ファーストコンタクト
地獄の様なサウナ教室から春市が解放されたのは、あれから更に一時間後のことだった。
「暑い……溶ける……死ぬ」
パーカーのフードを深々と被って、夕方の六時を過ぎようとも未だ止むことなく降り注ぐ陽射しに抵抗しながら、延々と続く歩道を歩くこと半時間近く。ようやく視界の端に目的の場所である『風花学院男子寮』が見えてくる。
風花学院は、小中高一貫教育の共学校だ。日本唯一の
そして、巨大学校の性質上、その敷地面積・施設整備などは他の一般学校よりも頭二つ以上抜けていた。有り体に言えば、めちゃくちゃ広い。
「なんでウチの学校はこんな無駄に広いんだよ、くそっ」
肌を焦がしそうな夕陽を浴びながら、春市は悪態をつく。
太陽の熱を吸収し、靴裏から足を焼く舗装路面。時おりだが吹く風もカラカラに乾燥しきっているせいで、吸い込めば吸い込む分だけ喉を乾かすだけ。おまけにさっきから汗で服が内側からしめってくるせいで気持ちが悪い。
(……さっさと帰ってシャワーでも浴びよう)
視界に映る学生寮にいち早く向かう為に歩くスピードを速めようとした矢先。
二メートル程先、ちょうど二股にわかれている場所に見慣れない人影が立っていることに気づいた春市はその足を止めた。
幼い子供が一人。遠目にしかわからないが自分より年上ということはないだろう。夕陽に反射するようにキラキラと光る金色の髪――おそらくは染めて造った人工色ではなく天然物。服装は風花学院の制服ではなく、私服。身長は百六十にも満たない。下手したら百五十にも届いていなさそうなくらいに小柄だ。長い金色の髪を頭の上にちょこんと一括りに纏めたポニーテールは、その小柄な体躯と合わさって小動物の尻尾を連想させる。
性別は女性。というか、あの容姿と服装で男性だと言われても信じられないし、信じたくない。
(……誰だ?)
一通りその人物を見定めた春市は、率直な感想を内心で漏らす。
再三に渡り遠目越しに少女を見たが、やはり春市は目の前の少女に見覚えがなかった。
ないならないで、そのまま素通りをするという考えもあったのだが、いかんせん件の少女がいるのは男子寮への通り道。春市が目的地の男子寮に行くには、否が応でもその道を通るしかない。
「仕方ないか」
そう言って春市は、一度止めた足を再び進めた。
下手に見捨てても後味が悪い。そう自分に言い聞かせ、春市は立ち尽くす少女に近づき声をかけた。
「あんた、この先になにか用か?」
突然背後から声をかけられ、ビクっと少女は肩を大きく揺らす。過剰なまでの反応の後、恐る恐るといった様子で少女は春市の方へ振り返る。
「え? ……あ、はい。その、私ですか?」
振り向き、驚いた様子で聞き返す少女。二股に分かれる道に目を奪われていた為か、声をかけられる直前まで春市の存在に気づいていなかったらしい。
春市は改めて目の前の少女を見る。ポニーテールにした金色の髪と、遠目越しにはわからなかった髪色と同じ金色の大きな瞳がこちらを見ていた。身長はやはり百五十にギリギリ届くかどうかの小柄さだ。男子である春市と並ぶとその身長差も相まって、余計に小さく感じる。
(子供、だよな。やっぱり)
ぱっと見で見た限り、どう見ても十三前後。幼い顔つきと身長から、下手すれば初等部の生徒の可能性すら生まれてくる。
「あっ! 私、怪しい者ではないですよ! 高等部の学生寮がこの先にあるからって聞いてたんですけど、道が分かれちゃって。それで、どっちに行けばいいのかわからなくなってただけで」
早口言葉のプロ顔負けな、捲したてるようなマシンガントークに春市は反射的に体を引いた。
「あ、ああ。わかったから落ちつけ」
「あ、す、すみません! 私パニクっちゃって」
途端、顔を真っ赤にする少女。
そんな少女に春市は軽く手を振った。
「あー、気にすんな。それで、えっと……あんたは学生寮に行きたいんだよな?」
「は、はい! 私、別の学校から転校して来たんですけど、寮の場所がわからなくなっちゃって……」
落ちつきを取り戻したかは判断しかねるが、少女が何故この場所に立ち往生していたのかは理解できた。と同時に春市は一つの驚愕を覚える。
(こいつ、もしかしなくても俺と
声に出さなかった事を心底褒めて欲しい。きょとん、と可愛らしく小首を傾げる少女と自分が同い年。信じられない。
「あの……どうかしましたか?」
不安そうにこちらを見上げる少女。どうやらあまりの衝撃的真実に言葉を失っていたらしい。
春市は一度息を整え、
「……いや、なんでもない。そうか、転校生か。俺も入学初日は寮の場所がわからなくて苦労したから気持ちはよくわかるよ」
春市は元々地方の出身だ。中学の進学を控えた春休みに特異能力に目醒めて、それを機に風花学院に入学。それからの四年間は学院の寮に入って、ルームメイトとの二人暮らしをしている。今でこそ寮までの長い道のりも慣れたものだが、入学当初は目の前の少女のように迷ったりもしたものだ。
「やっぱりそうなんですね。私も風花学院は凄い大きな学校だって、聞いてはいたんですけど、まさかここまで大きいとは思いませんでした」
不安そうな顔から一転、向日葵のような笑みを浮かべる少女。小動物を彷彿とさせる見た目通り、彼女はコロコロと表情を変える。
「まあ、一応日本唯一の
春市は左手で二股に分かれた道を指差す。
「あっちが男子寮。反対が女子寮だ」
「本当ですか。ありがとうございます!」
頭を下げる少女。金色のポニーテールが一緒にふわりと勢いよく宙に舞う。
「ああ。このまま後は一本道だから、たぶん迷うことはないと思うぜ。それから、寮の入り口直ぐに寮監の先生の部屋があるはずだから、着いたらそこを訪ねてみな」
因みにはず、というのは春市が女子寮に入った事がないからだ。男子寮と造りが同じであればだが、と春市は補足を入れる。
「わかりました。じゃあ、とりあえず行ってみますね。あ、えっと……」
「黒乃 春市だ。同じ学校ならまた会うかもしれないな」
もちろんこれはただの社交辞令だ。春市個人としては、たぶんもう会うことは無いと思っている。
しかし、そんな春市の内情を知らない少女は可愛らしい笑顔で、
「黒乃さんですね。本当にありがとうございました! また学校で!」
もう一度深々と頭を下げた少女は、慌ただしく地面に置いてあったボストンバッグを肩に背負い、パタパタと小走りで女子寮へと走り去っていった。
「…………」
ぽつん、と少女を見送った春市は、パーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、浅く息を吐く。
(元気な
天真爛漫とは正にあの
まぁ、なんにせよ。
「俺も帰るか」
疲れた、と嘆息して、再び帰路につこうとした春市だったが、
「ん……?」
視界の端、路上に落ちていたなにかに気づき、眉をひそめた。
それは紅い宝石だった。
春市が首にかけている物によく似た、それでいて自分のよりも明らかに高級感がある。
素人目にもそれが安物ではないことは容易に想像できた。然るべき場所に持っていけばそれなりの値がつきそうな代物だ。
何故こんな高そうな宝石をあんな少女が? 真っ先に浮かぶ疑問。
母、あるいは年の離れた姉からの貰い物だろうか。そんな推理が自然と出てくる。
「……明日、職員室に行くか」
女子寮に向かう選択肢はない。というよりも行けない。
あの少女は知らないだろうが、『風花学院女子寮』は一部の生徒たちから難攻不落の城塞と呼ばれている。
噂では、下心で忍び込んだとある男子生徒が翌朝には裸で簀巻きにされて校庭に吊るされていたと聞く。
噂の真偽は定かではないが、そういった事もあり男子生徒の中では女子寮に近づかないことは暗黙のルールとなっている。
パーカーのポケットに宝石をねじ込んだ春市は、再びその足を男子寮へと向けた。
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