わかがえる 五
パチパチパチっと、水滴が葉っぱを鳴らす森の中。大きな木の下の、座るにはピッタリな大きな石。そこにイナミを挟むようにしながら、イチロウとソウヘイが憮然と座っている。二人の手はどちらもイナミの足の上にあって、双方の手に、イナミの白い手のひらが乗せられていた。
「ねぇ、ねえってば」と言いながら、イナミは交互に二人の顔を見ている。イチロウとソウヘイはどうやらまたケンカしていたらしく、お互いに顔を背けて
「あんまりケンカばっかりしてるとまたヨシ
「……知らん」ソウヘイが、言葉少なく吐き捨てる。
フーっと、呆れたと言わんばかりのため息をついたイナミは、空を見上げて、柔らかい声でなにやら唄い始めた。
「あーめのふーるーひーにー、のーそのそあーるくよかーたつぶりー、あーめのてまねきぴっちゃぴちゃー、かーえるもさーそうーよ、ゲココのケー……」
「なんだよそれ」ソウヘイが突っ込む。
「カイリがつくったんだよ」イナミはご機嫌に笑う。「ソウヘイもうたわない?」
「誰がうたうか、女じゃあるまいし……」
「え、でもおっ
「俺はそんな恥ずかしいことせん」
突っぱねるソウヘイに、イナミが驚いたように目を丸くして、初めて大声で返す。「えー恥ずかしくないよ! どーしてそんなこと言うの?」
「うるせえ! 恥ずかしいもんは恥ずかしいんだい。誰がそんな子どもっぽい、アホらしい……」
そう勇んで振り返ったソウヘイの言葉は、しかしイナミが泣きそうな顔で睨み返しているのに気がついた途端、あっという間に雨音に霞んでいった。
「ひどい……カイリがつくった歌なんだよ……」
そう言って俯いたイナミの表情のいじらしさは、正直卑怯なくらいだったと思う。
「あぁ、いや……」それにすっかりやられてしまったのか、ソウヘイは目を泳がせて、苦笑い。「でも、ええっと……う、うたが悪いわけじゃあ……」
あたふたとしているソウヘイを尻目に、イチロウが、黙っていれば大人しそうにも見える顔を意地悪くニヤリと引きつらせた。「お前ひでーやつだな」
「なんだとこの! おめーだって歌なんてうたわねえじゃねえか!」
「いやなやつー」
「てめえ……」
「なんだこのー」
また立ち上がってケンカしそうになってる二人の手を、イナミはガッチリ捕まえる。「ケンカ……しないで」
それくらいで止まるイチロウとソウヘイではない……と思っていたのだが、意外にも二人とも俯いたままのイナミを見て、なんだか非常にバツが悪そうに顔を見合わせた。
イチロウがあたかも「お前が泣かしたんだぞ」とでも言いたげに、目やアゴでソウヘイを責め立てる。
ソウヘイもまた何か言いたげに睨み返して、そのまま二、三、無言の応酬が繰り広げられていたようだったけれど、結局はソウヘイが困ったように頭をかいて、仕方なくもう一度
「ご、ごめんなイナミ……俺が悪かったからよぉ」
「…………」イナミはまだ落ち込んでる。
「い、言いすぎた、すまねえ、ほんとにこの通りだから、泣かんでくれや……」
「…………」
「なぁ、イナミぃ……」
「……もう、ケンカしない?」
そう言われてまた、イチロウとソウヘイは目を合わせて、不承不承に頷きあった。
「し、しねえ。な? な?」
「そっか……よかった。じゃ、仲直りね」嬉しそうに顔を上げたイナミは、また二人の手を取って、指を絡めて自分の太ももに置く。「うーん、雨やまないね。なんだか寒くなっちゃった」
そう言ってイナミは、ふたりの腕を脇に挟むようにしてグッと、身を寄せ合わせた。
イチロウとソウヘイ、双方の耳が夕日のごとくに真っ赤に染まる。
ふたり揃って背中をピンと張った辛そうな姿勢で、カチカチに目を見開いたままピクピクしていた。
この時なんとなく、色々と察したような気がした。
この二人が、ケンカばかりしている理由も……。
惚れてるんだな、二人して。
ホントのホントにそっくりじゃないか、まったく……でもまあ、無理もないか。だってイナミは可愛らしいもの。しかし、肝心のイナミはそんなイチロウとソウヘイの気持ちに気付く様子は一切無いようで、さっきのハナ唄をフンフンと繰り返しながら雨が上がるのを待っている。
ぴちゃぴちゃぴちゃと、雨の中、ぬかるむ土を踏みしめる足音が、ハナ唄に紛れて聞こえてきた。
「あ、ホントにここにいた」凛々しいヨシの声。
「あ、ヨシ姉!」と、イナミと、男二人の振り返った先には、
「え、なんでここにいんのわかったの?」と、イチロウが驚く。
「ジロウが教えてくれたのよ、ね?」笠を配りながら、ヨシはジロウに向かって笑いかける。「山ん中入っていったんなら、この石のところで雨やどりしてるんじゃないかなって。へぇー、ここって本当に濡れないんだねー」
「おー、やるじゃん」と、イチロウは弟を小突く。
「……ん」ジロウは照れるでもなしに、ただ軽く頷いて、笠紐の位置を直した。
こうして見比べてみると、イチロウとジロウはやっぱり兄弟って顔している。最初はイチロウの快活さの割にジロウが大人し過ぎるかと思ったのだけれど、よくよく考えてみれば、イチロウが顔に似合わずやんちゃものだったのだろう。静かにしていれば、イチロウはソウヘイよりはよっぽど知的で可愛い顔をしているようだ。
ま、それでもイナミやヨシの水準とは雲泥の差だけれどもね。あの二人と釣り合うのはゲンくらいのものだろう。
三人が菅笠をかぶったところで、ヨシがみんなを先導するように歩いていく。「雨、これから強くなりそうだから、今日はもう外出ちゃダメだってさ」
「えー、でも今日は……」
「はいはい、四の五の言わない」文句を言いかけたソウヘイを、ヨシはピシャリとおさえる。「あとカヤが熱出しちゃったみたいだから、みんなも気を付けるのよ?」
「カヤ姉、またかよ」ケラケラと、イチロウが笑う。
「そんなこと言って、あんた、いつだかの時ずっと看てもらってたでしょ?」
「それは俺だけじゃなかったしー」イチロウは雨に手を晒すように、両腕を拡げておどけてみせる。「そんときだってカヤ姉、うつっちゃったもんね」
「エラそうに言うな」ゴツンと、ヨシの拳がイチロウの後頭部を叩く。
「ってーなぁ!?」
「カヤだって辛かったのに看てもらってたんでしょ、まったく……」ヨシは呆れ顔でため息。
「だって俺、
「ひっくしゅんっ!!」
イナミが思い切り、鼻をひる。
顔が少し、赤いようだ。
「あら、イナミ大丈夫……?」ヨシが、イナミを抱き寄せる。「うーん、
「……さむぅい」ぶるっと震えながら、イナミはうなる。
それを見て慌てて口をつぐんだイチロウの姿が、さっき歌をバカにした時のソウヘイとあんまりに似ていたものだから、私はおかしくてつい笑ってしまったような気がする。
まったく、かわいいんだから。
「……帰ったら、ゲンのとこ行こうか。あそこ温かいし」
「ゲン
「もうカヤはいるみたいだし、一緒でしょ……」
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