赤黒い炎5

 レイニールが飛び立ったことを確認して、星はゆっくりと瞼を閉じて深呼吸をした。


 その場に星を残してあっさり街に戻ったのには理由がある。



                    * * *



 それは、星がここまで来るまでの行動にあった。

 紅蓮と別れ、バロンと共に泣き疲れて眠ってしまったフィリスを部屋に届けるとバロンは足早に部屋を後にした。


 星が部屋に戻ると申し訳そうにレイニールがパタパタと飛んで来る。


「主、眠ってしまっていたのだ。申し訳ない……」


 戻ってきた星達の様子を見て、何かあったと思ったのだろう。レイニールはしゅんとした様子で横に首を振った星の頭に乗った。


 子供のように眠るフィリスの顔を見て微笑むと、再び紅蓮への怒りが星の中に湧き上がってくる。

 少し気分を変えようと窓際の席に座ろうとした時、大きな漆黒のドラゴンが目の前を通り過ぎた。


 星とレイニールはその行く先に視線を移すと、そこでは空を飛びながら炎を噴射するリントヴルムの姿があった。

 そしてこちらに向かって左右の肩を揺らし、悠々と歩いてくる白い翼を持った角の生えた大天使の姿がはっきりと映っていた。


「……エミルさん。私も行かなきゃ!」

「――ッ!?」


 突然走り出した星の頭の上でレイニールが驚いた様に叫ぶ。


「エミル達は戦っているのじゃ! 主が行っても邪魔になるだけだろう!!」

「――――そうかもしれない……でも、やってみたいことがあるの!」

 

 一度は扉を開けるのを躊躇したが、星はすぐに迷いを振り切る様にそういうと廊下へと飛び出した。

 廊下を駆けていたが、ギルドホールの中はまるで人の気配がない。もぬけの殻といった感じの廊下を駆け抜けてエレベーターに乗り込んだ。

 

 エレベーターの中でレイニールが頭から飛び立ち、星の顔の目の前に止まると少し起こった様子で言った。


「それで、やってみたい事とはなんなのだ? まさか、死んでみたいとか言うんじゃないだろうな?」


 レイニールのその問いに、星は少し素直に答えた。


「……ううん。レイは覚えてる? 前の街での出来事。あの時、私のこの力がどんなものなのか分かった気がするの」


 だが、星のその『分かった気がする』という、なんとも曖昧な言葉が気に入らなかったのか、レイニールの表情は更に激しくなり鬼の様な形相へと変わった。


 レイニールとしてはそんな不確定なことで、自分の主人である星を死地に向かわせるわけにはいかない。


「ここを通すわけにはいかないのじゃ」 


 エレベーターの扉が開いても、レイニールは両手を広げて星の前から動く気配がない。

 それを避けることも退けることもなく。星は飛んでいるレイニールの体を掴むと、ゆっくりと自分の胸に抱き寄せた。


 その突然の行動に驚き慌てふためいているレイニールに、星が優しく言った。


「……レイが私のことを心配して言ってくれてるのは分かってる。けど、私も戦いたいの。みんなの役に立ちたい……だから、やれることを精一杯やろうと思ったの……でも、心配しなくても大丈夫だよ。きっと上手くいくから」

「だが、失敗したらどうする! 無理なことは何をしても無理なのじゃ! また倒れたら次は……」


 星に抱かれたまま首を激しく振って否定したレイニールが、不安そうに星の顔を見上げた。

 それもそうだ。今まで、固有スキルを使用すればほぼ100%の確率で眠ったまま、数日間は目を覚まさない。 


 今まで、レイニールもそんな星の横でずっとそんな彼女を見つめてきた。

 レイニールとしてはいつも目を覚まさないのではないかと、心配していたことだろう。そんな危険なスキルを星はまた発動させようとしているのだ――。


「確かに、無理だって諦めちゃうのは簡単だと思う。でも、私は……無理だと言うより、できるまで頑張りたいの。たとえ間違っても、次はきっと前よりも上手にできるようになってるはずだから――だから、成功するまで何度でも、何度でも頑張りたい!」

「はぁ……主には敵わないな。止めてもやるのだろう?」


 その問いに、無言のまま星は深く頷く。


 レイニールは呆れた様子で、星の腕の中から這い出ると星の顔の前で拳を突き出す。


「――やるなら思いっきりやるのだ! 主は後のことは我輩に任せておくのじゃ!」

「うん!」


 嬉しそうに頷いた星は人差し指で、レイニールの突き出した拳に指の腹を押し当てる。レイニールがエミル達を引き取って、すぐにその場を離れたのだ――。

 


                * * *

 


 十万の敵モンスターの前にたった一人で残った星は、向かってくる赤黒い炎を纏った敵の群団を目の当たりにして至って冷静だった。

 自分でも不思議なほど落ち着いているのが分かるくらいだ――人は極限の状況に陥ると悟りを開くという心理に近いのかもしれない。


 星は握り締めている金色の聖剣を更に強く握り締めると、その剣先を天に向かってゆっくりと振り上げた。瞼を閉じて大きく息を吐くと、大きな紫色の瞳を開いて大声で叫ぶ。


「――ソードマスターオーバーレイ!!」


 それに応える様に、金色に輝く刃から放たれた光が辺りを呑み込みモンスターを次々に光の中へと消えていく。


 まばゆいほどの光を発している剣を構えると、その光が星の全身へと広がった。動きが鈍ったモンスターの大群を見据えた星は小さく呟く。


「……お願い。力を貸して……」


 地面を踏みしめた足に力を込めると、星は前傾姿勢で剣を構えたまま敵の中に突っ込んでいく。


 そんな彼女に襲い掛かってきた3体の死霊の騎士をまるでバターでも斬るように真っ二つに切断する。


「……ごめんなさい」


 そう小さく口にして光に変わるのを確認すると、次々と向かって来る敵を斬り伏せていく。

 もちろん。敵モンスターの体を覆う赤黒い炎も一緒にだ――属性攻撃系の武器でしかダメージを与えられないこのゲームでは最強の鎧を、星の金色に輝く剣はいともたやすく突破していく。それはつまり、星の持つ『エクスカリバー』が何らかの属性を有しているということを意味している。


 星は全面を敵に囲まれていても、素早く最も自分に距離の近い敵を選んで撃破している。

 しかし、彼女にそれだけのことができる剣の技量はない。それどころか、星が剣を使ってこれだけの数と戦うのはこれが初めてのことだ。


 彼女の持つ『エクスカリバー』は固有スキル『ソードマスター』のゲームマスター機能『オーバーレイ』を発動することで、周囲にいる者達のステータスを『1』に固定し、奪ったステータス値を己のステータスに加算する。それは攻撃、防御などのステータスを始めとした視覚、聴覚などの五感も筋力も己の物へと変える。しかも、周囲のプレイヤーの行動を己の特別なコマンドから、自由に操作することもできるという強力過ぎる能力。


 今の星の身体能力は超人というレベルにまで引き上げられており。敵の土を踏みしめる音や鎧の鳴る音などで敵を感知できるだけではなく、引き上げたれた視覚には全ての景色が、まるでスーパースロー映像の様に映っている。

 

 だが、それがあったとしても。今まで戦ってこなかった彼女のこの変化は異常だろう――しかし、これが星本来の力だということなのだろう。戦いはしなかったが、星は相当な時間を戦闘の練習に費やしていた。しかも、その観察力と洞察力は人並み外れたものがあった。


 それは今までの人生で、彼女が人に頼れずにいかなる場合でも、全てを一人の力だけで熟してこなければいけなかったことが背景にある。


 それは常に観察し先に起こるであろうことを予測し、起こった事柄を考察し、常に実行に移してきた結果でもある。

 つまり。今の彼女を支えているのは固有スキルだけではなく、本来の彼女のスキルの部分が大いにある。多くの情報量を瞬時に振り分けられる彼女の頭脳があってこその力なのだ――。


 直後にそれを証明する出来事が起きる。レイニールに押し倒されたルシファーが起き上がり、戦っている星を視界に捉えると、両側の翼を大きく広げ高速で羽根を撃ち出す。その羽根は風切り音を辺りに響かせ、星の周りの味方すらをも巻き込んで星諸共辺りに土砂を巻き上げ炸裂した。


 砂煙が消えると、そこには無傷のまま剣を構えてルシファーを睨んでいる星の姿があった。

 全面に展開した全ての羽根を撃ち落とすことはたとえスローモーションで見えていても不可能だ。しかし、星はそれを意図も容易くやってのけたのである。


 これは星が瞬時に状況を判断して対処したからであり、前にも富士のダンジョンで同じ様な出来事があった。

 それががしゃどくろとの戦闘時、ウィークポイントである胸に光る青い炎を攻撃した時だ――常に仲間達の後ろで状況を見ていた彼女だからこそ、人よりも長く敵の行動を観察することができた。


 普段から主張しない星は周囲の様子を最も観察できたと言ってもいい。それが、人並み外れた洞察力に繋がっているのだ。

 

 ルシファーを睨み付けている星は、次の攻撃に移ろうとして翼を広げ直しているルシファーに向かって駆け出すと、一瞬にしてルシファーの前に移動して剣を構える。


 咄嗟に防御しようとして伸ばしたルシファーの腕ごと、エクスカリバーの刃がチーズの様に軽々と斬り裂くとそのまま羽根まで切り落とした。


 今の星には修正前の堕天使ルシファーですら、まるで赤子の様なものなのだろう。地面に着地した星にスケルトン達が執拗に襲い掛かってくる。

 それを目にも留まらぬ早技で星が斬り伏せる。いや、正確には一瞬に見える中で星は剣を破壊して敵を無防備な状況にしてから斬り倒しているのだ。


 だが、今の星ならばそんな面倒なことをしなくても、一撃で敵を確実に撃破できる。しかし、その理由はシンプルに『もしも』に備えているからだろう……しかもその行動を彼女は無意識にやっている。


 星の剣に触れた直後、モンスター達の持っている武器はガラス片へと変わり、無防備になったモンスターのその頑強な鎧ごと容易く斬り裂く。

 

 モンスターを撃破する星の勢いが増し、外から見ていると高速で走り回る光にしか見えない。しばらくして、交戦していたモンスター達が慌てて撤退を開始し始めた。


 それには星もほっとした様子で息を吐くと、撤退していくモンスターの後ろ姿を見送ると剣を握っていた手から力を抜く。まるで何事もなかったかのように、街を取り囲んでいたモンスター全てが撤退していった。


 その光景を城壁から見ていたプレイヤー達から歓喜の声が一斉に上がった。


 星の撃破したモンスター達の残した光の粒子が、日の昇った空に浮かぶ星の様に煌めいていた。

 持っていたエクスカリバーを鞘に戻す時。その瞬間、めまいがして少しよろけたが、すぐに姿勢を立て直す。

 

 何かに気が付いたように徐に振り向いた星は、飛んでくるレイニールの姿を見つけて表情が和らぐ。

 星の前に降りてきたレイニールが注意深く辺りを見渡して、敵が完全に撤退したのを確認すると小さいドラゴンの姿に戻った。


「――本当に主だけで追い払ったのか?」


 無言のまま頷くだけで星の表情は笑顔だが、レイニールはその中に垣間見える疲労感を見逃さなかった。

 元々使いこなしていたとはとても言えない固有スキルだ。それをまともにしただけでも、最早奇跡に近いというのが本音だろう。

 

 レイニールはすぐに大きなドラゴンのモードに戻ると、背中を向いて首で星に乗るようにと促した。


 街に戻るとレイニールの着地地点にプレイヤー達が密集していた。皆手を大きく振って星が降りてくるのを今か今かと待っていた。

 レイニールがどうすればいいか聞こうと背中を見ると、大勢の声を聞いた星が眉間にシワを寄せたままうずくまっているのが見えた。


 辛そうな星の様子にレイニールはすぐにその場を離れ、誰もいない森の中へと着地した。

 もう一度背中の星に視線を移すと、星はそれに気が付いて微笑み返す。その表情からは苦痛の色が完全に消えていた。


 ほっと胸を撫で下ろすと、側の茂みからガサガサと物音を立てて着物を着た女性が出てきた。


「紅蓮様から御二人をお連れするようにとのことでしたので、迎えにまいりました」

「「はい?」」


 突然現れた白雪の登場と言葉に、2人は困惑した様子で首を傾げた。

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