紅蓮の宝物5

 キンググリズリーを討伐を終え、紅蓮は空の上から名御屋の近くの森を飛びながら地上を見渡していたのだが、一向に黒い鎧を着た兵士を見つけることはできなかった……。


 ふわふわと綿あめの様な雲の上から身を乗り出して、紅蓮は地上を隈なく見つめていた。


「――こんなに飛んでても、人っ子一人居ませんね。もう暗くなってきてますし、帰りましょうか」


 沈みそうになる夕日を見つめ、赤みがかった空にふわふわと浮かぶ雲の上で紅蓮はそう呟くと街に戻る為に方向を変えた。


 街に帰る道中も、懐にしまった短刀を見ると思わず顔が綻んでしまう。


(これを明日、朝早く頼みに行きましょう)


 心で呟いた紅蓮は何かの気配にスッと後ろを振り返ろうとしたその時、紅蓮の頬を一本の矢が掠めた。


 即座に雲をジグザグに動かして、的を絞らせない様に回避行動に入る。


「――攻撃ッ!?」


 紅蓮が振り返るのと同時に、今度は森の中から無数の矢が飛んできた。


 動き回る雲の上から、地面に向かって目を凝らす。


 すると、森の木々の間から、今までは影すら見せていなかったはずの黒い鎧の兵が、一斉に弓を放っている姿が目に飛び込んできた。数にして100程度と言ったところだろう。


 無数に飛んでくる矢をかわしつつ、紅蓮は着物の帯に手をかけ。


「私にその程度の数は通用しませんよ……サウザンド…………ッ!?」


 紅蓮が必殺技を出そうとした直後、体が動かないことに気が付く――。


 即座に自分のHPバーを確認すると、人型のマークが痺れたような表示が出ている。


(――麻痺!? まさかあの時!!) 


 紅蓮は頬を掠めた矢のことを思い出すが、時すでに遅し。

 微かに動く身体を必死に捩らせた紅蓮は、無数の矢の直撃は避けたものの、その中の数本が体を掠め、バランスを崩した紅蓮は地上へと落下した。


 木がクッションとなり落下の勢いを緩和して、なんとか地面への着地を成功させたものの、そのまま力無く地面に伏せる。


 地面に伏しながら紅蓮は思った『こんなミスを犯すなんて、武器が完成すると浮かれていた油断が招いた事だ……』と、そしてその犯人に紅蓮は目星が付いていた。

 その直後、兵士の間からゆっくりと前に出てきて、倒れている紅蓮の目の前に黒い鎧を身に纏った男が姿を現した。


「――やはり。バロン……どうして……こんな事を?」


 地面に伏せながら、紅蓮は顔をその男を見上げた。


「懐かしいなぁー。元気にしてたか? クソチビ」

「……くっ! 私は……クソでも……チビでも……ありません!」


 そう言い返す紅蓮の背中を踏みつけると、彼女を見下ろしているバロンが口を開く。


「お前が居るってことは……あのバカも一緒なんだろ?」

「――あのバカ……? それは……いったい誰の事ですか?」  


 抵抗できない状態だが、紅蓮は全く動じることなく平静を装っていた。


 紅蓮がそう言葉を返すと、バロンは不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、更に強く紅蓮の背中を踏みつける。


「――俺様をなめるなよ? 女のくせに……」


 バロンのその殺意を剥き出しにした視線を受けながらも、紅蓮は気丈に言葉を返した。


「あなたが……前々から私を毛嫌いしているのは、分かってます……お互いのために……一度ゆっくり話す機会を、作りたいと思ってました……」  

「フンッ……お前は今の状況が分かってないみたいだな!」

「うぅぅ……」


 バロンは抑えきれない怒りを爆発させて、紅蓮の背中に乗せた足に更に力を込めた。


 体が痺れている紅蓮は為す術もなく地面に体を押し付けられ、苦しそうに呻き声を上げる。


 そんな彼女にバロンが更に強い口調で言った。


「――いいか? これが現実なんだよ。お前は俺様の足の下にいるのが相応しいわけだ! 次はメルディウスも、今のお前と同じ様に地に這い蹲らせてやる!」

「……は、話を……話を聞いて……下さい」


 不敵な笑みを浮かべながらそう言い放つバロンに、紅蓮は必死に訴えたが、彼は冷酷な瞳で紅蓮を見下ろし。


「虫ケラの分際で、この俺様に話を聞いて下さいだと? 紅蓮。お前は何か勘違いしてるな……お前はあいつを誘き出す餌なんだよ!」

「――くっ!」

(やっぱり話し合いで解決できるほど、甘くないですか……なら)

 

 紅蓮は目を瞑り呼吸を整えると、決意に満ちた眼差しで彼に告げる。


「分かりました……あなたの言う通りにしましょう……私をあなたのアジトに連れて行きなさい!」

「ああ、言われなくてもそうするさ! お前ら出てこい!」


 バロンはほくそ笑むと大声で辺りに向かって叫んだ。すると、辺りの茂みや木の陰から赤い瞳が光って、ぞろぞろと黒い重鎧を身にまとった兵士達が姿を現す。


 弓を持った兵士達だけではなく、バロンは周辺に兵士達を配置していたのだろう。しかも、その全てが重装備で、明らかにこちらが彼の主力部隊だ。


 その数は目に見えるだけで、数百はくだらない――。


(さすがに彼の固有スキルは強力ですね。ナイトメア――まさに悪夢です……)


 まだぞろぞろと出て来る黒い兵隊達を紅蓮は見つめながら、底知れぬ恐怖心を覚えていた。



                * * *



 その頃、皆で泊まっているホテルでは、紅蓮が帰っていないことに皆動揺を隠し切れない様子で話し合いを始めていた。


 ソファーに腰を下ろしながら、マスターは険しい表情で呟く。


「……あの紅蓮の事だ、すぐに戻ってくる」

「でもよぉー。もう8時だぜ? いくらなんでも遅すぎるだろう! それにメッセージで連絡もないのが気になる……あいつなら、遅くなるなら遅くなると連絡があってもいいはずだ」


 メルディウスは落ち着かない様子でソファーの周りをうろうろしながらそう言った。


 だが、彼よりも落ち着きなく体を震わせていた白雪が飛び上がる勢いで立ち上がる。


「もう、じっとしてなどいられません!」


 紅蓮のことが心配で居ても立ってもいられずに白雪が声を上げる。


 彼女はマスターの目の前のテーブルを叩くと。


「どう考えてもおかしいです! 今まで紅蓮様がこのような行動に出たことなどありません! いつも皆の事を一番に考えて……こんな事は今までに一度もなかった! きっと事件に巻き込まれたに違いありません!!」


 声を荒らげながらそう告げる白雪に、少女と小虎は表情を曇らせる。

 それもそのはずだ。本来なら今日は外出せずに、ホテルの中でゆっくり過ごす予定だった。


 だが、少女が焚き付け。小虎もメルディウスに紅蓮達の護衛を任されていながら、何もできなかったのだから無理もないだろう。


 なおもソファーで腕を組みながら瞼を閉じてだんまりを決め込むマスターに、痺れを切らした白雪が身を翻す。


「私は行きます! 私の固有スキルなら、誰にも気付かれる事はありません!」

「ちょっと待て、白雪! お前だけ行かせるわけにはいかねぇー。紅蓮が帰ってきた時に言い訳できねぇーしな。俺も行く! いいな。じじい」


 マスターは少し考えたが、すぐに頭を縦に振った。


「……うむ。仕方あるまい」

「よし! なら行くぞ白雪!」

「了解!」


 メルディウスと白雪が部屋を飛び出していく。


 2人が出ていった部屋の中でマスターは1人、しばらくの間。ソファーに腰掛け静かに瞳を閉じて物思いにふけっていると、ゆっくりと立ち上がり部屋を出た。


 メルディウス達が街に出ると、1人の男が血相を変えて叫んでいた。


 その話の概要はこうだ――。


 狩りをしていた時『森で白い着物を着た銀髪の女の子が黒い鎧の男に襲われていた』とのことだったが。しかし、誰がどう考えても罠だとしか思えない。


 このタイミングで男が血相を変えて出てくるなんて、どう考えても話が出来過ぎている。だが、その話を聞いた途端。顔色を変えたメルディウスが疑う様子もなく全速力で駆け出していく。


 それは、白雪が止める隙もないほどだった。


「――全くギルマスは気が早い。罠だと分からないのでしょうか……」


 ため息混じりに呟く白雪が、先に行ったギルマスを追い掛けて走り出す。


      

        * * * 


  

 敵の手に落ちた紅蓮は、周りを木々に囲まれた両手足を鉄の様な拘束具で木に固定されていた。その左右には、剣を持った黒い重鎧の兵士達が立っている。


 だが、紅蓮は無傷ではなく。ゲームシステム上の問題で血は出ていないものの、体のあちこちに痛々しい傷跡が刻まれていた。

 血は出ていないが、確かに体のあちこちに剣で傷付けられたと思われる切り傷が刻まれ、その全てが黒く影の様になって見える。


「はぁ……はぁ……どんなに私を痛めつけても……あなたの期待することには……なりませんよ?」

「フンッ! お前は本当に強情な女だよ。紅蓮……」


 額に大量の汗を滲ませながら紅蓮がニヤリと不敵な笑みを浮かべると、バロンは兵士の持っていた剣を奪い。その剣先を躊躇することなく紅蓮の右腕に突き立てた。


「うっ! うぅぅぅぅぅっ!!」


 苦悩の表情を浮かべるものの、紅蓮は声を必死に抑えている。


 紅蓮の反応を楽しむように傷口をえぐると、紅蓮の耳元でそっとささやく。


「紅蓮……声を出した方が楽になるぞ?」

「はぁ……はぁ……はぁ……そう。ですね……忠告ありがとうございます。ですが……よけいなお世話ですよバロン」


 額に汗を噴き出しながら言葉を返す紅蓮に、バロンは怒りを露わにさせたバロンは今度は逆側の兵士からも剣を奪い取り、紅蓮の左の太股に突き刺す。


 腕と足に剣で深々と刺され、紅蓮は苦痛で顔を歪ませながらも小さく呟く。


「こ……こんな事をしても、無意味……です。あなたも知っているでしょう? 私は、殺せないのですから……それより……今後のこと……を、話……合いましょう」

「また、その話か――何度も言ってるだろ? 俺様1人でどうとでもできるってよ!」

「くうぅぅぅぅぅぅっ!!」


 そう吐き捨てて、不気味な笑みを浮かべながら楽しそうに剣で傷口を抉るバロン。


 紅蓮は休むことなく襲ってくる激痛に、更に顔を歪ませている。その彼女の反応を楽しんでいるようにバロンは不気味に笑う。


「痛いだろ? 痛いよなぁ~。知ってたか? このゲームでは同時に別の箇所に損傷を受けると、その箇所を線で繋いだ全ての箇所にダメージを受けたかの様に錯覚するんだぜ?」


 苦痛に歪む紅蓮の耳には、彼の話の殆どが届いていないだろう。


 必死に唇を噛み締めて痛みに耐える紅蓮の姿が気に食わないのか、バロンは剣を握る手に更に力を込めながら言葉を続けた。


「俺は! お前の不死なんて馬鹿げた能力が、四天王の中で一番許せないんだ! それは、死こそが全ての終わりだからだ! お前の能力は痛みまでは抑えられない未熟なものだ。今のこの状況を見てみろ! お前は死ぬ事も、痛みから逃れる事すらもできないでいる。死を怖れるあまり、お前はこの苦痛から決して逃れる事はできないんだよ!!」

「……で、も……その、おかげで……あなたと、はなし……が、できます……」


 冷たく見下ろしたバロンは「そうか、なら今度はその口をきけないようにしてやる」と低い声で告げると、太股に刺さっていた剣を引き抜き、紅蓮の顔の前に構えた――その時。どこからともなく鳴り響く爆発音が2人の耳に飛び込んでくる。


「そうか、やっと来やがったか! あのバカが……待ちくたびれたぞ!」


 爆発による大きな音を聞いて、バロンは嬉しそうに笑みを浮かべ、持っていた剣を横に立っていた黒い兵士に渡す。


 嫌っていてもバロンにとって彼は宿敵であり、目の上のたんこぶでもあり、またはライバルの様な存在だ。やはり、近くにそんな存在がくれば嬉しくなるのだろう。四天王はそれぞれ、得意不得意のある固有スキルを所有している。

 

 もはや言うまでもないが、バロンの弱点はメルディウス。メルディウスの弱点は紅蓮。紅蓮の弱点はデュラン。デュランの弱点はバロン。と相対関係がしっかりしているのだ――。 


(あのバカ……私が死なない事は分かっているはずなのに……)


 紅蓮は大粒の汗を地面に滴り落としながら、俯きながら困惑した様な表情を浮かべる。   


 聞こえる爆発音は次第に大きくなり、赤い光が真っ暗な夜の森を点々と照らし出す。その直後、爆風と共に赤い鎧を身に纏った大斧を持った男が、まるで鬼の様な形相で現れた。

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