第8話 「時計」
13年前の10月のことだ。季節は秋だったと思う。日が変わったばかりの真夜中に神奈川の実家で両親と一緒に住んでいる妹から電話があった。妹は泣きながら「パパが死んじゃった」と言った。妹は父親のことを高校生のころから「パパ」と呼ぶようになった。50歳を過ぎてもパパと言うのはなんだか滑稽な感じがする。妹は実家の近くの病院にいて、父親の最後を看取ったらしい。
父親は夕飯時までは生きていた。妹が仕事から帰宅するまで両親は一緒に過ごしている。母と父は夕方の6時ごろに一緒に夕飯を食べた。その後、父は自分の部屋に入って寝てしまったそうだ。暢気な母は、それから3時間、父を心配するでもなくテレビを見ていた。妹が夜9時ごろに帰宅して、父の部屋に入って様子を見ると、父はベッドの上にうつ伏せに倒れていた。妹が慌てて救急車を呼んだら、父の掛かりつけの近くの総合病院に連れて行かれた。妹によれば病院に運ばれるまで父は生きていたそうだが、僕はそうは思っていない。たぶん、父は夕飯を食べ終えてベッドですぐに死んでしまったのだと思っている。
父はパーキンソン病だった。定年から数年後にうつ病のような症状を見せ始めた父を心配して妹が病院に連れて行ったらパーキンソン病と診断された。そのまま父は自宅に引きこもるようになった。僕が千葉に引っ越してから両親の面倒は妹がみていた。
まともな人間ならば親が死んだらすぐに亡骸の元に向かわねばならない。しかし、僕はまともではない。すぐに帰ろうとはしない。もう電車は動いていないし、車もないし、真夜中にタクシーに乗って千葉から神奈川まで行く金もない。
「申し訳ないが、明日の朝、そっちに行くよ。よろしく頼む」と言って電話を切ろうとしたら妹は無言のまま電話を切らない。「なんですぐ来てくれないのか?」とでも言いたかったのかもしれないが。「ごめんな、電話を切るぞ」と言うと妹は「うん」と言って電話を切った。
翌日・・・僕は始発電車に乗って帰るほどの根性もないから、妻と2人でゆっくりと千葉の家を出て実家に向かった。実家に到着すると妹は無責任で頼りない兄を見て軽蔑したような顔をした。
その日、通夜を終えて、次の日は空気が澄んで空には青空が広がっていた。葬式で僕は「死ぬまで結局何もできなかった父だが、そんな父を僕は誇りに思う」と挨拶した。僕が勤めていた会社の社長は僕の挨拶を「立派だった」と褒めてくれた。
父の写真を胸に抱いた僕を乗せて霊柩車は火葬場に向かった。霊柩車の窓から空を見上げると1羽の知らない鳥が青空を滑空していた。
火葬場に着いて父を乗せた台車と一緒に歩く。ガラガラと音をたてて父は焦熱地獄の炉に向かって進む。棺おけの中に父が大事にしていた腕時計を入れようとしたら、葬儀屋の女性が「燃えないものや燃えても有害物質を出すものは入れることができないんですよ」と言った。
火葬場の煙突からポワーーンとした感じで空に上っていく煙になった父が見えた。「さようなら」と言うと涙が出た。ポンと肩をたたかれたので振り向くと「克弘、人は諸行無常だよ」と言って年上の従兄が笑っていた。その従兄も2年前に突然死してしまった。
火葬が終わると骨になった父を骨壷に入れる作業になった。中にはピンク色の骨があった。「色がついた骨は故人が病んでいた場所の骨だよ」と誰かが言った。葬式が終わると、親戚たちはそれぞれの家に帰っていった。
僕は妻と一緒に実家まで帰り、妹に「骨壷に親父が大事にしていた時計を入れよう」と言った。「いいよ」と妹が言うので蓋を開けて時計を骨の一番上に置いた。腕時計はメーカー品ではないが、父がいつも腕にはめていたものだった。
しばらく母と妹と話をしてから千葉の自宅に向かった。帰りの電車の中では父の思い出が頭をよぎって、何度も号泣しそうになった。自宅に着いたのは夜の8時ごろだった。
疲れた足を引きずってようやく自宅に入ると、暗い玄関に何かがある。玄関の明かりを点けると骨壷に入れたはずの父の腕時計だった。よく見ると小さな紙切れのようなものがある。手にとって見ると「お前にやるから使え」と書かれていた。父の字だった。メモはそのまま夢のように消えてしまった。
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