冷たい頬 ❺
結局その日は今後どうするか、また橋の上で会う日を決めて小林家を後にした。
もうすぐ父親の帰宅時間てのもあったし、ちょっとオレ自身、テーマが重すぎて冷静に状況判断したいってのがあった。
おそらくこのままあそこに居たらきっと、おはようからおやすみまであの無表情の人形に暮らしを見つめられている気分に苛まれるに違いない。
部屋に戻ったオレたちは近藤さんからばあさんを預かって、自分たちのメシの準備をしつつどちらからともなく話し始めた。
「…やっぱりすみれちゃんも今日ぐらいは連れてきちゃえばよかったな」
「仕方ねえだろ、親父さんも帰ってくるって言ってたし。部屋狭えし」
「でもあんな生活。小学生の頃からあんな目にあわされてたらそりゃ橋の上からDIVEしたくもなるよ! キモい漫画も読むよ! 」
「確かに。けど…かといって、なんか犯罪っつーか、DVってのとも違うんだよな…。あくまで家庭の中の問題というか…」
「ハイ! ハイでましたこのパターン! そう言って放置してたら大変なことになっちゃうんだからね、このパターン!!」
「別に放置するなんて誰も言ってねえだろ。ただ、どうやってあいつを助けるかって考えてかないと。まさか本気で人形ぶっ壊す訳にもいかねえし…」
「いいじゃん別に! 人形だよ? すみれちゃんていう血の通った本物の人間を、しかも自分の一人娘を置いといてなにやってんだって話ですよ! そんな人形なんてまたAmazonで買えばいいんだよ!」
ひなこが怒りながら鍋の中を乱暴にお玉でかき回すものだから、飛び散った味噌汁によって、お世辞にもきれいとは言えないキッチンが更に汚れていく。
なんだか今回殊更にキレているこいつの意見は、今は危険すぎる。
ここはしっかりオレが安全な対策を練らねば。
「しかしどちらにせよ、一度小林父には会わなけりゃいけないだろうな、話の成り行き上。その時にいろいろ話出来たら…って思うけど、無理じゃね?」
「なんでよ! 休日にでもお宅訪問したらいいじゃん有無を言わさず!」
「いやいや…おまえ。普通に考えてみ? いくら娘のとはいえちょっと歳の離れすぎたお友達のオレたちが突然現れて、お家の事情を話す気になるか? しかも家の中でもかなりのパーソナルな部分を! “例のヤバい人形をどうにかしてください”なんて頼めるか、急に? 怪しすぎるだろ」
「いいじゃんそんなの。どうせウチらもう知ってるんだし。フミちゃんも一緒に行って保護者ってことで話したら問題ないっしょ。大体、そんな奥さんに逃げられちゃうような旦那なんでしょ? …ヤッてやったらいいんだよ! バチコーン言わしてやったらいいんだよ!」
「おまえは悪い時の日本代表を語るラモスさんか。少し落ち着け」
「落ち着いてられないよ! すみれちゃん、あんなにかわいいのに。すみれちゃんがいつもどんな気持ちで夜ごはん食べているか考えるだけで、もう…もう………
ムキー!!!」
えらいもんでひなこの怒りが沸点に達すると同時に、鍋から味噌汁が凄まじい勢いで噴きこぼれた。
ムキーって怒る人を初めて目前で見た衝撃よりも、夕飯の具が3分の1程こぼれたように見えたことに心配を覚える。
「まあ…他にも気になることは多々あるしな。次、橋来た時にもう一度詳しく話聞いてみるか。メシ食うぞとりあえず。ばあさんの味噌汁よそったんか?」
「話は聞かせてもらったぞ」
背後から聞こえたその堂々たる日本男児の声を聞いて戦慄が走った。
預かってもらっていたばあさんを引き取って、すっかり油断していたのだ。
オレとひなこは今日あった出来事の話に夢中で彼の存在を全く忘れていた。
まずい。これはまずい。帰ってなかったのか。
本当に申し訳ないが先輩が関わればもっと面倒なことになる。間違いない。
ここは全力で阻止しなければ。
咄嗟にひなこにアイコンタクトすると、概ね先日の拗れたメイド喫茶の一件の事を思い出したのかこちらの意図を理解したように味噌汁を鍋ごと掴む。
これは仕方ない。空腹であること然り、ばあさんのメシが遅れること然り。
だが各々の犠牲を払ってでもここはこうするべきであると本能が告げた。
覚悟を決めたように鍋を掴んでこちらを向くひなこにただ一回うなづいた。
「あーっっと腕がすべった!」
豪快に後ろへ味噌汁をばら撒くひなこ。
「アッー!! 熱いよ!! 熱いよ!!!!」
近藤さんはテンパると何故か片言になることに最近気づいた。
大いなる犠牲とはこのことだ。
これも小林すみれの健やかなる成長のためと、心を鬼にしてオレは先輩の頭から水道水をぶっかけた。
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