第5話 闇凪の剣

「どうも、この家が『顔闇かおやみ』の井戸があるところね」


 風守かざもりカオルは黒のジャージに白いスニーカーという軽装で、その家の前に立っていた。


 黒いショートカットの髪に、少し大きめの目が印象的である。

 身体は痩せ型で、黒豹のような身のこなしで玄関の引き戸に手をかけた。


 背中に背負ってる直刀の鞘には十拳とつかの剣のひとつ「闇凪やみなぎの剣」が納められている。


 常世とこよへの道を塞ぐことのできる霊剣のひとつである。


 祖父の立石巌たていしいわおの依頼で、備前の一ノ宮である石上布都魂神社いしのかみふつみたまじんじゃから借り受けたものだった。


 彼女の父の実家であるその神社には、かつてはスサノオがヤマタノオロチを退治した布都御魂剣ふつみたまのつるぎが御神体としてあった。


 だが、崇神天皇の時代に大和の石上神宮いそのかみじんぐうへ移され、今は木製のレプリカだけがあるという。


 この石上布都魂神社には、未だに十拳とつかの剣の数本が秘宝として伝わっていた。


 


 風守カオルの右目には、いつも通りの玄関の光景がみえていたが、左目の霊眼には、薄黒い透明な液体状のものが居間の引き戸の奥からあふれてきてるのがはっきり見えていた。


 幼い頃から、彼女の左目には常世とこよの生物が見えていて、それが当たり前だと思っていた。それはどうやら彼女の血筋に関係があるらしかった。


 言い伝えによれば、吉備津神社に伝わる「温羅ウラ伝承」で有名な百済の皇子とも、鬼神とも言われている「温羅ウラ」と、孝霊天皇の皇女であり、巫女でもある「ヤマトトトヒノモモソ姫」の間に三人の子供がいたという。


 讃岐の「鬼無きなしの里」で秘かに育てられ、ひとりは皇子で皇女がふたりいたが、その子孫からヤマトトトヒノモモソ姫の鬼道の力を受け継ぎ、普通は見えないものが見える巫女が多く生まれた。


 皇子の方はヤマトタケルの母方の血筋へと繋がっていき、彼の過酷な旅には副官として常に、武勇に優れた吉備武彦きびのたけひこが付き従った。


 風守カオルはどうやらそんな先祖返りのひとりであったようで、祖父の立石巌がそのことに気づき、「常世封じの道術士」として特別な修業を施していた。


 十拳とつかの剣のひとつ「闇凪やみなぎの剣」が使えるのも、鬼道の力を制御する道術のおかげだった。




 居間の引き戸を開けて中に入ると、直径1メートルぐらいの淡い光の柱が畳から天井まで立ち上っていた。


 その光の柱の中から薄黒い透明な液体状のものが、泉のように湧き出ていた。


 いわゆる「御柱みはしら」と呼ばれるもので、常世の生物というより「一柱の神」と呼んでもいい存在が、この世に降臨する前兆だと言われている。


 まずい、手遅れかもしれないと風守カオルは思った。


 おそらく、井戸の底にある封印の日矛鏡ひぼこのかがみは砕けていると思われた。


 カオルのジャージ上着の左ポケットに入ってる日像鏡ひがたのかがみで再封印するしかない。


 天照大御神の御姿を型取ったといわれる日像鏡ひがたのかがみ日矛鏡ひぼこのかがみは、作鏡連かがみづくりのむらじの祖神である石凝姥命いしこりどめのみことが三種の神器の一つの八咫鏡やたのかがみに先立って造った鏡とされる。


 ゆえに霊力が高く、「常世封じの道術士」の七つ道具のひとつである。



 

 カオルは光の柱を右手に持った闇凪やみなぎの剣で真横に切って、一瞬のうちに跳躍して柱の結界の中に侵入した。


 そのまま、ゆっくりと井戸の底に向けて沈んでいった。


 本当なら井戸の水があるはずだが、すでにこの空間は常世と繋がった異空間に侵食されているようだった。


 身体の周りには薄黒い透明な液体のようなものがまとわりついたが、気にしてるいとまはなかった。


 すぐに井戸の底に達して、左のポケットから日像鏡ひがたのかがみを取り出した。


 日矛鏡ひぼこのかがみは予想通りヒビが入っていて、日像鏡ひがたのかがみを上に重ねて再封印する。


 日矛鏡ひぼこのかがみの凸面と、日像鏡ひがたのかがみの凹面が合わさって、一対の鏡のようにぴったりと重なった。


 その刹那、光の柱は消滅して、薄黒い透明な液体のようなものも大地に吸い込まれるように消えていった。


「ふう、何とか間に合ったみたいね」


 カオルは安堵のため息をついた。


 が、次の瞬間、カオルの身体は黒い蛇のようなものに巻かれて、井戸の底に引っ張られていた。


 不意に地面が砂のように柔らかくなって、気づいた時には、彼女の下半身がのみこまれていた。


 両手が黒い蛇に拘束されているので 闇凪やみなぎの剣も振るえず、声を出す間もなく、彼女の姿は井戸の底の黄泉の闇に落ちていった。

 

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