第206話 奈月さんとの上京顛末・・・その3

柿田教授はデスク脇にあるホワイトボードに図を描きながら説明してくれた。

大きく枠を描き、『社会』と書く。その大枠に内包されるように小さな枠を描き、『大学』と記した。


「奈月さん、もよりさん。お二人は大学という組織が社会に果たす役割とはなんだと思いますか?」


「様々な研究を通じて社会生活全般が円滑に進むように貢献することだと思います」


と奈月さん。


「え・と。学級を通じて学生の成長を促し、社会に対して責任をきちんと持てる学生を育てることだと思います」


とわたし。


柿田教授はうんうんと笑顔で頷く。


「奈月さんももよりさんも非常に誠実に思考して発言をしてくださいました。お二人とも学究というものに対して非常に崇高で理想に満ちた考えを持っておられる。そして『責任』という言葉ももよりさんから出たように、自発性というか、自分自身の問題として真剣に考えておられる。非常に素晴らしい。お二人の答えはともに正解と言えるでしょう」


奈月さんもわたしも正直胸をなでおろした。

けれども柿田教授はこう続ける。


「ですが、カネカシ大学では更にそれを突き詰めます。それは、『義務』という概念です」

「義務、ですか?」


奈月さんは疑問ありありの語尾の上げ方で柿田教授に訊く。


「はい。たとえば国民の義務として納税義務、というものがありますね。お二人はまだ高校生ですから直接は関わりがないですが、将来確実にこの義務を負います」

「は、はい」

「ズバリ、言います。これを果たそうという気持ちのない学生にはわたしは教えることはできない。できない、というか、拒否します」

「え・・・」


なんだろう。とても優しいという印象だったさっきまでとは違う雰囲気だ。わたしは口に運びかけていたコーヒーカップを思わずテーブルに戻した。

わたしの反応を見てか、柿田教授はやや口調を和らげる。


「すみません、少しきつい言い回しになってしまいました。現実はというと、せっかく入学してくださった学生に頭からやめてしまえなどとは言いません。なんとか『義務』という概念に早く学生が気づけるよう、ディスカッションします」

「柿田先生、すみません。わたしも義務という概念が今ひとつわかりません。どういうことかお教えください」


いつもの奈月さんではなく、とても謙虚且つ切実に教えを乞うた。


「さっきの自己紹介で、もよりさんはお寺の跡を継ぐという話をされました。もよりさんはお寺の家に生まれたという部分では奈月さんとは境遇が違います。ですが奈月さん。奈月さんのおうちには仏壇や神棚がないわけではないでしょう? お墓もあるでしょう」

「はい、そうです。わたしの家に当然あります」

「では、その仏壇・神棚・お墓を掃除して清めたり仏花や榊をお供えしたりというのは、これは誰の仕事でしょうかね」

「・・・今は祖父母がやってくれてます」

「そうですか。いずれおじいさま、おばあさまも亡くなりますよね。その後は?」

「・・・両親と、わたしですね。わたしは1人娘ですので」

「その後は?」

「・・・」


わたしはとても不思議な感覚に捕らえられた。柿田教授が今話している内容はお師匠や先代、先先代が伝えてきたこととなんだか似通っている。教授は更に続ける。


「セクハラととらえないでください。その後となると奈月さんが結婚して子孫を残し、代々受け継いでいくということがこの『義務』を果たすためにはどうしても必要となります」


奈月さんは冷静さを保ちながら踏み込んだ返しの質問をする。


「柿田先生ご自身はいかがなんですか」

「わたしはこのカネカシ大学に『左遷』されたんですよ」


そう言って、にこっと笑う。


「わたしはお二人の隣県出身です」

「あ、そうなんですか」

「はい。それで地元の大学に入りその大学で研究者としての職を得ることができました。実は両親はとても不満なようでしたが」

「え。どうしてですか?」

「わたしは地元ではいわゆるエリートコースを歩みました。高校も地元一の進学校に進みました。両親はわたしに『投資』したと言いました。その投資に見合うように東京等の大学に行くようにと。まあ、両親の想いも分るのですが」


うんうんと奈月さんは頷いて聞いている。いつもの不遜さはまったくない。


「ですがわたしは長男でした。そして、両親よりも祖母の話の方が私の腑に落ちた。仏壇・神棚・墓を守るという概念です。それに加えて私はこの祖母をも守りたいという気持ちから、祖母・両親に対する扶養義務という概念にも思い至りました。ですので、地元の大学に進学し、まあ運良くそのまま准教授になったんですね」


柿田先生がカップを手にしたので釣られてわたしたちもそうする。


「ところが、地元大学と提携関係にあったカネカシ大学で全国でも珍しく倫理学科を新たに立ち上げるという。そこで私に教授として赴任し、役所の認可・創設準備・学生募集確保をするようにと業務命令が出たんですよ」

「業務命令ですか?」

「研究者なのに変だとお思いですか? でも、学者とて組織の一員です。組織決定には淡々としたがって職務を全うする。さて、それでもわたしはなんとかしてもっと重要な、仏壇・神棚・墓を守る義務を果たさねばなりません。結局、単身赴任という方法をとりました」

「そうなんですか・・・」

「ええ。女房と息子に託したわけです。女房にとっては舅・姑となる私の両親と同居してですからまあ大変だし申し訳ないとは思いますが、それも一家の主婦としての義務ですから」

「すみません」


奈月さんは俯いてそう言った。柿田教授は笑顔になる。


「奈月さん。あなたがカネカシ大学を志望校と考えてくださったことは非常に光栄です。ただ、あなた自身の本当に一番大切な『義務』を果たすことを進学が妨げることになるのだとしたら、それは本末転倒です。現にこういった義務を果たさない日本人ばかりになってしまったために少子高齢化が進んでしまってます。対処療法しか示せない学者を増やすよりは、まず自らが義務に気づき果たすことの方がよほど大切と考えます」



柿田教授の部屋を出た後、秋葉原のど真ん中を2人してとぼとぼ歩いた。奈月さん、落ち込んでるんだろうな。


「もより」

「え? 何? 奈月さん」

「わたし、やっぱりもよりには敵わないなあ」

「え?」

「だって、もよりは実際に義務を全うしようとしてるんだもん。いくらわたしが義務を果たす代わりに別の道で貢献するって言ったって、せいぜいわたしの寿命の範囲での話だから」

「奈月さんは誠実ですよ」

「決めたよ、もより」

「え」

「わたし、カネカシの通信制に入学するよ」

「え⁈」

「きちんと仏壇・神棚・お墓の義務を果たすよ。それで地元で通信制で単位とって、スクールでリアルキャンパスに行くときは、柿田教授と真剣に議論するよ」

「奈月さん。本当にそれでいいんですか?」

「うん。言っとくけど、東○大学のやつらに負ける気なんかないからね」

「・・・はい」

「政治家がさ、自分はこすいことしといて税金取ろうったって誰も言うこと聞くわけないじゃない。おんなじでさ、本当の義務をほったらかしにしといて『死ぬ気で研究に打ち込んでます』ったってそんなの死ぬ気でもなんでもない。逃げてるんだから。わたしは本当の義務を果たしつつ、通信制で死ぬ気で実践と理論を結びつけて根っこから少子高齢化とか介護問題を解決する研究成果を上げるよ。やりたい研究しかしない学者が千年かかったってできないことをやるよ‼︎」

「奈月さん。別人みたいに熱いですね」

「それに、それならもよりと一緒にいられるしね」

「そうですね。はい、一緒にやりましょう‼︎」

「うん。じゃあ、景気付けに本場のメイドカフェに行ってみようか‼︎」

「ええ⁈」


別に、まあ、いいんだけれども・・・

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る