第20話 神の道 ゴッドロード 2

 結菜が目を開けるとそこは大空だった。

 大空に結菜のよく知る建物が建ち並び、道路が走り巡らされている。

 ここは結菜の町だ。だが、人の姿がない。

 ともにいた姫子と麻希の他には。

 三人の前に神様が姿を現す。


「ここは神の道、ゴッドロードだ」

「ゴッドロード?」

「町の神であるわしだからこそ造れる、わしが司る町を模して天上に築いた特別な空間じゃ。わしはお前達が走るのを見ていた。勝負もそれでいこう。現れよ、我がしもべの天使よ!」

「はーい、神様」


 呼ばれて能天気な子供っぽい声がした。

 自転車に乗って可愛らしい少女が現れた。

 彼女は金髪で明るい瞳をしていて見た感じでは外国人に見えたが、背の翼と頭の輪っかは確かに天使と思える物だった。

 神様は結菜達に少女を紹介した。


「こいつはわしの天使リリーノじゃ」

「リリーノでーす! よろしくお願いしまーす!」


 彼女は元気に挨拶した。


「お前達にはこいつと戦ってもらう」

「これがわたし達の敵!」

「彼女を倒せば悠真さんが!」


 にこやかな金髪の天使に闘志を燃やす結菜と姫子。リリーノは気にせずに微笑んでいるだけだ。

 神様は戦いの説明をした。 


「勝負と言っても殴り合いをしろと言っているわけではないぞ。勝負内容はお前達の得意な自転車にする」

「自転車」


 三人の元にはこの空間に来る前から乗っていた自転車がある。


「お前達が頑張って走ってきた自転車の勝負で決した方がわしも奇跡を起こす張り合いが出るというものだからな。この天空の町は今、地上に向かってゆっくりと降下している。地上に着くまでにリリーノを捕まえればお前達の勝ちじゃ」

「捕まえてみてねー」


 天使は自転車をこいで発進した。たいしたスピードではない。すぐに追いつけるだろう。


「結菜!」

「うん!」


 兄に声を掛けられ、結菜も自転車に乗って走り出す。


「本当にあれを捕まえれば願いを叶えてくれるんですね?」

「ああ、わしは約束を守るからな。守った方が気分も晴れ晴れとするしのう」

「分かりました!」


 姫子も自転車に乗って発進した。

 天空の町の道を結菜と天使を追って走っていく。

 麻希は神様の様子を見ていた。


「あなたは参加しないの?」

「ああ、わしは見てる」


 その言葉通り、神は傍観を決め込んでいた。

 神がただの勝負を挑むとは思えない。麻希はすぐには走り出さず、じっと状況を見つめていた。



 この町の信号は全て青信号だった。行きかう車も何も無い。

 道は慣れ親しんだ地元のものだ。

 結菜としては全力で自転車を飛ばせる環境だった。すぐに追いつく。


「捕まえる!」


 鼻歌交じりのピクニック気分で楽しそうに自転車をこいでいた天使は、そんな結菜の全力ダッシュを軽いジャンプでかわした。


「よっと」

「そんな!」


 まるで羽のように宙を舞い、離れた場所に着地する。

 結菜としては驚いて自転車を止め、振り返るしか無かった。

 天使は笑顔で結菜の出方を待っている。明らかに遊ばれている態度だ。

 着地した場所で止まっている。


「このままじゃ捕まえられないぞ」

「分かってる……けど!」


 兄の言葉に結菜は考えようとする。


「わたしに任せてください!」


 天使の横から姫子が突っ込んでいく。天使はその突進も軽やかな跳躍で回避した。

 空中で器用な回転を決めて着地する。

 姫子は自転車にブレーキをかけて結菜の隣に止まった。


「どうすれば……」


 リリーノは二人の出方を待っている。結菜は姫子に作戦を伝えた。


「わたしがあいつをジャンプさせるから、姫子さんは着地したところを捕まえて!」

「分かりました!」


 結菜は天使に向かっていく。天使は結菜の突進をジャンプで回避した。作戦通りだ。


「姫子さん!」

「はい!」


 姫子は走る。天使に向かって。

 高いジャンプがチャンスになっていた。追いつける時間がある。いくら相手が身軽でも空中で向きは変えられない。そう思っていた。

 だが、天使には羽があった。それを広げる。

 着地するかと思われたリリーノは自転車ごと空中高く舞い上がり、空から二人を見下ろした。

 結菜と姫子は無邪気な天使を呆気に取られて見上げることしか出来なかった。


「こんなのどうやって捕まえればいいの?」

「でも、捕まえなくちゃ悠真さんが……」


 町は降下していく。残り時間が減っていく。



「これじゃ勝負にならないんじゃないの?」


 麻希は遠くに飛ぶ天使を見て、隣に立つ神様に声を掛けた。

 神様は困ったように頭をかいた。


「そうじゃなあ」

「これがあなたの望んだ勝負なの?」

「いや、もっと面白い物を見れると思ったんじゃがの。よし、飛ぶのは禁止にしよう」


 神様が指を鳴らす。


「お」


 リリーノは驚いたように目を丸くした。その体に重さが加わり、地に降りていく。

 着地し、自転車のタイヤがしっかりと地面に着いた。


「おおー」


 天使は地面にくっついて持ち上げることも出来なくなった前輪を面白そうに見ていた。

 神様の声が飛ぶ。


「ここからは飛行禁止じゃ。リリーノ、走れ」

「はーい」


 神様に言われ、天使は結菜と姫子から離れる方向へとハンドルを切って走った。

 二人はその後を追いかけて走った。

 麻希は神様の隣でそれを見ていた。


「勝負はフェアにするのね」

「ああ、でないと面白くないし、やる気も出ないからな」

「それじゃ、そろそろわたしも行くわ」

「いや」


 神様の声に自転車に乗ろうとした麻希は足を止めて振り返った。

 冷静だったその顔に驚きが走った。


「それって……」

「行くのはわしじゃ」


 驚愕に目を見開く麻希の前で、神様はその乗り物に乗って発進した。



 結菜と姫子は天使を追いかけて走る。

 距離が縮まらない。実力が同じなのではない。天使はちらちらと後ろを確認している。相手は明らかに手加減をしている。


「まずいな、このままじゃ。せめて葵がいれば」

「もう葵さんには頼らない。わたしがやる」


 麻希を追いかけていた時には葵に大きく助けられてしまった。

 結菜は自分の手で決着をつけることを望んでいた。


「仲間はずれにされたことを知ったら、あいつ、後でぼやくだろうな」


 兄は言うが、そんなことは結菜にとってはどうでもよかった。

 ただ前方を注視する。


「さあ、もっとあたしを追ってきてー」


 天使が挑発してくる。余裕満点の態度で。


「この!」


 結菜はむきになってスピードを上げようとする。


「結菜さん!」


 それを姫子の声が呼び止めた。姫子の顔は挑発に乗ってはいけないと語っていた。

 結菜はスピードをゆるめた。それに気づいて天使もスピードを合わせた。

 ゆっくりとしたスピードの中で兄が声を掛けてくる。


「結菜、一人で突っ走るのが良い場合もある。だが、一人では出来ないこともある。姫子さんはその……お前とも家族になるかもしれない人間だ。仲良く協力してくれると俺も……嬉しい」

「わたしが姫子さんと家族に?」


 言われてもよく分からなかった。姫子は兄の彼女で自分とは無関係の人間だ。むしろ、兄を自分のもとからさらっていく人物だと思っていた。

 結菜がよく分からないでいると、兄はごにょごにょと何かを呟いてから話しかけてきた。


「お前にはまだ分からないかもしれないけど、結婚するってそういうことなんだ。本人達だけの問題じゃない。家族みんなで付き合うってことなんだよ」

「結菜さん、どうしたんですか?」


 姫子が追いついてきて隣に並ぶ。何かを考えている余裕は無い。結菜は正直に今の話を伝えた。


「お兄ちゃんが姫子さんと結婚してわたしとも家族になるって」


 姫子は顔を真っ赤にした。それは悠真も同じだった。パニックになった声を上げる。


「お、お、お前は何を言っているんだああ!」

「え? そう言ったんじゃないの?」

「そうだけどそうじゃない! 俺はまだ姫子さんに付き合おうとすら言ってないんだぞおお!」

「彼女なのに?」

「そうだよ! プロポーズだけが全てじゃないんだよ! 良い雰囲気ってのがあるだろおお!」

「そう言われてもよく分かんないし」

「だああ!」

「ごほん」


 姫子は咳払いをして態度を落ち着けた。結菜と悠真は意識をそちらへ向けた。姫子は顔を赤くしたまま、話しかけてきた。


「悠真さんが言ったんですか? わたしと結婚って。その……自転車が」

「うん」

「結菜、お前……」


 結菜と悠真は姫子の言葉を待った。姫子は答えた。ツンとした態度をして、


「お断りします」

「「ええーーーー!」」


 結菜と悠真は揃って驚きの声を上げた。悠真は絶望の思いに打ちひしがれた。


「終わった。俺の人生……」

「ドンマイ、お兄ちゃん」


 姫子は視線をそらして話を続けた。その顔はまだ赤かった。口から不満をもらす。


「どうしてわたしが自転車と結婚しないといけないんですか。わたしが好きなのは悠真さんなんです。そういう話なら悠真さんから直接伺います」


 結菜はぱっと顔を輝かせた。


「それじゃ、お兄ちゃんが人間に戻ったら、お兄ちゃんと結婚してくれるの?」

「軽く言わないでください! それはその時の話です!」


 姫子は少し収まっていた顔をまた真っ赤にさせてしまった。

 結菜は嬉しい気持ちになった。そして、自分が兄と姫子の付き合いを望んでいたことに気が付いた。

 もう迷う気持ちはなかった。結菜は確かな気持ちでペダルを踏むことが出来た。


「良かったね、お兄ちゃん。姫子さんと家族になれるよ」

「結菜、お前はもう黙っててくれ……」


 兄の声はあまり嬉しそうではなかった。



 結菜と姫子は天使を追いかけて走る。このままではらちが明かない。時間ばかりが過ぎていく。


「追いかけてるじゃ追いつけない。姫子さん」

「はい」


 結菜は姫子に手振りでサインを送った。姫子はそれを受け取った。

 その時、背後から大きな音が近づいてきた。

 地上の町では何度も聞いたことがあるが、自転車以外に走る物のいないこの場所では酷く似つかわしくない音だった。

 振り返る間もなく、それは結菜と姫子の頭上を大きくジャンプして越えていった。見上げる結菜には黒い大きなタイヤが見えた。

 その乗り物は前方の地面を数回バウンドし、止まった。道を阻まれて結菜と姫子は自転車を止めた。

 相手が追いかけてこなくなって、リリーノも自転車のブレーキをかけた。

 二人と一人の間に現れた物は大きなエンジン音を轟かせ、強烈な排気音を上げた。

 乗っていたのは神様だった。乗り物は自転車よりも一回り大きくタフで荒々しい凶暴さを感じさせる、バイクだった。

 神様は楽しそうに声を掛けてきた。


「お前達を見ているとわしも走り屋の血が騒いできたわい。ここからはわしも参加させてもらうぞ。さあ、天使を捕まえたくばこのわしを抜いてみろ!」


 神様が突っ込んでくる。獣のような雄たけびを上げるバイクとともに。

 この勝負にバイクは卑怯ではないかと突っ込む余裕は結菜達には無かった。迫るバイクを黒い物が迎え撃つ。


「こいつはわたしが抑えるわ。行って!」


 結菜と姫子の間を駆け抜けた麻希だった。黒い自転車と凶暴なバイクが激突して火花を散らす。


「でも……」


 自転車とバイクでは勝負にならない。結菜達はそう思っていた。


「わたしの自転車の性能はあなた達が一番よく知っているはずよ」


 確かにそうだった。麻希の自転車は今までにも色んな驚きを見せてきた。

 結菜と姫子は決意した。


「分かった! 気を付けて!」

「ここはお願いします!」


 二人は神様のバイクの左右を駆け抜ける。相手が来たのを見て、天使もスタートを切った。


「おおっと、行かせるか」


 神様は黒い自転車を弾いて追いかけようとしたが、動けなかった。


「行かせないわ。あなたには借りがある」

「ほう、何の借りかな?」

「あなたが悠真を押したから、わたしはこの時代に留まるはめになった。でも、悪いことばかりでは無かったわね」


 そう答える麻希の顔には笑みがあった。



 結菜と姫子は追いかける。天使を追って。

 角を曲がり、その姿が建物の陰に見えなくなるのを待って、結菜は姫子に合図を送った。

 姫子はうなずき、別の道に入った。

 結菜は角を曲がり、そこで止まった。

 天使も気づいて自転車を止める。

 結菜は気づいていた。天使が一定以上の距離を取ろうとしないのを。相手は勝ち負けよりも勝負を楽しんでいるのだ。

 だから楽しめない距離まで引き離しはしなかった。

 だが、結菜達は違っていた。何よりも勝つことを望んでいた。

 天空の町が降下を続け、雲の中に入った。白い雲を突き抜け、雲の下に出た。


 そろそろだ。


 結菜は自転車のペダルに足を乗せ、漕ぎ出す。

 天使も走ろうとしてその足を止めた。

 向こうから姫子が走ってくる。

 この町は結菜達の町と同じ形をしている。道を知っているからこそ出来る、挟みうちだ。

 天使はそれをジャンプでかわそうとした。だが、その動きは封じられていた。神様によって。前輪を浮かせることすら出来はしない。


「あ……あ……」


 天使は前後を見比べながら初めての焦った顔を見せ、


「ああーーーーーー!!」


 そのまま距離を詰めた結菜と姫子に捕獲されたのだった。



 勝負のついたリリーノは素直に言うことを聞いてくれた。元から良い子なのだろう。

 捕まえた天使を連れて結菜と姫子は麻希と神様のいた現場に戻って来た。

 そこでは何かが燃えていた。神様は地に膝をついてそれを見、麻希はそれをいつもの冷静な瞳で見つめていた。

 彼女の黒い自転車は無事のようだった。となれば燃えているのは、


「わしのバイクが……」


 その言葉に結菜は全てを理解した。

 近づいてくる結菜達に麻希は気づいて声をかけてきた。


「終わったようね。こっちも終わったわ」

「神様~」


 リリーノは嬉しそうに彼に駆け寄って抱き着いた。


「捕まえられちゃった~」


 報告する彼女はただ遊びを楽しんだ子供のようだった。神様は涙ぐんでいた。バイクを破壊されたのだから仕方ないことだと思えた。

 結菜は言う。


「勝負は付きました。願いを叶えてもらいますよ。あと二つ」

「本当に必要なのか? 別に自転車のままでもいいと思うがなあ」


 神様は立ち上がり、まだやる気が無さそうだった。

 結菜の決心は固まっていた。今度はもう迷いはなかった。


「わたし達が困るんです。お兄ちゃんを元に戻してくれないと」

「そう言われてものう」

「結菜さん、もういいです」


 なおも言おうとする結菜を抑え、姫子が前に出た。


「姫子さん?」

「ほう? もういいとは?」


 その態度は神様の気を引いたようだ。純粋な子供のような目を姫子に向けた。

 だが、その余裕の顔は姫子の本気の殺気をぶつけられて凍り付いた。

 天使はそっと神様から離れた。危険を察知して結菜の後ろに隠れた。

 姫子は神様の前に立った。神様は動けなかった。


「どうしても言うことを聞けないなら……聞く気になるまで! わたしがあなたをぶちます!」


 姫子の手が振り上げられる。

 神様の顔にはこの世の物とは思えない恐怖を見た感情があった。

 


 結菜は自転車をこいでいく。

 見晴らしいのいい高台で止まって、町を見下ろした。

 今日も町は平和で平凡だ。もう自転車に話しかけても答えてくれることはない。

 あれから神様は素直に言うことを聞いてくれた。

 二つの願い。一つは悠真を戻すこと。もう一つは神様のバイクを治すことだ。

 どうやら神様の取決めで自分で自分に奇跡を起こすことは禁じられているらしい。だから、結菜は二つ目の願いを言ってやった。

 それにその方が神様のやる気も出るだろうからと麻希が助言してくれた。

 神様は驚きながらも二つの奇跡を叶えてくれた。

 人間に戻った悠真を見て、姫子はドラマのように泣いて喜ぶかと思ったが、なぜか泣いて怒っていた。

 どうやら結菜に自転車のことを黙っているようにと言ったことを怒っているようだった。

 結菜としては自分に飛び火してこないように、じっと気配を消すことぐらいしか出来なかった。

 我関せずの態度を取ってきた麻希の気持ちが分かる気がした。結菜もそれに倣った。

 さらに絶交まで切り出されて、兄はこの世の終わりのような顔をしていた。

 その後、姫子は家に来た。

 大学に行って留守の兄にではなく、結菜に会いに来たと言った。

 自分の部屋に上がってもらって、何を聞かされるのかと結菜は身構えたが、彼女は悠真の不満をぐちぐちと並べ立てて、最後に絶交を切り出したことを後悔していると泣きそうな顔で言っただけだった。

 彼女も人並みの少女なのだ。結菜は姫子とは上手くやっていけそうだと思った。

 悠真は大学で葵にこきつかわれていた。自転車になっていた間に溜まっていた作業も合わせて大変そうだった。それでも断らないのは仲がいいのだろうか。大学のことは結菜にはよく分からない。

 麻希は事態が解決したことを報告しに一度未来に帰ったが、すぐにまた戻って来た。もう転校してしまったのだから卒業するまではこっちにいると言っていた。それに気になることがあるとも。

 未来から来た居候がいても両親は気にしなかった。それどころかろくに連絡もしないでふらふらとしている悠真はもういらないとまで言っていた。

 大学が忙しいらしく元に戻っても悠真はあまり家には顔を出さなかった。

 元に戻る必要はなかったかもしれない。でも、必要なことだった。結菜達にとっては。

 結菜は走り出す。今度は自分の道を見つけるために。

 自分の自転車とともに。


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