第133話 一応、バレンタイン(その7)

 ちづちゃんのお母さんの話はまだ続いた。


「それでね、ある時にね、姦通罪の疑いで訴えられた人が人がいてね。あ、いわゆる不倫罪だね。相手の夫が訴えたんだけどね。その訴えられた人が藩で一番の菓子職人だったんだよね。まだ若いんだけどさあ。幾種類もの砂糖を使い分けてその微妙な味の調整までこなす精密な仕事でね、とても繊細な味覚を持ってたんだろうね。それでその菓子職人がね、熱湯の拷問をするって告げられた途端に、”もういいです”、って言ったんだって。結局、”もういい”、っていうのを罪を認めたって無理やり理屈づけられて、翌日処刑されたの。ところが、その何日か後になって不倫したっていう妻が、”あの菓子職人が相手だっていうのは嘘だ。本当の不倫相手をかばうために名高い菓子職人をでっち上げたんだ”、って。つまり、菓子職人は冤罪で処刑されてしまったってお話」


「・・・・はい・・・・それで?」


「ああ、そうだ。これで終わっちゃしょうがないよね」


 訊いてよかった。ここまでちづちゃんのお母さんは5分間喋りっぱなしだった。この後どのくらいかかるだろうか。


「藩でもっぱら噂になったんだけどね・・・」


 いにしえの噂話をまるで現代のご近所の井戸端会議のように話してくれる。


「菓子職人は無実だったけど、熱湯を飲んで自分の味覚が滅茶苦茶になるよりは、不本意ながらも死を選んで職人としての誇りを守ったんじゃないかって。天晴あっぱれだ、って」


「・・・」


「・・・」


「・・・」


「あれ?みんなどうしたの?」


「あの・・・カレイドの話をお願いします」


「ん?」


「お母さん、カレイドで、もよちゃんのケーキが甘くなかった、って話だよっ!」


「あ、あー。そうだよね、そうだよね。ごめんね。えーと、では本題に入るね」


 うーん。長い前振りだ。わたしはこの性格は嫌いじゃないけど、でも本当にちづちゃんのお母さんなんだろうか。


「うん、カレイドね。もよちゃんが・・・・」


「お母さん!」


「ん?何?千鶴」


「や・・・”もよちゃん”、なんてそんな馴れ馴れしい・・・」


「え? ”もよちゃん”、って呼ぶのだめ?こう呼んだ方がかわいいかなって思ったけど・・・いいよね?もよちゃん?」


「はい。わたしは全然構いません」


 呼び方は全然構わないんだけど、話の続きがなかなか進まない・・・・


「それで、カレイドでね、もよちゃんの座ったテーブルがその取調室のあった場所のはず。何件か同じようなクレームが続いたんでお祓いしたって聞いたから。まあ、その菓子職人の、”熱湯で味覚が無くなる”、っていう恐怖の心がその場にずっと残ってるからだろうね。お客さんがケーキを甘く感じないのは」


「あれ?もよりさんはコーヒーの苦味は感じてたんだよね?」


「学人くん、確かにその通り」


 わたしは当時のモカブレンドの味を思い出していた。


「ああ、それは菓子職人だから。”和”、だろうが、”洋”、だろうが、お菓子に反応するってことなんだろうね」


「うーん、そっか・・・あれ?」


「何?」


 ジローくんがわたしの不審な表情を見逃さない。


「お師匠もティラミス食べてたんだけど、甘くなかったのかな?」

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