探偵は教会に棲む

莊野りず

第1話:乙女の花園

 桜が散り終えた梅雨の時期。

 東京都内、そのどこかに、朽ちた様子の教会がある。近づいてみると、見事な百合のステンドグラスが非常に美しい事が解る。

 彼女は、白のペンキが剥げかかった扉に向かって、予め渡されていた鍵を差し込んだ。いきなりの夕立に困って、つい買ってしまったビニール傘をたたみ、建物の中へと入る。

出発した時には、ピシッと決まっていたスーツの肩に水滴が数滴、滴り落ちた。



「で、なんだって?」

 宮下茜は振り向きもせずに年老いた神父の話を聞き流した。

 短くカットしたこげ茶の髪に、シャツとジーンズというラフな恰好をした茜は、今年で十八歳。 茜は読んでいる本に意識を集中している。ついに犯人が判明する数行は、どのミステリ小説でも緊張する場面だ。

「こら、話はちゃんと聞きなさい! ……あれほど言い聞かせてもお前には効果がないのか?」

 柔和な顔立ちをした彼はため息をつく。

 言っておくが、彼の本名は少なくとも『神父』ではない。確か十年ほど同じ教会で暮らしてきたが、茜は一度も神父の本名を訊いた事がない。

 『推理』と『あるモノ』にしか、興味を持てないのが茜だった。

「効果があるかないか、とかじゃなくて、僕は今真剣なの! 大事な時間を邪魔しないでよ!」

 ページを捲る速度が少し速くなった。きっと物語の中の名探偵が、名推理を披露しているのだろう。

 しばらく放っておこうか――神父がそう思って諦めかけた時、やっと茜は視線を彼へと移した。

「あ~面白かった! ……やっぱり、この作家はハズレがないな~!」

 そう言って、今まで座っていた椅子から降りた茜は、カバーに帯がかかった本――これは新刊の証だ――を本棚に並べる。この教会の本棚には破格の量の本が陳列されている。元からあった聖書などの宗教色の強い本、寄付という形で譲り受けた一般書籍、そして茜が幼い頃から集めているミステリ小説。特に一番最後のモノが、一番場所を取っている。

「……茜、そろそろ私の話を聴いてくれないか?」

「いいよ。凄い美人の依頼だったよねぇ?」

 茜は嬉しそうに笑みを作った。

「美人でもそうでない人でも、我々は平等に愛し、接しなければ……」

 神父は少し困ったように咳払いをする。

「あーハイハイ、博愛ね。それより依頼の内容は?」

 先ほどよりも雨の勢いが増している。依頼人の女性は濡れずに帰れるだろうか。神父は美しい細工のガラス窓を眺めながら思った。



『事』の始まりは四月。 桜の美しい学園の校舎の傍で事件が起こった。

 入学式が終わる頃、新入生が同じく同級生がいなくなっている事に気づいた。校内を探してもどこにもいない。 式の最初には、確かにいたはずなのに。

 それで皆で手分けをして探していると、校庭に植えてある桜の木の下で新入生が見つかった。……その姿は無残な死体と化して。発見したのは新三年生の女子中学生で、彼女が言うには『偶然』だった。

 いつも授業をサボタージュしている彼女は、いつものように屋上へ行こうとした。だが当日は入学式。慣れない校内で新入生が迷ったりしないように、各特別教室には鍵がかけられていた。当然屋上も。仕方がないので、彼女は校舎の傍の桜の木の下の日陰で、昼寝でもしようと考えた。桜は学園内に三十本前後植えられていて、近づくまでそこに人がいるとは気づかない。



「……死因は?」

「自殺か首を絞められたか。とにかく、首元を絞められたことによる窒息死だったそうだ」<br>

「現場にロープか何かは?」

「なかったそうだ」

 茜は推理する時には、普段とは別人の様に口数が少なくなる。

 順調に茜に興味を持たせることに成功していると、神父は内心で安堵した。

「続けるぞ」



 更に、死体の傍にはメモが残されていた。被害者に首が締った跡以外の外傷はないので、多分ほかの誰かの血だと思われる赤色こう書かれていた。

 『花見の肴、次は七夕』。

 四月に起こったその事件以来、今のところは何も起こっていないが、メモの『次は七夕』という文面が気になった。警察に通報しても、大した操作は行われず、「メモは悪戯だろう」と言われてしまい、相手にもされないという。

 そして偶然インターネットで、この教会の情報を知り、雨の中わざわざ訪ねて来たという訳だ。




「ここに来るって事は、“K”には断られたんだね?」

 頭の中に情報を刻み込むように、茜は両耳に手を当てて尋ねる。

「ああ。……それにこの事件はお前向きだ」

 耳から手を離し、茜は神父と向かい合った。

「……?」

 不審を悟られたからなのか、最初からそのつもりだったのか解らないが、神父は紙袋を二つテーブルの上に乗せた。その白地にどこかの校章がプリントされている。

「学園は中高一貫、寮つきの名門お嬢様学園だ!」

 一本取ったと言わんがばかりに、神父はニッコリと笑った。

「ちょっと待てよ! 潜入捜査? 冗談じゃないよ、僕を何だと思ってるんだよ!」

 当然のように抗議が来た。茜としては不本意すぎる。

「大丈夫。お前は童顔だし、今は……確か十八だったっけ? 十分事件の起こった中等部に転入できる」

  断言されて茜は軽く眩暈がした。

「……どおりで“K”に断られるワケだ……」



 私立桜色女学園――それは都内唯一の全寮制女子校である。

 六月の中旬、茜は制服であるセピア色の膝丈のスカートに、タートルネックのサマーセーターという出で立ちで校門の前に立っていた。スカートなど履いた覚えのない茜は、膝がスースーするのを必死で我慢して、頑丈そうな校門に手をかけた。

 いや、正確にはかけようとした。

「あら、貴女は?」

 校門の向こう側から声をかけられたのだ。きっと、この学園の生徒だ。

「僕……あっ、わた、わたしはきゅ……」

 言いかけた時、隣にいた神父が助け舟を出してくれた。

「あぁ、すみません。つい最近まで入院していたものですから、人見知りが激しいんです。ほら、お前も挨拶しなさい!」

「私は今日からこの学園にお世話になる、宮下茜と申します。……よろしくお願いします」

 無理に作り笑いを作ってみせると、相手はニッコリ微笑んだ。

「まぁ……同学年だったら嬉しいわ。私は華宮瑞江。こちらこそ、よろしくお願いしますね!」

 華宮と名乗った少女は茜より頭一つ分ほど背が低く、腰まである栗色の髪には、天然のウエーブがかかっている。低身長に加えて、色白で華奢で、思わず『守ってあげたくなる』タイプだ。

 その時丁度授業開始のチャイムが鳴った。彼女はおっとりと、だが困ったように神父を見た。

「あっ、我々なら大丈夫です。職員室の場所は転入手続きの時に、一度行っていますから」

 神父はひらひらと手を振る。

 それを見て安心したのか、彼女は「ごきげんよう」とだけ言い残して、校門の向こうを急いで向かって行った。

「……これが女子校かぁ。もっとギスギスしてるもんだと思ってた」

 茜が素直に感想を述べると、神父も頷いている。

「同じクラスだと良いな。この学園は一学年に一クラスしかない。さて、お前は三年か……」

「……言っとくけど、僕は推理なら自信あるけど、勉強はイマイチだからね!」

  茜は学校に行った事がなかった。少なくとも神父と一緒にいる期間は。行く必要はあっても、行くに行けなかったのだ。なにしろ茜は人見知りの激しい、大の人混み嫌い。とてもではないが、集団行動が基本の学校生活など不可能。しかし、本人はそれを全く気にしていない。

「あっ、でも気にしないでよ? 僕だって勉強するよりは推理する方が好きなんだから!」

 それを聞いて安心した神父は、茜の手を引いて職員室へと歩みを進めた。



「思っていたより、簡単に引き受けてくださるんですね」

 職員室で依頼人と話す。例の、あの雨の日に教会に屋合ってきた女性――三年生のクラスの担任である芦田成美は、ホッとしたように、ゆっくりと息を吐いた。

「うちは、基本的には“K"が引き受けかねる依頼を全て受ける事になっているんです」

 茜は初めて見る職員室に目を奪われている。教会とほぼ同じ広さだ。造りはもちろん全然違うけれども。

「宮下茜です。僕は、普段はジーンズに適当なシャツなんで、この格好には慣れないけど……仕事である以上、頑張ります!」

 久しぶりに目にする依頼人に誠意を持って――これが茜のポリシーだ――会釈する。茜は十七歳、これでも立派な新人社会人だ。半端な真似など出来ないし、そんな事は神父が許さない。

「こちらこそ宜しくね。私もできる限りサポートしますから。力を合わせて事件を解決しましょう!」



「はじめまして、宮下茜です。最近まで入院していたので人見知りが激しいかもしれませんが、よろしくお願いします」

 本日三度目の自己紹介。正直飽きてくる。午後のホームルームの時間は、茜の自己紹介に当てられた。芦田教諭は目くばせをしてくる。それで、生徒が全員自分の方を見ているような気がして、更に恥ずかしくなる。引きこもりは伊達ではないのだ。

 授業が終わった後は、掃除の時間。茜は箒を持って教室を掃いていた。

「宮下さん……だったかしら?」

  声をかけられて振り向くと、そこには学級委員の……「誰だっけ?」と、顔にそう出ていたのだろう。

「あたしは木村恵利子。朝、瑞江と話してたでしょ?」

 こちらが名前を覚えていない事を見抜いて、自己紹介をしてくれた。

 ――でも瑞江って誰だっけ?

 転入生という事もあってか、誰からも話しかけられてばかりの一日だったのだ。少しくらい人の名前を覚えていなくとも許されるだろう。

「瑞江さん? どんな人?」

「瑞江は朝、登校する時に校門の方を通る習慣があるの。そこで話してたでしょ? 一緒にいたのは、お父様?」

 それで、やっと思い出した。神父と共に職員室に来る前に会った、まさに王道の『美少女』の事を。

「あ、いえ。……えーとやっぱりそう、です」

 挙動不審になってはいないだろうか?

「変なの~。じゃあ瑞江とはそれっきりなんだね?」

「それっきりって?」

「いや、何でも。まぁ、よろしくね、茜さん。ここじゃクラスメイトの名前は下の名で呼ぶのが原則だから」

 さーて、さっさと片付けて瑞江と遊ぼ~っと。そう彼女が言った気がした。



「あ~! つ・か・れ・たぁ~!」

寮の自室で、茜は疲れて果てていた。ベッドに横たわり、神父に渡された携帯電話で愚痴を言う。

「でも予想以上で良かったじゃないか?」

 励ますような神父の声。それに応えるように、やっとの事で声をひねり出す。今の茜は、心身ともに限界目前だ。

「確かに可愛い女の子は沢山いるよ? 癒しだよ? ……でも、勉強難しすぎ!」

 備えつけの机の上には参考書が山のように積まれている。これらの本も教会の本棚の中に放り込む事になるかもしれない。 きっと神父が毎日読めと強要する事は間違いなし。

 ガチャリ、とドアの開く音がして、茜は慌てて通話を切った。私立なだけあって、携帯電話など校則違反なのだ。

「あれ、いたの?」

 入ってきたのは恵利子だった。誰かと同室とは聞いていたが、まさかそれが彼女だったとは。

「えぇ、勉強が難しくて……」

 携帯電話をペンケースの中に隠し、彼女に向き直った。

「まあ、都内有数の難関校だからね。一緒の部屋になったのもなんかの縁だし、解らないなら教えようか?」

 それは正直有難い申し出だ。

「じゃあ教えてくれる?」

「任せて! 勉強は割と得意なの!」

それから就寝時間の十二時ギリギリまで、茜にとっての地獄の時間――勉強は続いた。目が霞み始めた頃、互いに布団に入った。その頃には茜は恵利子と大分仲良くなっていた。



 校門の内は校舎と学生寮、そして校庭しかない。校内は高い壁によって遮断されていて、外を覗こうにも校門以外の場所からは外の景色が見られない。転入して二日目になる今朝も、茜は内側から校門を眺めていた。

 遺体発見者の名前は徹底的に伏せられていて、そう簡単に口を開いてくれるとは思えない。

 だから最初は部外者犯人説を考える事にした。だが、校門と塀の高さは三メートル以上はある。これはちょっとした要塞だ。

「あら、貴女は昨日の」

「……ごきげんよう」

 慌てて、何事もなかったかのように、そう口にする。

「何を見ていたのですか、宮下先輩?」

「あれ、あなた年下だったの?」

 意外と幼かったことに驚く。それに、茜はあの時名字は名乗っていなかったから、なぜそれを知っているのかにも。

「恵利子さまから聞いたんです。紫陽花を眺めながら、新しいルームメイトについて」

 茜が訪ねる前に彼女は答えた。更には「ふふふ」、そう笑った。それが、やけに板についている。典型的な可愛らしい女子だ、何度見ても。

「私の事、何て言ってた?」

「お勉強をしているようで、他の事を考えているひと。食えなさそうだ、って」

「……あはは……」

 食えなくて当然だ。茜は事件の調査をするためにここにいるのだから。

「そういえば、そろそろ七夕ですね」

 なんともなしに瑞江が言った。……これはチャンスかもしれない。

「ねぇ、四月に桜の木の下で誰かが亡くなっていたって本当?」

 瑞江は目をパチクリさせた後、少し翳りのある表情で言った。

「……本当です。だって遺体を最初に発見したのは、恵利子さまなのですから」



 茜は瑞江と二人で、恵利子を探し回ったが、三年生の教室で、彼女はいともあっさり見つかった。当時の状況について教えて欲しいと頼むと、彼女は二つ返事で了承してくれた。教室で話すような内容ではないので、昼休みに学園のカフェテリアに集合する事になった。

「それで、何を聞きたいの?」

 夏の晴れた日には、熱い日差しが椅子に降り注ぐ。アンティークなモチーフの椅子とテーブルは、学園の花園とよくマッチしている。

「……まず、見つけた時の事。何か違和感とか、なかった?」

 瑞江が頼んだアッサムティーが、席に運ばれた。

「見つけた時、あの時は『ドサッ』って音がしたから、私あの場所へ行ったんだよ」

「ドサッ?」

「多分首を吊った身体が地面に落ちた音じゃないかなぁ?」

 瑞江はアッサムティーを、茜と恵利子のカップに注いでいく。丁度カップ三杯分の量が入っていたのだろう、最後に自分のカップに注ぐ時には、紅茶はチョロチョロとしか出なかった。

「……でも現場にはロープは、『なかった』って聞いたけど?」

 そう言いながら茜は、カップに口をつける。……苦い。ストレートで紅茶を飲むのは初めてだ、慌ててテーブルに備えつけの粉砂糖に手を伸ばす。

「……ああ。私が持ってったからね、ロープは」

 茜は砂糖を紅茶の中に入れすぎた。今、彼女は何と言った?

「……今、『ロープを持って行った』って聞こえたんだけど?」

「そうだよ、私が持ってった。可哀想だからね」

 涼しい顔で紅茶を飲み干しながら、彼女は答える。

「可哀想って?」

「質問ばっかりだね。……まぁいいか。彼女――水城綾は私の異母姉妹なの。だから首にロープが巻かれたままじゃ、なんだか可哀想だと思って」

「異母姉妹って事をお互い知ってたの? それに話の通りなら自殺って事に――」

 そこで瑞江が口を挟んだ。

「だからこそ、ロープを持ち去ったんです。……この学園に通う者はみんながクリスチャン。自殺はいけないんです」

「『可哀想』と『クリスチャンだから』、か」

「そっ。……それに私たちはこの学園に入るまで別居してたし、会ったのも二、三回。親しくもなかったしね」

 恵利子は「これでいい?」とでも言いたそうに茜を見て、瑞江と一緒に席を立った。

 三人がけのテーブルには、茜一人が残された。



 薔薇が一番美しく咲き誇る時期に、恵利子は瑞江と出会った。あれは去年のちょうど今頃、学園にある小さな図書館からの帰りだった。

 読みたいと思っていた本が一度に大量に入っていたので、それを借りて図書館から出てきたところで、本を入れたビニール袋が破れてしまった。慌てて本を拾い集めたのはいいものの、入れる袋がない。

 そこに通りかかったのが瑞江だった。

「どうかしたのですか?」

 大量の本を抱えているのだから状況は一目瞭然だが、彼女は解らなかったらしい。

「それが……本を借りすぎちゃって。入れてたビニール袋が破けちゃったの」

 「困ったわ」、と呟いていると、彼女は鞄から可愛らしい刺繍が施された布バッグを取り出した。どう見てもお手製だが、既製品のような見事な仕上がりだった。

「差し上げます。趣味で作ったものが他にも沢山ありますし……」

 微笑みながら、それを差し出す瑞江に、恵利子自身の知らない何かが反応した。まるで、化学反応のように。

「……貴女、学年と名前は?」

 布バッグを受け取って、本を詰めながら問うた。どうしても、今、彼女の名が知りたい。そんな強い欲求のようなモノに取りつかれていた。

「……? 一年の華宮瑞江です」

 本を詰め終え、立ち上がる。その時にはもう決めていた。

「私は二年の木村恵利子。……貴女の事が、とても気に入ったわ!」

 この学園には学園が開校した初期から、上級生下級生の間に絶対の掟があった。上級生は、下級生が『間違った道』へ進まないように監督する事が、『上級生の権利』として認められている。それは俗に、『お気に入り』と呼ばれている。

「嬉しい……です。ありがとうございます、恵理利さま!」

 可愛らしい彼女の笑顔が、この言葉に更に花を添えた。



 寮の自室に戻り、今までの事を頭の中で整理する。

 水城綾と木村恵理子は異母姉妹。 現場からロープを持ち去ったのは義姉である、恵利子。その理由は『可哀想』。今のところ、一番怪しいのは、やはり彼女だ。

 そういえばメモの事を聞きそびれていた。戻ってきたら訊いてみようかと思ったが、今日は遅くなると言っていた。きっと、あの可愛い瑞江と、お茶会でもしているのだろう。

 羨ましい……そう思った時に、ドアをノックする音が聞こえてきた。

「……どちら様?」

「……貴女があの女と同室なの? 可哀想ね」

 今日は『可哀想』という言葉をよく聞く。

「そうですけど……あなたは?」

「入ってもいいかしら?」

 拒否する理由もないので、ドアの鍵を開けた。もしかしたら恵利子について何か別の情報が聞けるかもしれない。

「お邪魔します」

  相手は髪を左右でお団子にし、まだ制服を着ていた。茜など、すっかりいつものシャツにジーンズという、楽な部屋着だというのに。

「あたしは須藤明日香。貴女のクラスメイトよ」

 彼女は自分から自己紹介をした。「なんだか押されてるな」、と茜は思った。

「あの女……って、木村恵利子さんの事だよね? なんで私が『可哀想』なの?」

「あの女が水城綾を殺したのよ! 間違いないわ! 性格も悪いし、態度も悪いでしょ?」

 言ってる事が急ぎ過ぎて、言いたい事が良く解らない。

「入学式の時だって、先生から言い出されたって言って式の手伝いとか、してたらしいけど……」

 入学式というと、先生のみがやるというイメージがあったが、この学園では生徒も実行委員として準備を手伝うらしい。この時、明日香は恵理子が実行委員長だったと言った。実行委員長には他の実行委員を指名する事が出来る。だから、結局寄せ集めの人事で事件が起こり、失敗したという。……要するに、今目の前にいる彼女が言いたいのは、ただの恵利子の悪口だった。

 しかし、それを聞いて、茜は閃いた。

「ねえ明日香さん、ここの食堂って朝と夜はセルフサービスだよね?」

「……いきなり何? そうよ、好きに献立を選んで、飲み物もホットかアイスかも選べるし……」

 ……そういう事だったのだ。『次は七夕』、この意味がやっと解った。明日香が部屋から出て行くと、茜はペンケースに隠した携帯電話を取り出した。

「もしもし、神父? 僕だよ。謎が解けた。犯人は――」



 神父は、自分の携帯電話の通話終了ボタンを押した。 この古い教会では、夜中の物音が気になる。携帯電話を近くにあるテーブルにそっと置いて、懺悔室から礼拝堂に繋がる扉を開けた。

 小さな礼拝堂の教壇には、キリストが十字架に磔にされているモニュメントが置いてある。

「……神よ、どうか哀れな子羊をお救いください。貴方の憐れみを、どうか……」

 彼は手を組んで祈りを捧げる。ほぼ日課のこの作業も、涙が枯れる事はない。全てを失ったあの日から、神父は怒りと憎悪、それと相反する『憐憫』を胸に生きている。『あの時』自分が神によって救われたように、名も知らぬ犯人も、きっと神は救ってくれるはずだ。

 『神父』と呼ばれている人物は、そう信じている。



「ただいま」

 恵利子が静かにドアを閉める。既に茜が先に寮の部屋に戻っていた。茜は彼女を待ちわびていたかのように、それまで読んでいた本から視線を上げる。

「……おかえりなさい。……ねぇ、一時間だけ僕に時間をくれない?」

「貴女、自分の事を『僕』って呼ぶの? 変わってるねぇ~。……いいよ、一時間ね?」

 彼女は制服を脱ぐと、部屋着のジャンバースカートに着替えた。古いモノらしく生地が痛んでいる。元は綺麗なパステルブルーだったと思われるが、痛みで色が落ちかけている。

「ありがとう。僕は、水城綾さんを殺した人が誰なのか、解ったよ」

「……本当に?」

「冗談で、こんな事なんか言わないよ」

 茜は買っておいたミルクティーを恵利子に渡した。学園内の自動販売機で買った時はホットだったのに、すっかり冷たくなってしまっている。

「……で、犯人は誰なの? まさか私とか言わないわよね?」

 彼女は缶のプルトップに手をやるが、なかなか持ち上がらない。

「最初はそれも考えた。けどあなたは違う。……言い忘れてたけど、さっき須藤明日香さんが来たよ」

 恵利子の缶入りのミルクティーは、やっと開いた。 茜は、自分の分のミルクティーを一口飲んだ。

「ああ。彼女は私の事が嫌いみたいなのよ。瑞江と親しいのが気に入らないみたい」

「そうだね。僕にもあなたの悪口をただ言い回りたいだけだと思ったよ。で、あなたは入学式の実行委員長だったんだってね?」

 茜の真似でもするかのように、恵利子も缶を口に近づける。

「そうだけど、それがどうかしたの? ……確かに私は委員長だった。けど、実行委員はみんな忙しく走り回っていたし。とてもじゃないけど、綾を殺せない」

「……そう、忙しい。しかも、殺されたのは新入生。彼女には年上の知り合いなんていない。……あなた以外は」

「……何を言いたいのか、全く解らないんだけど。ズバリ犯人は誰なの?」

 一時、静寂が訪れた。庭の木にとまっているセミの声がうるさい。

「彼女を殺したのは――」

  犯人の名を告げると同時に、就寝の合図、鐘が鳴った。その音は大きく、学生寮中に響き渡る。……しかし、狭い同室にいる恵利子には十分に伝わった。

「……嘘……」



 翌朝、食事の時間になると、瑞江がこちらに気づいて近付いてきた。ここは食堂。学園寮の者たちが朝と夜の食事をするところだ。

「おはようございます、恵利子さま。茜さんも!」

 彼女は朝食のトーストが乗ったトレイを手に、当然のように同じ席に着く。

「……おはよう、瑞枝さん。ここって氷も頼めば出してくれるんだね」

 茜はトレイの上の甘いコーヒーに、氷を四個入れている。

「そうですよ。運動部の方なんて、朝にスポーツドリンクを頼んで氷と一緒に水筒に入れていくんです」

「……それをあなたは利用したワケだ?」

 美味しそうにトーストを齧っていた瑞江が顔を上げた。

「え?」

 味噌汁をゆっくり啜った後、茜は再び口を開いた。

「氷だよ。水城綾の事を芦田先生に聞いてみたんだ。彼女は入学前からテニス部に入る事に決めていて、入学式の後は体験入部する予定だったんだ」

「それは私が教えた事だよね、瑞江?」

 恵利子も口を挟む。

「……でも、そんな事を知っていたからって、どうして私が殺したという事になるんですか? 動機は?」

 茜はそんな瑞江の言葉を無視して、カードを切る。

「おかしいな……。僕は一言も、『あなたが犯人だ』なんて言ってないよ?」

 茜の一言、この罠に、瑞枝は口元を押さえた。……予想通り、犯人は彼女――華宮瑞枝だ。「『実行委員長は他の実行委員を指名できる』。……恵利子さんなら仲の良い貴女に頼む。そこまでは予定通り、だったんでしょ?」

 もう完全に食事は止まっている。

「そしてこの学園のルール、『上級生は下級生を監督する』とある。だから水城綾はあなたの言う事に逆らえない」

 瑞江は自分の立場、『先輩』という点を利用して水城綾――恵理子の異母妹を呼び出した。そしてあの桜の木の下で話をした。……思うように会話が進まなかったので、瑞江は用意しておいたロープと準備しておいた水筒に入っていた氷を使って、自殺に見せかける――つもりだった。

 ロープを桜の木にかけ、地面に大きなままの氷を置いて、その上に水城綾の身体を乗せる。瑞枝の持っていた水筒は大きく、その分、大きな氷が入っていた。その上、彼女にとって幸運な事に、彼女は痩せていて体重も軽かった。このまま春のやや強い日差しが当たれば、氷が解ける。……自殺に見せかける事が出来る。

「でも、私がロープを持ってきてしまった」

 恵利子が冷静な声で言う。彼女の内心は、茜でも読めない。

「……正直、僕にはここまでしか解らない。どうしてあなたが、こんな真似を?」

 思わず問うと、瑞江はくっくと笑い出した。初対面の時の『守ってあげたくなる美少女』の仮面が外れた。

「……だって、あの子は……恵利子さまのちゃんとした妹なんだもの……」



 恵利子から『水城綾の話』を聴いたのは、去年の秋の事だった。紅葉が見頃を迎え、マフラーが欲しくなる頃に突然、言われたのだ。

「……ねえ瑞江。私には妹がいるらしいんだ」

「……え?」

 カフェテリアで暖かいミルクラテを頼んで、待っている時だった。

「半分しか血は繋がってないらしいんだけど、やっぱりなんか嬉しいものだね!」

 その時、瑞江は持っていた刺繍用の針を落としてしまった。糸が通っていないので、床に落ちてしまえば見つけるのは難しい。

「来年この学園に入学するって言っててさ。テニス部に入りたいんだって」

「……そう、ですか……」

 ――私の知らない恵利子様を、その子は知っている。面倒見のいい恵利子さまの事だから、入学したらきっとその子を可愛がるのだろう。だけど、その時わたしは? ……きっと、落としてしまった針のように、恵利子さまの中から消えてしまう。……いやだ、消えたくない。もっと、もっと恵理子様と一緒にいたい!

 その時、瑞枝の身体中から声が聴こえた。

 ――私が消えるんじゃなくて、その子が消えればいいんだわ。

 ……そして、見たこともない異母妹を可愛がる恵利子も、手に入らないのなら殺してしまおう。そう、悪魔が彼女に囁いたのだった。



職員室で、芦田成美は嬉しさと残念さが半々の表情で、茜に言った。

「今回は後味の悪い事件だった。……けど、本当にありがとう! これで事件は解決ね。流石は“Q”の探偵さんだわ!」

 茜は既にもう制服を脱ぎ、いつものシャツとジーンズに着替えていた。慣れないスカートなど履くものではない、足がスース―して、始終落ち着かなかった。これでやっと、いつもの自分に戻れるというものだ。

「それで、報酬は例の口座にお願いします。……なんですか?」

「いや~残念だな、って思って。学園の制服似合ってたのに。一枚くらい制服で写真でも撮らない?」

 それなら先ほど神父が何枚も撮っていた。とてもいい笑顔で。

「イメクラじゃないんですから、勘弁してくださいよ……」



 そうして教会に戻ると剥げかけた白いペンキが塗り直されていた。今回の報酬を使ったのだろう。次に仕事が入るのはいつになるのか解らないのに。

「ただいま~! 神父? どこ?」

 わざと大きな音を立てて扉を開く。その部屋の中で、神父はこれ以上なく上機嫌で、制服姿の茜の写真を飾っていた。

「おかえり、茜。よく撮れているだろう? 人生初の制服スカートだ!」

「ふざけんなよ? 燃やせぇー!」

「折角女の子らしい格好をしているというのに勿体無いじゃないか?」

 神父は真顔でそう言うが、この手のからかいは茜を怒らせる事を、彼は誰よりも知っている。だから、これ以上は言わない。

「僕はこれで良いんだよ」

 そう言って、茜は持ち帰ってきた学園の制服を、勢いよくテーブルに叩きつけた。

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