奇襲前夜5

 岸から湖を見て佇むマスターが口を開きカレンに尋ねた。


「カレンよ。どうしてまだ、お前の固有スキルが発動せんのか分かるか?」

「――えっ? そ、それは私が未熟だからですか?」


 カレンの返答に首を横に振って答えると、マスターが言葉を続ける。


「そうではない。お前はもう十分に強い。にも拘わらず、どうして『明鏡止水』を発動できんのか……それはお前の心に問題があるからだ」

「……心?」


 首を傾げるカレンの言葉に深くマスターが頷く。


「うむ。このフリーダムに存在する固有スキルは多彩だ、その中には心に反応して発動する固有スキルもある。我等の『明鏡止水』はまさにそれだ……心とは時として、自分の思っている方向とは逆に作用する事がある。今のお前は拳に怒りを乗せて無意識に戦っておる。それでは固有スキルの発動など夢のまた夢……」

「なら、どうしたらいいんですか!?」


 その話を聞いたカレンが立ち上がり、真剣な面持ちでマスターに詰め寄る。


 すると、そんなカレンの方を振り向き、マスターが優しい声で諭すように告げた。


「いかなる残虐な敵でも相手を認めよ。お前に戦う意味があるように、敵も戦う理由がある。それが例え理不尽で身勝手極まりないものであってもな……」

「そんな残虐で身勝手な相手にかける慈悲など……俺には理解できません! 師匠だって、己の拳は誰かを守る為に振るうものだと言っていたではないですか!!」


 カレンが憤るのも最もなことだろう。人を平然と傷付けたり殺せるような思考の持ち主を認めることなどできるはずがない。


 憤るカレンを見て、マスターは困り顔で眉をひそめると彼女の肩を叩く。


「そうではない。敵とは己と異なる理念や思想を持つから敵となるのだ。考えが同じならば、争う必要などないであろう。戦いとは常に拳と拳、誇りと誇りのぶつかり合いなのだ――そして正義とは勝者が善となり、敗者が悪となる。それが世の常だ。どんなに正しい信念を持っていようとも、弱ければ自分の大事なものも守れず。そんな存在になんの意味もない。故に正しい者は強くあらねばならん! ……カレン。お前のその内に秘める信念――それが正しいと思うのならば、その心を拳に乗せて敵となった者を完膚なきまでに粉砕せよ! 怒りではなく、その信念を己が拳に乗せて放て! さすればお前はもっと強くなれる。きっとスキルも使えるようになろう」

「……はい。師匠」


 深く頷きキラキラとした眼差しを向けるカレンの頭に手を置くと、マスターはゆっくりと歩き出した。


「――師匠どちらへ!」

「明日に備えて休む。お前も風呂に入って早く休むといい。明日は忙しくなるからな!」


 そう言い残して去り際に手を軽く上げるマスターの後ろ姿を見送り、一礼したカレンもまだ疲労が残っているのかゆっくりとした足取りで城へと向かって歩き出した。


 

 その夜。エミルとイシェルの布団の中に入っていた星は、目は閉じるもののどうしても寝付けなかった。

 もちろん。その理由はエミルにお風呂で言われた『自分一人を犠牲にして、多くの人間を救えるとしたら……』というものだ――。


 しかし、今まで、星がこのようなことを考えたことなどない。

 それもそうだろう。普段の学校生活ではできる限り影を薄く、自宅に帰ってからは掃除、洗濯、買い物など母に代わって禁止されている料理以外の家事をこなしながら、学校から出た宿題に明日の時間割を確認し。今日の授業の復習と、次の授業の予習の勉強をした――それでも時間が余る時は、大好きな読書をして過ごしていた。


 別にそれが偉いと思ったことはなく。学校で頼る相手がいなければ、ごく当たり前のことだろう。 

 朝早く出掛けて夜遅くに帰ってくることの多い母親との会話は殆どなく、テストや成績表はテーブルの上に置いておく。


 だが、そうしたとしても。母親からの返事なんかは返って来ないが、文句を言われないと言うことは満足してくれているということで、普段から仕事で頑張っている母親にあまりストレスを与えないように心掛けていた。


 母子家庭だから気を使っているところはあるものの、買い物を自分でできる為にお菓子も好きな物が買えるし、今の生活に不満を感じることは少ない。ただ、買い物の時に仲が良さそうな家族連れを見る時に、少し胸の辺りが苦しくなることを除けばだが……。


 そんな生活が長く続くと、自分を他人に求められるということが感じられなくなるのは仕方ないことで、今回のことは最初で最後の人からの頼み事になるかもしれなかった。


 エミルにはその真意を聞けなかったが、どうしたら自分が人の役に立てるのか……っとどうしても考えてしまう。

 視界に表示されている時計は1時を回り、普段ならすでに寝ているはずの時刻にも関わらず。星の脳は高速で回転し、目はパッチリと開いていた。


(……私にできること……私にしかできないこと……)


 天井を見上げ。心の中で何度も自分に問い掛けてみるが、何度問い掛けても結局答えは出ない。


 誰かに教えてもらおうにも、エミルやデイビッド、エリエにカレン――候補は挙がるものの、教えてくれるかというとそんなに簡単にはいかないだろう。


 小さくため息を漏らすと頭まで布団をすっぽりと被り、またさっきの『自分に何ができるのか』という議論に戻る。そして何より『自分に何かできるのなら、どんなに辛くても何とかしたい』という思いの方が強かった。 


 そうこうしているうちに、考え疲れたのか星はぐっすりと寝入っていた。まあ、今日は目まぐるしく色々なことがあったから、その疲れも溜まっていたのだろうが……。

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