青年と荒野 -The Youth and The Wild-
1
気がつけば、真っ白な空間に自分は居た。上も下も横も無い様な――ただ、不思議な引力に導かれて、大いなる何かに引っ張られていく感覚だけがあった。
そんな訳の分からない空間なのに、不思議と不安では無かった。もう、抗う必要は無いと言う安心感と――何より、何かをやりきったような満足があった。だから、もう――。
いや、なんだろうか、自分と同じように引っ張られていく何かのうちの一つに、どうしても気になる存在がある。それは、自分にとっては許せない存在で、絶対の敵対者であるような、そんな感覚――きっと、向こうも同じなのだろう、互いに目があるわけでもないのに、意識しあい、牽制しあい――安心感はなりを潜め、一気に怒りが沸いてきた。そもそも自分がこんな風になっているのは――。
「お前のせいだ、ヘブンズステアッ!!」
「貴様が、貴様がいなければッ!!」
互いに叫んだ。その瞬間、世界は一気に色を帯び――どこまでも続く、果てしない荒野が青年の足元に広がった。一瞬、青年はそのことに戸惑った物の、すぐに自分の置かれている状況を理解した。ここは、先ほど草原と解け合おうとしていた空間。一言で言ってしまえばあの世――そう、自分は少女にここに送られたのだから、それも当然だった。
だが、どうやら死んだタイミングが悪かったのか、二度と見たくない魂を拝んでしまった――いや、むしろ良かったのかもしれない。ムカムカするのは事実だが、コイツは放っておけばそれはそれで悪さをしそうである。
対する男は、怒りを表情が段々といぶかしむ様なものに変わっていく。
「……そう言えば、お前の名前を知らないな」
そう言われて、青年は指していた指に更に力が籠った。主に、くだらない怒りでだ。
「ネッド! ネッド・アークライトだッ!! てめぇ、すっげぇむかつくぞ!!」
「はぁ……いや、興味も無い……こんな、こんな野蛮で品のない男に殺されるとは……」
本当に興味が無いのだろう、ブランフォードは青年の方を見るのを止め、荒野の果て――何やら、巨大な列の続くその先を見つめていた。
「……アレが、大いなる意思か……ふ、ふふふ……!」
段々と、表情が柔らかくなり――そして最後には、狂喜の笑顔を浮かべた。
「そうだ! 予定は変更だ!! 折角ここに来たのだ、直接支配してしまえばいいのだ!!」
「……何だと?」
「ふ、ふふ……聖者は一度死に、そして蘇る……そうだ、やはりコレが正解だったのだ!」
そう言いながら、ブランフォードは列の先の方へと走り出した。
「お、おい、待ちやがれ! なんだか分からないが、お前の好きにはさせねぇぞ!」
青年は自然と、いつものように、腰からボビンを引き抜き、そして男に対して繊維を伸ばした。やってから気付いたのだが、死んだ後なのに能力は使えるらしい、なんだか魂だけってのも便利かもしれない、青年はそんな風に思った。
「じ、邪魔をするな!」
「するわッ!! 折角ぶっ殺したってのに、死んだあとに良い様にされてたまるかってんだよッ!!」
青年は空いているもう片方の手にぼボビンを持ち、そのまま相手の首に紐を伸ばした。果たして、魂の自分たちは、どうやれば滅せるのか甚だ疑問ではあるが、ともかく首を締め落とせばきっと殺し直せるに違いない、なんだか物騒なことを考えているのだが、青年にとってはコイツは許さざる敵なので、むしろ絶対に殺してやるくらいにしか思っていなかった。
「ぐっ……やらせん!!」
男が叫ぶと同時に、青年の繊維の拘束は解かれてしまった。そういえば、この男、能力を無力化出来るのだった、そのまま首に巻きつけようとした紐も相手の右手に取られ、繊維は硬度を失ってしまう。もっと言えば、互いにシリンダーも輝石の助力も無くとも、普通に能力を発現させている――だが、不思議と普段より力が出るし、更に言えば使っても力がわき出てくるようだった。
「ふっ……成程な。これが、魂の力か……」
ブランフォードは納得したように一人で頷いている。
「……どういうことだ?」
「私も貴様も、互いに己の魂を燃やし、能力を発現させているのだ。自らの能力を発動させるのに、自分の魂ほど燃費の良い物は無い……しかも、ここは魂の集う場所、大いなる意思との連結が直に出る場所だ。魂の摩耗も、すぐにグレートスピリットとの繋がりにより、補てんされる」
「えぇっと、つまり……」
互いに能力を使いたい放題な上、現世でより強力な力で闘う事ができるということか。
「……そうなると、単純に普段の力が強い方が勝つってことか?」
「……そういうことだ!!」
「ぐっ!?」
青年の体が、男の握っていた繊維を元に引き寄せられた。
「忌々しい娘の力だが……破壊の左腕【ワールドデストロイヤー】!!」
ブランフォードがそう叫ぶと、青年の繊維が灰になり――そのまま、青年の脇腹が相手の左腕に抉られた。
「ぐっ……がはっ!」
身を裂くような痛みは無いが、それこそ文字通り、魂を抉られる苦痛を感じる――血こそ出ないし、徐々に腹部も再生していくが、このまま攻撃を続けられれば、そのまま消滅する――それは、本能的に分かった。
「ふぅ……あの出来そこないの能力が、まさか役に立つとはな……」
膝を付いてしまった青年の上から、そんな声が聞こえてくる。見上げると、男は口元を緩ませ、左腕を掲げて――今まさに、その腕が振り下ろされようとしていた。
「……さらばだ、名も知らぬ男! 永久に消滅するがいいッ!!」
「ちぃ……!?」
動けない、終わった――青年がそう思った瞬間だった。風を切る音が聞こえ、銀の流線が走る――直後、男の左の肩から先が切り落とされていた。
「……永久に消滅するのは、お前の方だよ」
風が抜けた先から、聞き覚えのある声が聞こえる。そちらへ青年が向き直ってみると、美しい銀の髪が、荒野の風に揺れていた。
「ジーン……銀刀のジーン・マクダウェル!?」
「あぁ、そうさ……そういうお前は相変わらず間抜けな面をしているな、不死身のネッド・アークライト」
女は美しい顔立ちでシニカルに笑って、しかしすぐに剣を鞘に戻して、ブランフォード・S・ヘブンズステアの方へ向かった。
「ともかく……積年の恨みを晴らすべき相手が来てくれたんだ、成仏せずに待ってたかいも、あるってもんだよ」
ブランフォードはよろめきながら後ずさり、右手で無くなった肩先を抑えながら狼狽していた。
「ぐ、ぬぅ……貴様、何者だ?」
「……そうかい、いや、分かってもらおうとも思わないし、仮に覚えて居た所で、やるべきことは変わらない……しかも」
その言葉が聞こえた直後、再び風が走った。青年が気付いた時には、すでにジーンは男の後ろに立って――。
「こんな失礼な奴だったら、余計に斬るのに情けも必要ないってもんだね」
刃を振って、そして鞘に収めた。納刀の乾いた音が小さくなった後、男の胸の部分に線が走り、そのまま上半身が地面へとずり落ちた。
「はっ、巨大組織の親玉だってのに、呆気ない……あぁ?」
ジーンの語尾が、訝しげにつり上がった。ブランフォードの体――厳密に言えば魂なのだろうが、遅れて倒れた下半身と、胸から上の部分の切断面から煙が巻き上がっている。
「く、くくっ……私の信仰心を舐めるなよ……!?」
這うような形で、ヘブンズステアが自らの下腹部にたどり着き、切断面をつなげると、徐々に繋がっていく。ここは、大いなる意思の恩恵を直に受けられる場所で、確かに青年の傷も徐々にだが癒えてきている。それでも青年のそれを遥かに上回る速度で回復しているのは、信仰心、もといあの男はグレートスピリットとの連結が強いのかもしれない。
そして、男は腕のばねを使って立ち上がり、最高に楽しそうに笑い出した。
「ふはは! 見たか! 私の神が、まだ私に滅びるなと言っておられるのだ!!」
お前の神ではないというか、こんな不届き者に力を貸すグレーとスピリットって何なんだろうか、真剣に青年は悩んでしまった。それと同様にジーンもこの男にドン引きしているようで、あきれた様な不気味なものを見るような調子で、高笑いを続けている男を指差した。
「……おい、オッサン。コイツ、どうやれば死ぬんだ?」
「ひぃ、怖い怖い……まったく、最近の子ってのは乱暴だね」
ジーンが振り向いた先に、眼帯をした壮年の男性が立っている――その男の正体は、青年にはなんとなくだが察しがついた。
「まぁ、再生しなくなるまで斬り刻めば、そのうち消えるんでねぇか?」
「……アンタの方が、よっぽど怖い気がするね」
「情けが必要な相手かい?」
「いいや、さっきも言ったが、無用だな」
そういうジーンに、眼帯の男が並んだ。男が取り出した拳銃は、見覚えのある意匠で――あの子の持っていたものとは厳密には違い、年式も古く随分と使い込んでいるものだが、どことなく似ていた。
「……一番のお気に入りは、あの子にくれてやったらかな。でもまぁ、コイツでもお前さん相手には、遅れはとらないぜ」
銃口を向けてシニカルに笑う眼帯の男を、ヘブンズステアは目を細めて注視した。
「貴様……なんだか知った顔をしているな」
「べっつに、覚えてて欲しいなんて思っちゃいねぇよ。それに、どうせお前はここで消えるんだからな!」
その瞬間、ヘブンズステアの体に六つの穴が開いた。直後、眼帯の男は素早く排莢し――固定フレームの弾倉から一発ずつ薬莢を出し、流れるようにリロードを完了させ、またすぐにヘブンズステアの体に別の穴が六つ開いた。
「……ネッドさん、大丈夫ですか?」
青年が男の銃さばきに呆気に取られていると、今度は横から声が聞こえた。青年がそちらを見るより先に、先ほど抉られた腹部に暖かな感覚が起こり――すぐさま、傷が回復した。不思議なことに、傷が治るのと同時に衣服まで再生している。恐らく、ここがそういう場所だからなのだろう。ともかく青年は手当てをしてくれた相手に礼を言うべく、癒し手の主に向き直った。
「え、えぇ……マリアさん、お久しぶり、です?」
「はい、お久しぶりですね」
栗毛の女性の柔らかな笑顔が、青年のすぐ隣にあった。
「……マリアさんにジーンが居るってことは、やっぱりここは……」
「はい、単純に言えば死後の世界です。ちなみにネッドさんがくるのは、コグバーンさんの予知で知っていました」
そう言いながら、マリアも顔を上げ、闘っている二人の方を見た。やはり、あの拳銃――ネイが持っていた物と似ている。つまり――。
「おらおらぁ! 死ね、死んだあとにもっかい死ね!」
もしかして、あの銃を凄まじい勢いでファニングして、また恐ろしい速度でリロードしている、化け物じみた銃捌きの物騒なオジサンが、かつて一度は会ってみたいと思っていた御仁なのかもしれない。しかしなんだか怖いので、青年は別人であることを祈ってみた。
「あぁ、あの銃を乱射しているオジサンが、かの有名なコグバーン大佐です」
「あ、さいですか……」
現実は無情だった。いや、死後の世界で現実とか言うのもおかしいのだが、ともかく無情だった。
しかし、ジーンとコグバーン大佐が余りにも強く、ヘブンズステアは先ほどから呻いているだけで、なんだか緊張感が無くなっているというか、むしろ弱いものいじめをしているような罪悪感すら出てきたのだが――急に大佐の表情が強張った。
「……ジーン、退けッ!!」
意外と大佐のことを信用しているのか、ジーンは後方へ跳んだ。直後、ブランフォードの右腕が宙を切って終わった。しかしあのままいけば、捨て身の一撃で、男の腕はジーンに触れていただろう。
「……ちぃ、能力を奪って支配してやろうと思ったのに……」
「いいえ、それは張ったりよ」
また、別人の声が聞こえた。青年がそちらを向くと――ネイティブの女性なのだろう、黒髪に黒い瞳の、しかし美しい女性が立っていた。
青年が意外だったのは、その女性の来訪に、この場に居る全員が驚いていることで――それは、ブランフォードも含めてだった。
「……サカヴィア」
ブランフォードの口から出た名には、青年も聞き覚えがあった。確か――。
「ネイの、母親?」
青年がこぼすと、一旦女性はこちらを見て、暖かな笑顔で頷いてくれた。
「きっと、貴方は、いいえ、貴方達はネイに良くしてくれた方々ね……お礼を申し上げます」
サカヴィアは一度深々とお辞儀をし、しかしすぐさま真面目な表情になって、ヘブンズステアを見据えた。
「……その男の能力は、支配だなんて凄まじい物ではないわ。その男の本質は、模倣……自分自身を持たないが故に、誰かの真似をすることで、自己をなんとか保っている、そういう男よ」
「や、やめろ……!」
まるでサカヴィアの言葉に打たれたかのように、男はよろよろと後ずさりを始める。
「貴方は、真に誰かを救いたいわけじゃない……新たな救世主となって、いいえ、救世主の真似事をして、そんな自分に酔いしれているだけ。この国に渡ってきた白人たちの心の奥底にある楽園への渇望を利用して、自己満足に浸りたいだけなんだわ」
「くっ……だ、黙れ!!」
「えぇ……そうね。別にとやかく語ることも無いわ。でも……」
サカヴィアの横に、すでに傷の癒えた青年が並び、次いでジーン、マリア、コグバーン大佐が続いた。ちょうどこちらが五人、ブランフォード・S・ヘブンズステアと対峙する形になる。青年は背後から、強大な引力を感じた。後ろには、大いなる意思がある――それは確かなことで、そしてコイツがそれを支配しようというのならば――。
「貴方の好きにはさせないわ、ブランフォード。ただ、それだけよ」
女性の声には、怒りや侮蔑があるわけではない。ただ凛と、正面にいる男を、態度と言葉で撃ち抜いた。
一方で、頭を垂れたまま不気味に笑い、ブランフォードはしばらく止まっていた。
「ふ、ふふ……いや、君は気丈で……腹立たしい女だよ、まったく」
顔を上げ、目を細めて、青年たちの後ろにある大いなる力を、男は少しの間見つめて――そして、こちらに視線を移してきた。
「……成程、確かに君たちをどかして、その先に行くのは無理のようだ……このままいけば、私は消滅させられ、永久に行き場を失うだろう」
その言葉に、銀刀のジーン・マクダウェルが一歩進んで応える。
「あぁ、観念しな……もっとも、抵抗しなけりゃ、痛い様には……」
「……!? ジーン、すぐにそいつを止めるんだ!」
コグバーンが叫んだ時には、すでに遅かった――男は左の拳を振り上げて、そして思いきり地面に押し当てた。リサのワールドデストロイヤーの真似か――いや、親子だから少し使えるだけなのかもしれない、ともかくヘブンズステアの居た足場に亀裂が入り――いや、この空間の周りに亀裂が走った。
「……ほぅら、逃げないとお前らも巻き沿いを食うぞ?」
「くっ……ここは退きましょう!」
サカヴィアの言葉に、青年は慌てながら質問を返した。
「こ、コイツを放っておいても大丈夫なのか!?」
「空間の崩落に巻き込まれたら、私たちもどうなるかもわからないわ!!」
「わ、分かった!」
青年達はヘブンズステアに背を向け、大いなる意思の方へと走り出した。すると背後から、勝ち誇ったような、怨嗟の様な叫び声が聞こえてくる。
「……私は、諦めないぞ! ダンバーだって戻ってきたのだ!! 私も、かならず帰って……!!」
その後は、激しい音と共に聞こえなくなった。距離を取り、振り向くと、まるで真空地帯に空気が巻き込まれていくかのように、崩落した空間に何かが流れ込んで行き――しばらくするとそれは止まり、ヘブンズステアも跡形も無く消えていた。
「……自滅したのか?」
青年がそう、サカヴィアに尋ねると、彼女は静かに首を横に振った。
「分からない……私達ポピ族は、この空間には明るい方だと思うけれど……それでも、分からないことの方が多いから。もしかしたら、逃げおおせただけかもしれない」
「そ、そうか……うん?」
今のサカヴィアの言葉に、青年は聞き覚えがあった。
「……なぁ、アンタ、ワナギスカのトッツァンを知ってるか?」
青年がそう聞くと、サカヴィアは驚いた様な顔で青年を見つめてきた。
「まさか、貴方会ったことがあるの? ワナギスカは、私のお父さんなのよ」
「な……そんじゃ……」
ネイは、ワナギスカ酋長の孫だったことになる――なんとも運命とは良くできていると言うか――青年はそんな風に思った。
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