7-4
馬車を路肩に置き、青年は草の上に胡坐をかいていた。手には少女お手製の美味しいコーヒーが入ったカップが右手にあり、一人ぼぅ、と海の方を見つめている。視線の先には、太陽の光で輝く海と、波際で潮と遊ぶ、長い三つ編みの少女の姿があった。ネイがしゃがみこんで、何かを拾い上げて――どうやら、貝の抜け殻らしい、それを輝く瞳で見つめていた。
あまりにも穏やかで、心地の良い時間が流れている。ふとカップに口をつけて、今日は自分も砂糖を入れるべきだったか、なんだかそんなふうに思って後、青年は随分冷えてしまったコーヒーを飲みほした。
「……ふぅ! いや、なかなか良かったな」
まさか、少女の口から「良い」が出るとは、青年は少し驚きだった。ネイは青年の隣に座り、濡れた足を乾かすために、普段はソックスの下に隠れている白くて綺麗な足を潮風に差し出した。
「しかし、お前はいいのか? せっかくの海だぞ?」
「あぁ、荷物を見てないといけなかったし……何より、砂浜ではしゃげるほど、若くないからな」
「あのなぁ、そんじゃアタシがガキみてーじゃねーか」
「違うのかい?」
「はぁ……アタシとお前、たかだか三歳差くらいだろ? だから、そんなガキ扱いすんなよな……」
じと、とした目で少女が口をとがらせている。
「いや、石の上にも三年って言うからな。意味知ってるか?」
そう言われて少女はうっ、と声をあげる。知らないのではない。いい加減なことを教えられているだけなのだ。
「……石の上で三年待つなんて、アホのすることだって」
「コグバーン大佐が言ってた、か?」
「だけど、今回ばっかりはコグバーンが正しいぞ。三年の差なんて、あんまり意味もねーってことなんだからな」
「……成程。今回は俺の負けだ。一本取られたよ」
降参の示しとして両手を上げると、少女は得意げな顔になり、そして再び風をその身に浴びることに集中し始め、静かな微笑みを浮かべたまま静かになった。
しかし、三歳差というのは、どうなのだろうか。歳をとれば歳をとる程、三年という時の差など意味をなさなくなるだろう。しかし、隣の少女は見た目が幼く、十七というより若く見える。対して自分はよく老け顔だ、などと言われる立場であり、恐らく他人が見たら自分たちの年齢差はもっと大きく見られているのではないか。
(……というか、もしかして俺ってロリコンとか思われてるんじゃなかろうか?)
そう思った瞬間に、青年は少しぞっとしてしまった。
「どーした? 変な顔して……て、それはいつもか」
「いやぁ、相変わらずナチュラルに心をえぐってくるねぇ、君は」
青年は、自分の顔にあまり特別な関心を持っていた訳では無かった。だから、老け顔と言われても内心はどうでもよかったのだし、人からどう評価されようと別にかまわないと思っていた。
だが、どうにも今は気になってしまう。鏡に映った自分の顔を思い出して――なんだか駄目だった。自信が無くなるだけだった。
「……大丈夫か? なんか今日のお前、特別変だな」
どうやら、心配させてしまったらしい。ネイが少々不安そうな視線が、こちらへ注がれていた。
「あぁ、ちょっとね。難しいお年頃なんだ」
「はぁ、わけわかんねー……」
少女は膝を抱き、また海を眺め始めた。だが、なんだか考え事をしているようだった。
変に心配をかけては悪いな、そう思い、青年は話題を変えることにした。
「ところでネイ。君は泳げるのか?」
「泳げる、泳げないというより、泳ごうと思ったことすらねーな……お前は?」
「まぁ、人並みにはね」
「ふーん……お前は何でもできるな。そこは素直にスゲーと思うよ」
「お褒めに預かりー」
「きょーえつしごくでござーいってか? まったく、語彙がねぇな、お前もさ」
そう言われて青年は笑ってしまった。つられて、少女も笑った。なんだかんだ、二カ月行動半以上を共にしているのだ。お互いの言わんとすることや口癖などは、もはやお互いにお見通しということらしい。
「……今の、本心だからな?」
少女が少し恥ずかしそうに、視線は海に投げかけたまま、言った。
「え、ボキャ貧が本心とか、結構傷つくんだけど」
「そっちじゃねーよ馬鹿! ……はぁ」
大きなため息を吐かれてしまった。しかし、そうなるとその前の言葉か。
「……いや、何でもできるかもしれないが、逆を言えばなんでもそこそこ止まりだからな。大したことないよ」
「……そんな風に自分を卑下すんなよな。アタシは、その……なんでもできるネ…………に、助けられてるからさ」
少女の言の葉の一部は、風に吹かれて飛んで行ってしまった。しかし、何を言っていたのか、青年には分かっていた。先ほどのように緊張しないで済んでいるのは、潮騒の優しさのおかげか。
「俺の方の方こそ、かな」
「……え?」
「だから、俺も君に助けられてるさ。ありがとうな、ネイ」
「なな、何を言ってやがる!? アタシがてめーに、何をしたって……」
そこまで言って、少女はなんだか暗くなってしまった。確かに冷静に考えれば、少女は戦闘担当で、その他大体のことは自分がやっている。そんな連日のようにドンパチやっているわけでもないし、質では測れない問題だが、単純に量に換算してしまえば自分の方が余程少女のことを助けているだろう。実際、青年も何に対して礼を言ったのか、良く分からなかった。
でも、感謝したかったのは本当だったし、何よりも別に、礼を言われるためにやっているわけでもない。単純に、少女を一人にしないと誓ったから、世話をかけているだけなのだ。
「まぁ、一緒に居て楽しいからさ。それが一番じゃないか?」
「そ、そうか? そういうもんか……? うーん……」
青年が少し勇気を持ってスカしたことを言っても、少女は釈然としていないようだった。だが少し考え込んで後、少女はぱっと顔を輝かせた。
「なぁ、その、馬車の運転はできねーけどさ。他の仕事だったら、アタシにも出来るんじゃねーかな」
「成程? 役割分担という訳か……でも、ドンパチやるのは君がメインだし、こうやってたまにコーヒーを淹れてくれるくらいで、俺は満足なんだけどな」
「それじゃーアタシの気が済まないって言ってんだよ。なぁ、なんか無いかな?」
まっさきに思い浮かんだのは洗濯だったが、これは現状でも各々自分の衣服を勝手にやっている。年頃の女の子に男の下着など洗わせるのも可哀そうだと思い、この案は却下した。
「うーん……それじゃあ、雑貨の買いものとか?」
多分、これが一番単純な仕事だし、ネイも一人が長かったのだ、まさか買い物すら出来ないということはあり得ない。そう考えれば、妥当な線だろう。
しかし、少女の顔は、腑に落ちない、という感じになっていた。
「……お前の糸とか紐とか、どれ買えばいいのかわかんねー」
「おっと、確かにそうだな。それじゃあ、情報収集……は、きついか」
人見知りの激しい少女に、聞き込みなどやらせるのは気が引ける。
「うん……なんか、他にないかな?」
「それじゃ、料理とか。なんだったら、教えるぞ?」
我ながら名案だ、青年はそう思った。旅する間は、どうにしたって食事を摂らなければならない。ここが分担できれば、青年の負担はなかなか減るはずだった。
「……それは、駄目だ」
しかし、残念ながら返ってきたのはNOだった。
「え? なんで?」
「まぁ、料理が出来るようになる……それは確かにいいことだ。だけど、教えてもらうのは駄目なんだ」
「えぇ? なんでなんで?」
「うー……とにかく、駄目なもんは駄目なんだよ!」
ネイはなんだか恥ずかしそうにして青年から視線を逸らし、また水平線へと視線を戻したようだった。
「ふむ……しかしそうなると、他にできることは……」
「……おい、お前、アレ……」
思案する青年に、少女が声をかけてきた。何やら沖の方を指差した。その先には、一艘の船がある。
「あぁ、漁村が近いみたいだからな。その船かなんかじゃ……」
「アタシが言いたいのはそういうことじゃねー。なんか、様子が……」
そう言われてみると、なんだかすごい勢いでこちらへ向かって来ているような――青年が荷台から望遠鏡を出してレンズを覗くと、船に乗っている男の顔に、酷い恐怖の色が浮かんでいるのが見えた。船の後ろを、これまた何かが凄い勢いで追い掛けている――鼈甲色のヒレが見えた。
「まさか……サメかなにかの
青年は望遠鏡を下ろして叫んだ。しかし、そんな奴は手配書に無かったはずだ――しかも輝石の影響でオーバーロードと化すなら、まさか海中にも鉱脈があるということなのか。
「あぁ、どーやらそういうことらしいな!?」
少女は荷台からライフルを取り出し、包帯を外し、そして蒸気を噴出しながら巨剣を構えた。
「た、助けてぇえええ!?」
大分近づいてきた小型の蒸気船から、男の悲鳴が聞こえてくる。もう少しで陸に――だが、だんだん近づかれている。このままでは、間にあわないかもしれない。
「……ちっ!」
少女が砂浜を駆けて行く。だが、先ほど泳げないと言ったはずだ。青年もすぐに後を追いかけた。
「おい、ネイ! 君は泳げないんだろ!?」
「じゃあどうしろってんだよ!? このまま手をこまねいて、アイツが食われるのを見てろってのか!?」
「そうは言わないさ……ちゃんと、策はある!」
青年はベルトからありったけのボビンを引き出して、踵を擦ってシリンダーを起動した。そして海に向かって繊維を放り電流を流し、海上に色鮮やかな道を作った。
「さぁ、これをつたって!」
「あぁ、任せろッ!」
水上の絨毯を、黒い三つ編みが走る。
船が青年の繊維を避けて、少女とすれ違う、その瞬間――巨大なサメの暴走体が、獲物に喰らいつこうと海面から飛び出した。
「迂闊なんだよッ!」
少女が跳躍し、捕食者の腹に銃剣を突き立て――そしてガラスの割れるような音と共に鼈甲色の水晶が砕け散り、水面へと落ちた。直後、蒸気を吹きあげるサメの死骸と共に、少女の体も海へと落ちた。
「ネイ!?」
青年はボビンを砂浜へ放り出して、少女を助けるべく海に飛び込んだ――が、息継ぎのために顔を出した瞬間、少女が普通に海面から顔を出しているのが見えた。
「……ここ、普通に足が着くわ」
「……そっか」
何とも締まらない感じになってしまい、青年はバツが悪くなってしまった。そのせいで、後ろで何やら漁師が言ってるのも、青年の耳に入ってこなかった。
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