エルフの男と触手の大樹5

 エルフの男はそれを見届けると「ふぅー」と大きく息を吐き出し、地面に刺さっていた星のエクスカリバーの前に行き、地面に突き刺さったままの黄金の剣の柄に手を伸ばす。


「だが、本来ならここにアブソーブツリーは生息してないはずなんだけど……やはりモンスターの出現場所が変わっているのか……」


 そうブツブツ呟く彼の手がエクスカリバーに触れる瞬間。


『【警告】この装備は特定の人物のみに使用権が与えられています。また、使用者が死亡した場合にはそのプレイヤーに害を為したと思われる人物全てのキャラデーターを削除します。』


 目の前に表示された警告のメッセージを見て、エルフの男は剣の柄に触れようとしていた手を引っ込めた。


 本能的にこの武器に触れるのを避けたのだろう。そしてレイニールの方に向かって呼んだ。


「君のご主人様の剣を取りに来てくれないか? どうやら僕には触れないらしい」


 レイニールは警戒しながらエルフの男にゆっくりと近付くと、地面に刺さっているエクスカリバーを抜く。

 その後、エクスカリバーを両手でぶら下げて翼をいつも以上に羽ばたかせつつ、時折振り返りながら星の元へと戻っていった。


 すると、今まで気を失っていた星が目を覚まして、ゆっくりと体を起こした。


 目を擦ると周りを一度見渡して、不思議そうに首を傾げる。

 それもそうだろう。星が気を失う前は落下していて、イソギンチャクの様な木の化け物に食べられたはずなのだ。


 しかし、今の自分がいるのは化け物の腹の中ではなく。紛れもなく地面の上だった。

 気を失っていた間の記憶が曖昧で『また自分の体が、別の何者かに体を乗っ取られたのではないか?』という考えまで浮かんでくる。


 手の平に視線を落としながら、心ここにあらずという様子で居る星の目の前に、剣をぶら下げたレイニールが飛び込んできた。


 レイニールは首を傾げながら、不思議そうに星の顔を覗き込む。


「――大丈夫か? 主。体に傷はないか?」

「……傷?」


 そうレイニールに言われ、星は体全体を見て傷がないかを確認すると「うん。大丈夫」と頷いてにっこりと微笑んだ。


 言葉を聞いたレイニールも満足そうに微笑むと、星にエクスカリバーを手渡す。


 星とレイニールのやり取りを見守っていたエルフの男は、2人の会話が終わったのを確認してから、徐に星の方へと向かって歩いてくる。そして、星の前で止まった彼がスッと手を差し伸べた。


「僕はトールだ。よろしく!」


 メリハリのある声でそう告げた彼の青い瞳は淀みがなく、とても嘘を付いているようには見えない。


 星は彼の手を取って立ち上がると、膝の上に手を合わせて小さく頭を下げた。


「危ない所を助けて頂き。ありがとうございました」


 丁寧にお礼を言った星の顔を見て、トールは眉をひそめて変な顔をしていたが、すぐに「君の名前は?」と言葉を返してきた。


「あっ、私の名前は星。そしてこっちがレイです」

「……レイニールじゃ」


 そっぽを向きながら、レイニールが不機嫌そうに告げる。まあ、彼とは尻尾を掴まれた最悪の出会い方をしていたのだから無理もないが……。


 冷たいレイニールの態度に苦笑いを浮かべつつ、トールが星と視線を合わせるように膝を折って。


「実は僕にも、君と同じくらいの年の従兄弟がいるんだ」


 っと微笑んだ。その途端、星は顔を赤らめ思わず下を向く。


 なんと言えばいいのか分からないが、鼓動が早くなっている。初対面の男性ということもあって、少し緊張しているのかもしれない。だが、それ以外の感情もどこかにある気がした。懐かしいような、以前の宿屋での事件の時のマントの人物の時と感覚が似ているかもしれない……。


 そこにレイニールが心配そうに星の顔を覗き込んで言った。


「どうしたのだ? 主。顔が赤いのじゃ」

「――えっ!? あ、うん。ちょっと暑くて……」 

 

 その星の返答に、何故かレイニールが力強く数回頷く。


 星がその理由を尋ねるよりも早く、レイニールがその答えを教えてくれる。


「なんと言っても、先程のモンスターは大量の炎で焼き落としたからな~。我輩の炎が、あやつの体を真っ赤に包むところを見せられなくて残念じゃ!」

「そうなの? ありがとうね。レイ」


 星が気を失っていたのをいいことに、大きく記憶を改ざんしているのは、レイニールとしては『主は我輩が守った』と言いたかったのだろう。


 まあ、以前もさらわれた星を結局は助けられなかった。あの時はライラに助け出されたが、それからの星はいつも何かしらの無理を強いられていることをレイニールは気付いていたのだろう。そして何より、自分が星を助けたかったという思いが強かったのかもしれない。だが、実際には全てトールがやったことなのだが……。


 しかし、それは分かっているかは定かではないが、嘘を広められている当事者のトールはというと、余裕すら感じられる笑みを浮かべている。

 これほど心にゆとりがあるのは彼の頭に何らかの思惑があるのか、それか彼がただたんにいい人だからなのかは本人しか分からない。


 星は何度もこの感じで騙されている。こういう時の対応は基本的に関わらないことだ――相手にどんな思惑があろうとも、周囲を警戒しつつ関わりさえしなければ、相手の術中にハマる可能性は低くなる。


 星はもう一度トールに向かってお辞儀をすると、エクスカリバーをしまって木の剣を装備し直した。そして少し離れた場所で何度も剣を振って、一時中断していた練習を再開する。


「ちょっといいかな?」

「……えっ?」


 突然そう言ったトールが星の後ろに回り込んで、星の剣を持っていた手を包む。

 星が驚きながら顔を真っ赤にしていることなど気にせず、トールはそのまま剣を大きく振り上げるとゆっくりと振り下ろす。


 困惑する星を余所に、トールがそれを数回繰り返して星の耳元でそっとささやくように告げた。


「いいかい? 剣を振る時は肩の力をもっと抜いて、当たる瞬間に全力が出るようにゆっくりと力を入れる……そうすることで、相手が突然予期せぬ攻撃をしてきても動作を中断して切り返す事ができるんだ」


 だが、星は顔を耳まで真っ赤に染めたまま深く俯いてしまう。いや、正確には頷いて顔を上げられなくなった……と言った方が正しいかもしれない。


 そこにレイニールが抗議にやってきて。


「おいお前! 主が困っておるではないか! 馴れ馴れしくするな! 離れるのじゃ!」


 レイニールはそう言って星の後ろに覆い被さるようにしていたトールの顔を押して、彼を強引に引き剥がす。


 顔の中で唯一の突起物である鼻を押され、トールはたまらず星から離れた。


 その後、俯く星に向かって。


「ごめんね。いつも従兄弟にしているみたいにしちゃって、やっぱり男の子と女の子じゃ違うよね」


 っと謝る。星は無言のまま小さく頷き返す。

 すると、彼を警戒しているのか、レイニールが星の頭の上に乗っかって彼に激しい視線を送っていた。


 慣れないことに動揺しているのか、星はまだ俯いたまま頬を赤らめている。

 まあ、星のこの反応は無理もないだろう。ゲームを始める前は同い年の子に避けられていて、ゲームを始めて日々のエミル達とのスキンシップに慣れたとはいえ、異性にここまで接近されたのは生まれて初めてなのだ。


 それと、さっきから治まる様子のない胸の高鳴りにも困惑を隠せなかった。


(……なんだろう、胸が苦しい。けど、モンスターと戦う時とも違う。とても安心できる感じ……)


 彼の積極的なスキンシップに困惑する心と別の何かが入り乱れていて……だが、その感情が何なのか、どうして湧き上がってきたのか理解できずにいた。


 いつまでも俯いている星に向かって、空気を察したトールが告げる。


「どうだろう。更に剣を上達させる為に、僕と練習しないかい?」

「……練習?」


 小首を傾げる星にト-ルが微笑み返す。


 だがその提案に、彼を警戒していたレイニールが声を上げる。


「そんな事を言って! 我輩の主を騙し討ちするつもりだろう! 我輩は騙されないのじゃ!」

「なら、PVPのトレーニングモードでするのはどうだい?」

「「トレーニングモード?」」


 トールの提案に星とレイニールが同時に声を発し首を傾げた。


 彼の言った『PVPのトレーニングモード』とは、その名の通りPVPの練習用モードのことだ。

 初心者プレイヤーがPVPをやってみたい。でも、怖くてとてもできない……そんな時に活躍するモードがこれだ――このモードはトレーニングモードで格闘ゲームの練習用モードに似ている。


 HPが『1』までしか減らない仕様は標準のPVPの仕様とは変わらないものの、本来あるはずの戦闘ダメージに応じた痛覚をカットすることによって、ちょっと技のバリエーションを増やしたい時や固有スキルを試してみたいなどの理由でも使われる。


 また、このモードは標準モードのようにHPが『1』になれば解除されるわけではない為に、犯罪に利用されるのを防ぐ目的で、一定時間以上片方が戦闘ダメージの減りがなければ、勝手にPVPを解除される仕様になっていた。


 だが、こんな便利な機能が付いているにも関わらず。実際に使用されることは稀で、その存在を知らないものも多く存在する。

 その理由はフリーダムの仕様の痛覚を再現する機能が影響しているのは最早説明するまでもないだろうが、あえて説明させてほしい。


 このトレーニングモードには痛覚を遮断する機能と、最低値になったHPを自動回復させた上に、PVPを強制的に継続させる機能の2つが付いている。つまり、自分で解除する。または片方または両方が相手を攻撃しなければ、自動で解除される仕組みだ。


 しかし、痛覚をカットするこのモードでは、実際に戦闘になった時に痛覚がある状態でトレーニングモードと同じ技や動きを再現するのは、非常に困難になってしまうのはやむを得ない。


 逆に痛覚がないことに慣れてしまうと、痛覚がある感覚に精神がついていかずに最悪の場合はこのゲームをリタイヤ……つまり、引退する者達が出る。


 HPの減少は『1』までで、別にアイテムを奪われるわけでもない通常のPVP機能を利用するのが当然という風潮になっていた。

 その為、ある程度のプレイヤーはより実戦に近く。PVPを積極的に普及させ、トレーニングモードの存在は忘れ去られていたのだ。 


 現にエミルや他の者達からでさえ、トレーニングモードの存在を知らされていなかったのがその証拠と言えるだろう。


 トールがそのことを星達に説明すると、星は引き締まった表情で小さく頷いた。

 痛覚もなく、対人で実戦に近い動きを練習できるチャンスはこれを逃したら二度とないかもしれない。それだけではなく。星の心の中で引っ掛かっている何かを、この戦いで払拭したいという思いもあった。

 

(……この人と戦ってみれば、この気持ちのモヤモヤの謎も解けるかも)

 

 そう考えると真剣な面持ちで木の剣を構える星。


 だが、そんな彼女の顔の前に手を広げて遮ったレイニールが血相を変えて叫ぶ。


「正気か主! こんな得体の知れない奴を信じたら大変な事になるのじゃ! エミル達にも怒られるのじゃ!」

「……うん。でも、今はこの感じの理由を確かめないと……」


 星はレイニールを押し退けると、トールに向かって「お願いします!」と叫んだ。


 その覇気のある声に、トールも頷くと練習用の木刀を取り出した。


「さあ、いつでもこい」

「はい!」

(――お互いに痛みを感じないなら……全力でいける!)


 星は両手でしっかりと剣の柄を握り締めると、勢い良く地面を蹴って突撃する。


 一歩一歩地面を踏みしめるように、全力疾走して剣を振り上げる。


「はああああああああッ!!」  


 しかし、トールの方はだいぶ星が近くなってきたのにも関わらず、木刀を構えるどころか微動だにしない。


 星の剣が当たる直前、微かに肩を引いて最小限の動きでかわす。だが、星も今までの練習の成果なのか、以前とは比べ物にならないほどに太刀筋は鋭くなっていた。


 っと、かわされた剣を握る星の腕がピクリと微かに動く。


「――まだです!」 


 その声と同時にトールの脇腹目掛けて星の剣が振り上がる。


 直後。カンッ!と木同士が当たり、辺りに乾いた音が響く。

 渾身の攻撃がほぼノーモーションで軽々と弾かれ、驚きのあまり星が目を丸くしている。


「……えっ? ……こんなの勝てるわけ……」


 圧倒的な力の差に、星は失望した。咄嗟に放った渾身の一撃を軽々と弾かれれば、力の差は歴然としていた。

 持っていた木の剣が地面に落ち、星は戦意を喪失した様に両手を垂らしたままその場に立ち尽くしている。


 練習をして自信を付けていたこともあってか、星の落胆も大きかったのだろう。たった一撃受け止められただけなのだが、それで星の頭の中で描いていた勝算の全てを打ち砕かれてしまったのだ。


 まあ、防具を最大まで軽くした武闘家と同等クラスか、それ以上のスピードを持っているエルフという種族に加え、彼はそれより更にスピードのステータスを引き上げていて、そのスピードはマスターの明鏡止水時のビルドアップ並みのスピードを有している。そんな相手に、まだ剣を練習中の星が勝てるはずがない。


 意気消沈している星に向かって、微笑みを浮かべたトールが声を掛けた。


「どうしたんだい? まだ全然してないけど、やっぱりどこか体が痛むのかな」

「……いえ。あなたがすごすぎて、私じゃ勝てないなって……」


 そう星が俯きながらに呟くと、彼が突然笑い始めた。


 一瞬驚いたが、彼はすぐに微笑んで。


「まあ、勝つかどうかは別として、いい攻撃だったよ。筋はいいんだ、すぐに上達する。僕が保証するよ」


 星の肩をポンと叩くと、トールがにっこりと微笑む。

 その顔を見た星の中で、またさっきの感情が湧き上がり鼓動が早くなる。


 星はその感情から逃げるように、咄嗟に地面に落ちた木の剣を拾った。それを見て、トールは嬉しそうに告げる。


「君が満足できるまで、何度でも付き合うよ!」

「はい!」


 星は力強く頷くと、剣を構えた。


 彼も星から離れ木刀を構える。その後、星の「行きます」と言う掛け声とともに、再び2人の得物がカンカンと何度も打ち合う音だけが辺りに響き続けた。2人は時間を忘れて打ち合っていた。

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