第45話 白熱のバトル 西島 VS 姫子
体格に合わない小さい自転車を使いながらも、西島五里呼の走りは速かった。
さすがはいろんなスポーツの助っ人をしているだけあって、彼女は体格に似合わず器用さも持っていた。
会場の実況を務めている萌香と掛太郎の間でも五里呼のことが話題になっていた。
「西島さんは随分と大きな体をしてらしてるんですね。これほどの選手がいたなんてびっくりです」
「初めて見る人はみんな彼女の大きさに驚くみたいですね。僕達にとってはもうすっかり見慣れた姿ですが」
「そういえば五里呼さんを知っている人達は普通に彼女と接していましたね。人は何にでも慣れるということでしょうか」
「そういうものでしょう。萌香さんもそろそろ慣れてきたんじゃないですか?」
「それは言えますね」
「ところで、五里呼さんには幼い頃に生き別れになった妹さんがいらっしゃるんですよ」
「え? あんなのがもう一人……いえ、あのような方がもう一人おられるのですか?」
「はい、幼い頃のことゆえ詳細はよく分からないのですが……名前は瑠々子(るるこ)さんとおっしゃるそうです」
「そうですか。会場の皆さん、どなたか瑠々子さんという体の大きな方を知っていましたら、本部の方までご一報ください」
「では、レースの方を見てみましょう」
五里呼からかなり離れた後ろを姫子は走っていた。
苺が何とか僅かの差で抑えていた距離だったが、姫子の実力ではその距離はどんどんと引き離されていくばかりだった。
巨体の背中がどんとんと小さく遠くなっていく。
姫子は受ける風を感じながら前を見る。
「こんな苦しいのを……苺ちゃんは走っていたなんて……」
見ているだけでは何とも思わなかったものが今はとても苦しい。
練習では走っていたが、やはり本番は違う。
それに相手が強かった。
スタートした時は近かった五里呼の背中がどんどんと遠くなっていく。
「悠真さんに良いところを見せようと思っていたのに……」
そう翼に言われて参加したこのレース。
だが、その機会は訪れそうになかった。
もうすっかり離されてしまった姫子の様子を会場のスクリーンで見ながら、翼の表情には焦りが出ていた。
「まずいですわね」
焦りを見せる翼に、叶恵はいつもの落ち着いた態度で進言する。
「ご心配には及びません。いくら離されようとゴールさえしてくれれば、わたしが挽回しますから」
「その心配をしているのではありません」
「?」
翼が心配しているのは、このレースの結果のことではなかった。
姫子は真面目な子だから責任を持ってゴールまでは走ってくれるだろう。
だが、このまま大差を付けられて負けてしまっては姫子の心がくじけてしまいかねない。もし、そうなったらそれは姫子を選んだ翼の責任だ。
姫子の友達の苺も今回の事で酷く落ち込んでいる。慰め役にはなってくれない。
彼氏に良いところを見せるチャンスだとあの時は気楽に誘ってしまったが、こんな厳しい戦いになるとは思わなかった。
苺が第一レースから敗北することも、姫子の相手があんなに速いことも全く予想外のことだった。
翼は唇を噛みしめた。どんな結果になってもその責任は自分で負わなければならない。
そう決意しながら二人のレースを見守った。
結菜もハラハラしながら姫子を見守っていた。結菜の立場なら西島を応援するべきなのだろうが、結菜は姫子に頑張ってほしかった。
「頑張って、姫子さん」
心からそう願っていた。
姫子にとっては厳しい戦いが続く。もう距離はかなり離され、望める物が何もなくなっていく。
頭の中が真っ白になりそうになっていく。ハンドルを握る手に力が入らなくなってきた。
そんな時、声が届いてきた。
姫子のよく知る人の声が。
「姫子さん!」
それは悠真の声だった。
悠真が自転車を漕いで姫子に並走してきていた。
結菜はスクリーンでそれを見ていた。
「お兄ちゃん、いつの間に」
結菜は姫子のことに集中していて、兄がいつの間にあそこに行ったのか全く気が付いていなかった。
画面の中で悠真が姫子に何かを話しかけている。
「渚会長、あのような行為はいいのでしょうか」
実況の掛太郎が渚に訊ねる。渚はこの大会の全てを取り仕切っている。
渚がストップといえば、その瞬間にこのレースは即座に中止される。
みんなが見守る中で、渚の下した決断は。
「彼氏だから良いでしょう。姫のピンチに駆けつける王子様を誰が止められるっていうの。そんなことをしようものなら、わたしは白馬に蹴られて死んでしまうわ」
というものだった。
「それもそうですね。レースは続行です!」
渚会長の粋な計らいに会場は盛り上がった。
悠真の口が姫子の耳から離れていく。
「悠真さん、それって」
「ああ、この大会が終わったらデートをしよう。僕は姫子さんのことを応援しているから。頑張ってね」
「はい!」
悠真からの応援を受けて、姫子はもう負けた惨めな気持ちでは終わらせられなくなった。
この大会が終わったらデートをする。きっと楽しい物となるだろう。そこに暗い気持ちを持ち込むわけにはいかない。
ならば、どうすればいいか。
簡単なことだった。
ただ前を走っている相手を抜けばいい。たったそれだけの簡単な理屈。
姫子は勝利を望む者の目で前方を睨み付けた。
今までの鬱憤も反動となって、姫子のパワーとなって吐き出される。
「待てーーー!! そこのゴリラアァーーー!!」
思いのたけを力に籠める。
姫子の加速は驚異的だった。一迅の閃光となって一気に追いつけただけでなく、そのまま一気に五里呼を抜き去ってしまった。
「ウホッ」
だが、五里呼もただの選手ではない。さらにスピードを上げて姫子に追いすがる。
姫子が追いついてくるまで五里呼にとってはもうこのレースはただゴールに辿りつくだけの物となっていた。
だが、姫子の驚異的な追い上げを見て、彼女の闘志にも火が付いた。
「ウホオオオオオオオオオ!!」
ライバルを得た興奮と感動。
それが五里呼の歓喜の咆哮となって、辺りを震撼させていく。
だが、そんな事情は姫子にとっては関係ない。相手が誰でも関係ない。
ただ倒す。敵だ。
「くっ、わたしと悠真さんのウイニングランの邪魔をするなあああ!!」
姫子も凄まじい殺気をぶつけていく。
五里呼も負けじと気迫を叩き返す。
勝負は一進一退の様相を呈していく。
「では、わたしもそろそろ行きますね」
会場が盛り上がる中、次の走者となる叶恵は実に落ち着いた動作で自分の自転車へと乗った。
「結菜様、わたしも行きます」
美久も自分の自転車に乗った。
それぞれに第3走者のスタート地点である北へと向かう。
勝負はいよいよ後半戦が近づいてきていた。
姫子と五里呼はお互いに一歩も譲らない走りを見せていた。
抜いては抜き返し、また抜き返す。
直線を走り抜け、その先に待つどんなカーブも二人は全く減速せずに曲がり切っていた。
お互いに負けられない意地があるのだ。
凄まじい二人のデッドヒートに会場は大盛り上がりだった。
だが、どのような勝負にも終わりが来る。
五里呼は実に上手く慣れない自転車を扱っていたが、やがて白熱するバトルに張り合うのにその自転車に無理が出てきた。
このままでは自転車が持たない。
五里呼はゴールを優先して速度を落とした。
激戦を制したのは姫子だった。
凄まじい速度でゴールを貫き、叶恵が発進する。
大魔王に先制を許したことに歯噛みをしている場合ではない。
わずかに遅れて五里呼が入ってきて、美久も出発した。
「よし」
自転車を降りて姫子はやり遂げた充実感でいっぱいだった。
これでデートへ行ける。
そんな姫子に差し伸べられた手があった。
「良い勝負だった」
「あ……」
五里呼の目は優しく慈愛に満ちていた。
姫子はわけも分からないまま手を差し出し、彼女の大きな手と握手した。
様々な部活で頼りにされているだけあって、五里呼は良いスポーツマンだった。
姫子は自分の偏見に気が付いて恥ずかしくなってしまった。
「わたし、何を言ったっけ」
そして、我に返って自分の発言を思い出し、顔を真っ赤にしてしまったのだった。
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