幕間 とある教師の面倒ごと
長い黒髪とスラリと伸びた手足。それらに恥じない抜群のプロポーションと美貌。麗人と呼ぶのに、これほど相応しい女性はそうはいないだろう。
年齢は二十五歳。威厳溢れる尊大な態度が目立つ教師だが、それでいて妙なカリスマ性があり、不思議と周りの人を惹きつける人物でもある。そのせいか教師として、生徒からの評判も悪くはない。
そんな水無瀬 麻耶には風花学院教師とは別の、もう一つの顔があった。
「やれやれ、こんな場所に呼び出してなんの用だ」
心底面倒そうに、麻耶は建物の扉を開ける。
骨の髄まで焼き尽くすような暑さから一転、その部屋はひんやりとした空気に満ちていた。心地よい冷風が麻耶の首筋を撫でる。無数に並ぶ薬品や古い書物、さらには得体の知れない生き物の骨らしきもの。一見すれば趣味の悪いガラクタにしか見えないそれらを保管するために空調が完璧にコントロールされたこの部屋には、夏の暴力も敵わない。
風花学院高等部校舎。その最果てに位置する場所にひっそりと建つこの場所に麻耶が訪れたのは、今回で二回目になる。一回目は学生時代。なにの目的で当時の自分はここに訪れたのかはとうの昔に忘れた。きっと碌な理由ではないのだろうと麻耶は自己完結する。
改めて麻耶は、資料館と学院側から呼ばれているこの巨大な建物の中を見渡した。
この場所は特異能力やファントムに関わる貴重な資料が厳重に保管されているため、生徒の立ち入りは原則的に許可されていない。教師たちですら入館するにはいくつもの手続きが必要になる。
「……入れ、と言うことか」
返答がないことに苛立ち、麻耶は舌打ちを一つ落としてから部屋の奥へと踏み出した。
薄暗いというにはあまりにも陰気。入った時は心地よいとすら感じていた冷気が、汗の乾きに応じて不快な冷風に変わり背中を通り過ぎる。薬品の臭いがなにかの腐臭と混ざり合って、なんとも言い難い悪臭が鼻を突いた。長居はあまりしたくない。こんな場所に居れば腹の底まで腐ってしまうのではないかと錯覚してしまう。
足を一歩踏み出すたびに床とハイヒールとが硬く乾いた音を立て、館内に響き渡った。視界の端に映る山のように積もった埃から目を逸らし、暗闇の道を進み続ける。
やがて、地下へと続く階段を見つけた麻耶は、迷うことなくその階段を下っていく。
「やあ、よく来てくれましたね」
階段を下った先。広い部屋の入り口に立つ青年が表情を和らげて麻耶を出迎える。人目を惹く、日本では珍しい銀色の長髪が印象的な、長身
生徒数二千を超える大学校を束ねる長とは思えないほどの優男だが、この世界ではその名を知らぬ者はいないとされている現代の生きる魔法使い。
風花学院・学園長――ヘレン・シフルその人である。
「ジジイの暇つぶしに付き合うほど私は暇ではないんだがな」
「そうでしたね。対抗戦……ああ、今は
「だったら早いとこ要件を話せ」
「はは、これは手厳しい。でも、それを話す前にこちらを見てもらえますか?」
くるりと踵を返し、青年が背を向ける。その後ろを麻耶は鼻を鳴らしてから無言で着いていった。
部屋の最奥地。様々な見るからに怪しい物たちが陳列された棚が並ぶ部屋に一つだけ置かれた木製のテーブルの前まで歩いたとこでヘレンは立ち止まり、振り向いた。
「これです」
テーブルの上に置かれた一つの宝石に麻耶の視線が向けられる。鈍く濁った青色の宝石。色合いからはサファイア辺りの宝石を思い浮かべるのだが、それは宝石のような煌びやかなものとは明らかに違っていた。
「これは?」
「手にとってみてください。それでわかります」
嫌な予感がした。長年の勘と言うべきか。
麻耶は言われたとおり青色の宝石を持ち上げてみた。その瞬間、
「なっ!」
手の中にある宝石が暗い室内を照らし出すかの如く、眩しい輝きを放ち出す。途端、驚く麻耶の足下が自らの魔力によって凍りついていった。
(魔力の暴発? この私が⁉︎)
麻耶は慌てて宝石を放り投げた。十秒ほどの時間が経ち、ようやく光が失われたのを確認した麻耶は、この状況でも微笑みを絶やさない青年を睨みつける。
「流石は《
「……ジジイ。なんの真似だ?」
もしも素人がこの場に居合わせていたら、間違いなく失禁をするほどの殺気を当てられながらも青年は笑みを崩さない。
――《氷鬼》。
風花学院教師、水無瀬 麻耶のもう一つの肩書きである
育成学校には、有事の際や生徒保護のため、一定の割合で現役の
「そんなに殺気立たないでくださいな。ちょっとしたイタズラです。歳をとると、どうにも若者をからかいたくなるもので」
そんな麻耶にも苦手とする相手がいた。その一人が、目の前にいるヘレン・シフルだ。
麻耶は目の前にある宝石擬きを一瞥し、
「……まあいい。それで、結局こいつはなんなんだ?」
「政府が極秘に造った魔力増幅装置らしいですよ。研究所の人たちの手に負えないからと、私のところに押し付けられましてね」
忌々しく、それこそ親の仇でも見るような視線で青年は宝石を睨みつける。
ファトムと人類の戦いが始まって、早三十年。現状で唯一ファトムに対抗できる術は、特異能力を扱える
そして、政府はその現状を良しとしなかった。
特異能力者の誕生は、言ってしまえば偶然の産物だ。特異能力者同士で子供を身ごもれば、産まれてくる子供も特異能力者である可能性が高いとはいえ、はっきり言って効率が悪い。
故に、各国で人工的に特異能力者を造る、或いはそれに類似した力を生み出す研究が秘密裏に行われている。
もちろんそれらの研究は非人道的な行為とされてはいるが、そんなことはもはや暗黙の了解となっていた。
おそらくは、この魔力増幅装置とやらもその研究結果の一つなのだろう。その過程を想像するだけで、吐き捨てたくなるような嫌悪感が麻耶を襲った。
「どう思いますか?」
「にわかには信じられんな。魔力の総量はその人間が生まれた時点である程度は決まる。訓練などで潜在能力が覚醒して魔力が増える、という話もなくはないが、こんな簡単に魔力が増幅されるなんて話は訊いたことがない」
「同意見ですね。しかも、それ以外にもこれは……」
「こいつは別の意味でとてつもなく危険な代物、だろ?」
麻耶の推理をヘレンは首を縦に振って肯定した。
政府が丸投げしたのは麻耶にも納得がいく。実際に触れてみて、わかったことが二つ。
一つはこの宝石擬きには、触れた者の魔力を引き出し、増幅させる力があるということ。元々高純度の宝石は魔力を通すのに最も適した触媒だと言われているが、この宝石擬きは異常なまでに触媒としての相性がいい。そういう意味では、確かに魔力増幅装置としての機能は成功していると言っていいだろう。
だが、急激に増えすぎた魔力はそれだけで特異能力者たちにとっての毒になる。
一流の特異能力者である麻耶だからこそ、室内の一部を凍らせる程度で済んだが、もし未熟な特異能力者がこれに触れたら、間違いなく制御に失敗し大事故に繋がるだろう。それくらいこれは危険な代物だ。
そしてもう一つ。どうやらこの宝石擬きは本人の意思を無視して魔力を引き出し続ける性質があるということだ。
本来、特異能力者たちは自らの魔力のみで様々な異能を使うことができる。歴史上の《魔法使い》や《魔女》と呼ばれていた特異能力者がいい例だ。つまり、
間違いなく目の前の男はそうなる可能性を知っていた上で、麻耶に触れさせた。そして、その意図するとこは、
「問題は、これが秘密裏に出回っているという噂があるということなんですよね……」
「やはり、そういう話か……」
普段の彼女を知る者からしたら非常に珍しく、げんなりとした表情で麻耶は疲れたように息を吐いた。
「
「『可能な限り回収し、破壊はするな』とのことです」
「無茶を言う。造ったのは自分たちだというのに」
「私もそう思いますよ。私個人としては、こんなものはさっさと壊した方が良いと思うのですがね」
激しく同意だった。
少なくとも、麻耶個人の見解ではこの魔力増幅装置とやらは百害あって一利なしと言っていい。一言で切り捨てるのならば、欠陥品だ。
「つまりあれか? この欠陥品が明日の
「そうです。我ながら考え過ぎだとは思いますが、用心に越したことはない。すみませんが、やってもらえないでしょうか?」
「わかった。こちらでも警戒はしよう」
正直気は進まないが、こんな危険物を放置するわけにもいかない。学院には多感な十代が集まっている。彼ら、彼女らからすれば、これはまさに魔法のアイテムと言っていいだろう。
たとえその正体が、自分たちを蝕む毒だったとしても。
「ところで、目の前にあるこいつはどうする。私が管理するのは構わないが、私以外の魔力に触れて暴発してしまう可能性もあるぞ」
触れるだけで強制的に発動する性質の都合、管理する方法は限られてくる。特殊な魔力を通さない材質の物を介して持ち運ぶか、魔力を持たない人間が運ぶか、その二択以外にこの場所から持ち運ぶ術がない。
とはいえ、麻耶は普段から魔力の溜まる場所に居る人間だ。であれば、今この場で魔力増幅装置を外部に持ち運ぶのは得策ではないだろう。
それをわかっているからか、ヘレンは頷く。
「それもそうですね。では明後日の
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