第7話 黒魔法

「それじゃあ、ワタシ達のことを話ソウかと思うのだけれど……リュウジさん、大丈夫?」


 マリーは心配そうに俺を見上げる。彼女はこの場において、唯一の良心と言える。


「あぁ、大丈夫だ。心配してくれてありがとう、マリー」


 強がってみたはいいものの、本当は全然大丈夫ではない。巡の“共振動”でぶん殴られて体中に痛みが走っている。あの力で殴られた者は全身に振動が伝わって、痛みが倍に増す。そんなものを日常的に喰らってるのは、おそらく俺ぐらいだろう。畜生、下手すりゃ骨折してたぞコレ。


「貴方の妹さんはずいぶんと愛情表現が激しいのね。拳にお兄さんである貴方への想いがぎゅっと込められていたように感じたわ」


「高く評価してくれて悪いが、それはただの錯覚だ。アイツの拳には怒りと失望が込もっていたんだよ」


 そう言って、ウンディーネの恥ずかしい分析を流した。視線の先で、水色の綺麗な尾ひれが空中で揺れ動く。

 彼女はマリーが従える四大精霊の一体だ。俺の部屋に上がってから、マリーに呼び出してもらった。

 今、俺の部屋にはマリーと四大精霊が集まっている。中央のテーブルを囲むように、俺の向かい側にマリーが座って、精霊達は彼女の周りに浮いている。炎を司る竜のサラマンダー、水を司る人魚のウンディーネ、風を司るピクシーのシルフ、土を司るゴーレムのノームといったメンバーだ。それぞれ四大元素を扱っていて、それに特化した力は並の精霊を遥かに上回るそうだ。しかし……。


「いやぁ、兄ちゃんの吹っ飛び具合は最高だったな! あの場面を映像に撮ってたら、馬鹿受けだったろうなぁ」


「お兄さんも凄かったけど、拳一つで人を吹き飛ばす妹さんも凄いよね~。○Bの世界でも十分通用しそうなレベルだと思うよ」


「……○ムチャと互角かもしれない」


 ゲラゲラと笑っているのはサラマンダーとシルフで、一番ヤバい爆弾発言を投下したのはノームだ。

 サラマンダーを包む炎が、彼の感情に同調するようにユラユラと揺らめく。不思議と周りに燃え移るようなことは無いようだ。シルフは遊泳するかのように宙を舞っている。ノームは顔色一つ変えず、その場に静止している。

 精霊達は皆揃って人形のような身長のため、傍目には微笑ましい触れ合いに見えるだろう。話の内容は下世話だが。

 というか、こんなところでパロディネタは大丈夫なのか。場合によっては、多方面から弾圧されてしまうぞ。


「何言ってるの。たかが小娘に倒されるほど○ムチャは弱くないわよ」


 ウンディーネが謎のフォローを入れてくる。何故に掘り進めようとするんだ、アンタは! そろそろ止めなくては収拾がつかない気がするのだが。


「ン、飲茶? 中華料理の話をしているノ?」


 彼らの主人であるマリーは話に付いていけてなかったようだ。いや、誰か教えてやれよ。立派な日本文化を独占しようとするなよ……。


「俺の妹と○Bの話はいいだろ。それと、後でマリーに○ムチャの話を教えてやれ。じゃあ、早速マリー達の事情について話してもらおうか」


「ソ、ソウダネ。飲茶の話はサラマンダーにでも聞いておくワ」


「何で俺なんだよ……他のヤツでも構わねぇだろうに」


「ワタシの世話係なんだから当然でショウ」


 なおも不満そう顔をするサラマンダーはひとまず放置し、マリーはようやく語り始める。和やかな雰囲気は、彼女の真剣な眼差しによって張り詰めた物へと変化した。


「ワタシ達がアコールネイス家の出身だということはモウ言ったよネ。ワタシはソコの一人娘ということデ、英才教育とトモに一族が持つあらゆる魔法を教えられたノ。ソノ中で一番の高等魔法が四大精霊の使役呪文だったワケ。一族の秘術と呼ばれていたダケあって、ソノ魔法書は厳重に保護されていたワ。ケド、管理が厳重であればあるほど、ソレを何としても奪おうとするヒト達が現れたノ。彼ラの組織の名前は、“黒魔法拡散会”。彼ラはワタシ達の魔法を利用し、英国内での権威を高めようと企んでイル。ソノ魔の手が、今のワタシ達に迫ろうとしているノ」


 未だぎこちない日本語で、マリーは自身の抱える事情を打ち明けてくれた。彼女の手はワンピースの裾を掴み、ふるふると震えている。それは巨大な悪に対する恐怖か、それとも名家の誇りを汚すまいと奮い立っているのか。大人びた雰囲気を持つ彼女からは、どちらの想いも感じられるようだった。


「それだけじゃないわ。その拡散会の連中に、私達の仲間が捕まっているのよ」


 と、マリーの言葉を引き継ぐようにウンディーネが話し出す。何故か「仲間」という単語を聞いたマリーが、激しく体を震わせたような気がした。


「マークという人なんだけど、英国を抜け出す最中にマスターを庇って囮になってくれたの。それ以来一切の連絡は途絶えてしまって、彼の行方は未だに不明のまま。彼はマスターの世話係ということもあって、マスターは随分と彼に慕っていたわ。離れ離れになった直後なんて、それはもう悲惨な塞ぎ込み様だったのよ」


「ウンディーネ、余計なコトを言うナ」


 口の滑った使い魔を咎める主人の顔は、少々赤らんでいた。それを眺めていると、俺の方を睨んできた。とても少女の眼光とは思えない迫力だな……蛇、まるで蛇のようだ。

 オホン、とサラマンダーが気遣って咳払いをする。


「とまぁ、俺達の事情はさらっと言うとこんな感じだ。協力してもらうとはいえ、兄ちゃんにはあまり負担をかける訳にはいかない。相手は国際的な組織だからな……ちなみに、兄ちゃんは何か魔法が使えるのか?」


「いや、全然全くもって皆無のごとく何も使えない。いわゆる無能者ってやつだ」


「マジか。こう言っちゃ何だが、今兄ちゃんがすごく頼りなく思えて仕方がないぞ……」


 失礼だな。しかし、その反応は予想の範囲内だった。無能者の俺程度では、件の黒魔法拡散会とやらは妥当するどころか返り討ちに遭うだろう。そう、俺だったら・・・・・


「俺だってやれる限りのことはやるさ。でも、それだとマリー達の役には立てないかもしれない。だから、ここは他の人にも手伝ってもらう」


 俺の発言に他の一同は揃って首を傾げる。


「他の人、て誰のことよ? ウチらは内密に動かないといけないんだから、確実に信用出来る人じゃなきゃ駄目だよ」


 シルフの問いに頷くように、俺は鼻を鳴らす。あの人ならば必ずやマリー達の心強い味方になるはずだ。


「日向綾音。俺が知る限りじゃ一番頼もしい姐さんだ」






 話し合いが一段落着いた後、俺はマリーの身辺整理に付き添うことになった。家を出る前、巡の視線が槍の如く突き刺さったことも述べておく。後で、ご機嫌取りにケーキでも買って帰るか。アイツ好きだったよな、生クリームベタ甘のフルーツを詰め込んだヤツ。

 四大精霊は目立ってしまうため、ひとまず原子化してもらうことになった。

 彼らに限らず、召喚獣の類は様々な形に変化することが出来る。本来の姿で可視化することはもちろん、原子レベルにまで分散し不可視状態になることも可能だ。その原理は召喚時に用いる召喚紋を駆使して空間を屈折させ他次元と一時的に結合させて……といった具合らしいが、詳しいことはてんで分からないので割愛。

 俺に会うまでのマリー達は奏内そうない市内のホテルで宿泊していたそうだ。そこから引き上げてウチに持って来てもらうために、置いたままの荷物を取りに来た次第だ。とはいえ、ホテル住まいとはなんてブルジョワ。さすが貴族の娘さんとなれば、俺の生活感覚とは根本からズレているのかもしれない。


「ネェ、明日会うっテ言ってた日向サンのことだけど……本当に承諾してくれるカナ? ただでさえ厄介な案件だというノニ……」


 不安そうにマリーが訪ねてきた。見上げてくるつぶらな瞳に対して、俺はなるべく安心してもらえるように堂々と答える。


「大丈夫さ。請負屋っていうのは人助けを生業とする仕事だから、依頼をそう簡単に無下にはしない。加えて、年端もいかない女の子の依頼となれば、あの人が黙ってるはずがない」


 基本的に姐さんは大小問わずどんな依頼でも受け入れるスタンスを取っている。近所の猫探しのような(雑用)仕事でも率先して遂行する。それに用心棒として働いていた経験もあるから、いざという時の戦闘でも活躍すること間違い無しだろう。

 ……灰田の件は不覚を取ったとのことらしいが、おそらく問題無い。


「ソウ。リュウジさんが信頼出来る人だというのナラ、とりあえず安心していられるワ」


 そう言って、マリーは前方に視線を戻す。その瞳にはまたもや悲しみが宿るように見えた。

 彼女と会ってから今に至るまで、この表情は何度も見てきた。穏やかな微笑がよく似合いそうな女の子が浮かべる悲哀の顔。それを目撃するたびに、俺の心はズキズキと刺すような痛みに襲われた。


(そうだよな。身近な人が拉致されてるこの状況で、気にならずにはいられないよな……)


 初めて会ったあの時。俺から遠ざかるようにサラマンダーを召喚したマリー。その行為は初見の人間に対する彼女の警戒心から成るものだったのだ。確かによくよく思い返せば、巡に会った時も姐さんの話題になった時もどことなく困ったような顔をしていた。やはり自分の知らない人間に対しては、簡単に信用することは出来ないのだろう。


 何気なく。ポン、とマリーの頭に手を置いてみた。


「大丈夫。マークさんはきっと無事だろうし、組織のことは姐さんの力があればどうにかなるよ。だから、今は安心してドン、と構えていれば良いんだ」


 もう一度励ましの言葉を述べてから、マリーに笑いかける。しばらく視線を動かさなかった彼女は、やがて俺の方を見る。


「アノ……あまり馴れ馴れしくスキンシップを図るのは不愉快なので止めてくれませんカ?」


 そう毒突く彼女の瞳には、悲しみの代わりに軽蔑の意が込められていた。






        ◇






 この頃、私の心におりのようなものが沈んでいた。黒く淀んだ穢れは刻一刻と私を蝕んでいく。

 マリー達は無事なのだろうか。間一髪で逃すことは出来たが、それでも彼女達の身が心配で胸が苦しかった。別れてから十日間ほど経っている。その間、マリー達のことがずっとずっと気がかりだった。それこそ、牢屋で監禁されている自分のことよりも。


「Hey. How do you feel, Mr.butler?(おい。気分はどうだい、執事さんよぉ。)」


 鉄格子の向こうから投げかけられた声には、嫌味と侮蔑が混ざり合っていた。声のした方向を見遣る。少し首を動かしただけなのに、激しい痛みが襲い来る。

 そんな私に対し、声の主である黒服の男は、粘つくような下卑た笑顔を浮かべる。


「Don't glare at me so much. You know enoughly that we can't release you.(そんなに睨むなよ。そう簡単に俺らが逃すわけがないことは十分に分かってるだろう。)」


 どうやら痛みに堪えていたのを、恨みのあまり睨みつけていたと思ったようだ。


「But,I can't just be relieved. I gotta rush to Mary because she is lonely unexpectedly.(だからと言って、ただぼうっとしている訳にもいかないだろう。あの子はああ見えて寂しがり屋なんだから、私が駆けつけてあげないといけない。)」


 言い終わるや否や、ゴホッと咳き込んでしまう。喉元に血が溜まる感覚がした。

 私の返答を受けた男は、これまでよりも粘り付くような笑みを見せつけてくる。彼の腹黒さが顔に滲み出ている。


「All right. In the next term, little lady won't be lonely.(大丈夫さ。次期にお嬢様も寂しくなくなるからな。)」


「……What do you mean?(……どういうことだ?)


 何故かは分からないが、男の放った言葉がひどく私の心を不安にさせた。


「Because my companion has already figured out the place that she escaped. I certainly think that there is an island called Japan.(何故なら俺の仲間が既にお嬢様の逃亡先を割り出したからな。確か日国とかいう島国だったかな。)


 ……何だと?

 心臓の鼓動が早鐘を打つ。黒く淀んだ穢れはとうとう心全体を覆い尽くした。

 既にマリーの行方が知られてしまったのか。予想よりもかなり早い。


「No way! It is anything wrong or something.(そんなまさか! どうせ誤報か何かだろうさ。)」


 強気に言ってのけたものの、それには私自身そうであってほしいという願望が込められていた。


「No, this is no doubt. If she is an eleven or twelve-years-old British girl and have high magical power and following the spirit, she will be no less than the daughter of that acollneice. I can trust because my companion measured the numerical value with “observation machine”.(いいや、これは間違いないぜ。十一、二歳の英国少女で高魔力を持っていて、精霊を従えているとなれば、あのアコールネイスの令嬢に他ならないだろうよ。“観測機”で数値を測ったから信用出来るさ。)」


 観測機、というのは魔力調査機のことだろう。市販で売られている汎用的な代物だが、黒魔法拡散会が独自に開発した調査機は性能が段違いだ。照準さえ合わせれば、対象に気付かれない距離から魔力を数値化して視ることが出来る。

 それはつまり、奴らがマリーに手が届く場所にいるということの証明だった。


「There is no ordinary girls with 200,000 Magics. This is definite. That's too bad, Mr.butler?(一般の少女で二十万マジクスもある奴はそうそういねぇよ。これは確定だ。残念だったな、執事さん。)」


 勝ち誇ったような男の笑顔が私の怒りを否応なく掻き立てる。だが、ここで憤ったところでマリーを助けることは叶わない。どうすればいいかはもう分かっている・・・・・・・・・・・・・・・・・のだから、焦る必要はない。


 用が済んだのか、男はそそくさと立ち去っていく。男は去り際にフン、と鼻を鳴らした。私が何も言わないでいることに不満を覚えたのだろう。それを気にかけることはせず、ただ無言で備え付けの簡易ベッドに座り込んだ。


 タイミングを見定めなければ。アレ・・を使えば脱出することは可能だが、これから行うことはいわば諸刃の剣で戦地に向かうことに等しい。せめて周囲の状況を把握してから行動に移したい。

 待っていてくれ、マリー。今から君を助けに向かうから──────。





        ◇






「まぁまぁ、兄ちゃんよぉ。そんなに凹むことはないんじゃないのか? 嬢ちゃんも年頃の娘なんだから、ああいった反発もするもんさ」


「アレはゴミを見るような目だったぞ……かなり気を遣ってやったことなのに、その全てを塵にするかのような目だったぞ!」


 到着したホテルの一室にて。マリーに物理的にも精神的にも距離を置かれてしまった俺は、サラマンダーの慰めを受けつつ玄関前に立たされていた。

 さっきの失態を挽回しようと、俺も荷物整理の手伝いをしようとしたが、マリーを始めとする女子勢代表のウンディーネが、


「ここから先は乙女の聖域になるから、ムサい男共は絶対に・・・入ってきたら駄目よ」


 と睨みを利かせながら訴えてきたので、泣く泣く手持ち無沙汰となった訳だ。

 俺がサラマンダーから慰められている中、ノームは呑気に居眠りしていた。とことんマイペースな奴だよな、コイツ……。

 

「そりゃあ、会って間もない女の子に軽々しく触ってしまったのは不用意だったと思うよ。けども、まさかあそこまで嫌悪されるとは思わなかったぜ」


 愚痴めいた言葉をこぼすと、サラマンダーは「あぁ」と所在無さげに目を泳がせる。


「別に嬢ちゃんは兄ちゃんが嫌いになったとかいうわけじゃねぇと思うぞ? 嬢ちゃんは俺らや一族の人間以外とはほとんど話したことがなかったんだ。だから、それ以外の人間とどう接したらいいのか図りかねてるのさ」


 そういうものなのだろうか? それだけで蛇の目は開眼しないと思うが。でもまぁ、長年マリーに付き添ってきた世話係が言うんだから間違いないだろう。

 そうして会話が途切れ、しばし沈黙の時が流れる。さすがにずっと暇を持て余すのも何だしなぁ。


「ちょっと自販機で飲み物でも買ってくるわ。何もしないでいるのは図々しいだろ。何かマリーが好きそうな物とかあるか?」


「そうだなぁ。嬢ちゃんは紅茶が好きだったぞ。それにしても、自販機ってのは一体何なんだ? 飲み物が簡単に手に入るのか?」


 そういえば、外国では自動販売機というのは置かれていないんだっけ、と軽くカルチャーショックを受ける。


「この国じゃあ、道路の傍らとか施設の中に飲み物を売っている無人の販売機があるんだ。冷たい物も温かい物も買えるし、たまにおでんとか味噌汁を売ってる自販機もあるな」


「へぇ~、よくそんな物を置いてるよなぁ。チンピラとかがぶっ壊して中身を奪ってったりしないのか。ずいぶんと平和な国なんだなぁ」


 いや、どんだけ海外圏の治安は悪いんだよ。そんな話は聞いたことないけど……もしかして本当なのか? て、知識に乏しい俺が信じちゃうから、不安になるようなことを言うんじゃねぇよ。

 ともあれ、一時持ち場を離れて買い物へ。

 案内図を見つけると、自販機は同じ階にあるらしい。そこへ行って、俺とマリーの分を買った。俺はいちごミルク、マリーは某有名紅茶ブランドのレモンティーだ。俺も少なからず甘党なのだった。これじゃあ哲のことも馬鹿にできないなぁ、と思いつつ部屋へ戻る。

 その道中で、黒ずくめの格好をした外国人とすれ違った。俺より二十センチメートルは高いであろう頭身は並外れた威圧感を伴っていた。鋭い眼光に鉄を思わせる無表情。どれを取っても友好的な雰囲気など感じられなかった。

 ……やっぱり海外の治安って悪いのかもしれない。

 すれ違ったところで、特に何かが起こったわけでもなく、そのまま素通りしてサラマンダーとノームと合流した。ノームは未だに就寝中だった。

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