26-7


 ◆


 魂の荒野を輝かせる月明かりの下、灰色を纏った二人の異形が、魂を最後の焔を互いにぶつけ合っていた。


「……ネッドッ!! この馬鹿弟子ッ!! 貴様は本当の馬鹿だッ!!」


 高速で振り下ろされる縦一文字を、青年は両の手のひらから伸ばした幾重にも繊維で巻き取り、刃を締める形で静止させた。


「あぁ!? 馬鹿馬鹿うっせーよ!!」


 言葉と同時に、青年は無駄に長い脚で、ダンバーの胸を蹴り飛ばした。ダンバーは僅かに呻き声を上げ、刃を手放して後方へ吹き飛び、背後の岩石にその身を強く撃ちつけていた。


「……らぁッ!!」


 青年は刃を後方に投げて踏み込み、今度は右腕をボールを投げるような形で思いっきり振りかぶった。勿論、無駄に空を切ったわけではなく、右手から噴出した繊維をすぐに槍状に構成し、それを岩に埋まっているダンバーの方へ全速力で投げつけたのである。


「ふんッ!!」


 今度は相手のターン――ダンバーの本質、断ち切るという概念は、何も刀剣を持っていなければ扱えないわけではない。岩を背にしたまま振りぬかれた手刀がそのまま斬撃となり、青年の投げつけた武器を両断した。


「くっそ、インチキな技を使いやがって!!」

「そう言う貴様は、出鱈目に能力を使いおってからにッ!!」


 ダンバーが岩を足蹴にすると、そのまま高さ十メートルはある岩石が一気に砕け、同時に弾丸並みの速度でこちらへ肉薄してくる。こちらも負けてはいられない、青年も大地を蹴り、同じくらいの速さで前進し――二人の拳と脚とがぶつかり合った。


「うぉおおおおおおおッ!!」

「ぬぅうううううううううッ!!」


 互いの速度と質量とが生み出した衝撃が、辺りの地面を抉り取り、半径三十メートルほどのクレーターが出来上がった。ダンバーの拳は砕け、こちらは右腕が吹き飛び――手の触れ合いが無くなると同時に、ダンバーは宙へと飛び上がり、クレーターが出来た衝撃で舞い上がっていた傷だらけの相棒を左の手で掴み取っていた。


「……ソリッドボックスで、貴様は! あの場で臥していれば良かったのだッ!! そうすれば……!!」


 そうすれば、こんな風に命の焔を燃やすことも無く、自分達はあの場で再起のチャンスを失い、彼等の目的は、あの場で成就されていたはず――もっと言えば、自分の心はヘブンズステアの良い様にされる上――。


「……俺にとってはなッ!! ネイを失うのは、死ぬよりイヤなことだったんだよッ!!」


 青年はダンバーが宙から繰り出してきた黒い焔をしゃがんでかわし、そのまま右手を大地に付け、相手の接地場所に繊維の剣山を作り上げた。


「……だから貴様は馬鹿なのだ!! もっと自分を大切にしろ、たわけッ!!」


 相手はこちらの罠を避けるでもなく、その身に穴を空けながら、しかし気迫だけで青年の繊維を分解し、再びこちらに向かって突進してくる。


「テメェにだけは言われたくねぇな!! むしろ、アンタは望んでいたはずだ!! この日を、この場所を、この舞台を!!」


 それだけ言って、青年も負けじと前へ出た。再びダンバーの斬撃と、青年の繊維とがぶつかり合い、その衝撃の余波が、古代人の都市の瓦礫を粉砕し、その欠片が宙を舞った。


「だから、アンタはヴァンにやられた後の俺に、救いの手を差し伸べたッ!!」


 青年は再び一気に前進し、右の拳を引き、気を乗せて一気に突き出した。ダンバーは何も答えず、救いの手の代わりに刀剣の柄を持つ右手をそのまま突き出すことで応えた。互いの拳が砕け、しかしすぐに互いに距離を置き、そして互いに右腕を再編成する。


「ソリッドボックスでも、腱を斬るだけじゃなくて、意識を落としておけば良かったんだ!」


 青年は攻撃の手を緩めず、相手に大技を撃たせない様に立ち回り続ける。そう、勝利条件は、単純にダンバーを打ち倒すことではない。もちろん、なんとか無力化出来るのが一番だが――この力を使う限りは、戦い続けるか消えるかの二つしかない。

 しかし、単純に――ヴァンがそうであったように――自分も、彼に力を認めてもらいたい、自分の声を届けたい、そういった想いが、消えそうな魂の奥で錯綜し――ともかく、青年は打ち、紡ぎ、師匠に想いをぶつけ続ける。


「フィフサイドでも、この前の戦いでも、アンタはいつだって、俺を仕留めようと思えば、仕留められてたはずなんだッ!!」


 師匠の顔は、灰色のマスクに覆われて、その表情は見えない。だが――今だって、何故だか手心を感じてしまう。それでも、互いに戦っているのは、互いに目指す先が平行線だから。しかし、きっとそれ以上に――。


 ダンバーの横一文字を避けきれず、青年の胴体が上と下とに分かれた。激痛に耐え、しかし残った上半身で反り返り、青年は右手を繊維に分解し、残っている古代都市の瓦礫に糸を伸ばし、一旦退避した。ダンバーは追ってくるわけでなく、ただ正段に巨大な刃を構えて、こちらが下半身を再構築するのを見守っていた。


「……アンタは、俺が魂の荒野から戻ってくるのを、確信してたんだ。アンタはあそこで大佐とも会っていたし、俺がマリアさんからアンフォーギブンの情報を仕入れているのも知っていた。そして……!」


 青年は右の人差し指で空に浮かぶ大地を指した。相手の視線が、上に向かっている――今がチャンス、これ以上消耗しては、少女との約束を護れないかも知れない――それは、絶対に避けなければならない。今のうちに夜の闇に繊維を紛れ込ませ、罠を張る――ヴァンを破った一撃、アレを師匠にも叩き込む。


「……そして何よりも、俺が自分の命よりも、あの子が大切だということも知っていた。アンタと同じだよ、ダンバー……自分の命よりも、大切なモノがあるから、俺は戻ってきたんだ。そして、アンタは今日、全てを出し切って、一を護ろうとする俺が正しいのか、十を救おうとする自分が正しいのか、それを確かめたかった……そうだろう?」


 青年の言葉に、ダンバーは剣を構えただが、やっと言葉で答えてくれる気になったらしい、剣気を抑えた。


「……あぁ、そうだ。同じ力を持つもの同士、しかし思考を違える者同士……五分の条件でぶつかり合うことで、天命を決しようとしていた。しかし……何も、本当に私の思い通りに、動いてくれることなど、無かったのだ。ソリッドボックスで、神の国が来ていれば、お前は平和な世界で……」

「だから、言ってるだろう? 俺にとって、ネイがいない世界なんて、平和でもなんでもない。仮に全世界の人間が幸福でも、俺はあの子がいない世界なら願い下げさ。それに……!!」


 ここまでで細工は流々仕上げは上々、後は渾身の一撃を、思いの丈と一緒に相手にぶつけるのみ。未だ天を見上げているダンバーに対し、青年は右腕を掲げ、紡ぎあげた繊維の一部を一気に縮め、相手の四肢を拘束した。すでにここは、自分の世界――半径数十メートル辺りには戦っている間に張り巡らせた繊維の結界が完成しており、今度こそ、ヴァンとの戦いでは完成しえなかった一撃を叩き込むことが出来る。


「神の国なんか来なくたって、人間はアンタが思ってるほど、愚かじゃない!! だから、俺たちは自分の力でやっていけるッ!! だから、コイツで寝てろッ!! パイク・ダンバー!!」


 青年は高く、高く一気に跳躍し――魂の大地に浮かぶ月にまで届きそうな程、限界まで行き着いたその先で、青年の腰裏にある繊維も限界まで引き伸ばされており――後はスリングショットの要領で自らを打ち出し、最高速で最強の一撃を叩き込むのみ。


「喰らえ!! 俺の魂を賭けたの一撃ッ!! 明日に向かって撃て【トゥモロー・ネヴァー・ダイ】ッ!!」


 そう、今から放つこの一撃は、自分が明日に生きるため、そして――単純に一人の男として、自らを育て上げてくれた男を、乗り越えるために。


「……一度見せた技で、この私を止められると思うなッ!!」


 ダンバーが叫ぶと、相手の四肢を拘束していた繊維が断ち切られた。男はノーモーション、しかし本質の力を格段に向上させる許されざる者の力を使えば、アレくらいは容易か――だが、こちらも既に止まれない。


「……私も全身全霊、魂の全てで応えようッ!!」


 咆哮と共に繰り出されるは、闇を裂いて駆け上がる漆黒の焔、昇彗星縦一文字――そう、相手が戒めを解いたのは、こちらの一撃を避けるためでないのは分かっていた。パイク・ダンバーは、全てを賭けて、今日という日に天命を待っていたのだから。


 それならば、最早互いに退路など無い。青年は、脚部に一層繊維を巻きつけ――師の嘆きの焔に飲み込まれないように――ただ、自分の想いを、馬鹿な師匠にぶつけるためだけに、焔の中を突き進む。


「ダンバァアアアアアアア!!」

「ネッドォオオオオオオオ!!」


 師匠が自分を呼ぶ声が聞こえる。それは愛憎ではない、きっと自分と同じだ――男として、今日の夜に全てを賭し、ただ相手を乗り越えたいという衝動――体が熱い、焼ける、胸が張り裂けるほど痛み、だがここで止まるわけにはいかないと、互いに魂に鞭を打って――自らの限界まで抗い続け、青年は焔に焼かれる体を再構築し続け、ただ、自らの魂の全てで、彗星を切り裂いて進み続けた。


「ネッド、貴様は馬鹿だッ!!」

「褒め言葉だねッ!! 馬鹿師匠ッ!!」


 そう、馬鹿とは、常識に囚われずに抗い続ける者に与えられる勲章だ。向こう見ずでどうしようもなくて、猪突猛進な者に送られる称号なのだ――だからだろうか、焔で見えないはずの師匠の顔に、何故だか笑顔が浮かんで見えた気がするのは。


「そうだ、私も、お前も、どう仕様も無い馬鹿だ……未来のためだ、誰かのためだと言いながら、何故こんなにも熱いのか!!」

「そんなの単純だぜ!! 俺もアンタも、男だからだよ!!」


 そう、結局、男などこんなものだ。極限の中で、自分のあり方を見極めようとする――いや、もっと単純だ。男という馬鹿な生き物は、ただただ単純に、皆どうしようもなく負けず嫌いなのだ。


「アンタを越えたい!!」


 青年の願いに運命が応えたのか、白い姿形の剣士の姿が、焔の向こうに現れた。もらった――そう想ったのだが、相手にも意地があるのだろう、刀身を素早く翻し、青年の蹴りを寸でで受け止めた。


「……越えさせぬッ!!」

「ケチィこと言うなッ!!」


 だが、相手の奥義は乗り越えた、後はまだ残っている勢いで、相手を圧しきるだけだ。師匠の足が地面に埋まり、青年の魂が巻き起こした闘気が爆発するのと同時に、再び師匠を中心に地面が捲り上がり――同時に、相手の刀身の中央にヒビが入るのが見えた。


「……成程、やはり若い炎は、時代遅れの鉄屑など、燃やし尽くしてゆくか……」


 ダンバーの、半ば悔恨めいた呟きに呼応して、ラスティファングの亀裂は拡大していき――。


「だが、運命に抗おうという気概は同じ!!」


 だが、パイク・ダンバー自身は、その老いたる剣の化身は、決して折れてなどいない。刀身が砕けた瞬間――青年の足裏を振り上げられた男の膝が止めた。


「……何!?」


 そう、昇彗星縦一文字を越えるのに、勢いと魂は、随分と削がれていた。その上、刀身で受け止められたせいで、最後に青年の脚に残っていた力は、男の気を乗せた一撃で受け止められるほどになっており――。


「私は、お前とだけ戦っているわけではない……運命とも戦っているのだ!!」


 青年の足は、為されるがままにダンバーに引きずりこまれ――そしてそのまま、腹部に気を乗せた肘が叩き落された。


「がっ……!?」

「……言っただろう、越えさせんとな……ケチと言われても構わん。どの道……」


 ダンバーの声が上から聞こえきた直後に、青年の体は背中から地面に叩きつけられた。そしてそれとほぼ同時に、青年の変身は解かれてしまう。それはただ、ダメージで継続戦闘が出来なかくなったというだけではない――単純に、もはや燃やすものが無くなってしまったのだ。


「……お前も、長くない。それは、私もだが……」


 対するダンバーは、まだ自らの意志で変身を解いているようだった。だがそれでも、ほとんど残りかすなのだろう、すぐに刀身の折れたラスティファングの先端を地面に突き刺し、膝を突いて苦しそうに息を荒げていた。


「はぁ……はぁ……運命の天秤は、どうやら、人々の魂の救済に傾いたようだ……だが、よく、よくぞここまで…………」


 ダンバーはそこで頭を振りながら話を切ってしまった。きっと、この人のことだ、何を言っても言い訳だ、そんな風に思ったのだろう。剣は使い物にならないと判断したのか、青年のすぐ隣に突き刺したまま立ち上がり、踵を返して空を見上げていた。


「……シーザーが遅れを取ることなど考えにくいが、万一もある、私は……」


 青年はそこで力をなんとか振り絞り、うつ伏せになって腕を伸ばした。相手も未練があったのだろう、まだ歩き始めていなかったおかげで、青年は師匠の足をなんとか掴む事ができた。


「……俺は、まだ、終わってねぇ、ぞ……」

「ネッド……」


 男は振り返らず、しかし力のまったく篭っていない青年の手を、振りほどくこともしなかった。ただ立ち止まって、今度は俯いてしまっていた。


「……約束、したんだ。君の元に、何があっても、たどり着くって……」

「……それならば、なおのこと馬鹿だ、お前は……こんな老いぼれの、最後の願いを、聞き届けることなどなかったのに……」

「……でも、それでも、俺は……アンタに、気づいて欲しかったんだ……人間は、誰かのために、一生懸命になれるって……それは、すばらしいことなんだって……俺の、命の恩人に、それを、気づいて欲しかったんだよ……」

「……いいや、それならばこそ、私は永遠に消滅しても、なお償えない罪を背負ってしまった。何故なら……」


 青年の言葉にも振り向かず、しかし泣きそうな声でそう言って再び空の大地をダンバーが見上げ始めた瞬間――。


『ハロー、ハロー、聞こえますか。この大地に生きる全ての人たちに、私の声が届いているでしょうか? こちらは……』


 友の声が、魂の大地から見放された男二人の耳にも届き始めた。


「まさか、シーザーが……」

「……いいや、スコットビルは、生きてるよ……だって、ジェニファー・F・キングスフィールドは、アイツとだって手を組むつもりで……この大地に生きる力を、束ね上げたんだから」

「なんだと? それは……」


 師匠がやっと振り向き、膝を下ろして、青年になるべく視線を合わせたきた。


「やっぱり……俺の勝ちだな、師匠……鷹の目の狙撃手が、言ってたぜ……勝利条件を決めるのは……自分だってな」


 そう、力では師匠を超えられなかった。しかし、自分は、やはりこれでいいんだ――自分の本質は、紡ぐこと。そもそも、乱暴するのに適した能力では、なかったのだ。そして、なんとか間に合ってくれた――だが、ジェニーに頼んだのは自分だ、それを聞き届ける義務がある。


 だから、青年は師匠の足から手を離し、両腕を広げて仰向けになって、これから起こるはずの奇跡を、空を見上げて待つことにした。

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