模擬戦

 幻想を砕く者ブレイカーがファントムの討伐を目的とする以上、当然戦闘技能が求められる。

 異形の怪物たちと戦う以外にも、特異能力を悪用する犯罪者たちに対抗するためにもこれらは必須と言っていいだろう。

 故に、幻想を砕く者ブレイカー育成学校の授業カリキュラムの大半は実戦を想定した訓練が多い。

 風花学院もその例に漏れず、ほとんどの授業が実戦訓練だった。そのため、学院の敷地内にはいくつもの訓練所が設けられている。

 そのうちの一つ、第三アリーナに一年C組の面々は集まっていた。


「全員揃っているか」


 アリーナ内に麻耶の声が響き渡る。

 実戦訓練と言っても、さすがに本物のファントムと戦うわけにもいかないので、基本的に授業内容は一対一の対人戦を中心に行う。例外として、複数人による集団戦を行う場合もあるが、それは一学年後半の授業カリキュラムからになる。


「それじゃあ、呼ばれた者から順に前へ出ろ。組み合わせはこちらで既に決めてある」


 麻耶の言葉に男子が歓喜の声を上げた。

 合法的に女子と触れ合えるセクハラできるという、ある意味では、健全な男子高校生の思考からくるものだろう。


「ほんと、うちの男どもは」

「はは……」


 春市の隣に並ぶ凪沙が汚物でも見るような目で、騒ぐ男子生徒たちを眺めた。

 同じ男として彼らの事を否定できない春市は苦笑いを浮かべるしかない。

 なんとなしに春市は視線を泳がすと、やや強張った表情のフィアと目が合ったので小さく手を振ってやる。


「……ロリコン」

「冤罪もいいとこだな」


 不貞腐れた様子で凪沙が呟く。クラスメイトの男子生徒たちを見る以上に冷たい眼差しだった。


「最初は……黒乃 春市! フィア・ハーネット! 前に出ろ」


 いきなりのトップバッターとしての呼び出しに春市は眉間にしわを刻んだ。

 しかも相手は噂の転校生となれば、余計に嫌だった。


「呼ばれてるわよ」

「わかってるっての」


 春市は投げやりにこたえると、重い足取りで最前列に向かう。

 途中、何度か男子生徒たちから妬みが混ざった言葉を投げつけられた。やれ、「羨ましい」だの、「神城だけに飽き足らず」だのと酷い言われようだ。

 最前列、アリーナ中央に出ると、先に着いていたフィアが笑いかけてきた。


「よろしくお願いします。黒乃さん」

「よろしく。生憎と、手加減はできないからな」

「はい!  胸を借りるつもりで挑みますね」


 レフェリーである麻耶を挟み、二十メートルほどの間を空けて春市とフィアは対峙する。

 そして、そんな二人をクラスメイトたちは先ほどの緩い空気から一転、真剣な表情で見つめていた。そのお目当ては実力未知数の転校生、フィア・ハーネットだ。さすがに舞闘会コンクールの即戦力になるだろうとは思わないが、そこは好奇心旺盛な十代たちの集まり。やはり気になるものは気になるらしく、皆期待の眼差しをフィアに向けている。

 攻撃の余波が飛ばないように、安全圏まで後ろに下がったクラスメイトたちから声が飛ぶ。


『フィアちゃん! その男は殺しても死なないから、遠慮はいらないわよ!』

『黒乃ー! 俺らのハーネットさんに傷なんかつけたらぶっ飛ばすからな!』

『ハーネットさん頑張って!

『気をつけろー! そいつ容赦しない外道だから』


 聞こえてくるクラスメイトたちのフィアへの激励と春市への罵倒にフィアは苦笑し、春市は頬を引きつらせる。


「あいつら……」

「人気者なんですね、黒乃さん」

「アレをどう見たら、そんな感想が出てくるんだよ」

「でも、言葉に悪意が感じらませんもん。黒乃さんが良い人だから、皆さんあんな風に声をかけてるんだと思います」

「どうだかな」


 呆れ果てたような口調で春市が言うと、フィアはくすりと笑う。

 このまま雑談に花を咲かせるのも悪くはないが、アリーナの使用時間も限られている。それに、後の組を待たせるわけにもいかない。


「それではこれより模擬戦を始める。双方、固有武装ギアの展開をしろ」

顕現けんげんせよ! 《ガラティーン》!」


 瞬間、少女を中心に暴風が発生し、フィアの右手に両刃の大剣が顕現する。

 幻想を砕く者ブレイカーが持つ特異能力を十全以上に使うために創られた現代の魔法の杖。固有武装ギアと呼ばれるそれは、特異能力の質を向上させると共に、武器としての運用も目的とされるため、杖とは名ばかりで大抵は武具として具現化される。

 『聖剣』『魔剣』『宝具』『神具』『呪具』――

 過去の伝承や神話にて様々な形態をとって、語り継がれる武具たちを現代の技術にて復元されたのが固有武装ギアだ。

 そして、フィア・ハーネットの能力は、すべてを吹き飛ばす暴風の力。

 かつて、円卓の騎士の一人が愛刀したとされる聖剣が姿を見せた。


「こい……」


 春市の呼応に答えるように、首元に巻かれたネックレスから熱を帯びた光が灯り、それと同時に春市の両腕が炎に包まれる。


「《迦具土かぐつち》‼︎」


 春市が炎を振り払った先、無骨な鉄腕が姿を見せた。指先から肘まで覆われた甲型固有武装ギア迦具土かぐつち

 二人が固有武装ギアを展開したのを確認した麻耶が右手を高く上げた。


「では、はじめ!」








 開戦の号令と同時にフィアが春市に走り寄り、大振りな一閃を振り下ろした。

 技術もなにもない。力任せに叩きつける一撃は容易に軌道を見切ることができる反面、恐ろしいまでに鋭く速い。

 しかし大振りなことに変わりはなく、その剣筋を読み切った春市はバックステップで後ろに跳んだ。


「ッ⁉︎」


 瞬間、床に叩き付けられた《ガラティーン》から膨大な魔力が放出され、アリーナの床に巨大なクレーターが作られる。

 鈍い振動と衝撃が、アリーナ全域を揺らす。


「んな、アホな」


 幻想を砕く者ブレイカーの訓練所として用意られるために特殊工事が施されたアリーナ。それを破壊しかねない攻撃力に春市は戦慄を覚え、即座にあれを真面まともに受け止めるという選択肢を頭の中から排除した。


「ハァァァァアァ!」


 次いで振るわれる横薙ぎの一撃。春市は全神経を集中させて、回避に専念する。

 魔力によって強化された肉体によって、本来なら不釣り合いなほどに巨大な大剣をフィアは春市に一息つけさせる暇なく振るう。


(なんつぅ……デタラメな)


 言葉には出さずに春市は心の中で悪態を吐く。

 魔力で肉体を強化させ、さらには圧縮させた規格外な魔力を固有武装ギアから放出。戦術も魔力運用もクソもない、相手が倒れるまでただひたすらに魔力を使い続け、圧倒する戦い方。

 つい最近になって特異能力に目醒めたと言っていただけあり、剣の扱い方は素人そのものではある。動きも非常にわかりやすく、戦闘技術だけなら春市が苦戦するような相手ではない。

 だが、それはこのふざけた魔力のゴリ押しが無いのが条件だ。一撃必殺が絶えず続く攻撃を躱して、攻めに転ずるにはリスクが高すぎる。

 打ち合いから五分が経つが、未だ攻撃が止む気配がないことに春市が舌打ちを落とした。


「そんなに魔力を使うと保たないだろ」

「大丈夫です! 私、魔力量が他の人よりも少し多いみたいで。まだまだ行けますよ」

「そいつはなにより……っと、危なっ!」


 なんと羨ましい。仮に春市が同じ戦い方をすれば、魔力がとっくに尽きているというのに、目の前の少女は疲労の色も見えない。

 その証拠にフィアの表情はまだまだ余裕そうだ。

 理不尽な特異能力者としての性能差を目の当たりにした春市は、この少女が『紛れもない天才』であることを確信した。

 特異能力者の中には稀にだが、特別な訓練をせずとも本能的に魔力や異能の扱いに長けた天才規格外が存在する。フィア・ハーネットは間違いなくその類いの怪物だ。


(嫌になるな。天才ってやつは)


 それを思い知った春市にフィアは終わることのない暴力を振り下ろす。

 魔力による身体強化によって、もはや視認することも困難なレベルまで上げられた速度の一閃に、とうとう春市が捕まった。両腕の手甲をもって防御に応じ、鋼同士による打ち合いが始まる。

 連続して鳴り響く快音がアリーナにいる他の生徒たちの耳に音楽を奏でるように響く。


『おおぉ……‼︎』


 歓声が上がる。

 終わらない暴風の如く激しく、苛烈に春市を攻め立てるフィア。その放たれる一撃全てが必殺の破壊力なのだから、相対する春市は下手に反撃に移れないでいた。


(死ぬ! マジで死ぬ!)


 真面まともに受け止めることを許さないフィアの剣戟は問答無用で相手を押し潰す一撃だ。そのため春市は《ガラティーン》の一閃を受け止めず、受けた衝撃を後ろへと逃がしていく。

 元々春市は攻撃を受け流すという器用な技術を持ち合わせてはいない。しかし、フィアの圧倒的な技術不足が辛うじてその達人めいた受け流しを可能としているのだった。


『黒乃が防戦一方じゃねぇか』

『あの転校生、かなりやるぞ』

『いいぞ! ハーネットさん! そのままあの憎きリア充野郎に鉄槌を』


 春市の実力はクラスメイトたちも理解している。間違っても素人に手心を加えるような人物ではないこともだ。

 そんな春市をつい最近まで素人だった転校生が押している事実に、周りから驚愕の空気が漂う。

 春市は苛烈に追い詰めるフィアの攻撃を防ぐだけで手いっぱいだ。

 徐々に後ろへ後ろへと、後退し続ける春市。

 一方的。誰もがそう感じていた。


 たった数人を除いて――


(決めきれない……どうして……)


 その一人であるフィア・ハーネットは表情にこそ出さないものの、この展開に焦りを覚えていた。

 フィアが実戦を経験したのはこれで二度目。初めての実戦は特異能力に目醒め、学院の転入が来まってから数日経った後に行われた最初の訓練だった。

 結果は圧勝。

 全力で来るように言われ、フィアは今のようにありったけの魔力を剣先に乗せて固有武装ギアを振るった。訓練相手を担当した人物はフィアの一撃を真面に受けて昏倒。才能という暴力での一撃必殺だった。

 その時と同等の、否、今の自分は膨大な魔力に耐えれるようにと、特別に用意された固有武装ギア・《ガラティーン》の恩恵により、あの時以上の力で異能を使っている。

 それなのに、目の前の相手は倒れないのはどういうことだ。

 一方的に攻め込んでいるはずなのに、さっきから攻め切れない事実がフィアに焦りを生む。


「このッ!」


 フィアは《ガラティーン》を打ち下ろす。

 それを春市は《迦具土》で受ける。決して正面から真面には受けきらず、襲いかかる魔力を自らの魔力で相殺しながら受けた衝撃を後ろに逃がす。


(なんで!)


 遠目には圧倒しているのはフィアで、春市はそのパワーに押し込まれているように見える。

 しかし実際には、フィアの攻撃はただの一度も春市に届いてはいない。

 攻撃を躱すでも受け止めるでもなく、受け流す。アニメや漫画でしか見たことのない高度な技術にフィアは舌を巻き、尊敬の念を抱く。


 だが、 反面で恐れにも似た感情が染み込んでくる。

 それがフィア自身の第六感からくる警鐘であることを少女はまだ知らない。


「――そろそろか……」

「えッ?」


 ぽつりと、独り言のように春市が呟いた。実際に独り言だったのだろう。相対しているフィアでさえ、聞き逃しそうになるくらいの声量だった。

 その言葉にフィアが底知れない恐怖を感じた直後、


「ツ⁉︎」


 唐突にフィアの足が崩れ落ち、嵐のような剣戟が止んだ。


「はぁ……はぁ、はぁ……」


 大きく肩で息をするフィアを春市が見下ろす光景に観衆がどよめく。

 なんの予兆もなくフィアに突然襲いかかってきたのは疲労だった。

 先ほどまでは羽のように軽かった体が、今は鉛を背負ったかのごとく重い。


「な、なんで……?」

「簡単だ。おまえの体力切れだよ」


 フィアの疑問に春市はなんでもないように答えた。

 幻想を砕く者ブレイカーは各々が特異能力を持つこと以外にも魔力を放出することで身体能力を常人の数十倍まで引き上げることが可能だ。

 しかし、ただ一点。ある部分だけは引き上げることができない。


 それが体力。


 幻想を砕く者ブレイカーは心肺機能や筋肉などの肉体の内面を強化しても、回復力までは強化できない。あくまで常人よりもスタミナがあるというだけで、走ったり戦ったりすれば当然疲労する。

 フィアの場合、五分間以上ほぼ無呼吸運動という常人離れした戦い方の代償ツケが回ったのだ。


「『先天的能力者』たちと違って、俺やあんたみたいな『後天的能力者』は最初にその引き上がった身体能力に過信しちまうんだ。体力も能力者になる前と比較して桁違いに上がるからな。だけど、それは能力者じゃない一般人と比較しての話だ」

「はぁ……はぁ……」

「何の訓練も受けてないのに、そんなバカスカ動き回れば、いくら魔力が多くても先に体力がガス欠になるっての」


 勝利を望む気持ちは徐々に焦りを生み、その焦りが結果として少女から体力奪った。


「まだ……ですよ!」


 フィアが叫ぶ。

 両足に力を入れて立ち上がったフィアは、受け流せないほどの一撃で仕留めるために《ガラティーン》を振りかぶった。

 しかしそれは悪手だ。

 より高い攻撃力を求めるあまり、フィアの《ガラティーン》を振りかぶる腕が今まで以上に大振りになる。

 それにより、ほんの一拍子だけ今までの剣戟とは違う間ができた。


「うおぉぉおりゃあぁ‼︎」


 春市はその一瞬の間を見逃さない。大振りな一閃に合わせ、左腕を天高く突き上げる。甲高い金属同士がぶつかり合う音と共に、振り下ろした《ガラティーン》を《迦具土》が弾き飛ばし、トラックの正面衝突にも似た衝撃がお互いを襲う。


「いつっ……」


 フィアは咄嗟に《ガラティーン》を握る両腕に力を込めた。辛うじて《ガラティーン》を手放すことはなかったが、体全部が吹き飛びそうな衝撃に顔を歪める。


「喰いつくせ……」


 告げて、春市は右腕に魔力で生成した炎を纏い、


炎拳えんけん!」


 《迦具土》の拳を無防備なフィアに打ち放った。










「入った!」


 観戦していた凪沙が声を上げる。

 右拳廻打うけんかいだの一撃は文句のつけどころのないほどのクリーンヒットだった。

 回避も、固有武装ギアによる防御もあのタイミングでは不可能に近い。


『完璧に入ったぞ』

『マジかよ……あの状況から』

『というか、ハーネットさんは無事なの? モロに入ったけど』


 試合の結末に唖然とするクラスメイトたち。その視線は、フィアへと集まる。


『……いや! あれを見ろ!』


 最初に気づいた一人が指差す。

 春市が放った必殺の拳が見えない壁に遮られ、フィアの数センチ前で止まっていた。


「いっ⁉︎」


 その光景を目の当たりにした春市の口から、思わず変な声が溢れた。殴った瞬間、見えないなにかが威力を殺し、フィアに辿り着く手前で春市の拳を止めたのだ。

 素早く拳を引き、春市は大きく後ろに跳んで間合いを開く。

 何故攻撃が効かなかったのか?

 その疑問に春市の頭の中で一つの仮説が浮かび上がる。


「魔力による障壁か? ……俺も生で見るのは初めてだ」


 嫌になるな、と春市は悔しさを滲ませて呟いた。

 極稀ごくまれにだが、膨大な魔力を持つ幻想を砕く者ブレイカーの中には強固な守りを得意とする者たちがいる。

 魔力を自らに纏うことで、バリアの役割を果たす技術が存在するからだ。

 しかし、フィアが魔力の障壁を展開した素振りはなかった。つまり、無意識に、あるいは防衛本能に魔力が反応して自動的に展開したということ。ただ無意識に垂れ流しているだけの魔力が、それだけで強固な盾として機能している。

 理不尽ここに極まれり。

 春市の全力を持っての一手は、生まれ持った才能の差によって防がれたということだ。

 初めは声援を送っていた者たちも、この理不尽に言葉を失った。

 少なくとも自分たちは中等部以前から幻想を砕く者ブレイカーになるべく、厳しい修練を積んできたはずだ。それなのに、その努力全てを嘲笑うかのような才能を目の前の疲弊した少女は持ち合わせている。

 春市が弱いわけではない。ただ、相手が悪過ぎた。

 圧倒的な火力と鉄壁の防御を兼ね備えたフィアのポテンシャルは、Aランクのファントムに匹敵する脅威だ。そんな化け物に見習いである学生が勝てるわけがない。


 しかし……それは少女が自らの力を正しく使えた場合だ。


「あ、あれ?」


 その言葉はフィアが発したものだった。

 突然、《ガラティーン》が今までとは比較にならないくらいまでの魔力を放出し始めたのだ。


『な、なんだよアレ!』

『ちょっ! 洒落にならないって!』


 観戦していたクラスメイトたちの悲鳴が上がる。

 桁外れの魔力によって生成されたのは巨大な竜巻トルネードだった。直径百メートルは軽く超えるほどに巨大な竜巻は、天高く風を巻き上げてアリーナのドームを貫く。


「え……そんな……どうして……?」


 狂乱の中で、茫然ぼうぜんとするフィアの声が春市の耳に鮮明に聞こえた。

 魔力の制御に失敗して、それが暴発したということか。『後天的特異能力者』が最初に最もおちいりやすい事故だ。

 無論、ここまで規模の大きい暴発事故は春市も初めて経験する。

 暴発した魔力によって生み出された竜巻は術者の制御から離れ、その大きさを更に肥大化させていく。フィアの魔力を片っ端から吸い取っているのだろう。それでも魔力切れを起こす気配すらないフィアには畏れ入る。

 それはともかくとして、このままでは被害がとてつもないことになるのは明らかだ。


『にげろー!』

『徹底!  徹底! 合法的に女子のスカート覗けるとか言ってる場合じゃねぇ!』

『こら!  そこの変態! あとで覚えてなさいよ!』


 クラスメイトたちが一斉に出口に向かって逃げ出して行く。


「やれやれ……。おい黒乃、さっさと終わらせろ。これでは授業が続けられん」

「えっ⁉︎ いや、麻耶先生がなんとかするんじゃないのかよ!」


 崩れゆく訓練所を見て苦い顔をする麻耶が、春市に言う。


「そうは言うがな、私がやるとたぶんだがハーネットが無事ではない」

「いやいや! だからって、なんで俺なんだよ!」

「おまえがさっさとハーネットの攻撃を受けなかったからだろ?」

「すっげー暴論!」

「いいからさっさとアレをなんとかしろ」

「ああ、 もうっ! やればいいんだろ! やれば!」


 ヤケクソ気味に春市は叫んだ。どちらにしても、暴風近くにいる春市が今から逃げ出すことは不可能。

 助かるにはあの理不尽に打ち勝つしかない。

 ここにきて春市は麻耶が何故フィア・ハーネットの模擬戦相手に自分を指定したのかを理解した。

 フィア・ハーネットの才能は間違いなく本物だ。

 だが、その才能にフィア自身が着いていけていない。それでも、そんな未熟な身でも自分たち見習い程度であれば一蹴してしまうほどのポテンシャルがあるのだ。

 これではフィア自身の成長にならない。なにせ競う相手がいないのだから。

 だから麻耶は学院でも数少ない『実戦を知る人物』である春市を当てたのだ。

 才能だけでは勝てない相手がいること、実戦の厳しさをフィア・ハーネットに教えるために。

 唯一の誤算は、フィア・ハーネットの才能を麻耶が見誤ったこと。まさか、高度技術の魔力障壁を無意識に行うとは予想外だった。


「全てを燃やし、駆け上がれ――《迦具土》!」


 瞬間、春市の言葉と共に《迦具土》の手甲から紅いほのうが舞い上がる。

 それと同時に視覚で認識できるほどの魔力が春市から発せられた。


「黒乃さん……」


 助けを求めるフィアの声が聞こえる。

 竜巻の中心に捕らえられているので表情は見えないが、きっと泣いているのだと春市は確信した。

 こんなはずじゃなかったと後悔の念に胸がいっぱいなのも、どうしたらいいのかわからないのもよくわかる。

 自分がそうだったから。

 だから――


「待ってろ。直ぐに終わらせるから」


 今自分ができる全力を持って、少女の失敗を終わらせよう。

 《迦具土》の火焔はより紅く染まり、紅蓮となる。純粋な、全てを燃やす力。


「――オオオッ!」


 より一層、《迦具土》が強く光を放つのと同時に、春市は大地を蹴る。

 必要なのは、集中すること。脳が焼き切れるのではないのかと思ってしまうほどの集中力を、魔力の制御に費やす。意図的に人間が持つ生存本能リミッターを外し、限界点ギリギリまで魔力を高める。どこまでが本当の限界か。魔力の放出量。圧縮密度。己が異能の力を最大限以上に発揮するための方程式を構築する。

 《迦具土》を纏う焔が右手甲に集約され、撃鉄を引くのを待ちかねているかの如く、圧縮された高魔力が紅い光を煌めかす。

 同時に対象の構造を探る。魔力によって生み出された竜巻の最も構造的に脆い一点はどこにあるのか。この現象を具現化している《核》はどこか。それにも途方もない、無我の集中力を必要とする。

 残るはタイミング。どの瞬間に攻撃を放つか、正確なタイミングを見切る。


(まだ、まだ……もっと耐えろ)


 極限まで高められた集中力に脳が頭痛を訴えた。規格外の高密度魔力に固有武装ギアを装着している右腕から肉のげた匂いがする。

 それでも春市は焦らない。無意識と本能の領域で形成されたこの一撃は、集中力の崩壊で容易く消失してしまう。

 双方の間合いは約四十メートル。

 その距離を春市は駆ける。


(――つッ! 今だ‼︎)


 来た。遂に訪れたその時。

 互いの距離がほぼ零になったこの時を春市は待った。今まで貯めに貯め、押さえ込んでいた無意識と本能を解き放ち、針の先ほどに細い《核》へとピンポイントに全身全霊の解放を叩き込む。

 両足を地面に突き刺さし、右腕を後ろに引く。腕力ではなく、腰の回転で拳を運び、勢いよく撃鉄を振り抜いた。


「――《伊弉冉イザナミ》!」


 爆発。鼓膜を破りかねないほどの炸裂音がアリーナに響き渡る。

 圧縮された魔力の焔が、暴発した竜巻を撃ち抜き、行き場を無くした魔力が穴の空いた風船のように萎んで消えていく。

 残心の姿勢で春市は佇む。風の切る音も、燃え上がる爆発音もない無音の世界が広がり――そして数秒後、パンっとなにかが弾ける音が竜巻の終焉を告げた。


「あ――――っ」


 振り抜いた拳の先に、力無く座り込むフィアがいた。

 目尻に涙を貯め、両手で《ガラティーン》を抱きしめている。

 きっと、自分なりに必死になって暴走した魔力を制御しようとしたのだろう。

 怪我の無い、五体満足なフィアと春市の瞳が重なった。


「あ、やべ、倒れる」

「えっ! あの! 黒乃さん!」


 足下が崩れる感覚と共に、春市の意識が奈落へと堕ちていく。

 その様子に困惑するフィア。

 魔力を限界まで行使した結果起きる魔力切れブラック・アウトだ。

 踏ん張りが効かず、地面に崩れ落ちる春市が最後に耳にしたのはパニック状態で春市の名前を呼ぶフィアの声だった。

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