第27話 娘、生誕

 ――先輩達が同棲している家にお邪魔しても宜しいですか?


 事の発端は新入生の藤実ふじみイノリさんが発したこの台詞にある。

 対して妻夫木がその申し出を了承してしまったのにも原因はあった。

「お邪魔します」

 時刻は現在20時23分、金曜の夜だった。

 金曜の夜と言えば、東日本の諜報機関『金狼』の集会がある日だ。

 俺は一度も参加出来なかったけどな。


「……部長って、結構体格いいですよね」

 部屋着に着替えて俺は1階の居間へと下りた。

 さすがに娘達の格好は家ではしないようにしている。

「平均より少し高い上背なだけだろ」

 彼女が俺達の家に何気なく居ることに、俺は何も感じなかった。

 一抹の緊張も、一縷の期待も、何も覚えない。

 むしろ、不快感すらも感じ得なかった。

「……部屋、余ってるようですね」

「何なら俺達と一緒に共同生活してみるか?」


 彼女の実家は遠方にあって、今は独り暮らしで寂しい思いをしている。

 歓迎会の時にそう愚痴を零していたから。

「何を勝手言ってる、同居人の了承なしにここに女を住まわせる、だ、と?」

 感触の悪い妻夫木の反応に、彼女はたじろがず足を組み替える。

「先輩達にご迷惑を掛けないと誓いますから、駄目ですか?」

「……駄目とは言ってないさ……だけど、一応までに、私と火疋は、こ、こう見えてだな」

 こう見えて? 

 妻夫木は口角と目尻をひくつかせた後、オレンジジュースを呷ぐ。

「先輩達って、月に何回のペースでセックスしてます?」


 それから藤実さんは我が家に住むようになった。

 別にいい、別にいいんだ。

 彼女がここに住むと決まった今さらになってどう過ごしてもらおうとも。

 だけど、俺も妻夫木も就活で忙しくしていたから。

 藤美さんは独り暮らしの時と変わらず、寂しい思いをしていたのかも知れない。


 話しは変わるが今度は俺の就職活動に付いて語ろう。

(娘が居ないこの世界で、どんな会社に務めようとも長続きしないだろう)

 就活に勤しむにあたって俺にはそんな懸念があった。

 しかし妙だ、

「妻夫木、お前って俺のことどれくらい好きなんだ」

 就活として各社の説明会を回る最中、俺の隣にはずっと妻夫木が付き添っていた。

 自身の就活を棒に振って、俺にべったり寄り添う程、

 彼女は俺に何らかしらの情念を抱いていることは明白だ。

「どれくらい、す、好きかと申すとな」

「……」

 

 俺が人生を空虚と感じても、彼女が自分と一緒に居ることを幸せと感じてくれる。

「申すって何だ」

「いや俺に訊くなよ、お前が自分で言ったんだろ」

 妻夫木の顔はこう物語っている、――永久就職してやんぞ。

 その相手が『人生じんせい伽藍洞がらんどう』の俺でいいのか?

 疑問を覚えるが、この世の中『女性』は妻夫木だけじゃないんだ。

 なら俺が彼女と結婚して、一緒に破滅の道を辿ろうともそれはそれでいい筈だ。


「先輩達って本当に人生を棒に振ってます、けしからん」

 帰るなり、藤実さんから温かい皮肉を贈られれば。

「後輩が先輩に楯突くとは、ただいま、それは一体どうなんだ」

 彼女の皮肉を妻夫木が疑問視している。

 企業説明会は終了し、俺と妻夫木はどこのパンフも貰わずに帰って来た。

「……部長、どうせなら例の格好で参加すればいいんですよ。あの格好は部長のポリシーなんでしょ? なら」


「常識は弁えてるから、あの格好で就活するなんて自分でも論外だと思ってるんだよ」

 元より、娘の格好をすることに込められている意味は全く違う。

「お帰りなさい」

「ただいま」

 家に帰れば藤実さんのみならず、彼女の面影がある美少女が居た。って――

「増えてるッ、この子は誰だ?」

「それはそれ、これはこれ、先輩達のご厚意には大変感謝しています。ね」

「アッツカマシ~、藤実さんはパラサイトみたいな性格してるんだな」

 パラサイト、ニート、自宅警備員もしくはヒモに専業主夫。

 俺がかつて志していた夢の職業達じゃないか。


 妻夫木がその子に関して藤実さんに「どういう事だ」事情を問い質すと。

「私、ホームレスの人達を放っておけない性格してるんですよね。家が無い人達って見ていて本当に心が締め付けられる、ですから、この子みたく家を失った人々に温情を掛けてやりたいんです」

 ――それが私の弟妹達であればなおさら。

「つまり、藤実さんの家族は諸事情があって喪家そうかしたと?」

「肯定します」

 この時の藤実さんの満面の笑みと言ったらなかったです。


 カノンと同じく、藤実さんは窮地に立つと笑顔で強引に物を押し通すらしいな。

「藤実さんのご家族はこの子を含めて後何人居るんだ?」

「お気になさらず、他は居場所を何とか確保したと言ってましたから」

 察するに、彼女は結構な大家族だぞ。


 その後、藤実さんの妹から「藤実ユイと言います」自己紹介を受け。

 彼女を含め今この家には四人が暮らしている。

 そして就職先が決まらぬまま、我が家に夏が訪れた。

 家も無ければ金も無い藤実さんはアルバイトに精を出している様子だし。

「状況が状況だけに、アルバイトは当然、だけど、彼女は水商売に手を出しているらしい」

 就活セミナーの会場へ移動中、俺の隣にはやはり妻夫木が居た。

「ふーん」

 藤実さんに関しての情報は妻夫木から逐一耳にしている。


「睡眠時間も2時間から3時間と言っていたし、いつか倒れてしまうんじゃないか」

「中にはそう言う生活習慣の人も居るだろうし、平気だろ」

 問題は、2019年の夏は就職氷河期に遭っていることだ。

 さすがに新卒で採用されないとこの先就職出来ない杞憂は俺や妻夫木にもある。

 でも妻夫木の表情は一貫して――永久就職以外に考えていない。と言っていた。

 

 それってどんな顔だよと言われれば答え辛いのだが。

 一言で言えば、『雌の顔』、してるんだよ。

たまにはサークルに顔を出さないか?」

「……何か言ったか?」

「チ、偶にはサークルに顔を出さないかと言ったんだ」

 俺と彼女で創ったサークルだからか、妻夫木は懐古的にあのサークルの話しをする。


 あの時は酷かった、あの時は笑ったな、あの時は散々だったな。

 妻夫木がどんなに過去を振り返ろうと、俺の記憶は曖昧だった。

 それは娘が存在しない記憶は俺に取って価値がないことを証明していたのだ。


 だから、話しをもっと未来へと飛ばすことにする。

 西暦2025年、2月14日の肌寒い日のことだ。

 歳にして27の冬に俺は、妻との間に1人の娘を設けた。

 だと言うのに、

「……子を産む苦しみで、この世は滅ぼせるんじゃないか。考えてもみろ、見てみろ、お前の妻の容態を……酷い有様だろ」

「――妻を、何処へやった」

 娘の産声を聴き、俺は歓喜で身を震わせていたと言うのに。

 分娩室で安息を取っていた女の毛髪は見事な黄金色で、瞳は深い藍色をしている。

 その女は俺の問い掛けに、自分を指差して、こう言ったんだ。


「降魔の勇である私ことイザナミのご登場というわけ」

 

 彼女の得意気な様子に俺は歯軋りを上げ、恐らくだが俺は。

 喜んで、いたんじゃないか。

 絶望的なこの女の存在に、娘達が居るあの世界への手掛かりを見てしまった。

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