盤上黒花のビスクドウル

東上しづき

 

 鮮血色の固い床に、同色の飛沫が弧線を描いた。


 周囲は静かだった。舞踏会の一つでも開けてしまいそうな豪奢な内装の大部屋には16の人影。15は立ち尽し、残る1は倒れ伏している。

 悲鳴が轟き、怒号が飛び交う。想像していたそんな光景はとうとう眼界に姿を現さず、引き裂かれる静寂も、当たり前の混乱も、部屋には何一つ生まれはしなかった。


凍子とうこさん……」


 振り返って、その名を呼んだ。僕の背後には一人の小柄な女性。形良い唇の端に細いマジックペンを咥え、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

 小さな胸の前で組まれた細い腕。白い人差し指が、黒色のセーターの上から二の腕を忙しなく叩いている。

 真っ直ぐにくず折れる男の姿を見つめていた彼女は、大きく息を吐くと、それからゆっくりと口を開いた。


「それ、片付けてくれませんか?」


 想起された悲鳴ではなく、起こってしかるべき混乱ではなく、良く通るソプラノによって、静謐は破砕された。光宿す28の瞳が彼女を見つめる。縋る者を、凍りついた場の空気を揺り動かしてくれる者を求めるかのような、そんな視線に見えた。


「それ、とおっしゃいますと?」


 唯一彼女を捉えてはいなかった残る2の瞳が、一泊遅れて漸くこちらへと向けられた。彼女が発するそれ以上に、直線的に空間を突き進むバリトンが、冷ややかな響きでもって疑問符を投じた。


「そこに転がっているものです。直接的に視界に映り込む死のイメージは、スクラッパーの冷静な思考を阻害します。ゲームの進行にも影響が出かねません」


 彼女の言葉の飛んだ先を、無数の視線が無言で射抜く。1人の死者と、15人の生者が構成するこの世界。世論は彼女の味方のようだった。


「必要ありません」


 肉体に突き刺さる眼光をものともせず、バリトンの持ち主は言った。恐らくは男性であろうことを除き何一つ正体の知れないその人物は、頭部の全てを布製の純白のマスクで覆っていた。


「全てのスクラッパーが冷静に知略を巡らせること。それはこのゲームを成立させるために、必ずしも必要な条件ではありません。平静を失い運否天賦に身を委ねるスクラッパーが出たとしても、それはそれで結構です」


 意思の読み取れない切れ長の瞳をマスクに空いた穴から覗かせ、男は言う。彼女は口を噤み、しかし視線を下げることなく、眼差しには敵意を滲ませた。

 白いマスクの男。黒いセーターの彼女。そして倒れ伏すスーツの遺体。周囲の者らは、視線を三方に彷徨わせる。


「死体の隣で、カードゲームなんてできないよ……」


 震える声が、何処かから響く。反応する者はいない。皆が同じように感じながら、それでも男の決定には逆らえないことを知っている。


「よろしいですか? では、次のセットを始めましょう」


 ゲームは続く。

 マスクは告げる。


 布の向こうで、男の口角が大きく吊り上った、そんな気がした。

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