第62話

 廊下の照明は夜でも変わりない。

 仮に廊下が夜になると照明が落とされるようになってしまうと、寂しく、そして不気味である。

 治安の面でも狭く暗い道というのは不安が残るため、常時明るく照らされていた。

 しかしそんな所で暮らしていると昼と夜の感覚が薄れてくる。

 時刻という指標でしか計れなくなる。


 二四時間という概念は割と便利ではある。

 だが、二四時間である必要性は、宇宙においては、無い。

【グローリー】は自転をしていないし、太陽が昇って沈む光景も無い。

 ただ単純に、〈DDCF〉で仕事をする時間、食事をする時間、寝る時間、そういった『何かをする時間』を明確にするためにしか二四時間の概念は使われないのだ。

 電志は廊下を歩きながら思った。映画に時間旅行をするものがあるが、『時間』って本当にあるんだろうか?

『時間』というものが存在していて、かつ、過去や未来と繋がっていなければならない。何だか不思議だ。『昨日に行く』というのはきっと地球の自転から割り出しているんだろうし、『一年前に行く』というのは地球の公転から割り出しているのだろう。それって、宇宙で通用するのか? 宇宙にとって『一日』とか『一年』という概念、あるのか? あくまで人間が作ったカレンダー上にしか存在しない気がするんだが。

 例えば海王星の公転周期は地球の約一六五年分である。だが海王星にとってはそれが『一年』だ。

 金星の自転周期は地球の約一一七日分である。だが金星にとってはそれが『一日』だ。

 こうなると『一日』や『一年』は途端に確かさを失い、あやふやなものになってくる。これで時間旅行するための『時間』なんて捕捉できるのか? 『地球基準での昨日』とか指定すれば過去に行けるとは到底思えない。


 自分の部屋が見えてくると、扉の脇で壁に寄りかかっている愛佳を見付けた。

 電志は困ったな、と頬をかく。部屋まで押しかけてくるようになったか、そろそろ秘密を貫くのも無理な段階かね。

「あ、電志……」

 愛佳が俯きかげんで出迎えてくれる。その表情は緊張していた。

 その緊張は即座に電志へと伝播する。

「……どうした?」

 平静を装って聞いてみた。が、十中八九秘密についての話だろうことも分かっている。根掘り葉掘り問い詰められるだろうか。どうごまかすか。

 そんな風にこの先の問答をシミュレーションし始める。

 すると、愛佳は言葉よりも先に抱きついてきた。

 抱きつく時に揺れた彼女の髪から良い香りが振りまかれる。

 何秒かすると愛佳の心音が感じられるようになった。

 彼女はがっちりと腰に手を回してきて密着している。

 釣られて電志の鼓動も早くなる。

 何かいけないことをしているのではないかと周囲を見回してしまう。

 幸い誰かに見られていることは無い。

「教えて」

 愛佳は俯いたまま言った。

「何を?」

「毎日こんなに遅いなんておかしい」

 電志は時計を確認する。

 ちょうど日付が変わろうとしているところだった。

「あまり気にしてなかった」

「エリシアさんと一緒にいたの?」

「なわけないだろう」

「でも、電志がどこかへ行く時必ずエリシアさんが邪魔をしてくるじゃあないか」

「偶然だろう」

 ただ消化するだけの問答……そこに電志はもどかしさを感じる。

 本来、電志は会話に明確な答えを導き出す性格だ。

 それなのに回答から逃げることが前提になっている会話をしなければならない。

 そしてそれは彼女も気付いているのか、暖簾に腕押しの状態にやるせなさを感じているようだった。

 愛佳はぎゅっと手に力をこめてくる。

「…………ちゃんと教えてくれたら……一晩一緒に過ごしても良い」

 言葉の端々に緊張が読み取れる口調だった。

 思いつめている……すぐにそれが分かった。

 その提案に興奮を覚えなかったと言えば嘘になる。

 しかし電志は諭さなければならないという気持ちが非常に大きく湧き出てきた。

 以前のことを思い出したのだ。

 シュタリーが亡くなった時、愛佳は電志を慰めるためだけにキスを許そうとした。こいつはそういった危ういところがある。思いつめると自分を犠牲にしてでも解決しようとする。普段しょうもない話ばっかりしているくせに、妙なところで自己犠牲の精神がありやがる。本当に危うい。

「自己犠牲はやめろ」

 自己犠牲については複雑な思いがある。クローゼは自分を犠牲にすることで俺達を救ってくれた。確かに一人の命で大勢が助かった。それは良かったことではある……机上では。しかしクローゼが死んで良かったか。決してそうではない。残された俺達にとっては、やりきれないのだ。

 あえて冷たく言おうとしたが、自然と優しい声になってしまった。

 そうしたら愛佳は溜めていたもやを吐き出すように話し始めた。

「ボクだって電志がエリシアさんとどうこうなってるなんて思ってはいないさ……思ってはいないんだけど、何でか気持ちが収まらないんだよ……! 自己犠牲のつもりなんてないけど、何とかして電志を繋ぎとめるためにボクができることって言ったら、これくらいしか思いつかないんだよ……!」

「繋ぎとめるって……俺はどこにも行かないさ」

「だからそれは分かってるんだよ!」

 電志は何を言われているのか分からず顔を歪めた。意味が分からない。どこに問題があるんだ?

 解決するにはどうしたら良いのか。

 このまま彼女がエリシア絡みの方面に勘違いしていてくれた方が、極秘任務の秘密を守る上では都合が良い。だが今のこの状況は俺自身にとって非常に都合が良くない。愛佳に無用なストレスを与えてしまっている。変に二人の間に溝が出来てしまっている。

「どう言えば安心するんだ……」

「…………そもそも電志の様子が変になったのは、七星さんと話してからだよね。巣の残骸の調査の時に電志と七星さんが話してからだよね」

 思わぬところで愛佳が核心を突いてきて、電志は目を泳がせる。

 どうしようか迷っていると、愛佳が続けた。

「せめてそれを教えてよ。いったい今、電志は何をしているの?」

 遂にそこに行きついたか……と電志は苦い顔になる。それは言えないんだよなあ。

 そんな時、近くの扉が開いて中から人が出てきてしまった。

 長い時間抱き合ったままで、誰かに見られてしまうのではと心配だったのだが、遂に見られてしまった。

 扉から出てきたのは〈DDCF〉の少年で、電志たちを見ると目を丸くし、それから口笛を吹いてそそくさと通路を歩いて行った。

〈DDCF〉の者に見られてしまったのは最悪だった。明日にはみんなに知れ渡ってしまうだろう。下手をすれば今日中に……本当に最悪だ。

 見られてしまったことで電志に焦りが生まれる。これ以上通路にいるのはまずい。

 もう、言うしかない。

 極秘任務について、言っても良さそうなラインを即座に計算。

 言葉を選びながら口を動かした。

「七星さんの所で極秘任務をしている。それ以上のことは絶対に言えないんだ。エリシアはそれには直接は関わっていない。だから安心しろ」

「…………分かった」

 愛佳は小さく頷き、離れた。

 渋々といった顔ではあったが、引き下がってくれたようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る