第7話:桜に攫われる

 三月ももう下旬。東京都内では桜が見事に咲き誇っている。それはうららかな春の日の事。茜と神父は仕事を休んで、近所の公園に花見に出かけた。神父の手作りの弁当と暖かい茶を持って広い公園までやって来た。

「やっぱ名所は違うね」

茜はあたり一面に咲く桜に感動している。もちろん花見をした事はこれまでに何度かあるが、今年の桜は特別に美しい。普段は引きこもりの彼女が外に出る事は、それ自体が非常に珍しいのだ。

「……茜、その手にあるものはなんだ?」

  神父が苦い顔で注意すると、彼女は悪戯っぽく笑い、舌を出した。……その手の中には酒――ノンアルコールビールの缶があった。

「……バレちゃった?」

「当たり前だ。未成年の飲酒は法律で禁じられている。いくら十八歳でも、ノンアルコールでも、駄目なものは駄目だ!」

 彼はこういう事にはしっかりケジメを守っている。それは大人の義務として当然なのだが、今のこの世の中、そんな神父は多分少数派ではないだろうか。しかし彼は育て親として、茜に法を遵守させる。

 それからしばらくは、彼による説教がグダグダと続く。神父は好きだが、こういう悪ノリや冗談の類が一切通じないところは好きになれない。折角の花見なのに、道行く人々が説教されている彼女を、珍獣でも見るような目で見ている。それが引きこもりで人見知りの茜には辛い。

「……あのさ神父、こんな往来で説教しなくてもいいじゃない? 後で、しっかり叱られてあげるから今は勘弁してよ」

 あまりの恥ずかしさに、茜がそう言うも、こういう時の神父は聞く耳を持たない。――あ~あ、折角のお花見なのにな。はしゃいであんなことしなきゃ良かった。そんな事を考えつつ、彼の説教を聞いているフリをする。

 そんな時に、まったく聞き覚えのない、男の軽い調子の言葉が耳に入る。

「そ~っスよぉ!反省してるみたいだし、許してあげればいいじゃないですかぁ?」

 神父も初対面の男に、横からとやかく言われる筋合いはなかったのだが、顔を上げて見たその彼の印象は――犬のようにも見える。

「君は……どちら様?」

 彼は片手に缶ビールを持っているが、酔っているようには見えない。しかし、なぜか丸解りなのに酔っぱらっている『フリ』をしている。

「俺は一条純也って大学生っス。……せっかくの、こんな見事な桜の下で説教なんて無粋ってヤツじゃねーですか?」

 彼の言葉に、茜は思わず頷く。そうだよね、僕はそんなに悪い事してないよね? ……そう言って頷きたかった。神父も職業上と主義の都合上、いい加減この辺りで説教をやめねばならなかった。それでも言い訳は口をついて出てくる。

「だが、しかし、私はこの子の親代わりで……」

「説教なんて家でも出来るでしょ~し、どうせなら一緒に桜を見ましょ~よ! 同じ大学の愉快な仲間たちと来てるんでぇ~きっと楽しくなりますよぉ?」

 彼の言葉に、すっかり神父に叱られて不機嫌だったのが、いつもの調子に戻っていく。ちょうど、二人きりのお花見も寂しいと思っていたところだ。

「神父、この人たちと一緒に見ようよ! 折角誘ってくれてるんだし!」

説教から逃れられるとなると、当然テンションも上がる。神父は真面目なのはいいのだが、たまにその真面目さが暴走するのが、短所でもある。すっかり茜は、見知らぬ彼――一条純也という、若者の誘いに乗っていた。なんだかんだ言って、 彼も二人きりの花見には飽きているらしく、最終的には一緒に桜を観る事になった。彼と一緒に今までいた場所から少し進んだところに、彼の連れがいた。若くて、どこかおっとりした印象の女性が純也に言った。

「おかえりなさい、純也。ずいぶん遅かったけど、トイレがそんなに混んでたの?」

「ただいまっス、順子先輩! 正樹先輩と桜子も待たせ!」

純也は親しげに、そこにいた三人の男女に声をかける。そのいかにも『リア充』な様子を見て、彼の背後にいた茜と神父は微妙な気分になった。――せっかくの『リア充』の花見に参加しちゃっていいのかな、と。

「……ん? 誰? この子とお爺さんは?」

 順子先輩と呼ばれた色黒の若い女性が、茜と神父を指差した。

「二人だけで寂しそうだったから誘ったんっスよ。もちろんいいですよね?」

「私はいいけど……」

「人数が増えようが、あたしは純也さえいるならそれでいいですけど?」

 桜子と呼ばれた、順子よりも明らかに若い女性がどこか挑発するように言う。

「まぁ、花見ってのは人数が多い方が楽しいものだからな。カワイイ後輩の提案だし。どうぞ、ここにでも座ってください」

 『正樹先輩』がその場のリーダーのようで、誘われた二人は大人しく彼の差すレジャーシートに座った。するとすぐに、彼ら軽い自己紹介のように口々に言う。

「俺たちは、大学のサークル仲間なんですよ。オカルト研究会の」

「今日は桜の木の下に幽霊は出るっていう、都市伝説を調べに来たっていうのが、大学に対する表向きの活動理由。でも、ホントはね、ただお花見がしたいってだけなのよ」

 正樹と順子が説明した。

「人数も丁度よく増えたところで、乾杯でもしましょうよ!」

純也が乾杯の音頭を取ろうとしたところで、突如聞こえる耳障りな破壊音。よく工事現場でで聞こえる音が、辺り一面に響き渡った。

「なに、今の音?」

茜の問いに、桜子が答える。悪態をつきながら。

「……この辺りで工事してるのよ。下水道の整備。まったく、こっちはせっかくの花見なのに、ホンット大迷惑!」

「まあいいじゃないか。無視して乾杯しよう」

 『先輩』なだけか、正樹はそう宥める。納得のいかないような桜子だったが、『先輩』相手にむやみに言い返そうとはしない。彼はビールが入った紙コップを掲げてみんなに宣言する。

「ここからは無礼講だ。各々、好きに飲んでくれ!」

 神父は日本酒、大学生たちはビールを飲んでいる。……それなのに茜は、こういった場合の定番――オレンジジュースだ。

「……いいなあ。みんな楽しそう」

 茜は、酔っ払ってバカ笑いに興じる彼らを、心底羨ましそうに眺めていた。オカルト研究会と言っていたのに、『オカルト』の『オ』の字も彼らの会話には出てこない。本当に、花見を楽しむためだけに来たようだ。……茜には飲むなと言っておいて、神父の頬は赤い。日本酒をちびちび飲みながら桜を楽しんでいるようだ。学生たちは、もう大分飲んだ。

「大丈夫ですか? みなさん」

 そう茜が尋ねても、返ってくるのは、「大丈夫~! あはは!」なんていう、酔っ払い独自のハイテンションでの『大丈夫』という言葉のみ。酔うと声が大きくなるものなのか、少しだみ声で純也はそう返してくる。比較的酔いの軽いように見える、桜子が酔いがトイレに行くと言って席を外した。

「くれぐれも気をつけて」

 茜のその声が彼女に聞こえたのかは解からないが、しっかりとした足取りで彼女は人波に消えた。残されたサークル仲間たちは、やっと今日の花見の目的の『桜の木の下の幽霊』の話を始めた。

「桜の木の下の幽霊というか、『桜に攫われた女』の話は知ってる?」

 順子がうっすら赤くなった顔で言った。茜もオレンジジュースを飲みながら、彼女とその仲間たちの話に耳を傾ける。……一度は飲んでみたい、ノンアルコールビールも神父に取り上げられている事だし。順子の言葉にまず反応したのは、同じく顔を赤くした純也で、「桜に攫われた女ッスか? ……聞いた事もないッスね。正樹先輩はどうッスか?」と尋ねた。

「俺も、まったく聞いた事がないな……どんな話だ?」

 そうやらオカルト研究会の先輩としては詳しく知っておきたいらしい。茜もオカルトの類は嫌いではないので、オレンジジュースを飲みながら、彼らの話に耳を傾ける。……神父は、酔っぱらって、普段の言動が嘘の湯にだらしなくレジャーシートの上に寝そべっている。

「なんでも、昔この公園に降り立ったっていう『天女』がいたらしいんだけど、その『天女』は桜が好きすぎて、この公園にある一本の、とある桜の下を歩いていると、その『天女』の血に反応した桜が、その人間を攫うんですって」

「……『攫う』って、桜がっスか?」

 純也は大げさに反応している。いい意味で単純な性格なのだろう。黙ってその話を聴くだけだった茜も、つい口を出す。

「……『天女』なんて、実在するんですか?」

「うちの研究会でも『天女』が、って話は結構あるけど、真偽は不明なのよ」

 話を始めた順子が、茜に向かって申し訳なさそうにそう答えた。せっかく興味があるのに。……そういえば、と茜は自分の安物の腕時計に目をやる。

「……遅くないですか? 桜子さんの帰りが」

 それもそうね、と順子は気づいた。そして言った。

「じゃあ、私が見てこようか? 男の人が女子トイレに行って『変態』呼ばわりとか、辛いでしょうし」

「お願いするっス、順子先輩!」

 純也が彼女をに向かって、拝むように手を合わせる。言いだした茜も、探偵として何か感じるものがあったので、自分も行くと提案したのだが――。

「……え? あなた女の子だったの?」

 花見とはいえ、『事情』があって男の格好をしているとはいえ、地味に傷ついた茜はどっと疲れた気がして、一言だけ言った。

「……やっぱり一人で行ってきて下さい」



「……遅いっスね、桜子も順子先輩も」

 純也は二人の帰りの遅さを、次第に心配しだした。すっかり『出来上がった』正樹が軽口を叩く。

「もしかして、順子のお転婆でも出て、桜の木にでも登っていたりして……」

「お転婆? ……あんなに大人しそうなのに?」

「あぁ。昔からよく木に登ったり、男子に混ざって爆竹で遊んだり……こっちに上京する前はずっとそうだった。俺はアイツの幼馴染だからな」

「あんなに手足が細いのに?」

「それがアイツの凄いところだなんだよ。桜の木くらいは多分、簡単に登るんじゃないか?」

 呑気にそんな事を言っていていいのだろうか。茜も純也と同じく、落ち着かない。探偵としての『勘』が、彼女を兎案に刺せていた。……いくら引きこもりでも、彼女は探偵、それまで飲んでいたオレンジジュースの紙コップを置いて、立ち上がる。

「……やっぱり僕も行ってみるよ。いくらなんでも遅すぎる」

 順子がトイレに向かってから、一時間も経っている。いくら混んでいたとしても、これは遅すぎる。

「……え? 君、女の子だったの?」

 そんないつものお約束の質問をしてくる正樹を無視し、「神父を頼みます」とだけ言って、茜はレジャーシートから立ち上がった。残されたのは驚いて酔いの醒めた正樹と純也、そして眠っている神父のみだった。

 まずは一番近い仮設トイレを目指した。そこは化粧直しをする人ばかりで、順子は見当たらなかった。次は少し離れたところにある公園の施設トイレ。ここはあまりにも臭くて、普段から誰も使っていない。三番目に着いた、場所を陣取っているところから大分離れたところにあるトイレで、やっと順子を見つけた。そこにいたのは彼女一人だけ。他には誰もいない。茜はとりあえず安堵したが、彼女は酔いがすっかり醒めて、ただぼーっと立ちすくんでいた。……その時は「桜子は一緒ではないのか」としか思わなかった茜は、声をかける。

「……何かあったんですか? しっかりしてください」

 やっと茜に気づいた様子の順子は、ゆっくりと指を持ち上げた。その動きを追ってみる。そして、その指が指したのは桜に『攫われる』ように、幹の太い桜の木に吊るされた桜子の姿だった。茜は携帯電話で警察に通報した。いつもなら自分が解こうとするが、余計な事をしては『上の連中』が黙っていないだろう。

 桜の木にロープで吊るされていた、桜子の死体は発見時、夜桜と共にライトアップされていた。第一発見者は順子だ。

「……桜子……どうしてこんな事になっちゃったの?」

 順子はさっき話していた、桜に攫われた女の話を桜子と重ねている。しかし、これは事故なんかではない、明らかなと殺人事件だ。茜は今日あった出来事を頭の中で整理し始めた。警察の仕事を奪わないよう、現場には一切手出しなし。そして正樹と純也に連絡した。……神父は寝ているだろうから除外して。

 二人が現場に駆けつけると、彼らはもちろん驚いた。まさか自分たち『一般人』が、テレビドラマのような殺人事件巻き込まれるとは、もちろん夢にも思っていなかったに違いない。すっかり酔いも醒めた様子で、赤かった顔が、今では真っ青。

「……桜子、どうして……?」

 純也はもう生命活動を終えた、桜子の抜け殻――遺体を強く抱きしめた。大粒の涙を流しながら。その様子に、茜は『勘』で、彼と桜子は恋人として付き合っていたのだと悟る。正樹も悲痛な顔を浮かべながら、第一発見者である幼馴染を慰めている。そんな彼らの受けた傷などお構いなしに、警察は無遠慮な質問ばかりをぶつけた。四人で来たというのに、今やその内の一人が欠けた残された三人は、健気にもその質問に答えた。茜も一緒に花見を楽しんでいたからといって、質問責めにされた。

 


 茜は、真夜中に教会を抜け出した。あれからずいぶん時間をかけて、神父は事件の事を知った。彼の驚きようは半端ではなかった。公園で彼らと別れ、教会に戻った二人は、神に祈りを捧げた。

「……まだあんなに若かったのに。神も酷い事をする」

 彼はそう言って、いつもよりも日課の寝る前の神への祈りの時間を増やした。……その神父は、今や夢の中。誰も茜を咎める者などいない。

 この時間になると、さすがに夜桜のライトアップも終わる。真の暗闇となった公園の中を、こっそりと通り抜けようとする影が、失態発見現場にあった。警察が誰も入れないよう黄色いテープを張ってあったが、その『影』はそれを容易く飛び越えた。……その事実で、先に現場についていた茜は確信した。ライトで『影』を照らすと、予想した通りの顔がそこにはあった。照らされた『影』は、顔だけは見られまいと両腕で顔を隠す。が、それも茜にとっては無駄な事だった。

「……そこまでだよ。やっぱり犯人はあなただったんだね、順子さん」

 男女兼用の紺のパーカーにジーンズという、先ほどとは違う動きやすい格好で公園に来ていた。茜に名を指摘された彼女は、観念したのか顔はもう隠さない。

「……どうして解かったの? 私がやったって?」

「至極簡単な話だよ。純也さんも正樹さんも一度も席を外してない」

「本当に簡単な話ね。でも、私じゃ、ロープを木に通す事も桜子を吊るす事も出来ないわ? その点はどうなの?」

「純子さん、あなたは工事現場でアルバイトしてますよね?」

「……なぜそんな事が解るの?」」

「その肌ですよ。工事現場の仕事は晴れの日のみ。だからあなたのように肌が焼ける。……そして、事件の真相はこうです。予め、『桜に攫われる女の話』を仲間たちに聴かせておく。そして、下水道の工事現場がこの公園の傍にある事を、当然知っていたあなたは、ショベルカーで気絶させた桜子さんを、桜の木の高い位置まで持ち上げる。そして、あなたは桜に登って、彼女の遺体を吊るした。……あとは木を降り、ショベルカーを元の位置に戻すだけ。違いますか?」

「……でも、私は木になんて登れないわ。その『真相』とやらも、あなたの想像でしょう?」

「正樹さんが話していましたよ。……あなたは昔からのお転婆だって。『桜の木に登ってもおかしくない』って」

 これで、非公式ながらも事件は解決した。……とはいえ、これは訊いておきたい。後学のため、まだ自分が知らない、『人間の心理』を知るため。

「……動機は何だったんですか?」

 茜はそう言うと、辛抱強く彼女が言葉を発するのを待った。たっぷり五分ほど黙り込んでいた彼女は、唇を噛みながら、やっと口を開いた。

「……『嫉妬』よ。あたしは純也が好きだった。なのに純也は、『先輩は女として見れない』て言った。「オレは桜子が好きっス!」、ですって。純也の好みの通りに、私は昔みたいにお転婆な真似なんかしてなかた。……でも、桜子はその事を知って、それを純也にバラした。……フラれた後だったけど、私には許せなかった」

 そう、静かに語る順子は、『探偵』だと言っていなくても素直に教えてくれた。動機は……『痴情の縺れ』。十八年間生きてきた中でも、茜には異性を『love』の意味で好きになった事など一度もない。神父は『like』の意味で好きだけれど。

 目の前でさめざめと泣き崩れる、今回の犯人の心理を、彼女は全く理解できなかった。



「茜、お前に手紙だ」

 『Q』の文字が刻印された封筒を開けると、そこには“Q”の『上の連中』からの『警告』文が書かれていた。

「……要するに、余計なことはするなって事か」

 警察に任せた今回の『事件』で、出過ぎた真似をし過ぎた、ということだろう。神父は深刻な顔でその手紙と茜を見比べている。やがて彼女は、その手紙を一切の躊躇いなく細かくちぎった。驚く神父だが、きっと茜には彼女なりの『考え』があるのだう。すっかり細かくなったそれをゴミ箱に棄てる。

 今は暖かい春だ。余計な事などいらなかった。

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