第四十二話 鼓動の謎と花の謎

(まだ、ドキドキする……わたし、おかしいのかしら……)


 セルティアは早まる胸の鼓動を落ち着かせようと一度きつく瞳を閉じた。

 自身の思考に耽りすぎていたため、注意力に欠けていた自覚はある。その為穴に落ちそうになってしまい、それをエルが助けてくれたのは、彼なら当然の行動だろう。

 否――エルでなくても大抵の人なら何らかの形で助けようとするはずだ。

 だから何もおかしなことはない。


(おかしいのは、わたしだわ……)


 出会った頃より慣れたはずなのに、それでもセルティアはふいにエルと目が合ったり、距離が近くなったりしてしまうと鼓動が早まる時が今でも多々ある。

 その理由がわからなくて、何度考えても答えを出せずにいるので、いつも途中で考えることを放棄している。


(だめ。今は他に考えることがあるはずよ、セルティア)


 決まってそんな言い訳を自身にして、今回も鼓動の謎を飲み込み、少しだけ気まずそうに改めてエルの方へ目を向けた。


「エル、ありがとう。助かったわ」

「いや、いいけど……ティアってたまに意識飛んでる?」

「えっと、どういう意味かしら?」


 そのままの意味かもしれないが、とりあえずセルティアはなんとか笑みを作って問うた。意識を飛ばしているつもりは、彼女にはおそらくない。


「おめー、その癖やめた方がいいぞ」


 なぜかエルの隣で変なものを見るような顔をしているイグールが言及してくる。なぜそのような顔をされないといけないのか全く解せないが、言っている意味も思い当たらない。


「癖?」

「気づいてないのかよ。昔から何か考え込むとなんも聞こえなくなってるだろ」

「そうだったかしら……?」


 言われて初めて気がついたかのよに目を瞬かせる彼女に、エルとイグールは同じような呆れた反応を見せた。それが面白くなくて少し口先を尖らせるが、思い当たる節が全くないわけでもないので、言い訳のような言葉を口にすることはない。


「まあ、いいじゃない。それより、ちょっと気になったことがあるんだけど」


 癖があったとしても治すつもりはないらしいセルティアにエルは小さくため息をつく。彼女の中ではそれよりも優先すべきことがあるようで、意識はすでにそちらへと向いていた。


「穴の中をすんげえ見てたけど、なんかあったのか?」


 イグールもセルティアの癖のことにはそれ以上触れず、少し前の行動を思い返し、同じように穴の中を覗く。しかしこちらは落ちないように常に意識を残したままだ。


「花の精霊が言うには何かが封印されていたみたいなの。で、これはわたしの推測でしかないんだけど……たぶん、それは魔剣じゃないかしら」

「あ? なんでそうなるんだよ」

「紅蓮だって一応この間の話は聞いているでしょ?」


 この間の話とは一カ月と少し前に起こった南地区での騒動である。表向き魔剣の話は明らかにされていないが、一部の、特に魔術連盟の人間はその話を知っているものが多い。二つ名を持つ紅蓮はもちろん連盟からある程度聞かされている。


「じゃあ、なにか? 魔剣はここに封じられていて、それが奴らの手に渡ったってことか? どうやって?」

「さあ? どうやってかまではわからないけど……そうするとある程度辻褄が合うんじゃないかしら」


 あの時、救世の使者と名乗ったブラエの話が本当なら、魔剣の封印はいくつか解かれていることになる。少なくても二つ解かれていることは確実だ。


「……もしかしたらあの時あいつが持っていた剣かもしれないってことか」

「それ以外かもしれないけどね」


 エルもその時のことを思い出したのか、苦々しい表情をして呟く。ブラエの話からではいくつの封印を解いたかまでは分からなかったのだ。

 一方でその時のことを全く聞いたことがないフローラとリーファは話についていけず、首を傾げるしかない。

 乙女であるフローラが知らないのは当然なのだが、リーファに知らされていないというのは、単に『乙女の宮』にずっと張り付いていたため情報が入ってこなかっただけだ。


「魔剣がどこに封印されているかはほとんど明らかになっていないわ。そのうちの一つが花の大地ここであってもおかしくはない……」

「いや、おかしいだろ? なんで魔剣が聖域にあるんだよ」


 魔を司る存在が聖なる地に眠っているというのは確かに一見するとおかしな話かもしれない。

 だがセルティアはそんなことはないと、首を振る。


「魔剣を封じたのは宝珠の力。つまり聖なる力。それは今でいう聖術とは比べ物にならない力だわ。聖域の礎となっても不思議ではない……と思うわ」


 言葉尻の声が小さくなってしまうのは仕方がない。あくまでも全てセルティアの推測でしかないのだ。


「んじゃあ、仮にそうだとしてだな。それとこれになんの関係があるんだ?」

「これも推測だけど、魔剣の力を聖なる力で封じていた。それが解かれたことによって魔の力が花の大地ここに広がってしまった。魔剣自体はすでになくても、その力の残留が影響を与え続けている」

「聖域に魔の力は毒だったってことか」


 筋が通っているような気がしなくもない推測に其々それぞれが唸る。

 ただの魔力――一般的な魔術が聖域で毒になるとは考えにくい。そこまで聖域は脆くない。しかし魔剣の力は未確定なもので、想像を逸するほどだと聞く。その力の一端であれは毒となっても過言ではないかもしれない。


「封印が解かれてから影響が出るまでに時間差があったのも聖域だったからかもしれないわ」


 聖なる加護に溢れている地で魔の力は浸透しにくかったのだろう。しかし徐々に蝕まれていき、気がついた時には今の有り様になっていた。そしてそれが聖域の外にまで影響を及ぼし始めている。


「なるほど。ティアの仮説がある程度当たっているとして……魔剣がすでにないなら魔の力はいずれ消えると思うけど?」

「それはわたしも思うわ。でも、消えるどころか広がっているように思えるのは他に何か要因があるんじゃないかしら……」


 そう言って再びセルティアは考え込む。穴の付近を何度も歩き回り、更に思考に耽る様子は足元を見ていない。

 周りが声をかけるが、やはり聞こえていないようで彼女が反応を示すことはなかった。それに嫌な予感がしてエルが腕を伸ばすのと、セルティアが足元を踏み外すタイミングが重なる。


「あ……」


 瞬時に腕を掴まれ、体勢を崩すことなくセルティアはその場に留まることが出来た。


「……ティア。やっぱりその癖はなんとかした方がいいと思う」

「……そうみたいね」


 エルに腕を掴まれたまま、彼女は力なく項垂れ、頬を赤らめる。


(流石に二度目は恥ずかしすぎるわ……)


 高鳴った鼓動の理由は最早明らかで、穴があったら入りたいと本気で考える。しかし、隣の穴に入ればもっと恥ずかしいことになりそうで、結局セルティアは下を向くしかなかった。

 そんなエルとセルティアのやり取りを、意味ありげに見つめていたフローラの口元が僅かに弧を描いていることに、気がつく者は誰もいなかった。

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