月下の誓い

「はぁ……」


 本日何度目になる少女の溜息が陽の落ちた空に溶けて消える。

 昼間とは違い、暑さは残るものの夜の冷風がほどよく火照った体を冷ましてくれるおかけで心地良い。

 空は漆黒の帳が下りていた。


 あれから――

 フィアが引き起こした魔力暴発を止めた春市は意識を失い、医務室に運ばれた。

 幸いなことに暴発した魔力による被害は少なく、学院側もフィアを処罰するようなことはないそうだ。

 それでも、クラスメイトの中には少数だが暴発の余波で軽い怪我を負った者もいた。

 アリーナもほぼ全壊に近い有様で、修復には時間を要するとのことだった。当然授業も中断となり、担任の麻耶が生徒たちに教室での自主学習を言い渡したのだが、その間の一時間ずっとフィアは謝り続けていた。麻耶に。クラス全員に。ひたすら頭を下げていた。

 魔力の暴発というのは、幻想を砕く者ブレイカーを目指す者にとってある意味で仕方がないことだ。それもまだ特異能力に目醒めて日も浅い初心者。転校初日。しかもあれだけ多くのクラスメイトたちからの視線を受けて、緊張するなというのが無茶である。クラスにいる誰もが口を揃えてそう弁護したのだが、それで当人が納得し立ち直れるかというのは別問題。放課後になるまでの時間、フィアは罪悪感でずっと俯きっぱなしであった。


「あっ……」


 なんとなしに空を見上げれば、星が夜空を照らしていた。


「……こっちの空は星が少ないんだなぁ」


 故郷のイギリスに比べて、日本の空は星の数が少ないせいか、どこか暗い。そんな感想をフィアは言葉に出さずに、心の中で洩らした。


 頭の中で今日の模擬戦が再生される。突然自分の中の魔力が暴れ出し、それが他人を傷つけていく光景。


「ッ⁉︎」


 実際にはそうならなかった。が止めてくれたから。でも、もしも、そうならなかったらどうなっていた?

 最悪のイメージが頭から離れない。

 フィア・ハーネットは浮かれていたのだ。

 特異能力に目醒めて、その才能を認められて、浮かれていた。

 謙虚でいよう。誠実であろう。そう自分に言い聞かせていたのにだ。

 言葉に出来ない悔しさが胸の奥に溢れ出す。


「黒乃さん……」


 呟いた名前は、フィアがこの異国の地で初めて出会った同世代の知人にして恩人。友達になりたいと本気で想ったクラスメイト。

 だけど、それはたぶんもう叶わない。

 意識を失い、医務室に運ばれる彼。その原因を作ったのは他でもない自分。そんな自分がいったいどんな顔で彼に会えるというのか。

 今だって、医務室に向かう勇気もなく、その足は逃げ場所を求めて女子寮へと向かっているというのに。


「黒乃さん……」

「ん、なんだ? 呼んだか?」

「………………へっ?」


 不意に彼女の耳に入り込んできたのは、男性特有の低く、それでいて気怠そうな聞き覚えのある声だった。慌てて声のした方へと振り向いたフィアの正面。

 赤いパーカーを着た少年が立っていた。








「よっ」


 医務室からの帰り道、最初に二人が出会った場所――男子寮と女子寮へと分かれる道で、金糸きんしの髪をした少女が自分の名を呼んでいたので答えると、少女はその顔を驚きで固めた。その様子に苦笑の吐息を漏らし、春市はフィアの元に歩み寄る。


「どうして……」

「どうしてって言われても、ここ男子寮の通り道だし」

「あ……あの……私……その――」


 萎縮し、とまどうフィアは、それでもなんとかして口を開こうとする。


「ご……めん……なさい……」


 震える声色で聞こえてきたのは、謝罪の言葉だった。


「気にすんなって。魔力の暴発なんて、よくある話だ」

「で、でも!」

「でもも、かかしもねぇっての。もともと俺が勝手にやっただけなんだしよ」

「でも、黒乃さんは怪我をしたじゃないですか!」


 悲痛な叫び声が木霊し、飛散する。

一瞬だけなんのことかわからずに頭を捻った春市だったが、直ぐにフィアが何を言っているのか理解し、


「怪我? ああ、これのことか?」


 そう言って春市がパーカーの右腕を捲ると、その腕には真っ白い包帯に巻かれていた。

 痛々しい右手にフィアの顔が青くなる。


「なんか勘違いしてるみたいだけど、こいつはアレだ。俺が魔力のコントロールに失敗しただけだから」

「魔力の……コントロール?」


 それは暴発ということなのだろうか?

 そう尋ねるフィアに春市は違うと答えた。


固有武装ギアには特異能力の補助以外にも、それぞれに固有の特性があるのは知ってるか?」

「たしか、その固有の特性と特異能力者の性質が噛み合うほどいいんですよね」

「まあ、そんな感じだ。んで、俺の固有武装ギアの性質は『収束』と『解放』。こいつは簡単にいえば、俺の魔力を一点に集めて放出するってことだ」


 その結果、使い方次第で春市は瞬間的にではあるが、Bランクのファントムに匹敵する攻撃力を得ることができる。

 しかし、これには一つ重大な欠点があった。


「でも、収束する魔力の量をミスると魔力が暴発しちまうんだ。俺の特異能力は『炎を生み出す』だけだから、ミスすると自分の腕を焼くことになる」


 収束した魔力を限界ギリギリまで溜め込み、放出する伊弉冉イザナミがその最たる例だ。

 切り札であると同時にある種の自滅技の伊弉冉イザナミは、春市が未熟なこともあり、成功率は高くない。


「そんなわけだから、この怪我は俺の自爆だ。おまえが気にする必要はねぇ」

「だけどその怪我の原因は私が――」


 再び俯きそうになるフィアに、春市はその前に左手で軽く彼女の頭に手刀を下ろした。


「あー、面倒くさいやつだな! 謝罪の言葉も誠意もちゃんと貰ったっての! これ以上うだうだ言ったらマジでキレるぞ?」

「は、はい……」


 頷きはするもののその声はまだ硬い。内心では納得なんてしていないのがわかる。

 春市は話題を変えようと考え、パーカーのポケットをまさぐった。


「ところで、こいつはハーネットのか?」


 ポケットから取り出したのは、昨日拾った紅い宝石だった。途端に宝石を見たフィアの表情が一変する。


「こ、これ! お母さんの! なんで? どうして黒乃さんがこれを?」

「昨日拾った。返そうとは思ってたんだけど、タイミングを逃してさ」


 紅い宝石をフィアへと手渡すと、胸に抱くようにフィアは宝石を握りしめた。


「そんな大事なものなのか?」

「……お母さんの……形見の宝石なんです」

「形見って……」


 にわかに、春市の声音に苦いものが混じる。


「私、親がいないんですよ。私が小さいときにファントム絡みの事件に巻き込まれて……そのときに」

「……悪い。無神経なことを聞いた」


 春市の言葉に、フィアは唐突に我にかえった。


(私、なんでこんなことまで話しちゃってるんだろう)


 母親から貰ったものだと言えば、それで終わる話だったのに、何故だかフィアは自分の事を目の前の少年に知ってほしいと思ってしまった。どうにも表現できない感情。その答えをまだ少女は知らない。


「そういえば、ハーネットはどうして幻想を砕く者ブレイカーを目指そうと思ったんだ?」


 理由はわからない。だけどフィアには春市が意図的に話を逸らしたがっているように思えた。話題を変え、当たり障りのない話をしようとしている。


「……私に特異能力があるってわかってから、少し考えたんです。自分がこの力でなにができるのかなって」


 だからフィアはその不恰好な優しさに甘えることにした。


「この力は誰かを助ける力。だったら、私はこの力でたくさんのファントムに困っている人たちを助けれるようになりたい」


 握りしめた宝石が光り、光沢に映る自分の虚像。


「そう……思ったんです」


 礼儀正しく、活発で子供っぽい。それが今までフィア・ハーネットに対して抱いていたイメージ。それが間違いだったことに春市は気がついた。

 まだ十五歳そこらの小さな少女が住み慣れた地元を離れて、たった一人で異国の地に。それがどれだけ大変なことか。

 ――もしも自分が同じ立場ならば、どうしていた? ふと春市は考える。

 両親を失い、特異能力に目醒めたせいで普通の人たちと違う扱いを受けることになり、それでも顔も知らない誰かを助けれるようにと遠い地に己が身一つで乗り込めるだろうか。

 考えて、春市は首を横に振った。


(無理だ。俺にそんな勇気はない)


 フィア・ハーネットの想いは、はっきり言って綺麗事だ。所詮は偽善でしかない。それでも、その想いに春市は心底尊敬する。


「――すごいな、ハーネットは」


吐き出した吐息と共に、無意識のうちに言葉が口をついて出た。


「え……?」


 あまりに突然だったせいでフィアは困惑した表情を浮かべる。でも、それで構わない。これは黒乃春市の独り言なのだから。


「俺がこの学院に来た理由は、『なんとなく』だったんだ。中学の入学を控えたある日、なんの脈絡もなく突然特異能力に目醒めた俺のとこに国のお偉いさんやら、学院のスカウトやらが大勢来てさ、考えも纏まらないうちに気付いたら風花学院ここに来てた」


 空を見上げ、春市は首に吊るされた待機状態の固有武装ギアに触れた。


「一成みたいに家業を継ぐとか、ハーネットみたいに誰かを助ける力を手に入れたいとか、そんな他人に誇れる目標が俺にはないんだ。この場所にいる連中は、みんな幻想を砕く者ブレイカーになりたくて、その為に毎日努力をしてるやつらばっかりなのに、俺だけが何の目標もないんだよ」


 何も決められないまま、気がついたら風花学院の門を潜っていた。

 たまたま目醒めた特異能力が他の人よりも少しだけ上手く使えるから、そのまま高等部に進学した。そんな単純な理由だった。

 特異能力を犯罪などの抑止力として、軍事や警察組織に属する者。ファントムの研究をひたすらに探求することを選ぶ者。固有武装ギアの開発者になる者。特異能力者が選ぶ道は――実際に携わる職種は多技に渡る。クラスメイトたちがどの道を目指しているのかは春市にもわからない。だが、全員がその道に向かって絶え間ない努力を繰り返しているのは嫌でも感じる。

 そんな中で、自分だけがなにもない。

 目指すべき道もなく、ただ毎日を誤魔化して生きている。それがばれてみんなの自分を見る目が変わるのが堪らなく怖い。

 誰も知らない黒乃春市の本音。


「なんで俺はこの場所にいるのか。そう考えたら、自分がなんの目標もない空っぽなやつだって嫌でも気づかされるんだ」


 自嘲じみた想いが胸を締め付ける。春市は、ときおり一成や凪沙が直視できないくらいに眩しく映るときがあった。一成の真面目さに、凪沙の器用さに羨ましいを通り越して、嫉妬すら抱くことがある。

 もしもこのまま学院を卒業したら、自分に何が残る? 何も残らない。無価値な自分が残るだけ。入学してからずっとそんなことを考えていた。

 不安で堪らなく辛いのに、胸の灯火はずっと消えたまま。そんな自分に怒りを覚えた時期もあったが、それもとうに燃え尽きた。


「そんなことないです!」


 振り絞るように首を振って、フィアは春市を否定した。


「黒乃さんは私を助けてくれました。昨日も今日も、今だって。そんな黒乃さんが何もない空っぽな人なんて、絶対にありえないです!」

「道を教えて、暴発事故を防いだだけだ。あんなの誰でもできる」


 つくり笑いを浮かべて春市は言い返す。

 違うのだ。春市が欲しいのは、自分にしかできないという我が儘な目標なのだ。

 しかし、眼前の少女は首を横に振った。


「それでも私を助けてくれたのは黒乃さんですよ。私、昼間の一件で助けてもらったときに思ったんです。『こんな風になりたい』って」

「――それって」


 どういう意味だ。そう春市が聞き返すよりも早く、


「あの、ですから……そのぉ……本人にこうして言うのも変なんですけど……私が目標としている幻想を砕く者ブレイカーのイメージに黒乃さんがぴったりだったというか……カッコよかったというか……」


 顔を真っ赤にしてフィアは言ってきた。もじもじと下を向いて、言葉を選びながらフィアは言葉を紡ぐ。


「それで、黒乃さんは私のヒーロー目標になったというか……」


 ――彼女が下を向いていて良かった。口に出さずに春市はそう思った。

 こんな耳まで真っ赤になった自分の顔なんて、誰にも見られたくない。


「あ、その。ごめんなさい。なんか私だけ勝手に盛り上がって……」


 黙ったままの春市を見て、怒っていると勘違いしたフィアが、不安そうに覗き込んできた。その姿に顔の温度がまた上がったような気がした春市が、ようやく我にかえる。

 何てことはない。特異能力に目醒めて数年。面と向かって、しかもストレートに自分のことを褒められた経験がなかったために固まってしまっただけだ。頭の中が真っ白になって、口から言葉が上手く出ない。


「黒乃さん?」

「あ、ああ! うん。大丈夫。わかってるから心配するな」

「は、はぁ……」


 慌てて春市は平静を装う。

 まったくもって恥ずかしい。もしも凪沙に見られようものなら、延々とからかってくるに違いない。


「まあ、その……なんだ。ありがとうな」


 それは春市の心からの言葉だった。

 何もないと思っていた自分に初めて意味を与えてくれた。

 取り繕った言葉などない。単純で不器用な素直な言葉。だからこそ、素直に嬉しいと感じた。

 何か本気で目指せる目標がすぐに見つかるわけがない。けどだからこそ、今はこの少女のヒーロー目標でいよう。彼女が一人前になったときに、胸を張って尊敬される自分で在ろう。


「そうだな。俺もハーネットを見習って、もう少し頑張ってみるよ」

「み、見習うなんてそんな……」


 あたふたとするフィアに春市は笑い混じりの吐息を洩らした。

 そして、二人が星を再び見上げようとしたとき――夜の八時を告げる寮のチャイムが鳴り響いた。


「げっ! もうこんな時間か!」

「なにかいけなかったんですか?」

「ここの食堂、八時になると閉まるんだよ。カフェテリアもとっくに閉まってるだろうし。参ったな」

(カップ麺の取り置きまだあったっけか? 最悪、一食くらいなら抜いても問題ないけど)


 そうやって考えていると、隣からグルグルグル……と低いながらも可愛らしい音が春市の耳に聞こえた。

 春市は無言で眉を寄せ、見てはいけないとは思いながらも隣に立つフィアに視線を動かす。

 お腹を押さえ、羞恥心から頬を先ほど以上に赤く染める少女。

 その低い唸りの正体に気づいて、春市は凄まじく気まずい表情を浮かべた。音の正体は、フィアの腹が鳴った音だ。


「あ……今の音って、もしかしなくてもハーネットのか?」


 硬直したままのフィアに、春市は訊いた。

 沈黙を保つフィア。それが答えだった。


「ちなみにハーネットさん。料理のご経験は」


 学生寮には簡易ダイニングもあるので、簡単な調理も可能だったりする。

 もしかしたらフィアのルームメイトがなにか調理すれば食べれるものを常備しているかもしれない。そう思っての発言だった。

 しかし、フィアの反応は再びの無言。どうやら料理は得意ではないらしい。

 春市は少し困った顔で頭をかき、フィアの手を掴んだ。


「な、なんですか」


 いきなり手を掴まれて動揺するフィア。


「男子寮の食堂。今から急げば夕飯の残りをくれるかもしれねぇ」


 春市がそう言うと、フィアは何度か瞬きを繰り返した。


「え? でも私、女子ですけど」

「んなの見ればわかる。男子寮は大食らいが多いから、女子寮よりも量が多く作られてんだよ。運がよければ残りものをわけてくれるかもしれないって話だ」


 そのまま、ずんずんと春市はフィアの手を引いて男子寮へと向かう。


「く、黒乃さん。右手右手! 怪我してるのに無理しちゃダメですって!」


 そこなのかよ、と春市は苦笑し、右手で掴んでいるフィアの手をぎゅっと握った。


「だーかーら、こんなの怪我の内に入らないって。痛みもないっての」


 本当はまだ痛い。体だって全身が筋肉痛だ。だけど、そんなことよりも今はこの少女の手を引いていたかった。

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