし、ここは魚介で行きたいよね」

「俺はサポートに徹するよ」

「ふむ。テルはパエリアか。金目鯛を入れてくれよ。しかし、それなら俺はどうするかな。まあいい。マウンテンバイクよ、すまないがスーパーに寄ってくれ」


「うっわー、きっれい…」

 凛子が空を見上げて溜息をつく。

 夏の夜空に咲く打ち上げ花火。その初日ともなれば海岸の歓声と、花火の弾ける音までもが遠く離れたこの場所まで響いている。

 俺たちは庭のバーベキュースペースでビニールシートに座り、食べながらそれを見る。

 メインにはテルの力作、大皿のシーフードパエリア。串に刺した焼き鳥とタマゴサラダは太一と俺の共作。俺は加えて夏野菜を使った冷製ジュレスープとサバサンド、デザートにミカンのシャーベットを担当した。

「この魚の入ったパン美味しいよん。レモンの酸味がきゅうってくるね」

「ああ。素材のおかげだ。焼いたサバと生の玉ねぎにオリーブとレモン汁をかけただけだから麗美でも簡単に作れるぞ。トルコではこれを船で焼いて、同じく小舟に乗った観光客に売っているらしい」

「スープも洋風だし、将くんってもしかして洋食の方が得意な人?」

「そうかもな。言われてみれば、いろいろ食材が選べるなら洋食を作る傾向があるかもしれん。和食は食材が限られるしな。じゃあ麗美は、和食だと何が好きだ?」

「う~ん、私は…」

 ふむ、話の内容は無難に料理に関する事だが、無難なだけあって話題は尽きないな。

 それより、さっきからうっすら気付いていたが、氷雨の様子が変だ。

 もじもじ。じりじり。そわそわ。

 半笑いで落ち着きなく俺たちの会話を聞いていて、そして俺と麗美の会話は途切れない。氷雨は合間に話しかけようとするのだが、あっとか、うっとか、タイミングが合わず声を飲み込む。

 俺は途中から知っていたが、ぶっちゃけ麗美との料理トークが楽しい。盛り上がるとはそういう物だ。だいたい氷雨も女なら料理の会話の引き出しくらい持てばいいのだ。

 そう思っていると。

「うっ、ひっぐ。うえぇ、ひっぐ。うええぇ…」

 氷雨が、あろう事か突然泣き出し始めた。

「ちょ、ちょっと氷雨さん! 大丈夫?」まずテルが気付く。

「う、うわあぁん。ダーリンの、ダーリンのばかあ、女好き、八百万やおよろずの神、水虫。うえええぇ…」

「ちょっと待て氷雨。何を泣き出しているのだ。情緒不安定な広末涼子か」

「将っ! あんたこんな時にふざけないでよ! さめさめが何で泣いちゃったか分かんないのっ!」続いて凛子まで俺を責める。

「ご、ゴメンね氷雨ちゃん。ああ、泣かないでよん、ど、どうしよう」

「おい、お前たち。ここで氷雨を甘やかすとろくな大人になれないぞ。いや、身体だけならもう立派に大人だが…」

「お前は何を口走ってるんだっ!」太一が怒る。

 な、なんだよ、みんな。余が、余が悪いと申すのか? 余は、余はね、いつだって民の事を考えて…

「将くん、謝れっ!」

「て、テル、お前誰に向かって口を…」

「いいからっ! 謝れっ! じゃないと僕ほんとに怒るよっ!」

 こっ、こいつ。女の子が泣いてる時に限って男らしさをアピールしやがって。

「くっ、氷雨。す、すまなかった。だが勘違いするな。俺は別に…」

「ふっ、ぐうっ、うぅ。もう、もういいもん。ダーリンは、ダーリンはいつだってそうで、私、もう無理だもん。料理だって、本当はダーリンが喜ぶ物作ってあげたいもん。でも、こんな事で、また違う女で、毎回まいかい傷つきたくないよお。もう、もういやだあ…」

「泣くな。お前が泣いたら俺はどうすればいいのだ? ただ飯の話をしてただけだろう。情緒不安定な広末涼子か」

「お前、この事態に何で二回言った!」太一ツッコむ。

「泣くな氷雨。俺はお前と居ると楽しい。そして冬のソナタより切なくなる」

「ぐっす。じゃあ、アオハライドは?」

「いや、さすがにアオハライドはそうそう越えられんだろう。あとママレードボーイも絶対無理だ」

「うわああーん」

「更に泣かせんな!」

 ダメだ、収拾がつかん。ここはいっそ男らしくキスで唇を塞いで黙らせるか。それカッチョイイな。よし、それでいこう。

「氷雨。俺の目を見ろ」

「ひっぐ、ヤダ」

「いいから見ろ」

「ぷいっす。ぷぷぷいっす」

「マジ、マジ頼むって。俺すっごいカッチョイイ事考えたんだって」

「じゃあ、じゃあキスして。してくれたら、ぐすっ、言う事聞いてあげる」

 ま、待て。そのキスを今からしようとしてたんじゃないか。ここで、仮にキスをしたとしよう。その後、いったい俺はどうしたらいいのだっ!

 考えろ。考えろ麻生将。お前ならできる。この短時間でよりカッチョイイアクションを、カチョアクショを…

「えっ、ぐっ、やっぱり、やっぱり平野の前だから、してくれないんだね。もう、もういいもんっ、ふえ、えっ、びえええーーーんっ!!!」

「ちょ、ちょっと待て。違うんだ」

 いかん。泥沼だ。違うんだって、後の行為が、事後の行為が思いつかないんだって。こうなったらママレードボーイを参考にするしかない。あれは恋愛の火薬倉庫だ。

 思い出せ。まず、ユウがミキが寝てる時にキスをして、その後もユウはスカしてて、ミキはもう何が何だか分からなくなってきちゃって。その後どうだったかな? あ、そうだ。ギンタが雑誌のあいだにミキのラブレター挟んでて。

 あれ? そう言えばあの二人のお父さんお母さんの名前なんだっけ? ジンとルミとヨウジと、あと一人なんだっけ?

「将。黙ってないでなんとかしてやれよ。これじゃ碓氷が可哀想だ」

「あっ、そうだっ! チヤコだっ! しかしチヤコっておい」ピシッ! 俺はツッコミを入れる。

「ちやこって、ちやこって誰? ダーリン。もう無理なのかな、私じゃダメなのかな? 私って、ダーリンに、とって、何なんだよ…」

 ガツンっ! 突然、視界が揺れた。

「見損なったよ、将くん! 好きな人が、違う女の子の名前言ったら傷付くに決まってるだろっ! お前っ、本当に人の気持ちっ、考えたことあるのかよっ!!!」

 テルが、俺を殴ったのか? あのテルが…

「テル、止せ。殴るのはやり過ぎだ」太一が止めに入る。

「殴ったね。ブッタにもぶたれたことないのにっ!」

「当たり前だ!」

 しょうがないから、少しだけ真面目になろう。

「氷雨。もうどうでもいいわ。俺が悪い。だが、俺を許せ」

「こいつ今、殴られたばっかだよね?」凛子が口を挟む。

「いいか? 俺は自分が好きだ。だが自分よりもお前が好きだ。そんな奴、この世界に一人だけだ。つまらん事でふてくされたりするな。俺が女が好きなのはもう病気だ。まして麗美は仲間だ。お前は今後一切、疑う必要はない。俺が愛しているのはお前だけだ」

「うっわあ」

「言った」

「ははっ、さすが将くん」

 三人が呟く。

「ダーリン。ごめんなさい。ダーリンの気持ち、知ってたのに、本当はそうだって、知ってたのに。私もう、迷わないよ。それから、平野。すまなかった。見苦しい真似をしてしまったな」

 氷雨がそう言うと、麗美が首を振り笑った。

「私もね、こういうカッコいい将くんが好きなんだよ」

 気付けば、色のない涙が、麗美の頬を流れていた。


「はあ、あんたあんな時にそんなアホなこと考えてたの?」凛子がツッコむ。

「さすが将って言うか、他の奴には出来ない思考してるよな」太一が頷く。

「私はアリミが好きだったな」氷雨、奇遇だな。俺もアリミが大好きだ。ギンタとアリミが付き合った時は正直嬉しかったのを覚えている。

「あーあっ、一件落着。どこかにステキな恋は落ちてないかなあ」麗美が笑う。

「見つかるよ。麗美さんならきっと」テルも笑う。

 空の花火はもう散った。

 時は夜。暗い夜空に、星が彩る。

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