迷宮探索苦労裸図

シーモア・ハーク・ロッチ

第一幕

異世界迷宮 大江戸線・蔵前駅 その1

 『迷宮探索』と聞いてどんなものを想像するだろうか?


 溶けて短くなった蝋燭の火を吹く風、ジメジメして薄暗い洞穴にはむき出しの岩、剣と魔法を駆使して頼れる仲間と奥へ進む……そんなイメージを持っていた。


 そして異世界に転移したとして、どんな世界どんな冒険が待っている?


 足を踏み入れてみると、『迷宮』は既視感にあふれていた。


 転移してきたところは山手線のような環状線の各駅にモンスターはびこるダンジョンとなった異世界。


 食料・医薬品・手動発電式ランタンなどをバックパックに詰め、日々『スコア』と呼ばれる電磁的記録を増やすため駅構造体をねり歩く日々。


 僕の武器は剣でも槍でもない、この世界における魔法、H&K・MP5A2サブマシンガンだ。





 ひたすら真っ直ぐにつづく地下鉄の連絡通路が広がっていた。


 寸分の狂いもなく敷き詰められた床材は良く言えばコンニャク、悪く言えば墓石のような色調で気が滅入る。


 壁はくすんだ象牙色のタイルが貼られ天井の蛍光灯の光をぼんやりと映しているものの、均一で硬質なグリッド線はただただ寒々しい。


 先へ進めば進むほど間隔が狭くなる蛍光灯のライン。

 

 まるで曙光のような白いレーザービームだ。


 通路の中央には太く白い円柱が等間隔で並んでいるが、この通路があまりにも長いために奥の方は点にしか見えない。


 しかし回廊のように整然とまっすぐにつづくそれは、蛍光灯が切れているためか、一部が暗闇に閉ざされトンネルのようになっている。


 黄色い視覚障害者誘導用のブロックが奥へ奥へと誘う先には、なにが待ち受けているのだろうか。



 閃光。



 発砲の衝撃波が全身を揺さぶり、四方に反響する銃声が突き刺さる。


 イヤープロテクターを装着していても、脳が乾いた炸裂音を知覚していた。


 色のついていない透明なシューティンググラスは赤と黄の明滅を減退させることなく、目が眩むようなマズルフラッシュを眼球の奥へ侵入するのを許してしまう。


 引き金、


 内臓の作動音、


 目に焼きつく閃光、


 身体を揺さぶる衝撃、


 瞬間にぼやける視界の白、


 粘つく舌に絡む煙と火薬の臭い、


 右肩と胸の間の窪みで暴れる銃のキック。


 花火の後のような残り香が漂う中、白いもやで霞む向こう側へと意識を集中させる。


 仄白い息を吐き出して薬室から飛び出した空薬莢は床のタイルとタイルの溝を軽快に跳ねて転がってき、着地点からはるばる弧を描いてコンバットブーツの分厚いソールにぶつかってようやくその動きを止めた。


 閃光・炸裂音・煙臭・振動――それらが融け合ってひとつとなり身体の奥底の芯を揺さぶる衝撃となって襲いかかる刹那、現実感を喪失させる空白を穿つ。


 緊張で乾いた唇をなめると、煙臭いパサつきが舌をざらつかせる。


 鋼太郎は下腹で臓器が蠢くのを感じた。





 日の輪と一本杉をあわせた舞台、踊り狂い飛び跳ねまわっていた四つの影たち。


 敵だ。


 それぞれが振り回していた自己を表現する小道具は、均一な四角が敷き詰められた通路の床に投げ捨てられていた。


 先端が焼け焦げた角材、ホースが抜きとられた消化器、ビニール傘、拳大の石。


 それらの持ち主たる表現者たちもまた投げ捨てられたかのように、通路へその身を横たえひとつとして動くことはなかった。


 舞台はMP5A2のリングサイト。


 その舞台の上に立った者のことごとくが、9mmパラベラムの喝采を受けて倒れた。


 連続して打ち鳴らされる拍手は銃声に、称賛の嵐は銃弾となって注がれた。


 そして隣にひかえる観客の一人が声をかける。


「鋼太郎君、初めてにしてはやるじゃないか」


 たくましい顎、がっしりとした体格、白銀の西洋鎧に身を包む大男が声をかけた。


「たまたま当たっただけですよ――鉄兵さん」


「謙遜するなよ」


 鉄兵は顎をさすりながらニッと笑った。


 鋼太郎は顔をほころばせた。


 しかしすぐにそれを消し、トンネルのように暗くなった通路の先に集中した。



 戦闘は終わっていない――――始まったばかりだ。



「左は雪緒ちゃんがやってくれる。右側だけに集中だ」


 通路を左右に二分割する石柱の先を指差す鉄兵が鋼太郎の肩を叩くと、カチャカチャという金属音が連動して鳴った。


 恵まれた体格の鉄兵の左手には円形の大盾が輝いていた。


 一方の鋼太郎はカーゴパンツにソフトジャケット、プレートキャリアーにはマガジンポーチを下げ、背にはバックパックを背負っている。


 手に持つエアガンにしては妙に艶のあるMP5A2は、迫り来る『敵』を絶命させた。


 コスプレにしては気合の入った二人の格好は過剰とも言える仰々しさでジャンルは対極的、しかしどちらも本物がもつ確かな質感があった。


 柱によって二分される通路の右側の鋼太郎はニーリング――膝射とも呼ばれる片膝を地面につけて行う射撃方法――によりMP5A2を頬付けしたまま、真っ直ぐに伸びるトンネルのような暗い空間を睨んでいだ。


「雪緒ちゃんを誤射さえしなければそれでいい。気をつけろ、後が恐いぞ。でっかい方を漏らすだけじゃ済まなくなるからな――おっと、向こうも始まったようだ」





 跳躍。


 先を行く四匹が銃弾に倒れるのを見た後続の三匹は、横をかすめる風切り音を避けて中央の柱をまたぎ、通路左側へと躍り出た。


 それら三匹に向かって急速に距離を詰める黒い影があった。


 尾をひく銀光に蛍光灯が反射してきらきらと燐光をふりまき、地を這う飛燕の如きそれは更に加速して三匹と交わった。


 冷たい回廊の宙に赤い一文字がほどばしった。


 獣の咆哮が空気を震わせ、続く甲高い金属音が回廊を跳ねまわって木霊した。


 金属音の正体は鉄パイプ。

 

 硬い床にその身を何度も叩きつけては耳障りな叫喚をまき散らし、床を転がる時もカラカラと鳴いて回った。


 影は紺地のセーラー服、足回りは鎧武者のような脛当てと草履というちぐはぐな格好をしていた。


 雪緒という名の少女はきりりとした眉の端正な顔立ち、トレードマークのポニーテールは黒毛馬を思わせる艶のある漆黒だった。


 それをゆらり揺らす彼女の手には、一振りの日本刀が握られていた。


 赤の一文字は雪緒の抜き打ちによる一閃であった。


 どぷりと腹部から内臓を吐き出すそれは人型をした異形のモンスター、激痛に上体を反らした反動で自ら身体をねじ切り絶命した。


 引き締まった体躯の異形は一見、人間を思わせた。


 しかし狐目の血走る双眸は焦点が定まっておらず、着衣を身につけない全裸のままであるも恥ずかしがる様子もなく涎を垂らし人に襲いかかるそれは、モンスターまたは獣としか形容できなかった。


 当然言葉は通じず、コミュニケーションをとるにはあまりにも凶暴だ。


 てらてらと光る紐のような内臓で上半身と下半身を繋ぐ同胞には気にも留めず、残る二匹は背を向ける雪緒に飛びかかった。


 素早く身体を半転させる雪緒の足下の草鞋が摩擦の熱に悲鳴を上げた。


 回転する雪緒は襲いかかる異形に打って出るや、すれ違いざまに敵の左脇腹へ当てた刀を滑らせ、一気に二匹の後方へと駆け抜けた。


 勢い余って腰骨を半ば切断していた。


 もんどり打って暴れる度に床や柱に血の斑を飛ばし、獣は周囲を汚していった。


 しかし叫ぶ声は短く苦痛のうめきは弱まりやがて絶命した。


 背後からの攻撃に失敗した残りの一匹は身体を縮めて着地の衝撃を吸収するや、たわみ力を溜めた下肢の緊張を解き放った。


 跳躍の瞬間にタイルの床が爆ぜ、いま一度背を向ける雪緒に宙を飛んで襲いかかった。


 それを予見していたかのように、雪緒は上体を回転させながら向き直る――


 腰の回転にあわせ傘のように開く紺地のスカート、


 地摺り這う草鞋が飛ばす小石、


 三日月の如く閃く日本刀。


 蛍光灯の光を受けて回廊が刹那に明るくなった瞬間、雄々という掛け声とともに雪緒の剣が振り下ろされた。



 ふわり。



 呪縛を解かれたように異形の首と片腕が軽やかに浮かび上がり、制御を失った身体はそのまま壁に自身を叩きつけると、汚い血塗れの跡を残し床におちた。


 そして羽根をもがれた虫のように血溜まりの中で残った手足をばたつかせた。


 出鱈目に空を掻くごとにその動きは緩慢になっていき、やがて完全に静止した。


 雪緒の周囲はごわつく毛の生えた手足やだらりと下を垂らす頭部、白い湯気を立てる臓物が転がる凄惨たる有り様であった。


 じくじくと広がる赤い楕円が重なり合う血溜りをひょいと飛び越す雪緒は周囲に気を配った。


 襲いかかる敵の気配はなく、柱の影から響くよく知った太い声が聞こえ、後方では大小ふたつの人影が手をふっていた。


 大きい方は登山にでも出かけるかのような大容量バックパックを背負い、鳶色の長い髪をふくよかな胸元に垂らすブレザーの制服を着た千登勢だ。


 小さい方は折り返しのついたショートパンツにニーソックス、前髪パッツンにおさげを揺らす小学生のような姿の凛――その小さな手にウージーサブマシンガンが握られていた。


 ぷぅっ――と蛙のように頬を膨らませ一気に息を吐き出した雪緒は、笑顔で手を振って無事であることを後方の二人に知らせた。





 びしゃり。

 

 空を切る音に遅れて床に水気を叩きつける音が聞こえた。


 同時に床に現れた赤円の連なりは、雪緒が刀を勢いよく振り下ろした『血振り』の跡だ。


「……向こうは終わったみたいだな」


 血振りを耳にした鉄兵は耳を澄まし目視で敵の追撃がないことを確認すると、鋼太郎に声をかけ優しく肩を叩いた。


「緊張するのも無理はない。だが固くなりすぎるなよ、アレのときに固くならないのは困りもんだが今は別だ。柔軟に対応できなきゃ死ぬこともあり得る」


「……はい」


 鉄兵のニヤニヤ笑いに一応は返事をするが、このような状況での不謹慎な下ネタは大事なことを言及するときの前振りであることを、鋼太郎は最近知った。


「躊躇なく、敵だけを撃て――それだけが自分と仲間の命を護れる唯一の手立てだ」


 思ったとおり、ニヤニヤ笑いは消えて真面目な表情だけがあった。


「はい」


「迷ったら引こう、誰も責めやしない。安心しな、俺達の誰かが助け舟を出すからよ」


「はい」


「しかしなんつーか、このダンジョンの地形はどうも引っかかる。真っ直ぐなのはいいが、途中でトンネルみたいに真っ暗になってるところがある。どう思う?」


「偵察を出しましょう。一直線なら敵の発見も味方の援護も難しくない、と思うんですが」


「ま、逆に大勢で攻められたらヤバイけどな。しばらくしたら偵察を出そう。それと中央の柱が気がかりだ。左右を仕切ってて左右の様子がかなり見辛い。どうしたもんか。まあなんにしてもちょっと様子をみようか……残弾数チェック」


「はい」


 鋼太郎はトンネルに異変がないことを確認してから弾倉を抜き残弾数をチェックした。


 その間に様々なものが頭の中を去来した。



 マズルフラッシュの閃光と閃光の合間に蘇る記憶の数々。


 弾を込め、銃を構え、引き金をしぼり、撃つ。


 千と万とを繰り返す身体に染み付いた記憶。


 延々と同じ動作を繰り返し繰り返す。

 

 閃光を網膜に焼き付け、発砲の衝撃を内に宿し、火薬の残り香を肺に溜める。


 短期間であったが、叱咤と拳骨の洗礼を挟む訓練の記憶。


 そういったものがマズルフラッシュと共に甦っては吹き飛ぶ。


 初めての実戦。


 初めての命のやり取り。


 本物の銃と血。


 そして初めての殺し。


 子供の頃に捕まえた羽アリの羽根をいたずらにもぎ取るのとは違う。


 曲げた指先のお辞儀ひとつでもぎ取る命。


 如何ともし難い決定的な腕力・体力の差を指先ひとつで覆し、直線軌道の制約を御して勝利を叩き込めば――抑えることのできない興奮と感動に全身が粟立つ。


 それと同時に感じる鳥肌を伝う冷や汗・命を奪うことの恐怖・銃の冷たさ・絶大なる暴力の発現に慄き、筋肉は強張り、照準は絶えずぐらつき、奥歯を鳴らす。


 頬がかっかと熱くなり思わず口許を歪めて笑いが漏れるのをどうにかして抑えながらも、一方で意識がどんどん沈み込み世界が後退していくような墜落感に気は滅入るばかり。


 湧き上がる高揚感は刹那のもので、時間の経過とともにだんだんと心と身体を麻痺させるような冷ややかさ。



 この落ち着き、この感覚は、一体なんだろうか。



 たとえ人を襲うのが人間ではないとしても、その相手の命を奪うことに興奮を覚えつつ冷徹に構えることができる異常性が、平凡な高校生である自分の本性として、本当に自分の心の奥底に存在したものだろうか。


 リニア式ゲームのように、誰かが敷いた見えないレールの上を進行する安心感を知らず知らずのうちに感じ取っている為なのか。


 それともリアルな色や質感がある一方でどこか曖昧さが拭えない、漠然とした不安が残るこの感触のせいなのだろうか。



 これは夢?



 それらの疑問こそが現実ではないことを示す無音の警報装置ではないだろうか。


 それとも音速を超える銃撃の衝撃波が不感症にしてしまったのだろうか。


 この奇妙な感覚の原因を説明し得るもの――思い当たるものがあるとすれば――あるとすればそれはふたつ。


 ひとつは自動販売機で買った二本の飲み物。


 もうひとつはH&K・USPコンパクトを下げた、あの魅力的な女の人の元で受けた訓練。


 片方か、それとも両方かもしれない。


 そういえば、いまはそんなことを考えている状況ではないのかもしれない。



 天井の照明が白い筋となって降り注ぎ延々とつづく直線通路には横幅を正確に二分する大理石のような白亜の柱が立ち並び、両端の壁には文字化けとブロックノイズが混在するモザイク模様の広告がステンレスの枠に収まっているここは、歩く者に宮殿の回廊を思わせる異形が徘徊する『迷宮』なのだ。


 戦闘はまだ始まったばかりだ。

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